「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」

羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社 より引用






本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人

と子どもが、過去の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅

の記録である。私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔している。

この文献の軽妙な語り口は読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして

何より人生や自分の心に対しての誠実さを言葉の一つ一つに感じてならなかった

からである。この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さ

んで、映画「ホピの予言を通して故・宮田雪さんと知り合う。この宮田雪さんの奥

様が辰巳玲子さんである。この辰巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向

かうのである。ホピではホピの予言を守る長老たちとの旧知の出会いや、それを

陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られるが、まるで読者もその場に

居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、真剣に

表現方法を模索してきたからであろう。また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん)

が倒られてからその介護に長年関わってきたが、映画「ホピの予言」製作過程で

も宮田雪さんを支えてきた。あるがままの着飾ることのない二人の女性の生き様

がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献である。


(K.K)


 








本書 「母なる大地に抱かれて」 より引用


翌日、ズニとナバホのマリーンと一緒にビッグマウンテンにあるキー・シェイの家に向かう。

正しくは、キー・シェイの妻の「エルシィ・シェイの家」だ。マリーンはエルシィの娘にあたる。

ナバホもホピも母系制社会なので、家や畑は母から娘へと女性が継いでいく。住む場所が

あって、食べるには困らないということだ。父親が誰であろうともその女性が生んだ子供に

は違いなく、非嫡子と嫡子などの差別もない。温かく万物を育成し、包み込むような精神性

を感じる。



生まれた子どもは母の氏族(クラン)に属し、母の元で成長する。母が社会結合の中心だ。

離婚する時は簡単だ。女性が男性の持ち物をバッグに詰め、戸口に置くと離婚成立だそう

だ。「母系社会」というのも、インドネシアや中国の南部など、地域によって細かな違いはあ

るが、卑近な例を出して簡単にいうと、マンガ「サザエさん」のマスオさんスタイルだ。私の

周囲でも女性の家庭に男性が婿養子に入るという方が、嫁姑の争いはなく、平和な家庭が

多いように思われる。



女性の身体は、月経や出産など自然のリズムを内包し自然と共鳴する。それをマイナス

要因としない文化は、ヒトの男性のみならず他の生物にも無理強いしない。ヒトと他の生物

を分けることなく、生命共同体としてヒトもその一部だと考える文化をもった人々が生きた

場所は、大きく変わることがない。ユッカの葉をかごを作る分だけ切りとると、また新たな

葉が中心から生えてくる。トウモロコシもカボチャも豆も、昨年の命をまた今年つないでい

く。当たり前に見える自然の事象を創るもと、それはすべての命に活動力を与えている。

自然と共に生きる人々は、その力を感じ、それに対しての感謝を忘れない。



自然のサイクルの中で、自然の一つとして生きていくナバホやホピには「父系制」という発

想は生まれない。もともと「土地を所有する」という概念は、アメリカインディアンにはなかっ

た。大地は、地球に生きるすべての生命の母であり、父はその大地に生命の糧を与える

ものである。



