「ナバホへの旅 たましいの風景」

アメリカ先住民 癒しの文化の深層

河合隼雄著 朝日新聞社より引用





臨床心理学やユング心理学で著名な河合隼雄氏による文献で、神話が科学技術に置き

換わったことによる魂の破壊が如何に行われてきたかを、ナバホの民(メディスンマン)と

の出会いを交えながら語られている。またこの問題は現代日本にも課せられた課題でも

あると認識されており、その解決策を探る道をナバホの世界観を参考に模索している。前

述したように河合隼雄氏はユングの文献を多数書かれているが、ユング自身も東洋の世

界観などに強くひかれていたようです。下の文はユングがインディアンを訪ね、その世界観

に衝撃を受けた様子を紹介したものです。

(K.K)


 
 


2011年12月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「魔法使いの手」

コンパス座の方向約1万7000光年の距離にある星雲を、X線観測衛星チャンドラが捉えた

ものです。



手のひらの中心に輝くのは若いパルサー「B1509-53」ですが、パルサーとは超新星爆発後

に残った中性子星から発せられている信号と考えられています。極めて周期が安定してい

るので、「宇宙の灯台」とも言われているんですね。想像できないことですが、このコンパス

座に位置する中性子星は大き目のペットボトル(2リットル)に富士山の質量をぎゅっと押し

詰めた状態なので、地球の15兆倍の強い磁場と桁外れの重力を持つことになります。この

重力から脱出するには、光の速さの3分の一というとてつもない速度が必要になるんです。

紹介した写真は、パルサーから流れ出した電磁波が上のガス星雲(指の部分)を赤く加熱

させているところです。



本当にまるで魔法使いの手のようですね。50代半ばの女性にとって「魔法使い」と言えば

「魔法使いサリー」を直ぐに思い浮かべるかも知れません。現代では多くの人が「ハリー・

ポッター」を連想するかと思います。私も「ハリー・ポッター」は好きで本や映画で楽しんでい

ますが、内容が奥深いル=グウィン作の「ゲド戦記」に私個人はずっと惹かれています。同じ

「ゲド戦記」でも、アニメ(スタジオジブリ制作)は原作とはかけ離れた内容だったので、途中

で見るのを止めてしまいました。



故・河合隼雄さんは最初この「ゲド戦記」にユングや老荘の思想が背景にあると感じておら

れたようですが、後に全ての根底にインディアンの叡智があったと気付きます。勿論、そこ

には「最期の野生インディアン イシ」と深い親交を結んだ人類学者アルフレッド・クローバー

(「ゲド戦記」を書いたル=グウィンの父親)の存在が大きかったのではないでしょうか。



「イシ」がいたヤナ族は元々3千人いましたが、その多くが白人の虐殺により死に絶えていた

と思われていました。しかし、1911年8月29日、一人の飢餓寸前の老インディアンが捕らえら

れます。それが「イシ」だったんですね。イシは家族数名と虐殺から逃れ暫くは家族と共に

生活しますが、家族が亡くなったり白人に発見されそうになった時に離散し、捕えられる前の

5年間は一人で孤独に生きてきました。



「イシ」の物語(邦訳「イシ 北米最後の野生インディアン」岩波書店)を書いたのはアルフレッ

ド・クローバーの妻シオドーラ・クローバー(ル=グウィンの母親)でした。何故イシと親しかっ

たアルフレッドは「イシ」のことを書けなかったのでしょうか、ル=グウィンはこう綴っています。



「カリフォルニア原住民の言語、暮らし方、知恵などについての情報を、大量殺戮が完了す

る以前に、少しでも多く蒐集するというのが、何年にもわたる父の仕事であり、このため父は

殺戮の目撃者となったのだ。ナチによるユダヤ人大量虐殺に等しいインディアン撲滅の生き

残りであるイシは、父の親しい友人かつ教師となった。それなのにそれから僅か5年後に結核

・・・・これまた白人からインディアンへの死の贈物である・・・・で死亡する。どれほどの悲しみ

や怒りや責任感に父は悩んでいたことだろう!」



捕えられてから5年後(1915年)イシは結核で亡くなりますが、アルフレッド・クローバーはイシ

が捕えれてから5年間ずっと保護されていた博物館に、次のように書き送っています。



「もし、イシが死ぬようなことがあったならば、できる限りイシの世界での風習通りに葬儀を行う

ように。学問の名を借りての遺体処理、解剖などは決してさせないように。そんな学問は犬に

でも食われてしまったほうがよいのです。責任は、すべて私が持つようにします」 



またアルフレッド・クローバーと共に「イシ」と親交があった医学部の教師サクストン・ホープは

「イシ」の死に際し次のように書き記しています。



「そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディアンはこの世を去った。

彼は歴史の一幕を閉じる。彼は文明人を知恵の進んだ子供---頭はいいが賢くはない者と

見ていた。われわれは多くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実

である自然を知っていた。彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、勇気があり、自制心

も強かった。そして彼はすべてを奪われたにも拘らず、その心にはうらみはなかった。彼の魂

は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。」



私が何故ル=グウィン作の「ゲド戦記」に出てくる魔法使いにひかれるのか、それはこの魔法

使いの背後に「イシ」の存在を感じたからかも知れません。「彼の魂は子供のそれであり、彼の

精神は哲学者のそれであった」。



(K.K)


