「進化しすぎた脳」 中高生と語る「大脳生理学」の最前線

池谷裕二 著 講談社








本書 「進化しすぎた脳」 より以下、抜粋引用



生まれながらにして指がつながったままの人、たとえば人差し指と中指がつながったまま生まれる人が、たまにいる。

指が4本、そういう人の脳を調べてみると、5本目に対応する場所がないんだ。わかる? これ、とっても重要なことを意味

しているよね。つまり、人間の体には指が5本備わっていることを脳があらかじめ知っているわけじゃなくて、生まれてみて

指が5本あったから5本に対応する脳地図ができたってことだ。ところが、生まれたときに4本しかなかったら、脳には4本

に対応する神経しか形成されない。ということは、ここで心に留めてほしんだけど、さっきみんなに示した「脳の地図」は、

じつはかなりの部分で後天的なものだってことだね。言ってみれば、脳の地図は脳が決めているのではなくて体が決めて

いる、というわけだ。





上の写真は健常者の脳、下は「水頭症」といって、小さい時に脳に水がたまってしまって、そのせいで脳の成長が妨げ

られちゃっているんだ。見ての通り、大脳が薄っぺらになっている。ひどい場合だと、大脳の体積は健常な人の20分の1

にもなっちゃんだ。



んで、「水頭症」の人はどんな症状がでるかっていうと、驚くべきことに多くの患者はまったく正常なの。それどころか、

中にはIQが126もあって、大学の数学科で主席を獲るほどの人もいた。



大人になった彼はあるとき病院でたまたま検査を受けて、そのときはじめて自分の脳が健常な人の10%しかないことを

知ったんだよ。そのくらい生活面では周囲の人と差がなかった。ある統計によると、頭蓋骨の中の95%が空洞という重症

の水頭症でも、ひどい障害が現れる人はわずか10%に満たなく、50%の人はIQが100を超えているという。つまり、人間

が人間らしくあるためには、そんなにデカい脳なんか持っている必要はないってわけだ。



このことからも人間の脳は「宝の持ち腐れ」だといえるよね。



ただ、現実的な話をすると、大人になってから脳を90%も削ってしまったら、あきらかに障害が出てくるよ。でも、この

患者の場合は、はじめから小さな脳として成長しているので、大きな脳と同じ機能を発揮できているんだ。これをもっと

深く捉えるために次のように考えてみよう。



人間の脳(ホモサピエンスの脳)が、現在のような姿になったのが数十万年前、進化の過程でここまで発達してきた。

その過程で、クロマニョン人などが現れたよね。たとえば、彼らの子どもを現代社会に連れて来たらどうなるだろう?

