「子どもの神秘生活」

生と死、神・宇宙をめぐる証言

ロバート・コールズ著

桜内篤子訳 工作舎 より引用













ピューリッツァー賞受賞の児童心理学者による世界の子どもたち

の心のフィールドワーク。ホピの少女、キリスト教、ユダヤ教、イス

ラム教の少年少女、そして信仰をもたない子どもたちは・・(帯文)


 
 


ホピ族の少女ナタリー(10歳)の言葉 1975年


空がわたしたちのことを見ていて、わたしたちの言うことを聞いてくれる。

空はわたしたちに話しかける。そしてわたしたちの返事を待っているの。

空には白人の神様が住んでいるって先生が言っていた。あなたたちの神

様はどこに住んでいるのでしょうって先生が聞くから、わたしは知りません

って答えた。だって本当に知らないんだもの! わたしたちの神様は空。

だから空のあるところには必ずいる。太陽も月もわたしたちの神様。それ

にホピ族の人たちも。わたしたちはここに住んでいなければならないの。

ここからはなれたら、神様もきえてしまうから。(中略) でも、白人はわた

したちの言うことに耳をかさない、自分たちの言うことしか耳に入らないっ

て、四六時中白人とつきあっているお父さんが言ってた(父親はトラックの

運転手であった)。おばあちゃんはね、白人は空をせいふくしようとしてい

るけど、わたしたちは空に祈りをささげるために生きているって。せいふく

しようとする人に話してもむだだから、白人の分もいのるしかないって。

だからわたしたちはただニヤニヤして白人に《イエス》ばかり言うのよ。

そしてあの人たちのためにいのるだけ」





ブラッキー(少女の愛犬)と散歩していたとき、空にけむりのすじを見たの。

ひこうき雲。いったいだれがのっているのかなって思った。わたし、ひこう場に

行ったことないんだ。学校で写真は見せてもらったことはあるけど。ブラッキー

と二人でひこうきにのっているところをそうぞうした、太陽にむかってどんどん

とぶところをね! そんなことしたらひこうきがとけちゃうって知っているよ。

太陽に近づくと、なんだってとけちゃうって学校で習ったもの。でもたましいま

ではとかせないよ! わたしたちはお日様やお星様に手をふるんだ。光を

おくってありがとうって。ずっとずっと前のおくりものを、いまわたしたちがうけ

とっているんだよね。わたしって空想するのがとくいなんだ! ホピ族のご

先祖様たちに会って、先のことを話したい。みんながまたいっしょになれる

ときのことを。川には水がたっぷり流れていて、お日様が地球のさむいとこ

ろをあたためて、すっごくあついところは少しのあいだあまりてりつけないよう

にする。そして世界の人が大きな輪にすわる。みんな、きょうだいってわけ! 

そのとき世界中の霊が出てきておどりくるう。星もお日様も月もよ。鳥たちも

地面にまい下りておどる。人間たちがそこらじゅうでおどったり、またすわって

輪をつくったり。輪はすっごく大きいから、メサの上に立って地平線のほうを

見ても、どこまでつづいているかわからない。でもみんなうれしそう。けんか

なんかしない。けんかするのは、まいごになって、先祖のことをわすれて、

わるいことをしでかすから。いつか、みんなが大きい輪になって手をつなげる

ときがくる。ホピ族だけじゃなくて、みんなよ。そうなったらほんとうに《いい》

んだよね。先生が良いこと、良いものの例をあげなさいって言ったことがあ

るの。ブラッキーはいいよ。だってだれもきずつけないもん。この世界もみん

なが大きな輪をつくれるようになったらいいね。ぐるぐる回りながら、世界中

の人がその輪に入ってきたらさ」


 


