「ユリイカ・特集アメリカ・インディアン」
コロンブス500年の光と影
1992年3月号 青土社
本書・編集後記より
きわめて政治的な渦に翻弄されつづけた。いままた、突然、としか思えない唐突さとボルテージ で、企業やメディアがエコロジーを叫びはじめ、自然とともに生きるアメリカ・インディアンがエコ ロジーの代名詞のようになりつつあるが、それもまた新たな政治的動きの渦に巻きこまれつつ あるということかもしれない。五百年以前から現在にいたるまで、不幸なことに一貫して、アメリ カン・ネイティブは、「自由」「平等」その他さまざまの建前で成立しているアメリカという国家の 原罪をなしてきた。いわばアメリカという巨人のとげであり、ことと次第によっては、巨人の命と もいえる論理を破砕し、命を奪うものだ。ベトナム戦争によって衰えはじめた巨人の心の奥底 から一挙に原罪が吹き出したというのが、六〇年以降のアメリカン・ネイティブのブームの底流 にあるのだろう。そういったネイティブたちをめぐる状況はともかく、苛酷な迫害によって、文学 やアート、音楽に、遺恨や反抗の印が深く刻まれているかといえば、驚くべきことに、そこに描 きだされているのはどこまでもハーモニアスな自然の存在なのだ。その原初的な美しさを見て いると、白人とのすさまじい葛藤などありはしなかったのではないかとさえ思えてくる。ひょっと すると、虐殺のさなかでも、ネイティブたちにとって真に重要だったのは、眼前の迫害の事実よ りも、迫害者ともども自分たちを包みこむ大自然の方だった。・・・・・・・・とすれば、それは途方 もないことだ。
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