「聖者伝説 365日、あなたを守護する聖人たちのものがたり」

茅真為 著 学習研究社







本書 「はじめに」 より引用


人はなぜ、この世に生まれてくるのでしょうか? いったいなんのために生きているのでしょうか?

ひとりの人間の生涯ははかりがたいものがあります。その人の人生を実り豊かなものであったか

どうか、幸福なものであったかどうかは、終わりのときになってみなければわかりません。


世の中には平気で他人の命を奪ったり、残虐なことをやってのける極悪非道な人間がいます。ま

た、金銭欲にこりかたまって、そのためならなんでもするという人びともいるようです。自分より弱

い人間に力をふるい、貧しい人びとを軽蔑し、虐げられた人びとをますます傷つける人間もいま

す。その一方で、自らの命をなげうってでも他人の命を助けたり、世の中の平和のために尽くす

人がいます。貧しい人びとや病気や障害で苦しむ人びとのために、自ら率先して救いの手をさしの

べ、ときには私財を投じて福祉施設をつくったり、慈善事業に人生を捧げる人たちもいます。


さて、ここに後世の人びとから「聖人」と呼ばれた人びとの一群があります。そのなかには同時代

の人びとからすでに絶大な信頼を受け、尊敬され崇められた人物もいます。いったい、彼らはどの

ような生活を送ったのでしょうか。聖人の生涯というものは、いまの時代の人びとにはそれほど魅力

的には感じられないかもしれません。現代人は聖人を敬して遠ざけるようなところがあるようです。

「聖人君子じゃあるまいし」「聖人の生き方なんて、とてもわれわれに真似のできるものではない」

と。反対に「聖人も人の子」と、俗なる世界の価値観をあてはめ、その生涯のあらさがしをするよう

な見方もあります。聖を俗におとしめることで安心するわけです。それはつまり、聖人など存在しな

いといっているに等しいように思えます。


たとえ、「聖人」と呼ばれる人びとのことを否定しないにしても、そのイメージはきわめて貧困である

といわざるをえません。聖人はもともとあまり欲がないお人好しか、たんなる世捨人、あるいは神に

とりつかれた奇異な人と考えられているのではないでしょうか。ところが、実際には聖人と呼ばれる

人びとの内側には、抑えがたい衝動とエネルギーが渦巻き、その生涯にはすさまじい葛藤と苦悩が

あります。それを支えているのは、まさしく超人的な意思と努力、そして自らを駆りたてる情熱なので

す。聖人は「枯れた人」「悟った人」ではなく、「ホットな人(熱い人)」なのです。だからこそ、どんな苦行

も、過酷な現実も、そしてときには死さえも、乗り越えていけるわけです。最近、潜在能力の開発とい

うことがいわれていますが、聖人たちこそ自らのうちにひそむ潜在能力を、その生涯のうちに充分

に、そして(本人はおそらく否定するでしょうが)完全に、開花させた人びとであるといっていいと思い

ます。聖人の生涯はこうして、輝ける栄光の生涯となります。


この本では古今東西の聖人・聖者と呼ばれる人びとのなかで、キリスト教とくにカトリック教会におい

て「聖人(Saint)」の称号が与えられている人びとの生涯に焦点をあてることにしました。彼らの特徴

は自分自身を神にゆだね、自らを低くして、神の意思に従って生きようとしたところにあります。


カトリック教会では教会暦というカレンダーがあり、そのなかでほとんど毎日のように、ある聖人の

記念日が祝われています。そのなかにはイエス・キリストの弟子であった使徒たちや、ローマにおけ

るキリスト教迫害時代の殉教者をはじめ、西欧では守護聖者として崇められ、文学や芸術的イマジ

ネーションを刺激する伝説の聖人たち、清貧のうちに生き、その時代の人びとの精神的支えとなり

模範となった司祭や修道士、修道女たち、また、自らの命をかけてキリスト教の福音を世界の人び

とに宣べ伝えた宣教師のような人びとが含まれています。


このほか、病人や貧しい人びとを援助するために身を挺して働いた人や、全財産を投げうって、

病院や学校、福祉施設などを創立した人びともいます。放蕩生活を送ったのち、罪から回心し、

その後、厳しい贖罪の生活を送り、一般の人びとの心を強く打った人もいます。病気を癒したり、

予言をしたり、不思議な幻を見たりといった、奇跡的な能力を持つ聖人もいました。カトリックの

聖人にはキリスト教の時代から2000年を経た現代にいたるまで、さまざまな時代状況のなかに、

さまざまな国で、そまざまな個性を持った人びとが見いだされます。現代ではナチスの時代に自己

犠牲に立つ真の隣人愛を示した聖マキシミリアノ・コルベ神父の名があげられるでしょう。このよ

うな聖人のなかから、とくに一般の読者の興味をひきそうな聖人を何人か選びだし、ひとりひとり

の生きた軌跡をたどってみるというのがこの本のねらいです。さらに教会のカレンダーにその名

が記されている聖人たちの略伝から、いったいいかなる人びとが聖人と呼ばれているのか、その

本質にあるものを感じ取っていただけたらと思います。


300人以上にものぼる聖人の生き方を見通せば、そこに自ずと聖なるものの光を感じ、善なる

意思が悪の意思に打ち勝つものであることを信じることができるようになるかもしれません。と、

同時に、わたしたち自身の人生もまた、はかりしれない可能性を持つことを知るでしょう。聖人

への道は、わたしたち自身においても閉ざされているわけではないのです。


さて、ここで最初にお断りしておかなければなりませんが、キリストの時代から現代にいたるま

での数多くの聖人たちの生涯は、歴史的な事実として確認されているものもあれば、生年月日

や業績にいたるまで、きわめてあいまいでなかば伝説のように伝えられているものもあります。

さらに、カレンダーに記されている聖人の記念日は、諸国共通のものもありますが、国や民族、

地方によって大きく異なる場合があります。そこで、どうしても数字の上での一致や正確さを求め

ようとすると、無理な点が生じてきました。そのためこの本ではあまり細かいことにこだわらず、

正確さという点よりもむしろ、本質にこだわって、直感的に内容が把握できるような構成にせざる

をえませんでした。聖人の名前や土地の名称など日本語での表記も、一定の表記に統一する

ことにこだわるより、むしろ親しみやすさの観点から、より一般的で耳になじんでいる方を適宜、

採用の基準として用いることにしました。


 







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