「イニュニック(生命)」

アラスカの原野を旅する

星野道夫著 新潮文庫より




アラスカのベーリング海峡やその大自然の前で、そしてそこに生きる

多くの生き物や人間から多くのことを教えられ気づかされていく著者。

現代文明をもってしても、このあまりに厳しい風土の地は人間の行く手

を遮る。カリブーの大移動などアラスカの野生の動物写真を数多く撮

影し、そこに生きる人々との心の交流を通して星野氏は自らの存在の

意味を探ろうとしている。前に紹介した「森と氷河と鯨」と重複している

ところもあるが、大自然と人間の関わりを考察した生命の記録である。

(K.K)


「心に響く言葉」1998.10/23を参照されたし


星野氏の著作「森と氷河と鯨」「Alaska 風のような物語」「旅をする木」「長い旅の途上」

「星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅」「星野道夫の仕事 第2巻 北極圏の生命」

「星野道夫の仕事 第3巻 生きものたちの宇宙」「星野道夫の仕事 第4巻 ワタリガラスの神話」

「オーロラの彼方へ」「ラブ・ストーリー」「森に還る日」「最後の楽園」





本書より引用。


ストーブの炎を見つめていると、木の燃焼とは不思議だなと思う。二酸化炭素、

水を大気に放出し、熱とほんのわずかな灰を残しながら、長い時を生きた木は

一体どこへ行ってしまうのだろう。昔、山に逝った親友を荼毘に付しながら、夕

暮れの空に舞う火の粉を不思議な気持ちで見つめていたのを思い出す。あの

時もほんのわずかな灰しか残らなかった。生命とは一体どこから来て、どこへ

行ってしまうものなのか。あらゆる生命は目に見えぬ糸でつながりながら、それ

はひとつの同じ生命体なのだろうか。木も人もそこから生まれでる、その時その

時のつかの間の表現物に過ぎないのかもしれない。いつか読んだ本(「ものが

たり交響」谷川雁)にこんなことが書いてあった。”すべての物質は化石であり、

その昔は一度きりの昔ではない。いきものとは息をつくるもの、風をつくるもの

だ。太古からいきもののつくった風をすべて集めている図書館が地球をとりま

く大気だ。風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと

思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ”



ある日、グレイスという村の老婆がたずねて来た。僕はその時、民族の物語を

伝承する本当の語り部に出合った。グレイスが語り始めると、彼女はもう時空を

超えた別の世界の人だった。エスキモー語のもつ不思議な音色、よどみのな

い話しぶり、変貌する表情や仕草・・・・・・・、その内容はわからないのに、僕は

いつのまにか魅き込まれていくのだった。驚いたのは、老婆のもつ語り部として

の力だけではなかった。昔々と始まる彼女の民話は、そのすべてが海を越え

たシベリアエスキモーの物語だった。僕はグレイスの語りを聞きながら、かす

かなベーリンジアの足音に耳をすませていた。地球の歴史を振り返るとき、

たとえば一億年というタイムスケールは、私たちの想像を超えている。恐竜が

滅びたという六千五百万年前さえ、やはりどう考えても手は届かない。しかし、

一万年前は違う。人間の一生の長さを繰り返すことで歴史を溯るならば、一万

年前は、実はついこのあいだの出来事なのだ。干上がったベーリング海を渡

り、マンモスを追ったホモ・サピエンスは、それほど遠い人々ではない。ベー

リンジアの存在は、人間の歴史を考えるひとつの目安を僕に与えてくれた。

この短い時間の間に、私たちがどこまで来てしまったのか、そして一体どこへ

向かっているのか。その道は本当に袋小路なのか、それとも、思いがけない

光を人間はいつか見出すことができるのか。日々の暮らしに追われながらも、

誰もがふと、種としての人間の未来に憂いをもつ時代である。もうすぐ二十世

紀が終わろうとしている。きびしい時代が待っているだろう。進歩というものが

内包する影に、私たちはやっと今気付き始め、立ち尽くしている。なぜなら

ば、それは人間自身がもちあわせた影だったのだから・・・・・・・種の始めが

あれば、その終りもあるというだけのことなのか。それとも私たち人間は何か

の目的を背負わされている存在なのか。いつかその答えを知る時代が来る

のかもしれない。ベーリンジアから聞こえてくるのは、人間の行方を示唆する

声なのだ。霧の中で、あの美しい縫い針が語りかけてきたように。


 


本書「解説」柳田邦男 より引用。


「クマよ」は、星野氏が極北の大自然の中でとらえた感動的な写真とその写真に

添えられた詩のような短い文章とで構成されているいわば小冊子写真集だが、

そのクマの写真の一点一点をじっくりとながめ、詩を読む呼吸で文章を味わい

つつ、頁をめくるうちに、<ああ、星野さんならではの凄い言葉だ>と感じる文

章に出遭ったのだ。一つは、空からの超ロングショットでとらえた写真に添えら

れた言葉だ。ところどころに地肌のむき出た荒々しい広大な雪氷原のど真ん中

に、ケシ粒のように小さく母グマと子グマ三頭が一列になって川に向かっている

姿が写っている。添えられた言葉は・・・・・・・。<気がついたんだ。おれたちに

同じ時間が流れていることに> たとえなんの説明がなくても、その超ロングシ

ョットの写真は見る者を圧倒するだけの物語性とど迫力とを持っている。この

言葉は説明のためのキャプションではない。星野氏が様々なシーンに遭遇し、

魂をゆさぶられるうちに、肉体の深部から湧き出てきたにちがいない言葉だ。

写真と言葉はそれぞれに独立している。だが、それらが同一の見開きの頁の

中に配置されることによって、それぞれの持つ意味が二乗倍されて鮮烈に浮

き上がってくる。もう一つは、草むらに伏して首をもたげた母グマとその背に

乗った赤ちゃんグマを至近距離からアップでとらえた写真に添えられた言葉

だ。母グマも赤ちゃんグマも満たされたような穏やかな表情をしている。

<・・・・・・・おれも このまま 草原をかけ おまえの からだに ふれてみたい

けれども おれと おまえは はなれている はるかな星のように 遠く はな

れている> ここでも、写真と言葉との関係は、前記の場合と同じだ。そして、

これら二つの言葉には、星野氏があの過酷な極北の世界に自らを投じ、カメ

ラのレンズを通して何万というシーンを凝視してきたなかから全身で感じ取り

内面で深化させていたに違いない自分とクマとの関係性についての思い、ひ

いては人間と自然界との関係性についての認識が凝縮されている。私はそう

感じたのだ。


 


目次

T 家を建て、薪を集める

U 雪、たくさんの言葉

V カリブーの夏、海に帰るもの

W ブルーベリーの枝を折ってはいけない

X マッキンレーの思い出、生命のめぐりあい

Y 満天の星、サケが森をつくる

Z ベーリング海の風(1.アリューシャン、老兵の夢と闇 2.ベーリンジア、消えた草原)

[ ハント・リバーを上って

あとがき








アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

神を待ちのぞむ・トップページ

天空の果実


インディアンの精神文化を伝える文献に戻る