「インディアンは手で話す」

ウィリアム・トムキンズ著 渡辺義彦 編著 径書房 より引用









しかし、「インディアンの手話」とはどういうことなのか。コロンブスの航海日誌をはじめ、

その後の白人の記録には、インディアンが身ぶりで話すという記述が随所に出てくる(ト

ムキンズもその例を列挙している)。今から五百年近く前になるコロンブス到来の時点

で、すでにかなり発達していたようだから、「手話」と呼んでもいいだろう。では、なぜ

インディアンは手話で話したのだろうか。インディアンの部族の数は多く、その言葉も実

に多様で、隣り合った部族の言葉がまったく通じないということも珍しくなかったらしい。

そこで、異なった部族の間の共通語として手話が発達したというのが、定説のようであ

る。世界で初めてろう学校ができたのはフランスで、1755年のことである。ろう学校が

できるまではろうあ者はそれぞれ孤立して暮らしていたから、素朴な身ぶりはあっても、

「手話」と言える程発達した表現になることはなかったはずである。ろうあ者の手話の

歴史は、ろう学校の歴史と重なると言ってよい。だから、インディアンの手話の歴史は、

ろうあ者の手話の歴史よりはるかに長く、しかも聞こえる者が用いていたというところに

大きな特徴がある。「手話はろうあ者の言葉」だという私達の常識は、一挙にくつがえっ

てしまうのである。では、インディアンの手話の歴史はどこまで逆のぼるのか。スケリー

は、モンゴール系の遊牧民族が、地続きになっていたベーリング海を渡ってやってきた

一万五千年〜二万五千年前、広大な地域に散在した異なった言葉を話す民族相互の

共通語として、手話が発達したのだろうと言っている。また、イリインは、『人間のあゆみ』

の中で、ネアンデルタール人の喉の構造では現代人のような細かな発声をするのは不

可能で、かつては身ぶりが人間の文化の発展を支えた主要な言語だったろうと述べて

いる。ネアンデルタール人は、約三万年前頃まで生存していたと言われる人類の先祖

である。どの程度身ぶりが普及していたのか、今それを証明するのはむずかしい。しか

し、マラリーの『北米インディアンの手話』は、古代エジプトやギリシャ、ローマ時代の

身ぶり語の存在、現代のナポリ市民の身ぶり表現など多様な例を紹介しており、手話

がろうあ者固有の言葉となるはるか以前に、すべての人々の言葉として、長い間地球

上の各地で活発に用いられていた可能性をうかがわせる。「聞こえないから手話」なの

ではなく、「音声語が通じないから手話」なのだと、私達の手話観は大きく転換を迫られ

そうである。トムキンズの原著は、青少年、とりわけボーイ・スカウト向けに書かれてい

る。マラリーやクラークの本に較べて一般的でわかりやすく、しかも多くの図を用いてい

るところが良い。庶民的な生き生きとした関心が波打っている。ここで紹介されている

手話だけで約八百語にものぼる。内容で、余りにボーイ・スカウト向けに偏っている部

分は削除した。それから、彼は善意の人であり、インディアンの文化や手話に魅せら

れ、その研究に情熱を傾けた人だったようだ。しかし、当時のインディアンの過酷な

状況にはまったく触れていない。インディアンの眼から見ると、厳しい批判がありうる

ことを、私達は念頭に置くべきだろう。トムキンズの考え方の中には、文化は直線的

に発達し、未開から文明へと進む---という、言わば「文明進化論」的な見方がある。

例えば28頁に、「彼ら(イロコイ、アルゴンキン系のいくつかの部族)の社会的条件

の向上が、かえって手話の存続に反するように作用した」とあるが、これは、白人の

文化をとり入れ、英語に馴染んだということであって、それが、「社会的条件の向上」

だというのは、あくまでも白人であるトムキンズの見方でしかない。同じような見方

は、181〜182頁にかけての絵文字についての記述の中にも見かけられる。異な

る文化の出会いは、どこかで抑圧を肯定する直線的文明進化論を脱却しなければ、

本当は実現できないのではないかと思うのである。トムキンズの本が出てから六十

年たった今、同化教育の徹底によって手話は共通語の座を英語(米語)に奪われ、

一部の長老以外、手話の使い手はほとんどいなくなっているらしい。残念なことであ

る。再び手話が大地によみがえり、生き生きとしたコミュニケーションの手段として

復活することがあればと、私は願う。どんな方がこの本を手にするのだろうか。私の

関心を、多くの人々と共有できれば幸せである。そしてそのことが、ろう教育の場で

今なお抑圧されている手話の復権と解放につながり、同時に、私達すべての表現力

の回復につながることを、心の底から願っている。

(本書 まえがき より引用)



目次

まえがき


T インディアンの手話(ウィリアム・トムキンズ)

北米インディアンの手話の歴史

手話の基本

手話の単語集

(インディアン 人の呼び名 衣類 食べ物 住む からだ 自然 戦い 動物 交通手段

場所 時間 性質をあらわす 色 心をあらわす 量 生活 行為・行動 あいさつ・その他)

文章のあらわし方

練習のための文例

スー族、オジブエ族の絵文字

手話と絵文字のつながり

絵文字による物語

煙の合図

「北米インディアンの手話」(ギャリック・マラリー)より

フエリトとテンドイの対話

身ぶりによる合図

からだの動作といっしょに物を使う合図

煙の合図

火矢

土ぼこりによる合図

シャイアン族とアラパホ族の合図


U 手話とことばの風景(渡辺義彦)

手話とことばの風景 (ことばがないのにことばがわかる!? ろうあ者が通訳 手で見る

からだが反応する 英語みたいな石 ことばと数 点字 祈りをこめた絵 絵の手紙 絵から文字へ

手話に似た文字 まず、身ぶりがあった 手話を話すチンパンジー ココ、手話で韻をふむ

ココたちの問いかけ 最初の話しことば 話しことばと書きことば ルソーのことば論 音だけで語る)

手話の実像を探る (手話と日本語 手話には文法がない 手話と助詞 抽象のはしご 抽象語をつくる

イメージの変形・・・・受身の場合 イメージの変形・・・・使役の場合 「売る」と「買う」 位置が乱れる

「特徴」が単語に かたまりのような表現 「日本語の手話」をつくる 「同時法手話」の方法

音とは対応するけれど イメージが薄れる イメージがもつれる 手話だけを変える 「同順法日本語」の奇妙さ

「同置法日本語」の怪 手話を生かすため手話を殺す 「同時法手話」を生かす道 ろう教育に手話を

わからないことの楽しさ 私の視点に欠けるもの)


V こんな本・あんな本・・・・きわめて主観的な図書紹介

あとがき

インディアンの手話項目索引







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