「インディアン・クラフト・ブック」
ワールド・ムック281 ワールドフォトプレス より引用
インディアン芸術あるいはインディアン・クラフトは多岐にわたっている。ジュエリー、 壷、ビーズ、ドリームキャッチャー、フェティッシュ、ドラム、カチーナ、バスケット、ラグ、 サンドペインティング、彫刻、ストーリーテラーなどである。この文献の特色はこれらイン ディアン・クラフトが生まれた背景を踏みながら、数多くの作品を解説と共に紹介してお り、また実際に何処で手に入れることが出来るのかを読者に提供しているところにあ る。インディアン芸術に関心がある人々にとって、その作品がどのような背景を持って 産まれてきたか、そのデザインにはどのような意味が込められているのかを知りたい と思われるに違いない。その意味でこの文献は多くの情報を伝えてくれるに違いない。 2000年10月30日 (K.K)
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本書より引用。
また現代、インディアンの工芸品は世界的にその価値が認められ、コレクターも増 えていくなか、伝統として代々受け継がれてきたモチーフやスタイルを、これまでと は違った解釈で自由に表現する新しいアーティストが登場したりと、インディアン・ アートを取り巻く環境は時代とともに変わってきている。しかし彼らが天の恵みを 素材として生かし、ひとつひとつの作品に先祖への感謝と未来への祈りの気持ち を込めながら作り続けることに変わりはない。そしてこの伝統が二度と途絶えるこ とのないよう、作り手であるインディアンだけでなく、いまや世界の多くの人たちが 真摯に見守っている。
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生活のなかから生まれたアート インディアン・クラフトの世界 (本書より引用)
北アメリカに住むインディアンは、自然に根差した暮らしを先史時代から続けている。 自給自足が生活の基本スタイルだったなかで、彼らは日常必要な道具や装身具を含 む様々な身の回り品のすべてを、自らの手で作り出してきた。水をくんだり料理を作る ために、土と水をこねた粘土で壷を作った。寒さから身を守るために、羊を育てその 毛を使って身体を包む毛布を織った。食べ物を盛ったり宗教儀式に用いるために、自 然に生えているユッカを刈り、草花で染めて色鮮やかなバスケットを編んだ。衣服を 飾るために、貝殻を小さく刻み中心に穴を空けてビーズを作った。狩りに出る男たち の安全を祈願するために、動物を象ったお守りを石で作った。スピリットの力が娘に も与えられるようにと、父親は木彫りのカチーナ人形を贈った。このようにして、長い 歴史のなかで作り出されたものは、土や石、水、草花、羊毛など天からの恵みを素 材としていた。だから彼らは必要なものを必要な分だけ大切に使い、使い終われば 再び土に返した。人間と同じように、自分たちの身の回りのものにも生命があると信 じているから、彼らは決して無駄遣いをしないし、自分たちの暮らしを支えるものに 対して常に敬う気持ちを持ち続けたのである。アメリカ・インディアンの起源を、歴史 を遡ってみてみることにしよう。今からおよそ一万五千年前、ベーリング海峡を渡っ て初めてアメリカ大陸に人がやって来たといわれている。そして、その人々は南北 アメリカ大陸のあらゆる地域にコミュニティーを形成して暮らし始めた。その土地が 農耕に適していれば定住型の住居で、あるいは狩猟が生活の中心となる地域では、 ティピーなどの可動式の住居で暮らした。それぞれに独自の言語や信仰、習慣をも っていたが、互いに交流し新しいアイデアの交換が行われていたと考えられている。 1492年にコロンブスが新大陸を発見し、それにともなって次々とヨーロッパ文化が 移民とともに持ち込まれた。そのなかにはベネチアで作られる装飾用のカラフルな ビーズや、銀細工の技術がスペインの職人から伝えられるなど、その後のインディ アンの文化に大きく影響を与えるものが含まれていた。しかしこのような文化交流 は歓迎されるものだけではなかったのも事実である。彼らは独自の信仰を持ち続 けることを禁じられ、キリスト教への改宗を強制されたのである。