ちゃんと育つかどうか? 僕は育つと思う。



たしかに彼らは原始的な生活をしていた。もちろん、彼らでも大人になってからではもうだめなんだけれども、子どもを

現代の社会に連れて来たとしたら、現代の言葉を話し、むずかしい数学の計算もできるようになるはず。教え込めば

株式の取引さえもできるようになるだろう。何が重要かというと、人が成長していくときに、脳そのものよりも、脳が乗る

体の構造とその周囲の環境が重要なんだよね。日本人だって英語圏で育てば英語を話せるわけで。



クロマニョン人は現代にも適用する脳をすでに持っていたと言える。実際、ネアンデルタール人は現在の私たちよりも

大きな脳を持っていたんだ。そう考えると、いまの人間の脳は、当時からすでに「宝の持ち腐れ」だ。



ということは、脳というのは進化に最小限必要な程度の進化を遂げたのではなく、過剰に進化してしまった、と言える

のではないか。進化の教科書を読むと、環境に合わせて動物は進化してきた、と書いてあるけど、これはあくまでも体の

話。脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それゆえに、全能力は使いこなされていない、と僕は

考えている。能力のリミッターは脳ではなく体というわけだ。



こうして脳は、一見すると無駄とさえ思えるほどに進化してしまっているけれど、でもそれは裏を返せば、将来いつか

予期せぬ環境に出会ったときに、スムーズに対応できるための、一種の「余裕」だと考えることもできる。新しい環境や、

もしくは進化や突然変異などで体そのものの形が急に変化してしまっても、余裕をもった脳は、依然これをコントロール

することができる。



こうして考えると、脳の過剰進化とは、いわば安全装置、そう、未来への予備みたいなものだとわかる。もちろん厳密な

意味では、これはちょっと詭弁だ。だって進化には本当は理由なんかないわけだからさ。DNAは将来を予測したりはしな

いし、未来計画も立てない。でも僕は、あえて前向きに脳は過剰進化したと考えてみたいんだ。すると、いまの僕たちが

脳を使いこなせていなかったとしても、それはけっして嘆くべきことではないと思えてくるわけ。





視神経は100万本もあると言ったけど、デジカメに置き換えて考えてみると、ちょっと少ないような気がしない?だって

見てごらん、この映写スクリーンの画像。文字がザラザラでしょ。100万画素しかないからね。もしデジカメのように目が

動いていたら、これはとんでもないことになりそうだね。世の中ぜんぶガクガクに見えちゃう。逆に言うと、脳の中では、

デジカメの方法とはまったく違う方法で、目の情報の処理がなされているのだろう、ということがわかってくる。



もう一回言うと、100万本というのは、おそらくきれいに写真みたいに写し取るにはあまりにも少なすぎる。にもかかわらず、

いま僕らが見ている景色も人の姿もザラザラじゃないでしょ。僕の顔、カクカクしていないよね。ちゃんときれいに見えてい

る? 僕の顔が美的にきれいかどうかって意味じゃなくて、少なくとも画素が粗くてザラつくことなく、なめらかに見えている。

そういうふうに見えるということは、何かそれを補うような回路、そういう機能がきっと脳には備わっているはずだという話に

なってくるわけ。


(中略)


さて、今日、目の話を始める前に、だれかが「見る」という行為は、意識と無意識の中間だと言っていたよね。でも、どうだ

ろう、こうして考えてみると「見る」というのはほとんど無意識の行為じゃないかって気がしない? 錯覚、盲点、時間の埋め

込み、色づけ・・・・。目に入った光をどう解釈するかというのは、この「私」が意図的に行っているんじゃなくて、あくまでも

「脳」が行っている。「私」という存在は、その脳の解釈を単に受け取っているだけであって、脳が解釈したものから逃れる

ことができない。「見る」というのは結構不自由な行為だと思う。



いままできみらは「見る」というのは能動的な行為だと考えていたと思うけど、本当はどこまでも受動的な行為だということ

がわかってきたね。そのせいで、錯覚のような不都合も起こるんだけど、でも、そうした脳の自発的な解釈のおかげで、

たった100万本画素分しかない二次元の網膜を通して、三次元の世の中をスムーズに感知することができるんだ。



ここまでいろいろ話してきたけど、人間の行動のなかで意識してやっていることは意外と少なくて、見るという行為でさえも

無意識だとわかった。こう考えていくと、人間の行動のほとんどが無意識かもしれないと想像できるよね。





そうそう、そのためには学習のスピードがあまりに速いと、特徴を抽出できない。たとえば、きみらが池谷という人間を

記憶する過程を考えてみようかな。いま僕は正面を向いて立っているでしょ。その姿だけを見て「これが池谷」というのを

写真のように覚えちゃったとするでしょ。そうすると、次に僕が右を向いたら、その姿は別人になっちゃうよね。そこで、

「右を向いた姿こそが池谷だ」と、もう一回完璧に覚え直してもらったら、こんどは右向きの姿だけが池谷になっちゃって、

正面姿は違う人になっちゃうでしょ。わかるかな。



ふたつの姿を結びつけるためには、〈記憶の保留〉が必要なんだ。つまり、正面姿の池谷を見ても「これは池谷かもしれ

ないけど、ここは判断を保留しておこう」。そして、右を向いた池谷を見て「ふーん、これも池谷なんだな。ということはさっき

の正面姿との共通点は何だろうか」とまたも記憶を保留する。そうやって、ゆっくりゆっくり脳は判断していくんだ。もちろん

無意識にね。



もし、学習のスピードが速いと、表面に見えている浅い情報だけに振り回されてしまって、その奥にひそんでいるものが

見えてこなくなっちゃうのね。



みんな勉強してて、なかなか覚えられないな、と苦労することがあるかもしれないけれども、それはこの脳の作用の裏返し

なんだよね。しょうがないんだ。ものごとの裏にひそんでいるルールを確実に抽出して学習するためには、学習スピードが

遅いことが必須条件なんだ。そして繰り返し勉強することもまた必要なんだね。





共通するルールを見つけ出す、つjまり、一般化する、これを「汎化」(はんか)と言うんだったね。



論理的思考法には大きく2種類あるというのは聞いたことがあるかな。帰納法と演繹法というのは知らない? 数学的

帰納法というのを習ったような気がする?