本書・序 より引用


子どもが霊的な問題をどのようにとらえているのかを探る今回の

プロジェクトで、このようなやりとりが、大きな意味をもった。われわ

れは、特定の宗教を信じ、その習慣を守っている子どもたちから話

を聞くと同時に、教会やモスクやシナゴーグで教えられなくとも、神

や超自然的なもの、人生の究極の意味、物事の聖なる部分に興味

を抱いている子どもたちの意見も聞いた。その中には、不可知論者

や無神論者の息子や娘もいたし、信仰篤い家庭で育ちながらも、

家族の宗旨にそぐわないような超自然的な疑問を抱いている子も

いた。そのような子の考えは、多くの場合、私の息子が日曜学校

の先生から学びとったものに近かった。彼らは、組織された宗教を

厳しく批判する。一方で、洞察力に富む考えを表明した。大人の場

合と同じように、子どもの道徳観と宗教観も重なる部分がある。教会

へも行かず、宗教的な教育にも無縁な子どもの多くにおいても、宗

教的体験と霊的体験が重なる部分がある。ボストン郊外に住む12

歳のある少女はこう言っていた。「神様はだれなのかって考えるの。

大昔の人がつくりあげただけの人なのか、もし本当にいるなら、わた

したちにどういう人間になってほしいと思っているかとか。」 本書で

強調したいのは、子どもたちが特定の宗教をどのように信じ、その

教えをどのように守っているかではない。むしろ、子どもたちがその

霊的な世界を見せる瞬間を示したい。非常に俗っぽい面を見せた

かと思うと、次の瞬間、神とか魂について深く考えることができる子

どもの姿を見せてほしいのである。





子どもが霊的な問題をどのようにとらえているのかを探る今回の

プロジェクトで、このようなやりとりが、大きな意味をもった。われわ

れは、特定の宗教を信じ、その習慣を守っている子どもたちから話

を聞くと同時に、教会やモスクやシナゴーグで教えられなくとも、神

や超自然的なもの、人生の究極の意味、物事の聖なる部分に興味

を抱いている子どもたちの意見も聞いた。その中には、不可知論者

や無神論者の息子や娘もいたし、信仰篤い家庭で育ちながらも、

家族の宗旨にそぐわないような超自然的な疑問を抱いている子も

いた。そのような子の考えは、多くの場合、私の息子が日曜学校

の先生から学びとったものに近かった。彼らは、組織された宗教を

厳しく批判する。一方で、洞察力に富む考えを表明した。大人の場

合と同じように、子どもの道徳観と宗教観も重なる部分がある。教会

へも行かず、宗教的な教育にも無縁な子どもの多くにおいても、宗

教的体験と霊的体験が重なる部分がある。ボストン郊外に住む12

歳のある少女はこう言っていた。「神様はだれなのかって考えるの。

大昔の人がつくりあげただけの人なのか、もし本当にいるなら、わた

したちにどういう人間になってほしいと思っているかとか。」 本書で

強調したいのは、子どもたちが特定の宗教をどのように信じ、その

教えをどのように守っているかではない。むしろ、子どもたちがその

霊的な世界を見せる瞬間を示したい。非常に俗っぽい面を見せた

かと思うと、次の瞬間、神とか魂について深く考えることができる子

どもの姿を見せてほしいのである。


 


本書 訳者あとがき 桜内篤子 より抜粋引用


著者のロバート・コールズは30年以上にわたり、児童精神科医として子どもを観察して

きた。とくに、人種差別や移住、貧困など、困難な状況に置かれた子どもの声に耳を傾

きてきた(それをまとめた『危機を生きぬく子どもたち』全五巻はピュリッツアー賞を受賞

している)。精神分析医としての知識を生かしながらも、子どもの発言を抽象的な理論

に当てはめることをせずに、矛盾も含め、子どもの話をなるべくそのまま受け入れてい

る。子どもの道徳観と政治観を調査していたとき(その成果は『子どもたちの感じるモラ

ル』『子どもの政治観』となった)、宗教的な話題がたびたび子どもの口から語られたが、

とくに注意を払わなかった。後にその点が気になったコールズが、それまでの調査の記

録をもう一度見直し、子どもの精神的な世界に焦点を当てて再度フィールドワークを行っ

た結果が本書である。彼は時間をかけて子供たちの信頼を得て、その言葉や絵から、

子どもが救済や正義、神、霊的世界についてどのようにとらえているか、この世に生を

与えられていることについてどのように理解しているかを探ろうとした。子どもたちが神

や悪魔、天国や地獄について熱っぽく彼に語ったり、議論したりする様子は忘れがたい。


コールズは世界のいろいろな国で子どもにインタビューしているが、既存の宗教として取

り上げたのはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教に限られている。ロンドンに住むパキスタ

ン系の子どもたちを除き、アジアの子どもの声が、とりわけ、先の三宗教とはかなり性質

を異にする仏教の文化圏の子どもの声が聞かれないのは残念である。特定の宗教を信

じていなかったり、無関心を表明する子どもも登場するが、まわりに信仰の篤い人がい

たり、アメリカ先住民の子どものように、霊的な世界が身近な存在である文化の中に生

きている。日本のようにきわめて世俗的な文化の中にいる子どもがコールズの問いかけ

にどのように答えるか聞いてみたい気がする。


コールズ自身は、教会を「摩訶不思議屋」と呼んで軽蔑していた科学者の父親譲りな

のか、どちらかといえば宗教に懐疑的であるようだが、その反面、大学時代に神学校

のクラスをとったり、カトリックの奉仕活動に参加したり、本書のもととなった、子どもの

宗教観を探るフィールドワークにのめりこんでいる。それは、夫が車の中で新聞を読み

ながら待っている間、息子たちを教会に連れていった母親の影響によるのかもしれな

い。科学者としての冷静な目をもつ自分と、霊的な世界を信じたい自分というコールズ

自身の内なる矛盾がたびたび頭をもたげている。 (中略)