私がアメリカインディアンの世界観に惹かれる理由の一つは、このような母系制を軸とした

ものだからにほかならない。私自身が非嫡子だということと、私が育った時代に当然のよう

にあった性の違いによる役割分担は、私が私という個性を生きる上で息苦しさを感じさせる

ものだった。



母は、望むべくして私を妊娠したわけではなかった。母は絶望のあまり自殺未遂もし、周囲

の非難の目にさらされながら、真実を誰にも話さず私を出産した。私の父にあたる人の家

で、しばらく暮らした母は、歓迎されざる雰囲気に耐えかね、ほどなく私をつれて実家に戻っ

た。母が入院した時に、二歳にならぬ私を即座に他人の家に養女に出したのは、母の親族

だった。



私と母の存在は、父系を是とする価値観の社会では忌むべきもので、親類たちは自分たち

の目の前から私の存在を消したかったのだと思う。私も母も、本来ならば協力し合って生き

ていかねばならない共同体の中から閉め出されたわけだ。彼女は、いまだにそのことを十

字架のように背負って生きている。



養女に行った先は、明治と大正生まれの夫婦の家庭だった。悪意はなかったのだろうが、

そこで「女々しい」「女のくせに」「女だてらに」「女が腐ったようなヤツ」など、否定的なニュア

ンスを持って「女性性」が語られることは、少女の頃に知った「非嫡子」という事実に上乗せ

するように、自分自身が否定されて存在していると感じられた。そして、「女らしさ」という外

側からの規制は、シャボン玉のようにあふれてくる様々な夢を壊す針のように思春期の少女

には思われ、フェミニズムの世界に答えを求めたりもした。



成人し、アメリカインディアンの世界に出会った時に、シンプルに母なる地球の子どもの一人

として、私が私であってよいという地点に立てたのだ。それは、古代、地球上のどこにもあっ

た生き方だったろうし、私の意識の奥深くに眠っている「心のふるさと」に出会ったような感覚

だった。「母なる」ものを敬うアメリカインディアンの生き方を知ることは、「女性性」を生きる

者への肯定のエールとして感じ、ヒトが生きるということを、大きな生態系の中で考えるきっか

けでもあった。



私がアメリカインディアンの地に行くということは、精神的な意味で、故郷に還るようなき持ち

であった。そして、これまでの私の人生に起こったことが、このような出会いを生む必然だっ

たのだと思えて、感謝の念のようなものさえ私の内から湧いてくるのだ。


 
 


ドキュメンタリー映画「ホピの予言」
人類滅亡・核時代の最終予言 
アメリカ・インディアン最古の民に伝えられていた核時代の最終予言

DVD・VHS『ホピの予言 2004年版』 2004年 
ランド・アンド・ライフ制作本編 「ホピの予言」宮田雪監督 1986年作品 75分
付録 「浄化の時代を迎えて―ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く―」
2004年作品 25分 販売価格 10,000円 (送料390円)


ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアン最古の民、

ホピ族の聖地から掘り出されたウランから造られたものだった。その彼らの間

には、数千年の昔から、偉大なる聖霊から与えられた謎の予言の石版がある。

そして、そこには驚くべきことに「灰のびっしりつまったヒョウタン」と呼ばれたヒロ

シマ、ナガサキの原爆投下を始め、第一次、第二次世界大戦、更には、来たる

べき人類とこの文明の破滅と再生が予言されているのだ。いま、彼らは、その

予言の中に告げられた人類存亡の最終的危機と、それを乗り越える道を、世界

の人達に映画を通して訴え始めたのだ。この映画は、監督の宮田雪が、ホピ族

を代表する予言のメッセンジャー、トーマス・バニヤッカに出会ったことによって

始まり、約七年の歳月を経て、完成した。第十二回のアメリカ・インディアン・フィ

ルム・フェスティバルで最優秀ドキュメンタリー大賞を受賞し、日本ばかりでなく、

アメリカ、ヨーロッパでも上映され大反響を呼んでいる。1986年作 75分

(ビデオの解説より引用)


〒657-0817 神戸市灘区上野通1-2-35-312
TEL/FAX:078-881-8163

ランド・アンド・ライフ・ジャパン
(辰巳玲子さん宛)


 
 


内なるホピ それぞれが一粒の種として 辰巳玲子 (本書より引用)