 








本書・あとがきより引用


これはアメリカ先住民のナバホの人たちを訪ねた結果生まれてきたもので

ある。しかし、これはいわゆる「調査研究報告」でもないし、一般的な「旅行

記」でもない。私は心理療法家として、多くの日本の悩める人たちにお会い

しながら、そして自分自身のこととしても、日本人がこの現代をどう生きるの

か、という課題を常に考えざるを得ない。それに取り組む上において、何ら

かのヒントを得られるのではないかという期待をもって、ナバホの人たち・・・

特にメディスンマン(シャーマン)たち・・・にお会いし、その都度、いろいろと

考えたことを、ここにまとめたものが本書である。したがって、焦点は常に

現代日本の生き方に絞られているし、現代日本において深く悩み、傷つい

ている人たちに何ができるのか、というところに関心が向けられている。


 


「ユング」アンソニー・ストー著  河合隼雄 訳より引用


「古代人の神話は、彼らを彼らの世界によりよく適応させてくれる方策であったのである。

ユングの言い表そうとしたことの例として、彼がニューメキシコのプエブロ・インディアンを訪ね

たときの経験から引用することができよう。この人々は太陽が自分たちの父であると信じて

いる。その上、彼らは、自分たちの宗教儀式を行うことによって、太陽が毎日空を横切る旅

を遂行するのを助けている、とも確信していた。これらの儀式を几帳面に果たすことで、彼ら

は、それゆえ全世界に貢献しているのである。そしてもし彼らが愚かにもそれ怠ったなら、

「十年たてば太陽はもはや昇らなくなるだろう。・・・・永遠に夜が続くだろう。」ユングのこれ

に対するコメントは、以下のようである。「そのとき、私は個々のインディアンに見られる「気

品」と静かなたたずまいが、何に由来するかがわかった。それは太陽の息子であるというこ

とから生じている。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父なる太陽の、つまり

生命全体の保護者の、毎日の日没を助けているからである。」 神話は、・・・・たとえ客観的

真実ではなくとも、重要な建設的機能を勤めているのである。


 
 