子どもたちが一瞬見せてくれる神秘的な世界は、宗教あるいは哲学の原点とも言える。

宗教とはおよそ縁遠い生活を送っている現代人、懐疑的であることを知的であると思い

がちなわれわれの心を揺り動かす何かがある。本書に登場する子どもの多くは病や家

族の死や貧困など、悲しい体験をしたり、厳しい生活環境の中に置かれているにもかか

わらず(あるいはだからこそなのかもしれないが)人生に対して斜に構えることなく、他人

に思いやりをもち、生きることの意味を真剣に考えている。そのけなげな姿は感動的で

あり、大人であるわれわれが忘れかけている世界に気づかせてくれる。


第一章では、精神分析の父とも言うべきフロイトが宗教を幻想として一蹴したことと、

精神分析学においてそれを見直す動きがあることに言及している。第二章は著者が

どのようにフィールドワークを行なったか、その方法論に焦点を当てている。第三章

は大半の子どもが神を人間の顔として思い描いている様子を、第四章では神の言葉

をどのように受けとめているかを取り上げている。第五章は子どもの霊的世界の心理

的側面を、第六章は彼らの哲学的ともいえる思考を紹介している。第八章では子ども

の描いた絵を通じてその信仰心の解釈を試みている。第九章はキリスト教の子ども、

第一〇章はイスラム教の子ども、第十一章はユダヤ教の子どもから、それぞれにとっ

ての信仰について聞き出している。第十二章では宗教を否定する家庭に育った子ども

たちの霊的世界を探っている。そして第十三章では結論として、子どもを人生という長

い魂の旅に出発したばかりの巡礼者としてとらえている。


 


目次


序文

第1章 神や霊の世界は幻想にすぎないか

精神分析と宗教

教会がわたしを救ってくれる

だれかに見守ってもらうと安心する

天国と地獄はこの世にある

神さまがほほ笑んでいる

私は神様のもの


第2章 ホピの少女に学ぶ

無口な少女との出会い

文化的な障碍

この人はぜんぜんわかっちゃいない

わたしたちの神様は空

わたしの中の「音のおうち」

ある日曜日の教会で

教会に行くことに意味はあるの?

人間はどんなことでもけんかする

日曜学校より友だちと遊ぶほうがまし!

もし神様に会えたら・・・・

子どもたちの豊かな霊的世界を学ぶために


第3章 神の顔

天国の天気

神様の色

神様はいつでも見てる!神様を思いうかべるとき

神様のほほ笑みのおかげ

自分で考え、自分で行動しなきゃ

ベストを尽くすために、この世にいる

神様のすげない態度

神様はG−カットで青緑

大きなおでこはしわだらけ

地球でいちばん手ごわい相手

神の具象化を禁じられた子どもたち

神様を思い描くときは、神様を信用しなきゃ


第4章 神の声

いじめられっ子ハルーン少年の願い(イスラム教)・・・・一生悩みつづけていい

超自然現象を体感する少年エーブラムの思い(ユダヤ教)・・・・ぼくたちと神様の方程式

快活な少女アンの祈り・・・・明るい陽射しの中で

絶望の淵に生きる少女マルガリータの救い・・・・陽が沈むまで・・・・


第5章 死の床からのまなざし

「鉄の肺」から・・・・感情的なバランスを保つための防衛的思考

一枚の絵をめぐって・・・・子どもたちにとって神とは

神は心の避難場所・・・・親では不十分なとき

孤独を訴えるこどもたち・・・・宗教と親の狭間で子どもたちは・・・・

ひとときも側を離れない心の“友”・・・・根本主義、原理主義を信じる人々の心模様


第6章 哲学するこどもたち

夢の贈りもの

存在の意味

木のいたみ、石のいたみ

考えるのは、ぼくたち人間だけ?

哲人王ギルに手を焼く大人たち

ほんとうの自分でいられるとき

小さな哲学者たちの探しもの


第7章 子どもの霊的ビジョン

調和を願うホピ族の少女ナタリー

先祖の便り

世界を結ぶ「大きな輪」

愛犬ブラッキーの「霊」との無言劇

永遠のものにふれたいと願う少女ミーガン

黒人区域と白人区域の境界線で

遠い空から

とわの願い


第8章 絵に表された信仰

握手がだいじ!

