「教皇が挑むバチカン改革」 ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号
「教皇が挑むバチカン改革」 ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号 文=ロバート・ドライパー(ジャーナリスト) 写真=デイブ・ヨダー より抜粋引用 今から9年前、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの中心にあるスタジアム「ルナパーク」で、宗派を超えた 結束を目指す教会一致運動の集会が開かれたときのことだ。およそ7000人のカトリック教徒と福音派のキリ スト教徒が集まるなか、壇上にいた福音派の牧師が、ブエノスアイレスの大司教に何か話をしてほしいと呼び かけた。進み出たのは、どことなく堅苦しい雰囲気のやせた年長の男性で、地位の象徴である大きな十字架 も胸に着けず、若い司祭のように黒いシャツとブレザーという服装だった。 大司教は母国語のスペイン語で、原稿なしで話した。南米のカトリック教会の聖職者の多くは、教会統一運動 などお祭り騒ぎにすぎないと考えている。大司教自身も過去にはそうした意見をもっていたが、この場では、 宗派の違いなど神にとっては問題ないと語った。唯一の真正なキリスト教会を自任するカトリック教会で最も 高位にある大司教が、そう断言したのだ。「兄弟姉妹が心を一つにして、ともに祈る日が来れば、なんと素晴ら しいことでしょう」 突然表情を輝かせ、熱情のあまり声を震わせた大司教は、腕を天に差し伸べ、神にこう呼びかけた。「父よ、 私たちは分断されています。どうか、私たちを一つにしてください」 普段のむっつり顔をした大司教を知る人々は、この様子を見て驚いた。しかし、さらに驚くべきことが起きたの はその後だ。大司教は壇上でゆっくりひざまずき、大司教である自分のために祈りをささげてほしいと、参列 した聖職者に求めたのだ。参列者は一瞬あっけにとられたが、福音派の牧師の合図で求めに応じた。下位 の聖職者が居並ぶなかで、大司教がひざまずいて弱々しく懇願する姿は人々をおののかせ、その衝撃的な 場面をとらえた写真は、翌朝アルゼンチンの中の新聞の1面を飾った。 アルゼンチンの超保守的なカトリック教徒が愛読するカビルド誌は、「アポスタタ(背教者)」という激しい見出し とともに、この写真を掲載した。大司教はカトリック信仰に背を向けた裏切り者だというのだ。 その大司教こし、のちにローマ教皇フランシスコとなるホルヘ・マリオ・ベルゴリオだ。 そして今、壁を嫌うベルゴリオが教皇になった。彼はアルゼンチン時代に大統領府の前を歩いていたとき、 友人にこう言ったという。「柵に囲まれた官邸にいたら、庶民の暮らしなどわからないよ」 人々にとって身近な教皇というのは、著述家のフランコに言わせれば「語義矛盾」だが、ベルゴリオはまさに そんな教皇になろうとしてきた。バチカンの保守派はそうした考えを聞くだけで青ざめるだろう。 「本格的な変化が起きるのはこれからです」。教皇と30年来の付き合いがあるブエノスアイレスのフランシスコ 修道士ラミロ・デ・ラ・セルナはそう話す。「本格的な抵抗が始まるのもこれからでしょうね」 バチカンの高官は、新教皇への評価をいまだに決めかねている。その率直な態度を見て、直感的に行動す る人物だと思いたくなるようだ。教皇は中東を歴訪中、イスラエルのエルサレムにある「嘆きの壁」で祈りを ささげた後、イスラム教の導師オマル・アボウドとユダヤ教の聖職者で友人のアブラハム・スコルカと抱き 合った。ロンバルディは教皇がその場でとっさにとった行動だと言うが、スコルカの話を聞くとそうではない。 「前もって教皇に話しました。『壁の前であなたとオマルと抱き合うのが夢なんです』と」 教皇はその願いをかなえると約束し、自分の言動が大きな影響力をもつのを承知のうえで行動したのだろう。 そうした見方は、アルゼンチンの友人勝ちが語るベルゴリオ像とも一致する。ベルゴリオは無邪気な男などで はなく、「まるでチェスの勝負に臨むように一挙手一投足を慎重に考え抜き」、日々の行動を「完全に制御して いると、友人たちは話す。 今サンピエトロ広場に集まる大勢の人々をくぎづけにするのは、白の法衣姿に象徴される、教皇の素朴さ と親しみやすさだ。それは港町育ちの庶民的な気質と、イエズス会の信条が混じり合ったものだろう。イエズス 会は人々の生活に深く関わることを良しとし、出会いを重視する。そのためには、積極的に人々の中に出向い て、話に耳を傾けなければならない。それは、個人の感情を交えずただ文書を出すよりも、明らかに情熱が 必要な仕事であり、へりくだる勇気が欠かせない。その勇気があるからこそ、ベルゴリオは大勢の人々の前で ひざまずき、祈りを求めたのだ。 長く受け継がれてきた教義を覆さずに、バチカン内部と教会全体に革命を起こすこと・・・それが新教皇の使命 のようだ。「彼は教義を変えようとはしていません」と、祖国の友人であるセルナは言う。「彼がやりたいのは 教会を本来の姿に、つまり、人間中心の教会に戻すことです。教会はあまりにも長い間、罪を中心に据えて きました。人間の苦しみ、人間と神との関係を再び重視すれば、同性愛や離婚に対する難しい姿勢もおのず と変わっていくでしょう」 「すぐにでも変化を起こさなければならない」と語る教皇は今春、自分の任期がわずか「4、5年」かもしれない と発言した。彼が人生の最後の日々を祖国で過ごしたがっていると知っている友人たちは、この発言に驚か なかったが、バチカンの保守派は胸をなで下ろしたことだろう。彼らは後任の教皇がそれほど手ごわい敵で ないことを祈りつつ、改革をできるだけ遅らせようとしている。 それでも、成功するかどうかはさておき、この革命は至福に満ちて遂行される点で、歴史上のどんな革命とも 違う。教皇の友人でもあるブエノスアイレスの新しい大司教マリオ・ポリはバチカンに教皇を訪ねたとき、むっ つり屋だったあなたがいつもほほ笑んでいるのを見て驚いた、と話した。すると教皇は、いつものように相手 の言葉を深くかみしめてから、こう答えた。 「教皇になってから、毎日がとっても楽しくてね」。その顔にはきっと、温かな笑みが浮かんでいたことだろう。 |
「教皇が挑むバチカン改革」 ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号
「教皇が挑むバチカン改革」 ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号