「アメリカインディアン体験 自然と共に生きる知恵」

安達生恒著 人文書院 より引用








本書 あとがき より抜粋引用


今、自ら百姓と名乗る人びとはみな体格に優れ、生活に必要な技能をひと一倍

身につけ、かつ心根の優しい人たちであr。グレーンはそのアメリカ版だった。いや、

それ以上と言うべきかもしれない。グレーンと一緒にいると、なによりも心が休まっ

た。アメリカ滞在中、いちばん心おきなくつき合えたアメリカ人はグレーンだった。私

のエクゼクテブ・アシスタントを勤めてくれたローランド・ブラウンはナバホ族の血を引

く若い言語学者だが、彼がはじめてグレーン宅を訪ねた帰り道で、こうつぶやいた。

「参ったなあ、彼は保留地に住む純血インデアンより完全なインデアンですよ」 

グレーンのライフヒストリーを知り、祖母ベスの日記を読むにつけ、彼がなぜ「先祖

返り」をしたかを知った。1970年代初頭、インデアンのアイデンティティ回復の機運

と「部族の権利回復運動」が高まった。グレーンとそのいとこのジャックリーンがあえ

て「ポタワトミ部族出身証明書」を入手する決断の動機がそこにあった。兄と妹は自

ら、「私はインデアンだ」と宣言したのだ。この時、グレーンは31歳。


グレーンの「出自」で書いたように、彼は幼い頃から祖父に乗馬を習い、鹿を仕留め

る術を教わった。野山を駆けめぐるのが好きな少年として彼は育った。インデアンとの

混血三代目の祖父フランクは、いつも寝床で孫のグレーンに御伽噺をよくしてくれた

が、インデアンの民話は何一つ聞いた記憶がないと言う。また、そのフランクに嫁い

だ白人女性ベスの日記にも、孫娘のジャックリーンが「部族出身証明」を入手したこと

に驚いて、「インデアンの血を引くわが家系最後の人」という書き込みがあるが、これ

意外にはインデアンのことは何ひとつ出てこない。グレーンの父の代までは、白人と

結婚し、保留地以外の遠隔地に散在する混血家族にとっては、インデアンのアイデン

ティティという問題は、むしろ否定的に受け取られていたのだろうと思う。しかしグレーン

とジャックリーンは、それまでの親たちとは違う視座に立っている。「先祖返り」したのだ。


「先祖返り」したグレーンのお陰で、私は彼の出身部族ポタワトミの歴史を知り、部族の

祭典に参加し、この部族民の生活の一端を知ることができた。同時に、ルイストン郊外

の保留地に住むネッツパース族の歴史と現在を、ポタワトミ族のそれとくらべながら考

え、同じインデアンといっても部族ごとにそれぞれ違ったつらい歴史と現実の生活があ

り、保留地の住民と保留地以外の住民との生活落差のみならず、保留地の住民内部

にある階層分化についても知ることができた。


 


目次

T部 先住民との出会い

西北部の田舎町・ルイストン

グレーン・ラジールとの出会い

出自

祖母ベスの生涯

自然人・グレーン

オクラホマへ

祭りの幕開け

太鼓、唄、そして踊り

憲法と行政組織

観光施設と芸能集団

進む階層分化


U部 部族の受難史

ポタワトミ族の交易と暮らし

ポタワトミ族の伝承と神話

オクラホマへの「長い道」

ネッツパース族の昔の暮らし

ネッツパース・タブロー

金鉱の発見

ネッツパース・ウォー

帰還、そしてジョセフの死

ラップウェイの保留地で

「インディアンとは誰か」

管理と支援体制

インディアン政策の流れ


V部 権利回復の歩み

アルカトラズ島占拠とウンデッド・ニーの闘い

漁業権回復と自然保護

クリントン大統領は?

インディアンになった日本人


あとがき

引用文献








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