「月と蛇と縄文人」シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観 大島直行・著 寿朗社
私自身、本書の著者のように実際に縄文土器の発掘に関わったこともないし、それほど多くの文献に精通している わけではない。ただ本書を読み進めると共に、次第に違和感が沸きあがってきた。著者はナウマンの視点を基盤と して縄文土器や土偶の文様の解釈をしているが、またそれらの解釈は将来真実と証明されるかも知れないが、私に とっては、結論ありきから全ての事柄を月と蛇に関連付けようとしていると感じてならなかった。2015年の現時点に おいても縄文土器の文様などの解釈は推察の域を出ないが、先ず求められているのは全ての先入観を捨てて (完全に先入観を捨て去ることなど不可能だとしても)、縄文人の遺伝子を受け継ぐ一個の人として土器と向かい合う ことこそ最も必要な態度であると思う。勿論、そこには客観的事実や時代背景を踏まえながらの推察になるのだが、 この態度を抜きにしては縄文土器の真実には迫れないのではないかと感じてならなかった。 2015年8月27日 (K.K) |
思考方法で表現されているからだ―北海道考古学会会長が心理学や文化人類学・宗教学などを駆使 して縄文人の“こころ”に迫る!
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本書より引用 どんな学問もそうですが、考古学もまた「人間とは何か」を明らかにするためにあります。ですから縄文人に ついても、もっと人間としての側面から研究することが必要なことは明らかです。科学も文字もない社会で生きて いくためには、もっぱら「人類の根源的なものの考え方」を用いて「世界(自然)を認識する」ことが必要だったはず です。 人類の根源的なものの考え方とは、合理的・科学的思考でものを考える、あるいは経済的価値観を至上とする ような現代社会に生きる私たちが、はるか昔に失ってしまった思考方法といってよいでしょう。おそらく、そうした 思考方法によって世界を認識し生きてきた縄文人たちの行動には、人間とは何かを考えるためのヒントが満ち 溢れているに違いありません。 「人間とは何か」・・・・その研究により長い間取り組んできた学問は、心理学や宗教学、民族学(文化人類学)、 民俗学、言語学、神話学、そして哲学などではないでしょうか。だとしたら考古学(縄文研究)にもその研究成果 を取り入れることが必要だと私は考えます。しかし、縄文人の精神性の研究を行なってこなかった”正統派”考古 学者からすると、それは”御法度”なのです。なぜなら現代の考古学には、縄文人の生活を司っていたと思われ る神話的思考を「科学的」に証明する手立てがないからです。加えて考古学者は、民俗学が扱う「人間」と、何千 年も昔の縄文時代の「人間」はまったく別ものだと考えているのです。ですから考古学者は、民族学や民俗学 に、ましてや神話学にはまったく手を出しません。かつて「神話」が侵略戦争の原動力となった皇国史観の形成 に深く関与したということも、日本の考古学者が神話学をタブー視してきた大きな理由にもなっています。 そうしたタブーを破って私は、亡きネリー・ナウマンが遺したいくつかの著作と論文を指南役に、ほかの人文科学 の成果も取り入れながら、「神話的思考に基づく縄文文化」という未知の世界に分け入ってみたいと思います。 取り入れた手法(概念)は、心理学の「普遍的無意識と元型(グレートマザー)」、宗教学の「イメージとシンボル」、 そして修辞学の「レトリック」です。いずれも人間の根源的なものの考え方にかかわる概念です。 縄文土器にはそれとわかるデザインで「蛇」がよく登場します。とくに関東甲信越地方の縄文時代の中頃の 土器に蛇がたびたび描かれることはよく知られています。蛇は、神話世界において月の性格を分有するものと して描かれます。脱皮や冬眠が「不死」や「再生」のシンボルとされ、男根になぞらえられて、女性が身ごもる ための水(精液)を月から運ぶと考えられるのです。このことは、エリアーデの「豊穣と再生」に詳しく書かれて います。 蛇の不死や再生能力に気づいていた縄文人は、きつく絡み合うオスとメスの交合の様子を「縄」で模倣し、土器 の表面に回転させたり押しつけたりして、「縄文」として表現したのです。縄文土器に長きにわたって「縄文」が 描かれ続けたのは、縄文人にとって不死や再生が重要な観念として確立されていたからでしょう。それをシンボ ライズするものとして選ばれたのが蛇だったのです。そして、縄の撚りによってレトリックされたのです。 実は、縄文(縄目の模様)が蛇の交尾を表しているという説を最初に述べたのは、環境考古学者の安田喜憲で した。安田は民俗学者の吉野裕子(1912~2008)から、神社のしめ縄が蛇の交尾を表しているという話を聞き、 それをヒントにこのことに気づいたのです(「蛇と十字架」「縄文文明の環境」)。 ナウマンは、月は一切の水と湿り気を統御するというロバート・ブリフォールが提唱した世界共通の考え方に 共鳴しました。「月の盆に入った液体は、かならず雨となって降り注ぐふつうの水というわけではない。それは 不死の飲み物、永遠なる若返りの飲み物、月神の目や鼻、口などから浸出する涙や鼻水、唾液それらは神の 分泌物であり、神のさまざまな資質を分有する液体なのである。しかも、各月末に死んでから新月の開始ととも に死者の国から登場してくる神そのものの生の液汁であり、それは”原始的思考ではことごとく永遠の復活や 不死、永遠性”を表わす神にほかならない」と、ブリフォールの考えを引きながらナウマンは、縄文土器に表現 された月の盆に集められた水が、「生」の象徴としての水であることを力説しているのです。 