数学というのは基本的にすべて演繹法なのね。「まず定理、つまり絶対的なルールがはじめからあって、そのルールから

導かれる個々の結果はつねに正しい」という論法。たとえば、人はみな死ぬ、だから、私もいつか死ぬ、という考え方。こう

いう演繹法はまさに数学のやること。数学的帰納法だって、帰納法という名前がついているけど、本質的にはもちろん演繹

法だ。



でも人間の脳はそんなことできない。だって脳は解釈するだけだもん。世界は広すぎるから全部は調べられない。だから、

ある程度限られた例数のなかからルールを見つけて、それを一般化する。こういうのを帰納法って言ったよね。つまり、

脳のやり方は「帰納法」なんだ。



そういう意味では、〈汎化〉と〈帰納法〉は同義語だね。



そして、汎化のために有利なプロセスこそが、「抽象化」なんだよ。抽象化すると、いろんなことに応用が利く。数学も物理

なんてまさに抽出の世界だけど、応用範囲が広いよね。ものごとを個別に考える考えるんではなくて、一歩下がって「これ

らを結びつけるものは何だろう」という抽象的な考え方ができるからこそ、脳は〈汎化〉ができる・・・・。何となくイメージつか

める?



抽象的な考え方ができればれきるほど、〈汎化〉が得意になる。そして汎化によってルールを知れば、新しい状況・環境に

なっても応用が利くでしょ。人間がほかの動物と比べて、著しく応用力が高いのは、抽象的な思考ができるからだろうね、



ところで、、人間が抽象的な思考ができるのはなんでだっけ? 人間は何を持っているからだっけ? そう、「言語」を持って

いるからだったね。人間は言葉を持っているから抽象的な思考ができる。言葉がないと抽象的な思考ってむずかしい・・・・。

そういう話をしたよね。



これでわかると思うけども、意識とか心というのは多くの場合、言葉によって生まれている。意識や心は言語がつくり上げた

幽霊、つまい抽象だ。こう考えると、ひとつの結論にたどり着く。そう、意識と心は〈汎化〉の手助けをしているんだよ。わかる

かな。



つまり、「言葉→心→汎化」だ。人に心がある〈理由〉はきっと言葉があるからだけど、人に心がある〈目的〉は汎化するため

なんだろうね。汎化がいかに重要なファクターかは、すでに話した通り、その議論を拡張すれば、人にとって〈心〉もまた重要

なファクターになるわけだ。



人間以外の動物にどこまで心があるかはわからない。もしかしたら、いわゆる〈心〉と呼ぶにふさわしいものがないという

可能性だってある。でも、だからと言って、〈心〉が生命に不要なものかというと、そんなことはない。〈心〉は人間の生活の

飾りなんかじゃない。人間には〈心〉を活用して抽象的な思考をして、そして周囲の環境から基底ルールを抽出して、それを

未来に向けて蓄えて、応用して、環境に適応しているんだ。



ちょっとまとめようか。〈汎化〉が言葉によって生まれるとしたら、言葉にはおそらくふたつの側面がある。



ひとつはコミュニケーションの手段、伝達のための信号・記号だね。もうひとつは抽象的思考をするための道具、考える

ためのツールとしての側面だ。



人間はこの両方をうまく使っている。多くの動物は、〈仮に言葉があったとしても〉記号的な使い方しかしていない。それでは

「言語」とは呼べないと思う。



人間について言うのなら、「言語を操るようになった」=「それをツールとして抽象的思考が扱うようになった」=「応用力・

環境適応力の高い動物になった」・・・・と言えるんじゃないかな。



美に共鳴しあう生命





2016年7月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


ある勢力は自身の内なる暴力性に縛られ、他の勢力は外なる現実から目を背けている。



ここ数年、投票用紙にはいつも「棄権(キケン)」と書くが、今回も同じかな。



何か、大平正芳・総理大臣が懐かしい(真逆は小泉)。



国会答弁では「あー、うー」と中々言葉は出てこなかったが、今にして思うと様々な状況を超高速で吟味

していたんだろうね。



アメリカ先住民(インディアン)もそう。



学校で先生から質問されたとき、白人の子供は直ぐ答えを言うが、彼ら先住民の子供は、何故先生が

この質問をするのか、その意図など背景を考えてしまう。



だから、直ぐに答えを言わないし、言えない。



先生は、そんな彼らを「頭が悪い人たち」としか捉えなかったけれど、どちらが深い洞察力をもっていた

かは明らかだと思う。






「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

より以下、抜粋引用。2017年3月10日追記


そうそう、そのためには学習のスピードがあまりに速いと、特徴を抽出できない。たとえば、きみらが池谷という人間を