彼らが作り出した 宗教儀式で使用する装身具やお守り、あるいは独自の宗教色の濃い室内用の装 飾品でさえ、使うことも新たに作ることも禁じられた。このような暗い歴史のなかで 途絶えてしまった、インディアンの貴重な伝統や芸術が数多くあったと考えられる。 そのひとつが彼ら独自の言語である。神話や大切な教えは口承でのみ受け継がれ たため、自らの言葉を奪われた彼らは、信仰だけでなく、先祖から伝わる教訓や 民族の歴史までも失いかけたのである。同じような外部からの圧力によって、消滅 しそうになったインディアン・アートもあった。それがプエブロ族の間で作られていた エフィジーと呼ばれる陶磁器の工芸品である。これは焼き物の技術を使って作る、 動物や人間の形をした水差しや壷のことで、生活用品として愛用されていただけで なく、集落に実りをもたらすという宗教的な意味合いも持っていたのである。そのこ とから、エフィジーを作ることは一切禁じられてしまったのだった。しかし彼らはこの 剥奪の危機にあった伝統を、静かに守り続けていた。19世紀の終わり、イリノイ州 シカゴと西海岸のカリフォルニア州をつなぐサンタフェ鉄道が開通し、ニューメキシコ 州に住むラグナ・プエブロ族の居留地付近に毎日、列車が停まるようになった。この 列車に乗って西海岸へ向かう白人観光客は、地元のインディアンが作る様々な工芸 品に心を動かされた。また時を同じくして、白人の商人が彼らの住む土地にトレー ディング・ポストやホテルをオープンし、そこでも彼らの工芸品は販売されるように なったのである。自然の素材を用いた美しい手作りのインディアン・アート。それは 当時ヨーロッパとアメリカ東海岸で起こっていた反産業化ムーブメント、つまり大量 生産された質の悪い製品を拒絶しようという人々の心に強く訴えかけたのであった。 こうしてエフィジーをはじめとする、様々な消えかけたインディアン・アートも、このよ うな白人観光客の関心を引き、需要が増え見事に息を吹き返したのである。インデ ィアンが自らの家族のため、そして部族のために作ってきた美しい装飾品や日用品 は、世紀を経て、異なる民族からも称賛され、より芸術性の高い工芸品へと進化し ていったといえるだろう。なかにはこうして列車でやってくる観光客の生活スタイル に合うようにと、ミニチュア・サイズに大きさを変えたり、本来の用途とは異なる目的 のためにも使えるように、デザインを改良したりという工夫がなされたものもある。 また現代、インディアンの工芸品は世界的にその価値が認められ、コレクターも増 えていくなか、伝統として代々受け継がれてきたモチーフやスタイルを、これまでと は違った解釈で自由に表現する新しいアーティストが登場したりと、インディアン・ アートを取り巻く環境は時代とともに変わってきている。しかし彼らが天の恵みを 素材として生かし、ひとつひとつの作品に先祖への感謝と未来への祈りの気持ち を込めながら作り続けることに変わりはない。そしてこの伝統が二度と途絶えるこ とのないよう、作り手であるインディアンだけでなく、いまや世界の多くの人たちが 真摯に見守っている。
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目次 ジュエリー・・・・身に着けて飾るための伝統工芸品 壺・・・・大地と人間のスピリットがひとつになった時に生まれる壺 ビーズ・・・・ヨーロッパ伝来のビーズにこめた家族への想い ドリームキャッチャー・・・・夢はスピリットの世界を映す幻想の鏡 フェティッシュ・・・・インディアンの大切なお守り、フェティッシュ ドラム・・・・セレモニーに欠かすことのできないドラムの響き カチーナ・・・・父が娘のために作るカチーナ人形に込めた祈り バスケット・・・・女の手によるもっとも古いインディアン・クラフト ラグ・・・・時代とともに変わっていった織物 サンドペインティング・・・・癒しの歌とともにシャーマンが描く砂絵 彫刻・・・・観る人に勇気とやさしさをあたえる彫刻 ストーリーテラー・・・・先史時代から受け継がれる人形 アラスカのクラフト・・・・太平洋を越えて伝わった謎めくクラフト
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