1999年2月に、それまで50年間にわたって「ホピの予言」を伝えてきた最後の

メッセンジャー、トーマス、バニヤッカは雲の精霊になり、水の巡りの中に還って

いった。そして、予言を伝え、警告を発信する時代は終わりを告げた。ホピの残

した新しい時代へのメッセージは、「質素で、自然で、精神的な生き方」であり、

「それは一人ひとりにかかっている」ということだ。


私が「ホピの予言」と出会ってから、過ぎ越しこの16年間の日々で学んだことは、

「平和」の真の意味だ。人と先を争わず、最後に残った見てくれの悪いとうもろこし

を喜んで選び取った者に、創造主は「ホピ---平和---」と名づけたのだ。その意味

を自分の人生の中で私なりに考え続けた。ただ単に、戦争がなければ平和なのか。

ホピの人々の忍耐や、親切、そして謙虚さや、感情や情動、欲望に自分が支配さ

れ、自分ばかりか他人をも傷つけることがないように、それらを自ら戒める精神を

養った彼らを思う時、私の中に眠っていた様々なものが目覚め、気づきを与えられ

てきた。人生の中で日々の営み、幾多と訪れる試練、悲しみ、怒り、そして喜び、あ

るいはめぐり合う生と死・・・・それらを排除せず、また挑まず、自分自身や他者と対

立せず、あるがままを受け入れる。そして、すべてがバランスの内に歩むようにと、

調和を祈る・・・・それがホピ----平和----としての生き方なのかもしれない。


たった一人しかいないかけがえのない自分、創造主が、それぞれに「違い」を与え

られたのは何故だろう。それぞれの人生の設計図を持って、広げ育てていくのが私

たちがこの世に生を受けた目的ではないだろうか。自分らしく在ることで自分が満ち

足り、感情、衝動、本能に揺るがされることなく、常に自分を信頼している心のあり方

ができるとき、他者へのまなざしも同じようになるかもしれない。そこに生きる時、さま

ざまな人種、文化、習慣、宗教、性差、年齢・・・・を超えて、私たちが互いを理解しあ

うプロセスの中で学ぶことから、すべてつながりの中で生きていることを知る。きっと

そこからしか、この地球の平和は創りだされないのだと思う。


ホピが警告してきたこの浄化の時代を迎え、私たちがそれをくぐりぬけて、すべての

生命と共生と調和の時代を築いていくために、私たちは一人ひとりが、自分だけの設

計図に気づき、それを育てていくしかない。そしてその生き方は、他者と分かちがたい

つながり----生命の巡りの環のなかでこそまっとうできるに違いない。そんな新しい

時代がやってきたのだ、と私はこころからそう思う。


 
 




本書より画像引用

この「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」に協力したのは映画「ホピの予言」を

制作した故・宮田雪さんの奥様の辰巳玲子さんです。
このロードプランに関しては文献

「テククワ・イカチ」、またホームページ「Techqua Ikachi 大地と生命」を参照されたし。



 


目次

プロローグ


アリゾナに降り立つ

キシカイセイ? 「ホピの予言」との出会い

旅のはじめの奇妙な符号

アメリカ・インディアンの大地へ

フラッグスタッフでショッピング

グランドキャニオンに花束を 恐竜たちの栄華の跡


踊りという祈り

ホピ・サードメサのホテビラ村 インディアンセレモニー

久しぶりの日本食 それぞれの優しさ


聖地ビッグマウンテンの人々

母なる大地に抱かれて 変化する暮らし

レイコ、連れさられる!? 祈りのチカラ ない!ない!アクシデント

大地からの贈り物ナバホラグ サミエルさんと羊追い


遺跡の声を聴く

月への祈り 化石の森、虹の森

アナサジの不思議な都市空間・プエブロボニート

ナバホのヤジー氏との出会い

美しいキャニオンデシェイを歩く ホピへ帰る


トーマス・バニヤッカと宮田雪

「ホピの予言」を生きた男、トーマス・バニヤッカとの出会い

トーマスのつれあいフェミーナ


ホピの憂い・ホピの希望

ホピのイベント 失われていく聖なる大地・枯れていく泉

生きている地球 予言の岩絵 ホピを去る日


内なるホピを生きる

時代の狭間で 新たなはじまり


エピローグ

資料・参考文献

私の内なるホピ 辰巳玲子

あとがき


 


