「ホピ銀細工」
マーガレット・ライト著
岡山徹・監訳 仁井田重雄・訳
バベル・プレス より引用
本書 序文 追記、及び 日本の読者の皆様へ より引用。
ホピ・インディアンの銀製装飾品のそもそもの始まりは、20世紀が始まる直前、 すなわち1900年頃と言われ、それ以来、75年以上もの間、脈々と作られつづ けてきました。1930年代の中頃になって、一部の銀細工職人が自分の作品に 個人的な印を入れはじめました。作り手の名前を表す独特の刻印で、職人の間 では銀細工マーク、コレクターの間では一般的にホールマークと呼ばれていま す。数年間、このマークに関する記録はひとつもありませんでしたが、1950年 代後半になって、ようやく北部アリゾナ博物館の歴史・図書部門の学芸員である キャサリン・バートレットが入手可能な刻印を集録しはじめました。数年後、バー トレットは自分の作ったリストを博物館長のバートン・ライトに見せ、ライトがその リストに記録をつけ加えていったのです。1965年、筆者はこの調査を継続する よう依頼されました。見つけた刻印をそれぞれスケッチする作業に加え、北部 アリゾナ博物館の公式記録保管所の永久資料とするために、可能なかぎり 刻印の型を銅製の薄板に打ち出しました。データの多くはホピの職人たち、 あるいはその家族を訪問して調査して収集し、残りはホピ銀細工に精通した コレクターや研究者たちに提供していただきました。こうしてホピの刻印に関す るほぼ完全な記録が編集できたのです。(中略) 不幸なことに、ホピ銀細工 は人気があるがゆえのマイナス面が存在します。本や展示品からのホピのデ ザインが盗まれ、国外の至る所で模造品が作られているのです。手作りであれ 機械製であれ、こうした作品はかなり安くなります。粗悪な模造品が国内で売ら れる場合もよくあり、知識の乏しい購入者は本物のホピ工芸品を手に入れたと 信じ込んでしまうのです。模造品を見分け、取り扱いを拒否する良心的な業者 が多くいるのがせめてもの救いです。(中略) 刻印はそれ自体が興味深い 記号です。ホピは母系社会で、自分達の母親を通してその家系をたどります が、彼等は刻印に自分達の父親の母族からのデザインを用いることが往々 にしてあります。これ等の組み合わせは簡単に見分けが付く場合もあり、一方 分かり難い場合もあります。多くの母系の併合等があるからです。工芸作品に 刻印をすることは工芸作家にとっては新しい概念でした。彼等は集団的な人達 で、他人から目立ちたがらず、むしろ名前を伏せたままの方を好みました。1950 年以前、ホピの職人達の間では刻印は少数でしたが、現在では南西部地域の 大多数のインディアン装身具製作者は刻印を使用します。刻印の有る無しに かかわらず、ホピ装身具はその持ち主に、厳しい素晴らしい土地で何世紀も の間生活し、自分達と全人類の幸福のために祈りを捧げ、土地を正しく守って いくために最善を尽くしている誇り高い人達と、ほんの少しばかり関わりをもた らすのです。
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目次 追記 日本の読者の皆様へ 前書き
1 ホピ工芸品と文化 1500年〜1890年 2 初期のホピ銀細工職人たち 1890年〜1910年 3 銀細工製作の工具類 4 注目すべき影響 5 昔ながらのホピ銀細工装身具 6 現在のホピ銀細工装身具 7 ホピ銀細工のホールマーク(銀細工職人と刻印の年代準リスト タイプ別刻印の目録)
付録1、2 用語解説 Bibliography 後書き
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