「インディアンという生き方」

夢にかなう魂

リチャード・アードス著 仙波喜代子訳

グリーンアロー出版社 より引用





アメリカ・インディアンの精神文化を最もよく知る白人の一人である著者が関わった文献に

は、古典と言われる「レイム・ディアー(インディアン魂)」「アメリカ先住民の神話伝説」

「魂の指導者 クロウ・ドッグ」「ラコタ・ウーマン」などがある。1970年代にスー族の著名

なメディスン・マン、レイム・ディアーと知り合った著者はその後、深くインディアンと交流し

白人が立ち入ることが出来ない幾つかの儀式や生活を記録してきた。本書はそれらの

記録を写真を交えて紹介するものであり、インディアンでない人間から見た彼らの聖なる

もの(ゴースト・ダンス、ヴィジョンクエスト、ユイピ)や権利獲得までの苦闘が語られます。

2001年2月21日 (K.K)





著者リチャード・アードスは、ドイツからニューヨークへ渡ってきた。第二次世界大戦直

後から「タイム」、「ライフ」などの有名雑誌を舞台にアーティストとして華々しく活躍した。

1970年代に入り、ジョン・レイムディアーというスー族のメディスン・マンと知り合う。そ

れをきっかけに、ネイティブ・アメリカンの生活をつぶさに記録する立場に立つ。そこに

は、公民権運動の始まりとその後の苦闘の時代もふくまれている。レイムディアーに

続く世代はいう。「おれたちは昔からいるインディアンでずっとこの大陸の地主だった

んだぜ。だから地代を集めに来ただけだ」 現実はやさしくないが、彼らが重ねてきた

自然との交流、そこに根ざした生き方の作法には、「いかに現在という時間にどっぷ

りつかっていても、過去を今に活かす道を守り、未来を前向きに信じる」精神がある。

そこから照射されてくる生き方を考えずにはいられない。(本書より引用)


 


本書より引用


「木を、海を、大地を傷つけるな」と、ペヨーテの儀式に集まる人たちは祈りを捧げる。

河川が汚染され、おかしな雨が降り、空気が汚れて環境が年々だめにされていくのを

ネイティブ・アメリカンの人たちは敏感にとらえている。ホピの国のスポークスマンであ

トマス・ベンヤクヤはかつてこの問題について、ホピの予言によれば「東に黒い太陽

が昇るとき、ホピは雲母の家に向かい」、傷つけられ強奪をくりかえされてきた世界は

やがて亡びの日を迎えると語った。地球に破滅のときが迫っていることに警鐘を鳴ら

すために、ニューヨークの国連に向かっていたホピの人びとは、インディアナ州の鉄鋼

都市ゲーリーの街を通りかかったときに工業都市が排出する煤煙とスモッグに汚され

た空に黒い朝日が昇るのを見た。ニューヨークに到着してから予言にあった「雲母の

家」とは、国連ビルのことを指していたのだとわかった。今住んでいる人たちが無茶な

生き方を改めない限り、この世界は別の世界にとって代わられる。しかも今よりももっ

と悪い世界に代わられるとする予言どおりのことが、中央アメリカからずっと北の北極

にいたるまで、そこに住む多くの部族の者たちの身に起きつつあるのだ。インディアン

の生き方を守っている男や女たちのなかには「白人たちよ、足下に気をつけろよ!」

という者がある。この本では、インディアンの目を通して見た世界を伝えたい−神聖

なもの、不浄なもの、善きこと、悪しきこと、尋常ならざること、月並みなこと、命ある

もの、死せるものをしっかりと確かめた上で、すべてが死に絶えてしまったわけでは

ないことを伝えたい。亀の大陸と呼ばれるこの土地で、交錯しながら存在する二つの

世界で観察される生きるための知恵の違いに焦点をあてていきたい。写真につけた

言葉は、これまで二十年あまりの時間をかけて録り集めたテープをもとに書き起こし

た。写真に映っている人たちは、ほとんどが親しい友人たちである。スピリチュアル

に生きてきた平原部族のある長老から、めったに行われることのない儀式を正しく

時間が進む通りにすべてを記録するようにと頼まれ、その結果、年寄りたちがこの

世を去ってしまった今でも、正しく儀式を執り行なうにはどうしたらよいかの記録を

残すことができている。神聖なダンスをはじめとして儀式の写真撮影を禁じている部

族のところでは必ず彼らの規則を尊重してきたが、それでもつねになにかしらの怖

れを感じ、平原部族の儀式を記録するようにと彼らから求められたときでも、自分が

越境行為を働いているのではないかという危惧がつきまとった。写真とキャプション

は関連あるテーマごとに区分を設けたが、全体からみればすべては聖なる輪の周り

をとり巻いている考え方だと伝わるように意図したつもりである。では気高いラコタ族

の言葉をここに記す。   「わたしにつながるすべての者たちよ」という意味の言葉

がある。われわれはこの言葉に生かされていく。われわれはあらゆるものとつな

がっている。われわれは生きているのだ! われわれはこれからも生きていく!