本書より引用


私をナバホに惹きつけた大きい理由は、その神話である。前述のモンテ・ホワイト

さんと話し合っているうちに、ぜひ訪ねてゆきたいと思ったのだ。彼らの神話が実に

興味深いのみならず、モンテさんの話を通じて、彼らはまだそれを生きていると感じ

たのである。だからこそ、そこに実際に行ってみたいと思ったのだ。ここで、現在の

ような科学技術の発達した時代に、神話とかメディスンマンなどということに、なぜ

私が関心をもつかについて少し説明しておきたい。このことを抜きにしては、私の

「旅」はまったく意義がなくなってしまう。私は神話学の「研究者」でもないし、文化

人類学者でもない。心理療法家である。しかし現在において心理療法を続けてゆく

上で、神話に関心をもたざるを得ないのだ。それをごく簡単に言うと次のようになる

だろう。近代の科学・技術は、人間とその対象とする現象とが切断されていること

を前提としている。だから、誰にも通用する普遍的な理論や方法が得られる。これ

は、人間が外界を自分の欲するように支配し、操作する上で極めて有効なことで

ある。しかし、人間が自分と関係のある現象に対するときは、それは無力である。

月に向かってロケットを発射するときは、近代科学は有効だが、十五夜の秋の名月

を家族とともに見るとき、お互いの心と月とをつなぐ心の内面を語るのには、月で兎

が餅つきをしているお話の方がピッタリくるのだ。しかし、科学技術の発展した今日

に、今さら月の兎でもあるまいとつながりを否定してしまったために、現代人の多く

は「関係喪失」の病に苦しみ、孤独に喘いでいるのではないだろうか。科学の知の

みに頼って世界を見るとき、人間は孤独に陥るが、関係回復の道を示すのが「神話

の知」であると、哲学者の中村雄二郎が指摘している(「哲学の現在」岩波新書 19

77年)。彼は「神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成さ

れている世界とを宇宙論的に濃密な意味をもったものとしてとらえたいという根源的

欲求で」あると言う。そして、神話の知は「ことばにより、既存の限られた具象的イメ

ージをさまざまに組合わすことで隠喩的に宇宙秩序をとらえ、表現したものである。

そしてこのようなものとしての古代神話が永い歴史のへだたりをこえて現代の私

たちに訴えかける力があるのも、私たち人間には現実の生活のなかでは見えに

くく感じにくくなったものへの、宇宙秩序への郷愁があるからであろう」と述べて

いる。短い説明であるが、これで現代の心理療法家が神話に関心をもつ意味が

わかって下さったと思う。われわれは常に現代人の「関係回復」の仕事を助けね

ばならず、そのためには「神話の知」が必要なのである。





「白人がアナサジ文化の存在に気づき、それが忽然として消え失せたことをなかなか理解

できなかったのは、注目すべき現象である。彼らは「アナサジ人」そのものが消え失せた

と考えたのだ。しかし、何のことはない、「アナサジ人」の一部はプエブロ、ホピなどと呼ば

れてこの一帯に住んでいた。つまり、巨大な建造物をつくることはしなくなったものの、依

然としてそこに住み続けていたのだ。こんな当たり前のようなことに考えが及ばなかった

大きい要因は、白人文化にとって重要な「進歩」という概念が作用したのではないかと思

う。アナサジ文化を見た後では、それが次にどのように「進歩」「発展」するか、と期待す

るのではなかろうか。白人たちが最初に会ったプエブロやホピの人たちの生活を見て、こ

れがアナサジ文化の後継者であるとは、とうてい考えられなかったのではなかろうか。

白人の目から見る限り、それは「進歩」ではなく、「退歩」と見なされるであろうが、彼らは

営々とその生活様式をつづけている。ここに「白人の」として書いたことは、ヨーロッパ近代

の考えを受けいれている、現代の日本人にとっても同様のことである。つまり、文化や社

会は「進歩」する、あるいは、するべきであると考えている。確かに、人類の歴史を見て、

人間の社会が「進歩」してきたとは言えるだろう。その考えに従って、現在われわれは「先

進国」などという表現を用いている。そして、その「進歩」に貢献しようとして、あるいは、何

とか「出し抜こう」として努力している人は沢山いる。しかしこのように「進歩」ということを

評価するようになったのは、ヨーロッパ近代になってからのことである。まず、「進歩」とい

う考えの方から見ると、それを成し遂げる上での文字の役割を見逃すことはできない。

人間が「文字」をもつことによって、その行為や思考などが記録され、他の多くの人と共有

できる、ということは大きいことだ。それらの体験の集積と共有を経てこそ、次に生じてくる

「変化」が「進歩」につながりやすい。この点で、日本人が古くに平仮名、片仮名を考えつ

いたことは貴重なことだと思う。次に「進歩」という概念が生じてくるためには、人間中心

の思想がなければならない。たとえば、神(絶対者)がこの世をつくったのであれば、そ

れは完成品であるはずで、それが「進歩」することなど考えられない。ヨーロッパにおい

てはキリスト教のもとで、神との長い対峙の歴史を経て、人間中心の思想が生み出され

た。そこに生じてきた「進歩する文明」は、現在、全世界を席巻していると言えるだろう。

しかし、現在、その進歩の極みに達して、反省を必要とするようになった。神のことはし

ばらくおくとしても、進歩した文明は、人間の住んでいる外的環境も内的環境(心)をも

相当に破壊していることがわかった。われわれは、「進歩」を唯一の旗じるしにしている

ことができないと感じている。ここからは、私の車中のまったくのイマジネーションであ

る。アナサジ文化が「進歩」し壮大な建築物を築き、人々の往来もはげしくなったとき、

大干ばつが続く。そのとき、メディスンマンの誰かが啓示を受け、「自然に帰ろう」と呼

びかける。人々はその言葉に耳を傾け、一斉に大きい建築物を離れ、それぞれが自然

とともに住む生活へととけこんでゆくことになった。そこには何の争いもなく、静かな行動