記憶する過程を考えてみようかな。いま僕は正面を向いて立っているでしょ。その姿だけを見て「これが池谷」というのを

写真のように覚えちゃったとするでしょ。そうすると、次に僕が右を向いたら、その姿は別人になっちゃうよね。そこで、

「右を向いた姿こそが池谷だ」と、もう一回完璧に覚え直してもらったら、こんどは右向きの姿だけが池谷になっちゃって、

正面姿は違う人になっちゃうでしょ。わかるかな。



ふたつの姿を結びつけるためには、〈記憶の保留〉が必要なんだ。つまり、正面姿の池谷を見ても「これは池谷かもしれ

ないけど、ここは判断を保留しておこう」。そして、右を向いた池谷を見て「ふーん、これも池谷なんだな。ということはさっき

の正面姿との共通点は何だろうか」とまたも記憶を保留する。そうやって、ゆっくりゆっくり脳は判断していくんだ。もちろん

無意識にね。



もし、学習のスピードが速いと、表面に見えている浅い情報だけに振り回されてしまって、その奥にひそんでいるものが

見えてこなくなっちゃうのね。



みんな勉強してて、なかなか覚えられないな、と苦労することがあるかもしれないけれども、それはこの脳の作用の裏返し

なんだよね。しょうがないんだ。ものごとの裏にひそんでいるルールを確実に抽出して学習するためには、学習スピードが

遅いことが必須条件なんだ。そして繰り返し勉強することもまた必要なんだね。



 

2013年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(写真は他のサイトより引用)



1991年に刊行された柳澤さんの「意識の進化とDNA」を最近読みました。2004年に生命科学者としての

視点を踏まえながら般若心経に迫った「生きて死ぬ智慧」は注目を集めましたが、土台はその十数年前

に芽生えていたのですね。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者でしたが、その後原因不明の病気で、36年間闘病生活を強いら

れます。生命科学者としての目、そして自殺も考えた心の痛み、この2つが彼女の死生観の根底にある

と思います。



「意識の進化とDNA」は彼女の専門分野の遺伝子に限らず、心理学、哲学、芸術などの底流にある関連

性について、二人の男女の会話を通して小説風に書かれた読みやすい本です。



彼女は言います。「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己である」と。そして意識の進化は「自己を否定

して、宇宙と一体になる。これが“悟り”すなわち宗教の世界である」と考えます。



私自身、“悟り”がどのようなものかわかりませんが、彼女の言う意識の進化は、必ずしも生命に多くの美

を宿すことにつながっていないような気がします。



私たち日本人の基層として位置づけられるアイヌの人々、彼らは縄文時代の世界観を受け継いだ人々

でした。果たして昔のアイヌの人々と現代人、どちらが多くの美を宿しているのでしょう。



美、あるいは美を感じる心とは何でしょう。それは、私と他者(物)との「へだたり」への暗黙の、そして完全

な同意から産まれるものと感じますし、「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言うヴェイユ

眼差しに共鳴してしまいます。



動物や植物、太陽や月、天の川と星ぼしたち。



現代の私たちは科学の進歩により、この「へだたり」を狭くしてきました。しかし、その一方で峡谷は逆に深

くなり、底が見えなくなっているのかも知れません。それはこの世界の混沌とした状況によく似ています。



世界屈指の古人類学者のアルスアガは、「死の自覚」が今から40万~35万年前のヒト族(現生人類では

ありません)に芽生えたと推察していますが、「死」という隔たりを自覚したヒト属にどんな美が宿っていた

のでしょう。



私は星を見るとき、あの星団はネアンデルターレンシスが生きていた時代に船出した光、あの星は大好き

な上杉謙信が生きていた時代、などと時々思い浮かべながら見るのが好きです。



そこで感じるのは、柳澤さんが問いかけている「36億年の歴史をもつDNAが本来の自己」に近い不思議な

感覚でした。



意識の進化にはいろいろ議論はあるかも知れませんが、柳澤さんの眼差しには宇宙創世からの大きな時

の流れそのものを感じてなりませんでした。




 


2012年2月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は「On This Earth: Photographs from East Africa」Nick Brandt著という写真集からです。