2012年1月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




「アメリカ先住民女性 大地に生きる女たち」明石書店の画像から引用


母系社会

かつて日本人の祖先たちは、現在のインディアンのような母系社会の中で、精神的にも社会的

にも、そして未来への責任という意味でも均衡ある態度を選択することが出来たと感じられてな

らない。下は前に紹介した「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」から引用させていただ

きます。



☆☆☆☆



私がアメリカインディアンの世界観に惹かれる理由の一つは、このような母系制を軸としたもの

だからにほかならない。私自身が非嫡子だということと、私が育った時代に当然のようにあった

性の違いによる役割分担は、私が私という個性を生きる上で息苦しさを感じさせるものだった。



母は、望むべくして私を妊娠したわけではなかった。母は絶望のあまり自殺未遂もし、周囲の非

難の目にさらされながら、真実を誰にも話さず私を出産した。私の父にあたる人の家で、しばらく

暮らした母は、歓迎されざる雰囲気に耐えかね、ほどなく私をつれて実家に戻った。母が入院し

た時に、二歳にならぬ私を即座に他人の家に養女に出したのは、母の親族だった。



私と母の存在は、父系を是とする価値観の社会では忌むべきもので、親類たちは自分たちの目

の前から私の存在を消したかったのだと思う。私も母も、本来ならば協力し合って生きていかね

ばならない共同体の中から閉め出されたわけだ。彼女は、いまだにそのことを十字架のように

背負って生きている。



養女に行った先は、明治と大正生まれの夫婦の家庭だった。悪意はなかったのだろうが、そこ

で「女々しい」「女のくせに」「女だてらに」「女が腐ったようなヤツ」など、否定的なニュアンスを持

って「女性性」が語られることは、少女の頃に知った「非嫡子」という事実に上乗せするように、

自分自身が否定されて存在していると感じられた。そして、「女らしさ」という外側からの規制は、

シャボン玉のようにあふれてくる様々な夢を壊す針のように思春期の少女には思われ、フェミニ

ズムの世界に答えを求めたりもした。



成人し、アメリカインディアンの世界に出会った時に、シンプルに母なる地球の子どもの一人とし

て、私が私であってよいという地点に立てたのだ。それは、古代、地球上のどこにもあった生き

方だったろうし、私の意識の奥深くに眠っている「心のふるさと」に出会ったような感覚だった。

「母なる」ものを敬うアメリカインディアンの生き方を知ることは、「女性性」を生きる者への肯定

のエールとして感じ、ヒトが生きるということを、大きな生態系の中で考えるきっかけでもあった。



私がアメリカインディアンの地に行くということは、精神的な意味で、故郷に還るようなき持ちで

あった。そして、これまでの私の人生に起こったことが、このような出会いを生む必然だったの

だと思えて、感謝の念のようなものさえ私の内から湧いてくるのだ。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年1月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」羽倉玖美子著



本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人と子どもが、過去

の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅の記録です。



私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔しています。この文献の軽妙な語り口は

読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして何より人生や自分の心に対しての誠実さを

言葉の一つ一つに感じてならなかったからです。



この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さんで、映画「ホピの予言」を

通して故・宮田雪さんと知り合います。この宮田雪さんの奥様がこの文献の協力者である辰巳

玲子さんで、「浄化の時代を迎えて―ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く―」を

収録した新しい「ホピの予言」DVDを出しました。マーチン・ゲスリスウマ氏は1995年、「神戸地震

について、日本の人たちへ伝えたいこと」というメッセージを「ホピ的感覚」で残しています。



この辰巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向かいます。ホピではホピの予言を守る長老

たちとの旧知の出会いや、それを陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られますが、ま

るで読者もその場に居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、

真剣に表現方法を模索してきたからでしょう。



また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん)が倒られてからその介護に長年関わってきましたが、

結婚される前にも映画「ホピの予言」製作過程でも宮田雪さんを支えてこられました。あるがまま

の着飾ることのない二人の女性の生き様がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献でした。



(K.K)



 







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