だけがあった。これが現代人から見れば、アナサジ文化の消滅であり、「退歩」である

のだが、それはほうんとうに「退歩」なのだろうか。私はいろいろと想いをこらしつつア

ルバカーキへと向かったのであった。





わが国の現状について考える前に、西洋の近代において、どのようにして「個の

確立」ということが生じてきたかを、人間のつながりという点に関連づけながら考え

てみよう。西洋においても、既に述べてきたような人間関係も相当に重視されてき

たであろう。しかし、近代において「個人主義」が生まれてくる要因として、キリスト

教の果たした役割は見逃すことはできない。キリスト教においては、神と人とのつ

ながりがまず優先する。したがって、血のつながりは第一義ではない。血がつな

がっているかということよりも、人は神とのつながり、同一の神につながるものとし

ての隣人の関係が大切になる。人間が感じるつながりとして、もっとも自然と思わ

れる、母子、血のつながりよりも唯一の神とのつながりを重視するキリスト教は、

「自然」と人間の切断を前提としている。このような宗教が砂漠地帯で生まれてきた

ことは示唆的である。文化人類学者、谷泰の「“聖書” 世界の構成論理 性、ヴィ

クティム、受難伝承」(岩波書店 1984年)は、このようなキリスト教の本質を明ら

かにするものとして注目すべき書物である。ただ、この点については既にあちこち

に書いてきたので詳述は避けるが、簡単にエッセンスを述べると、アフリカの砂漠

地帯で遊牧を主として生きてゆくには、いかに自然と共存するかなどということで

はなく、いかに自然を支配し操作してゆくかを考えることが必須のことだ、という

ことである。遊牧する羊を、群れとして人間の思うままに動かさないと、草の少な

い土地でそれを養ってゆけない。それに失敗すると、人間は滅亡してしまう。多く

の羊をひとつの群れとして、一人の牧者が自分の意のままに動かす構図は、唯

一の神がその意志のままに世界を動かすという構図と重なる。かくて、極めて強力

な一神教の世界が出現するが、そこに、キリストという神のイメージが生まれてき

たところに、キリスト教をユダヤ教やイスラム教とは異なる宗教として発展させる

ことになった。つまり、神と人との関係において、人がだんだんと強力になってゆ

く道が開かれたのである。唯一の神の強い支配のなかから、長い間かかって、

ヨーロッパではだんだんと人間が力をもち、神に頼らず人間の力によっていろい

ろなことが可能になることがわかってくる。この結果、人間の一人ひとりを重視す

る「個人主義」が生まれてくるが、そのときに、その個人個人は神とつながる存在

であることを忘れてはならない。神とつながっている限り、人と人とは神を介してつ

ながるし、「神の目」を意識する限り、その「個人主義」は「利己主義」になることは

ない。そしてまた、孤独になることもない。このことは、個人主義に生きようとする

日本人にとって、考慮すべき課題として決して忘れてはならないことである。現代

の欧米の知識人と話し合っていると、彼らの個人主義の背後にキリスト教があ

る、などということを意識していない人が多いことがわかる。それは当たり前すぎ

て意識することもないのだろう。それに、彼らは今ではキリスト教の力をそれほど

強いと思っていないし、かつてほど信じているわけではない。それよりも、個人と

個人の関係は、お互いの信義や契約によって結ばれている、と考えている。つま

り、ここでは一体感的感情を土台にするのではなく、個人と個人が言語によって、

その関係を確かめ、それを維持する努力を払うのである。それは、まさに個と個と

の関係であり、一体となったりはしない。そこでは言語のもつ役割が重要になっ

てくるし、運命など無関係であり、人間の意志が重んじられる。このようにして、

現代人はつながっていると思っているが、背後にある宗教性を失うにつれ、それ

は危ういものとなり、容易にキレたり、弱い者にとっては関係を維持するのが難し

くなる。そして潜在的に作用してたキリスト教と切れてしまうと、その人は容易に

「キレる」人間になる。アメリカにおける凶悪犯罪やアルコール依存症が日本より

はるかに多いことは、そのことのひとつの表れであると思う。


 


目次

1 なぜナバホなのか

アメリカ先住民の知恵

ナバホの神話

最初の訪問

ナバホの人たち


2 「亀の島」へようこそ

メディスンマン訪問

ノーマンさん大いに語る

怒りと嘆き

サンダンス

チーフになるには


3 ナバホ国の人たち

ナバホ国へ

ロング・ウォーク

ウィンドウ・ロック

宗教と生活

聖俗具有


4 メディスンマンの夫妻

森と半砂漠の世界

儀式に参加

ジェームズさんの話

白人の文明に囲まれて

メディスンマン成立の条件


5 シャーマニズムと心理療法

シャーマニズムとは何か

近代科学の治療法

現代の心理療法

シャーマニズムの現代的意義

宗教・科学・芸術の接点


6 シャーマニズムと西洋医学の対話

キリスト教

アルフレッドさんの話

小休止・・・・ルート・ビアのこと

医療の工業化


7 伝統的医療を公的施設で

アルコール依存症

NCI探訪

成功率75%

家族の問題

祈りと儀式


8 美と均衡・・・・マンダラ的世界観

ホーガンのなかで

不思議な疲れ

『ゲド戦記』

砂絵とマンダラ


9 先住民の遺跡

キャニオン・デ・シェイ

コヨーテの導き

プエブロ・ボニート

遺跡に思う


10 スウェット・ロッジ、そして日本のこと

スウェット・ロッジ

血のつながり

「個人」の台頭

人と自然

日本の課題


ナバホが教えてくれる「つながり」の尊さ・・・・河合隼男xぬくみちほ

あとがき



「プラセボ効果 信じる者は癒される」 ナショナル ジオグラフィック 2016年12月号を参照されたし








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