「ユリイカ・特集アメリカ・インディアン」

コロンブス500年の光と影

1992年3月号 青土社











目次

「森の中」 インディアンともういちど出会うために 伊藤比呂美

「インディアンの文化」 その衝撃 横須賀孝弘

「もうひとつの“新大陸発見”」 現代アメリカとネイティブ・マインド 北山耕平

「北米インディアン悲詩」 エドワード・カーティス写真集より

「アメリカ五百年祭」 キーワードは「発見」よりも「出会い」 迫村裕子

「マリアの消えた荒野」 メアリ・ホワイト・ローランドソンの捕囚体験記を読む 巽孝之

「ナバホ族の儀礼用砂絵」 生命ある聖なる絵 T・G・ピアス 高橋雄一郎訳

「アメリカ合衆国のインディアン音楽」 生き続ける伝統 B・ネトル 三井徹訳

「アメリカ・インディアンの現代詩」 金関寿夫

「境界を消す“死者の暦”」 荒このみ

「インディオの記録を読む」 ワマン・ポマの場合 染田秀藤

「コロンブスの墓」 迫村裕子

「双子であることの不可能性」 レヴィ=ストロースの新著「大山猫の物語」jから 渡辺公三

「大航海時代の意匠」 プルス・ウルトラとヘラクレスの柱 稲本健二

「“発見”された新大陸」 図版構成

「北米インディアンに関する邦語書籍」 横須賀孝弘







本書・編集後記より


アメリカ・インディアンは、その素朴な暮らしぶりに反して、コロンブス上陸以来五百年にわたって

きわめて政治的な渦に翻弄されつづけた。いままた、突然、としか思えない唐突さとボルテージ

で、企業やメディアがエコロジーを叫びはじめ、自然とともに生きるアメリカ・インディアンがエコ

ロジーの代名詞のようになりつつあるが、それもまた新たな政治的動きの渦に巻きこまれつつ

あるということかもしれない。五百年以前から現在にいたるまで、不幸なことに一貫して、アメリ

カン・ネイティブは、「自由」「平等」その他さまざまの建前で成立しているアメリカという国家の

原罪をなしてきた。いわばアメリカという巨人のとげであり、ことと次第によっては、巨人の命と

もいえる論理を破砕し、命を奪うものだ。ベトナム戦争によって衰えはじめた巨人の心の奥底

から一挙に原罪が吹き出したというのが、六〇年以降のアメリカン・ネイティブのブームの底流

にあるのだろう。そういったネイティブたちをめぐる状況はともかく、苛酷な迫害によって、文学

やアート、音楽に、遺恨や反抗の印が深く刻まれているかといえば、驚くべきことに、そこに描

きだされているのはどこまでもハーモニアスな自然の存在なのだ。その原初的な美しさを見て

いると、白人とのすさまじい葛藤などありはしなかったのではないかとさえ思えてくる。ひょっと

すると、虐殺のさなかでも、ネイティブたちにとって真に重要だったのは、眼前の迫害の事実よ

りも、迫害者ともども自分たちを包みこむ大自然の方だった。・・・・・・・・とすれば、それは途方

もないことだ。







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