ミタクエ・オヤシン



「仕事を持ち十分な給料をもらい、家も車もあり、テーブルには食べ物がのり、服もじゅうぶん

持っています。それでもわたしの人生には、何かが足りない。わたしやわたしの家族が生きて

いくうえで必要なものはなんでもそろっていますが、でもそれだけではまだ満たされた気持ち

になれないのです。わたしはメサに新しく開発された住宅地区に住んでいますが、周囲にある

のは砂に岩ばかり、それとほんの二、三年しか経っていないセージブッシュが生えているばか

りです。隣近所とつきあいはありません。夜の空を見上げに外に出るなどめったにせず、陽

の光を浴びたり、砂岩の壁を眺めに行くこともありません。夜はテレビを見ています。妻や子

どもたちの生活は、テレビ番組みたいに空っぽです。わたしたちは次から次へと物を買うた

めに生きています − 新しい車に新しい冷蔵庫へと。新しい持ち物が増えると、いっときは

嬉しい気持ちになりますが、すぐにもう次はどんな新しい物を買おうかと探しているのです。

子どもたちはバスで何時間もかけて、メサの上にそびえ立っている新しい学校に通っていま

す。何色もの色に塗り分けられた巨大な箱のような建物で、この高台に広がる美しい砂漠の

風景にはそぐいません。学校で習う読み書きは、子どもたちにはほとんど身についていませ

ん。子どもたちは本を読みません。テレビを見るだけです。この子たちが大きくなったら、どう

やって生活費を稼ぐのでしょう? 機械が読み書き計算をやってくれるようになるのでしょう

か? そうだとしたら、人の心や肉体にはどんな仕事が任せてもらえるというのでしょう?

わたしたちはもう、自分たちの文化から離れてしまったところにいます。わたしたちの親は、

自分たちの土地に根ざした社会に生きて、何をするにも、何を考えるにも、自分たちが住ん

でいる土地と結びついた生き方をしています。わたしたちはもう、そんな近しい結びつきを感

じることはありませんし、だからでしょうが、親たちから見たらこちらの生き方が分からない

のと同じように、わたしたちは親たちを理解することができなくなってしまっています。実家

にもどることがあっても、ホーガンでの暮らしが快適とはもう思えないのです。蛇口をひねれ

ば水が出て、スーパーマーケットの食べ物に慣れ、天気の動きにすっかり疎くなり、プライバ

シーがある生活が当たり前になり、科学技術が発達した社会がもたらすもろもろのことに

慣れきってしまいました。だから実家から帰る日が来ると、近代的な施設のそろった快適な

家に、中身のないテレビに流されていく日常に戻れるのがうれしいとさえ思うのです」 この

問題はすべてのインディアンに共通している。シャイアンの者が、スー族の人間が、クワキ

ュートルやイロコイの者が、この手紙を書いたとしてもおかしくはない。ナバホ族の保留地

では石炭や石油やウランが採れるので、彼らは恵まれているともいわれる。だからといっ

て、ナバホ族の一人、一人を富ませてくれるわけではない。入ってくる金や鉱区使用料は

部族で管理し、全員のために使われる。十二万五千から十五万の人たちがいるのである

から、生活の質を高める効果は広く薄いものでしかない。それにまた天然資源は白人の

専門技術者たちに管理され、幸福をもたらすどころか怨嗟の的になっている。ブラック・

メサにある露天堀鉱山しかりで、環境破壊の元凶となり、ほとんど降雨のない土地におい

て、人びとが必要とする水の供給問題に深刻な脅威をつきつけている。ウラン鉱山で働

くナバホ族の者たちには、癌で早死にする者がでている。ナバホ族が合衆国内に存在す

る第三世界の低開発国民だといわれてきたのは、このような問題を抱えてきた必然的な

結果である。現時点での最大の懸案事項はビッグ・マウンテンをめぐる争いである。もと

はといえば白人が引き起こしたこの問題は、ホピとディネの伝統を厳格に守って生きる

両者が激しい非難の応酬をする事態を招き、それによって数百戸の家族が強制退去さ

せられる結果となり、彼らは今もって安普請のスラム化した家で暮らすはめになったまま

捨て置かれている。彼らが現在も苦しみつづけているトラウマについては、その間の事情

を「ナバホ・タイムズ」に詳しく寄稿した。だが、ある人類学者が言うように、「ナバホ族は

確かに貧しく暮らしぶりは不安定だが、だからと言ってもともとそうだったわけではないの

だ」 ナバホ族は忍耐力と生き抜く意志に満ち、その技を持っている生きた見本そのも

のである。歴史の夜が明け染める頃より極寒の荒れ地が突きつける厳しい条件に耐え、

適応して生き抜いてきた。木で作った槍を、その槍先を火で硬くする知恵によって、巨大

な牙を持つマンモスを倒すことすらやってのけた。彼らは焼けつく砂漠を生き抜き、スペ

イン人のマスケット銃を、キット・カーソンの大砲すらしのいで生き残った。ボスク・レドンド

でのホロコーストを生き抜いて、家畜の暴落という抵抗の術さえない時代をくぐり抜け、

宣教師団や政治家の干渉をはねかえし、怒涛のように押しよせる白人による文明化の

波を、科学技術の進歩の波を耐えてきた。なかでも白人観光客という、ことに大きな脅威

さえ、かなりうまく乗り切っている。ロング・ウォークを歩ききって男女、子どもは、とにかく

先祖の家に戻り、逆境をはねかえして二十倍の人口を持つまでになった。巨大な力を持

つわれわれ白人アメリカ人はこの先どうなるのだろうかと考えると、ときに不安になる。

今後、百年、二百年という時間が経ったときに、われわれはまだこの国に存在している

だろうか? 彼らナバホ族がいることは確かだ。


 


目次

日本語版に寄せて

序文


第一章 夢を求めて・・・・儀式

よりよき世界を招くダンス

インディアンの肉と血

消えることのない火

山に登る

暗闇でまたたく小さな明かり

彼には目はない、だが見ている

イーグルの骨笛の響き


第二章 夢を守る戦い・・・・公民権

おれの横に並んでくれ、頭の上に立つのではなく


第三章 夢に生きる・・・・大地とともに生きる人びと

平原インディアンという生き方

メサに生きる人びと

砂漠で生きる人びと


参考文献

著者について








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