1987年、乱獲で生き残っていた3頭の象は1990年にはたったの1頭になっていた。人々は最後の

象、彼女のことを太母(メイトリアーク)と呼んだ。しかし彼女は何処かへ消える。以下、この物語に少

し耳を傾けたい。



☆☆☆☆



生涯、母系社会を維持し、常にコミュニケーションを取り合って暮らしてきた象が、たった1頭のこされ

たとき、彼女はいったい、どこへ行くのだろうか。ワトソンにはある確信があった。彼は、少年時代を

過ごした南アフリカのある場所で、かつて象を見たことがあったのだ。



それはクニスナ地区から国道を越え、森林地帯が終わるころ、そこでアフリカの大地は突然、崖となり、

その下の海面に垂直に落ち込む。切り立った壁の上から大海原が見渡せる。



はたして、ワトソンは、その崖の上にたたずむメイトリアークを見た。そしてその光景を次のように書

き記した。



「私は彼女に心を奪われていた。この偉大な母が、生まれて初めての孤独を経験している。それを

思うと、胸が痛んだ。無数の老いた孤独な魂たちが、目の前に浮かび上がってきた。救いのない

悲しみが私を押しつぶそうとしていた。しかし、その瞬間、さらに驚くべきことが起こった。



空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが海面に

浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹きだす穴までがはっきり見えた。



太母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの

100ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意志を通じあわせている。超低周波音の

声で語りあっている。



大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎこむ苦労を理解するものたち。高度

な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。この美しい希少な女性たちは、ケープの海岸の垣根

越しに、互いの苦労を分かち合っていた。女同士で、太母同士で、種の終わりを目前に控えた生き

残り同士で」



☆☆☆☆



この物語は「エレファントム」ライアル・ワトソン著で描かれているが、これを紹介した「動的平衡」福岡

伸一著で初めて私はこの物語に触れた。



真偽はわからないが、間違いなく言えることは多くの先住民や生き物たちが、絶滅する直前に感じた

孤独感や喪失感を、この物語は見事に描いている。



もし、自分がたった一人、この地球に取り残されたたった一人の人類だとしたら何を感じるのだろう。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「生命とは自己複製を行うシステムである」



私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って

いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり

続けるだろう。



アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己

複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って

いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分

の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か

釈然としないものを感じていた。



最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて

おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ

いだ」
「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書

いている。



「生命とは動的平衡にある流れである」



今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己

複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で

あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。



この定義だとアトムは生命(生物)ではない。



でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその

身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か

を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。



私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解

できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉

えている。



銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在

も保持され続ける性質を持ったものだろうか。



そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動

と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ

え思う。



ただ



美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。

共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。



机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造

主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。



最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え

て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた

ら幸いです。



☆☆☆☆



哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。



「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。

どこかはずれているのだ。」



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2016年1月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



