「はるかなるオクラホマ」

ネイティブ・アメリカン・カイオワ族の物語と生活

高橋順一 はる書房 より引用




20年前に文化人類学を学ぶ学生だった著者が、カイオワ族の文化と言語を

研究するためフィールド調査を行ったときの記録で、カイオワ族の生活と物語

を紹介する民族誌的エッセイである。非常に読みやすい文献で、カイオワ族の

伝説が独自の言語を失いつつある時代においても、それが現代においてどの

ような形で生きているのかが語られている。私自身「ブラック・エルクは語る」

「ホピの予言」など彼らの深い精神性に魅了されたが、インディアン全体を

美化しすぎている傾向が強く、あるがままのインディアンの実像を正しく伝え

ていない側面もあるのだろう。その点、この文献は研究者としての偏らない

視線で書かれたものであり、彼らカイオワ族の文化や生活を知るうえでとて

も興味深い文献となっている。

2002年8月29日 (K.K)





カイオワはその出身が謎に包まれた民族である。・・・・かつて私はこの謎に包ま

れたカイオワの言語と文化を研究するために、オクラホマの地を訪ねたことがあっ

た。フィールド調査を行い、多くのカイオワと出会い、多くの予期せぬ出来事に遭

遇し、様々な心のふれ合いを経て、たくさんのことを学んだ。本書に記すのはその

時の物語である。(本書「はじめに」より引用)


 