とっておきの絵

癒しの物語

神様が住んでいる惑星

あっというまの決断

モーセの嘆きと神のなぐさめ

スーパーマンとイエス様

世界一の魔術師

恐れと祈り

無垢な呼びかけ


第9章 キリスト教における救済

いちばんの友だち

人間だったイエス様

大きなタッチダウン

コンピューターを使うイエス様!


第10章 イスラム教における服従

あこがれの職業と信仰

戒律を守るよりたいせつなこと

天国への道程


第11章 ユダヤ教における正義

小さいときからぼくはユダヤ人

神様の仕事

内省的な信仰心

正義感に潜む危険

永遠の祈り


第12章 宗教にとらわれない自己探求

それが人生、それも人生

あるがままを見つめて

子どものジレンマはパスカルのジレンマ


第13章 巡礼する子どもたち

人生は行進

素朴な信仰

旅立ちのとき


訳者あとがき


 


2012年1月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




ホピ族の少女ナタリー(10歳)の言葉 1975年

出典は、「子どもの神秘生活」生と死、神・宇宙をめぐる証言
ロバート・コールズ著 桜内篤子訳 工作舎 からです。

背景の映像は「StarGaze」及び「Starry Night」から一部を
使っています。





空がわたしたちのことを見ていて、わたしたちの言うことを聞いてくれる。

空はわたしたちに話しかける。そしてわたしたちの返事を待っているの。

空には白人の神様が住んでいるって先生が言っていた。あなたたちの神

様はどこに住んでいるのでしょうって先生が聞くから、わたしは知りません

って答えた。だって本当に知らないんだもの! わたしたちの神様は空。

だから空のあるところには必ずいる。太陽も月もわたしたちの神様。それ

にホピ族の人たちも。わたしたちはここに住んでいなければならないの。

ここからはなれたら、神様もきえてしまうから。(中略) でも、白人はわた

したちの言うことに耳をかさない、自分たちの言うことしか耳に入らないっ

て、四六時中白人とつきあっているお父さんが言ってた(父親はトラックの

運転手であった)。おばあちゃんはね、白人は空をせいふくしようとしてい

るけど、わたしたちは空に祈りをささげるために生きているって。せいふく

しようとする人に話してもむだだから、白人の分もいのるしかないって。

だからわたしたちはただニヤニヤして白人に《イエス》ばかり言うのよ。

そしてあの人たちのためにいのるだけ」



ブラッキー(少女の愛犬)と散歩していたとき、空にけむりのすじを見たの。

ひこうき雲。いったいだれがのっているのかなって思った。わたし、ひこう場に

行ったことないんだ。学校で写真は見せてもらったことはあるけど。ブラッキー

と二人でひこうきにのっているところをそうぞうした、太陽にむかってどんどん

とぶところをね! そんなことしたらひこうきがとけちゃうって知っているよ。

太陽に近づくと、なんだってとけちゃうって学校で習ったもの。でもたましいま

ではとかせないよ! わたしたちはお日様やお星様に手をふるんだ。光を

おくってありがとうって。ずっとずっと前のおくりものを、いまわたしたちがうけ

とっているんだよね。わたしって空想するのがとくいなんだ! ホピ族のご

先祖様たちに会って、先のことを話したい。みんながまたいっしょになれる

ときのことを。川には水がたっぷり流れていて、お日様が地球のさむいとこ

ろをあたためて、すっごくあついところは少しのあいだあまりてりつけないよう

にする。そして世界の人が大きな輪にすわる。みんな、きょうだいってわけ! 

そのとき世界中の霊が出てきておどりくるう。星もお日様も月もよ。鳥たちも

地面にまい下りておどる。人間たちがそこらじゅうでおどったり、またすわって

輪をつくったり。輪はすっごく大きいから、メサの上に立って地平線のほうを

見ても、どこまでつづいているかわからない。でもみんなうれしそう。けんか

なんかしない。けんかするのは、まいごになって、先祖のことをわすれて、

わるいことをしでかすから。いつか、みんなが大きい輪になって手をつなげる

ときがくる。ホピ族だけじゃなくて、みんなよ。そうなったらほんとうに《いい》

んだよね。先生が良いこと、良いものの例をあげなさいって言ったことがあ

るの。ブラッキーはいいよ。だってだれもきずつけないもん。この世界もみん

なが大きな輪をつくれるようになったらいいね。ぐるぐる回りながら、世界中

の人がその輪に入ってきたらさ。



(K.K)



 







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