本日1月17日の夜明けです。


大きな白い鳥を肩に載せて散歩している人に興味が湧き雑談したが、この鳥は話すと言う。



確かに彼が話しかけると良く話す。名前は失念したがキバタンの仲間なのかも知れない。



その方(56歳)は細胞の増殖を抑える研究が主で、動物実験では成功しつつあるものの、将来はがん細胞を

押さえる研究に結びつけたら、と願っていた。



ソニーに勤めていたが、独創的な研究が認められ、今は研究員として東大の研究所で働いている。



ただ、大学の研究員は有期雇用(現在は数年毎の更新)であり、生活が苦しいときはコンビニでバイトをして

いますと笑っている。



人の生き方は様々で安定した生活を望む人もいれば、生活が多少不自由であっても探究に情熱を燃やす

人もいる。



彼は後者のタイプだが、その顔に非痛感はなく、「私たちの研究が認められるのは、私が死んだ後になるで

しょうね」と、近くにいた彼の息子(小学生)を見ながら笑っていた。



彼とは初対面でありながらも、彼の研究や宇宙(JAXA・宇宙航空研究開発機構)の話まで広がっていったが、

このような名もない数多くの人の土台があってこそ、花咲く土壌が出来ていくのだろうか。



彼と、その息子さんの晴れ晴れしい笑顔に、少しだけ未来への希望を感じた。





Forgetful? Distracted? Foggy? How to keep your brain young | The Independent




人類発祥時からの流れをつかむ、その探求を避けては真の哲学の意味など見出せないでしょう。

哲学=西洋哲学ではなく、人類が先ず世界とどのように関わってきたのか、太古からの生き方を

受け継ぐ世界各地の先住民族の考え方や視点、そしてその世界観を知ることを基底としなければ

ならないと思います。現在の自分自身の立っている場を正しく捉えるためにも、この探求は必要

不可欠なものだと感じます。



「ギリシャ、エジプト、古代印度、古代中国、世界の美、芸術・科学におけるこの美の純粋にして正しい

さまざまの反映、宗教的信条を持たない人間の心のひだの光景、これらすべてのものは、明らかに

キリスト教的なものと同じくらい、私をキリストの手にゆだねるために貢献したという私の言葉も信じて

いただいてよいと思います。より多く貢献したと申してもよいとすら思うのです。眼に見えるキリスト教

の外側にあるこれらのものを愛することが、私を教会の外側に引き留めるのです。」

シモーヌ・ヴェイユ「神を待ちのぞむ」より






アビラの聖女テレサ(イエズスの聖テレジア)の生涯と「霊魂の城」

「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房

「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著), 河井美咲 (イラスト), 向井 和美 (翻訳) 紀伊国屋書店

「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」 スーザン小山 著

「シャーマニズムの精神人類学」癒しと超越のテクノロジー ロジャー・ウォルシュ著 安藤治+高岡よし子訳 春秋社

「哲学大図鑑」ウィル バッキンガム (著), 小須田 健 (翻訳) 三省堂

「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」テオドール・イリオン著 林陽訳 徳間書店

「人類哲学序説」梅原猛・著 岩波新書

「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書

「みるみる理解できる相対性理論」Newton 別冊

「相対性理論を楽しむ本」よくわかるアインシュタインの不思議な世界 佐藤勝彦・監修

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 著 講談社現代新書

「英語化は愚民化」施光恒・著 同化政策の悲劇を知らない悲しい日本人

「進化しすぎた脳」 中高生と語る大脳生理学の最前線 池谷裕二著 講談社

「野の百合・空の鳥」&「死に至る病 」(漫画) キルケゴール(キェルケゴール)

「生と死の北欧神話」水野知昭・著 松柏社

プラトン 「饗宴」・「パイドロス」

「人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る」海部陽介著 NHKブックス

良寛『詩歌集』 「どん底目線」で生きる  (100分 de 名著) NHKテレビテキスト 龍宝寺住職 中野東禅・著

カール・ラーナー古希記念著作選集「日常と超越 人間の道とその源」カール・ラーナー著 田淵次男 編 南窓社

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 舟木 アデル みさ訳 築地書館

「ホピ 神との契約」この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ 林陽訳 徳間書店

「火の神の懐にて ある古老が語ったアイヌのコスモロジー」松居友著 小田イト語り 洋泉社

「新版 日本の深層」縄文・蝦夷文化を探る 梅原猛 著 佼成出版社

「沖縄文化論 忘れたれた日本」岡本太郎著 中公文庫

サンデル「正義とは」ハーバード白熱教室 & 「ソクラテスの弁明(マンガで読む名作)」プラトン・原作

「意識の進化とDNA」柳澤桂子著 集英社文庫

「宗教の自殺 さまよえる日本人の魂」 梅原猛 山折哲雄 著 祥伝社

「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」福岡伸一 著 木楽舎

「アンデス・シャーマンとの対話」宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観 実松克義著 現代書館

「沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る」松井友 著 洋泉社

「木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日」岩田慶治著 第16回 南方熊楠賞 受賞 人文書館

「史上最強の哲学入門」飲茶・著 河出文庫

「10代からの哲学図鑑」マーカス・ウィークス著 スティーブン・ロー監修 日暮雅通・訳 三省堂

「面白いほどよくわかるギリシャ哲学」左近司 祥子・小島 和男 (著)

「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」マーク・ローランズ著 今泉みね子・訳 白水社

「エデンの彼方」狩猟採集民・農耕民・人類の歴史 ヒュー・ブロディ著 池央耿・訳 草思社

「ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く」 リサ・ランドール著 塩原通緒・訳 NHK出版

「カラマーゾフの兄弟 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「罪と罰 (まんがで読破)」ドストエフスキー・作 バラエティアートワークス

「夜間飛行 (まんがで読破)」サン=テグジュペリ・作 バラエティアートワークス

「若きウェルテルの悩み (まんがで読破)」ゲーテ・作 バラエティアートワークス



美に共鳴しあう生命

オオカミの肖像








夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


美に共鳴しあう生命