さらに、カール・ヘンツェが行なった紀元前の中国青銅器の読み解きにならい、唾液には生を付与する能力が あり、「生の水」を意味することも述べています。 ナウマンのいう、再生を果すための月の水の重要性が理解できれば、縄文土器の口がなぜ長い間、しかも ほとんどの地域において、ポカンと開けられ続けたのかが読み解けてきます。つまり縄文人は、人間だけで なく、自然界のすべての動植物には、月からの生きる水が大地にほとばしる場所が必要と考え、口を円く開い た状態にしたのでしょう。 月からの生の水がほとばしるのは口からだけではありません。これも考古学者は注目してきませんでしたが、 土偶の目と鼻と口には、それぞれ下に向かって何条かの細かい線が引かれていることがあります。ほとんどは 直線ですが、ギザギザに描かれることもあります。古くからこれは、入れ墨や口髭、あるいは化粧であろうと考え られてきました。しかし、ナウマンは、これを滴り落ちる涙と鼻水、唾液であると指摘しています。つまり、大地に 至る月の水は唾液を通じてだけではなく、涙も鼻水からも同様に大地に至っていたのです。 私が土偶に興味を持っていろいろと調べ始めてから、じつはまだ何年も経っていません。しかし、これまでの 学者とは異なる土偶解釈の視座を持ったことで、私自身が疑問に思ってきたいくつもの謎に一応の答えを 与えることができました。もちろん、ネリー・ナウマンの視座のおかげです。 一番大きな謎であった、土偶があのように奇妙奇天烈な姿形をしている理由についても答えを導き出しました。 これまで誰も気づかなかった「ワキの甘さ」の疑問にも答えを出しました。答えが出せた理由は、一言でいうなら、 縄文人の心の中核をなしているというユングの「元型」の一つ「グレートマザー」に基づく「死と再生」というイメージ から生まれる象徴(シンボル)を読み解きの視座としたからです。縄文人は、自然を理解するためにさまざまな 象徴を作り出したわけですが、なかでも死の現実から逃れ再生を確実にするために、月や蛇のような「死なない もの」への信仰を深めていったのでしょう。ですから、彼らの象徴は、エリアーデの指摘するように、きわめて 呪術宗教的な色彩を帯びたものになったのは当然のことだと思います。 これまでの土偶研究は、こうした縄文人の心性に迫ることができなかったために、現代の仏教思想や合理的 な考え方で読み解こうとしてきました。女神や精霊、守護神、地母神、妖精などを持ち出したところで、なぜあの ような奇妙奇天烈で摩訶不思議な造形なのか理解することはできなかったのです。私のつたない読み解きに よれば、土偶は、再生信仰と深く結びついた月のシンボリズム、つまり死を乗り越えるために再生を乞い願う 心性が、再生を象徴するものにすがろうとする、そうした心の動きによって作り出されたと理解できます。です から、月と同じ性格(生理周期)を持った女性や月の水を運ぶ蛇や蛙など、月に関係する象徴が散りばめられ ているのです。 |
2015年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「100の思考実験」と「月と蛇と縄文人」 中学・高校時代から、一つの事象に対して多くの見方・感じ方があるということを教育の一環として、あるいは家庭の中で 子供たちに教えて欲しいと願っています。 先生や学者・専門家が話していること、果たしてそうだろうか、また違った見方があるのではないかという「魂の自由」さを 持って欲しいと思うからです。 「月と蛇と縄文人」、この作者は縄文時代の遺跡を発掘に関わったことがあり、また医学博士の方ですが、縄文土器の 模様の全てを月と蛇に関連付けた展開をされています。 その根拠となっているのが、ドイツの日本学者・ナウマンが推察したことで、将来それは真実だと証明されるかも知れ ません。 しかし、私も感じていた月と蛇の影響を認めつつも、全ての文様が結論ありきによる解釈に縛られていることに、著者の人間と しての「魂の自由」さを全く感じることができなかったことはとても残念です。 清貧に生き、自身も含めて人の心の弱さを知り抜き、多くの人に慕われていた良寛(1758~1831年)の辞世の句に 次のようなものがあります。 ☆「四十年間、行脚の日、辛苦、虎を画けども猫にだに似ず。如今、嶮崖に手を撤ちて看るに、ただこれ旧時の栄蔵子。」 (四十年前、禅の修業に歩き回った日には、努力して虎を描いても猫にさえ似ていませんでした。今になって崖っぷちで 手を放してみたら、何のことはない。子どもの頃の栄蔵のままでごまかしようがないし、それこそがあるべき真実そのもの だったなあと思います。中野東禅・解釈) 良寛自身の子供時代に体験した「魂の自由」さ、それが今の揺るぎない私の姿だ、と言っているのかも知れません。 近所の子供たちと「かくれんぼ」を共にしていた時、陽が落ち子供たちが家路についたことを知らない良寛(大人)は、 まだ子供たちが「かくれんぼ」をしていると思い、次の日の朝までじっと隠れていたことがあったそうです。 自分とは異なる世界に瞬時に溶け込む、そのような「魂の自由」さに私は惹かれてしまいます。 この「魂の自由」さを良寛とは別な側面、論理的に考えさせてくれるのが「100の思考実験」です。 サンデル教授「ハーバード白熱教室」でも取り上げられている「トロッコ問題」など、自身が直面した問題として想定する時、 異なる多くの見方があることに気づき苦悩する自分がいます。 「100の思考実験」と「月と蛇と縄文人」 一見何の関わりもない2つの文献ですが、私にとっては「魂の自由」さを考えさせられた文献かも知れません。 |
2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ) (大きな画像) 実物の「縄文のヴィーナス」はこちら 土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。 今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の 高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。 今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって 知ったことだが)。 殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が 刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。 アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を 取り出し母親に抱かせた。 それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。 また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の 時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。 このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い 悲しみと再生の祈りが込められていると記している。 「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。 縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。 過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。 |
2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影 ギリシャ神話のなかで、ペルセウスがアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に 変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。 これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、 5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、 その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと が言えるのだと思います。 ☆☆☆☆ この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を 生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。 私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。 それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。 古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。 その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。 大地の神々の住処である森。 しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには 破壊される。 メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが 破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、 消滅した時でもあった。 森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった のである。 私は、その時に一つの時代が終わった気がする。 森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な 目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。 その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。 弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。 水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。 こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。 ☆☆☆☆ (K.K) |
2012年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「縄文のビーナス」 2012年4月国宝に指定 (写真は他のサイトより引用) 高さが45センチもあるこの土偶は約4500年前のものと言われており、縄文時代の 土偶の中では最大級のものです。 平成4年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から出土したこのビーナス、その造形美に は心打たれるものがあります。 縄文時代に思いを馳せ、このビーナスを作った人のことを想像してみたいものです。 (K.K) |