本書「予言」とは何か? 高橋徹 より引用
一般に予言と呼ばれているものは、現代の日本人にとって主要な関心ごととはなっていない。
そのことは、テレビや新聞などのマスメディアを見ればわかるだろう。「予言」であれ「預言」で
あれ、非科学的な内容の事柄を指すことが多いため、まじめな議論の対象となっていないの
だ。メディアがそれらの言葉を取り上げれば、たいていの場合、それはあまり良識的ではない、
特殊なオカルト(あるいはカルト)の用語だとみなされてします。
この傾向は、95年に起こった「オウム真理教」の一連の事件によって、より一層強まった。世
間全般が怪しげな宗教やカルトの活動に対して、非常に過敏な反応をとるようになったのだ。
また「洗脳」や「マインドコントロール」という言葉が一般化し、それに対しての保身的な態度、
防御的な姿勢が強化されたといえるかもしれない。
したがって、「予言」についても、なにかしら「得体の知れないもの」、「君子危うきに近寄らず」
という傾向が顕著に現れているように思われる。
今や日本の社会で重要なのは、景気の回復に代表される経済活動の動向、そして国際紛争
や政治の不祥事だけなのだろうか? これ以外に新聞を飾るテーマは、スポーツと血生臭い
殺傷事件であり、人間の精神性や信仰の問題は常にわきによけられる。
したがって現代の日本の中で、予言の問題を大局的に見て、『予言とは何か」をまじめに語る
ことは、至難の技といわなければならない。しかし、裏を返せば、このような混沌とする社会情
勢や先行き不安な大衆心理があるからこそ、予言もまた必要とされているように思われる。
暗い世相の中で真に必要とされるのは、環境問題をはじめとして、現代に山積する問題を解
決するヴィジョンや、未来に向けて意欲的に生きる力を創出する新しい価値観である。近年、
「予言」に関する数々の書物が刊行され多くの読者をつかんでいることからも推測できるよう
に、その新しいヴィジョンや価値観がもたらしてくれる可能性を、人々が「予言」に期待してい
る一面もあるのではないだろうか? 社会不安が増し、目に見えるもの、金銭などの物質的
な価値しか信じられなくなってしまった現代だからこそ、それ以外の道が模索されなければ
ならない。そうでなければ、未来に対する希望はすべて失われてしまうだろう。
本来の予言あるいは預言とは、いたずらに不安や恐怖をあおりたてるためにあるのではな
く、〈地球上に生息する人類の文明や社会が全体としてどのような方向に向かっているのか〉、
また〈人類の進むべき道はこれでよいのか〉といった、経済や政治の論理だけでは推し測れ
ない、別な視点、別な方向性をもたらすために存在していたという。
人間の精神性や信仰との関連で、現代のさまざまな出来事、人類の情勢を包括的にとらえ
るための指針として予言をとらえなおすためにも、いま一度、予言(預言)とは何かを探りな
がら、その真意に迫ってみたいと思う。
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