本書より引用。


沈黙の儀式


インディアンの文化では、初対面の者に対する沈黙は、相手に対する無関心や

敵意の表れだとは考えられていない。また、その場にまずい雰囲気を作り出して

しまうこともない。初対面同士は言葉を控えることがむしろ礼儀なのである。しか

し共通の友人がその場にいる場合は、事情がやや異なる。初対面同士は口を

きかなくとも共通の友人とは自由に話せるので、その場の会話はこの友人の

仲介で滑らかに進行し得るのである。ただし、その間も初対面の二人は直接言葉

を交わすことを控える。このような沈黙は、数時間から数回の出会いを重ねる間

も維持される。沈黙を極端に嫌い初対面の時から親しく言葉を交わすことになれ

ているアメリカ人にとって、このインディアンの沈黙は全く耐え難いことだろう。ほ

とんどの白人が、これを冷酷な性格と異民族に対する敵意の表れだと解釈する。

不幸な誤解である。インディアンの文化では、初対面の者に対してあまりにじょう

舌で親しげな態度をとるのは、傲慢さの表れであると解釈される。初対面の場面

で進んで自己紹介をし、相手の手を握ったり肩をたたいたりするアグレッシブな

態度は、「白人のようだ」と批判と軽蔑を伴って評される。そのような態度は、何

か良からぬ魂胆を持っている証拠だとみなされるのである。「インディアンは、

知り合うのに時間がかかるが、一度知り合ったら本当の友人になる」のであり、

「白人はたくさんしゃべるが、インディアンは真っ直ぐに(正直に)しゃべる」という

のが、インディアンたちの見方である。したがって、初対面の際には、沈黙を守

ることが相手に敬意を払い自らの誠実さを示す最善の方法なのである。沈黙と

いう行為が必ずしもコミュニケーションの拒否や敵意を意味するのではないとい

うことは、私もそれまでの人生経験からある程度分かっているつもりであった。

しかし、それが初対面の人に対する挨拶までも控えるという形で表れるのは、

私の予想をはるかに越えていた。私は、自分が異文化の世界に足を踏み入れ

たことを強く感じた。



飲酒の伝統のないインディアン文化


煙草をはじめとする多くの常習性の喫飲植物がアメリカ大陸に原産するもので

あり、古くから先住民によって利用されてきたという事実はよく知られている。

今日でも、煙草やペヨテ(強い幻覚作用を持つサボテンの実)は、彼らの文化

の中に深く根を下ろしている。たとえば、彼らはひとつのパイプに詰めた煙草

をみなで回し飲みするという儀式によって、平和の意志と信頼を確認し合って

きた。赤い石を掘って作る火皿と長い木製の柄からなるいわゆる「平和のパ

イプ」は、今日でもインディアンの団結と指導者の威信を示す重要な政治的

象徴の道具となっている。また干したペヨテをかじることによって生じる幻視

体験は、「ペヨテの道」と呼ばれるネイティブ・アメリカン・チャーチの信仰に

とって、必要不可欠な地位を占めている。それらは決して乱用されることは

ない。ところがインディアンには飲酒の伝統がなかった。このことが彼らに

致命的な打撃を与えることになった。土着の煙草やペヨテの利用に関して

は統御できる文化が、外来の酒に関しては全く無力で無抵抗だったのであ

る。そこで白人商人が持ってきた「火の水」は、まさに草原を焼き尽くす野火

のように、際限なくインディアンたちを飲み込んでいった。


飲酒の文化があるとはどういうことだろうか。それは酒が手なずけられ社会

化されているということである。ちょうど平和のパイプの交換やペヨテ儀礼が

そうであるように、飲酒も多くの微妙な規則に支配された社会的な行為と

なってしかるべきなのである。ところが、インディアンの飲酒には、そのよう

な洗練された文化的規則の存在はほとんど見られない。彼らは、ただアル

コール消費するために酒を飲む。そこには、酒宴の楽しさも、華やかさもな

い。飲酒の持つ、社会的、社交的、文化的側面が、完全に欠落しているの

である。それは実に悲惨な光景である。目の前に幾箱も積み重ねられた

缶ビールを、次々と喉に流し込んでいく。喜びもなく、笑いもなく、連帯感も

友情も湧くことはない。ただひたすら、目前のアルコールを消費するだけな

のである。酔いが回るにつれ、必ずといっていいほど人々の感情は荒れ、

人間の持つ愚かさと残酷さばかりが表に表れる。それは実に陰惨な光景

である。


 


目次

はじめに


序章 オクラホマへの道

オノンダーガ保留地の原風景

フィールドへの旅立ち

グレイハウンドバス

タルサの“コニーアイランド”

オクラホマシティー


第2章 沈黙の儀式で迎えられる

静かな出会い

沈黙の儀式

ウエスタン・アパッチの沈黙

インディアン世界への通過儀礼

「車の中で待つ」という儀式

あいまいな別れ

インディアンの時間

文化の中の変わらぬ部分


第3章 昔は犬が言葉を喋っていた

犬は荷物を運ぶ動物だった

「白人」という名の犬

犬が言葉を喋っていた頃

民話・昔は犬が言葉を喋っていたという話


第4章 カイオワの信仰生活

カイオワの神話的起源

偉大なトリクスター

カイオワの伝統的信仰

ペヨテの道

キリスト教の宣教

インディアン呪術が狂わせたある学者の人生

呪われたカセットテープレコーダー

民話・双子少年の誕生


第5章 インディアンと白人

インディアンという名称

カイオワの旅

白人との出会い

馬と鉄砲

鉄の破壊力

鉄で武装する

変貌した大平原の光景

インディアン・イメージの「原型」

民話・カイオワセンディ、白人センディに会う 双子少年とバッファロー


第6章 サンドイッチを借りる

分かち合いの経済

生きている狩猟民の価値観

サンドイッチを借りる

トリクスターと反面教師

古典的なジレンマ

民話・センディと熊


第7章 狩猟民と肉の深い関係

狩猟と採集

高い肉の地位

食べた肉の量で偉大さを競う

「自然」から「文化」へ

バッファローの肉

今日の食料採集

魚肉のタブーと鯰釣り

民話・センディ、山の化け物に出会う


第8章 パウワウの風景

サンダンス

パウワウ

ジェロニモとワトソン老人

団結のためのパウワウ

個人のためのパウワウ

大都市のパウワウ


第9章 インディアンと酒

飲酒の伝統のないインディアン文化

インディアンの飲酒光景

インディアンの青年期

大人のための通過点

パスカルの死

女性の飲酒問題

つむじ風の女

民話・センディ、つむじ風の女と結婚する


第10章 インディアン流子育て

寝かせ板

スワドリング

恐ろしい赤ん坊の物語

インディアンのしつけ

民話・恐ろしい赤ん坊


第11章 死者と罵り

兄弟姉妹間の禁避

インディアンは罵らない

カイオワの「雪女」

禁止と違反

死者に関わる禁避

民話・死者と結婚した若者


第12章 白人の器にインディアンの魂を

少数民族と巨大言語の接触

カイオワと英語

インディアン英語

カイオワの英語談話の特徴

今日の談話にみる形式

マジックナンバー「4」

英語の中に生き続ける伝統

白人の器にインディアンの魂を込める

民話・インディアンと月 インディアンと朝食


第13章 言語から覗くカイオワの認識世界

カイオワ語の難しさ

西洋人によって研究されてきたカイオワ語

研究者が複雑にしたカイオワ語

カイオワ語の「数表示」

西洋文法のバイアス

カイオワ語独自の意味範疇を探す

小宇宙としての身体

名詞分類に反映された世界認識

結語:言語と文化の多様性についての覚え書き


終章 はるかなるオクラホマ

参考文献








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