「アッシジのフランシス研究」下村寅太郎著作集3

みすず書房 より引用





私の下村先生像 久山康 下村寅太郎著作集 月報6(第三巻付録)より引用

下村先生の数多い著作の中で、私が最も深い感銘を受けたのは、「アッシジの聖フランシス」

(昭和四十年十二月、南窓社発行)であった。先生は大正四年に十三歳で京都一中に入学

され、三高、京大哲学科と進学されたが、その「青春時代」にフランシスと解逅されたという。

大正十年前後のことであろう。その頃日本は第一次世界大戦の勝利によって経済、社会の

躍進期を迎え、欧米文化が新しく流入し、ヒューマニズムの潮流が社会思想、文学、哲学、

宗教の各方面で昂揚した時代であった。しかも個人の自覚の深まるにつれて、ヒューマニズ

ムの境界を超えて宗教との関係が問題となっていた。そういう事情の中で晩年のトルストイ

の宗教生活やフランシスの修道生活が、人々の関心を呼んだのである。たとえば、武者小路

実篤の提唱する「新しい村」はトルストイに倣ぶものであったし、西田天香が諸宗の真髄を統

合して懺悔奉仕の生活を実践しようとして創設した一燈園には、フランシスの行持に通うもの

があると思われていた。「出家とその弟子」(大正六年)や「愛と認識との出発点」(大正十年)

で青年の心を捉えた倉田百三も、西田天香がフランシスの仕方でキリスト教を実行している

と考えて、一燈園に身を寄せた。そして「三太郎の日記」(大正三年)で広く人々の共感と尊

敬を受けた教養派の代表阿部次郎は、出難してキリストに従い、清貧に生きるフランシスの

無一物中無尽蔵ともいえる生活に、心からの憧憬をいだきながら、その模範に従うことので

きないことを痛感して、そこまでは到っていないけれでも、死に到るまで農民への愛と非戦

のために尽瘁したトルストイに学ぼうとした。こういうフランシスへの憧憬は、大正のロマン

ティシズムの表現でもあった。下村先生もこういう思潮の中でフランシスに関心を持たれた

が、それ以上には進まれなかった。先生はこう書かれている。「『アッシジの聖フランシス』は

誰にも親しい名前である。『小さき花』や『完全の鏡』を通して我々の心に自ら結晶する聖者

の面影は感動的で、牧歌的な美しさに満ちている。すべて簡古素朴で、点綴される奇蹟め

く出来事と共に幻想的な雰囲気を漾わせている。われわれには聖フランシスは現実の人と

してよりも、近代の彼岸にある『レゲンデ』中の人となっている。この心象のために---少な

くとも私の場合には---享受されても研究される動機に乏しかった。」 下村先生はこのよう

に語られた上で、その後四十年ほどの時を経てフランシスについての研究の発心をされた

事情をこう書かれている。「しかし滴々数年前、アッシジに一夜を過ごした印象が、「小さき花』

を読み返す機会を与えた。旧識の人であるのに新しい遭逢の感動を受けた。このことが身辺

にある若干の書物を読ましめ、感興に乗じて印象的な小論を雑誌『心』に連載して一年に亙っ

た。」 「最初に心を打ったのは、聖者の限りなき単純と素朴であった。改めて“偉大なるもの

は単純である”ことを感銘した。しかしフランシスの単純は忸れることを許さない厳しさのある

こと、又それの含蓄するものの深さに想い及び、少しく詳しく諸種の古伝記を読むうちに、素

朴に見えた聖者の伝記そのものにも様々の問題のあること、これが長い継続的な歴史事件

の契機となったことが明らかになった。今日の我々は『小さき花』や『完全の鏡』を通して聖

フランシスに親しむのであるが、これらの書は実は数百年の間埋もれていた禁断の書であっ

た。そして今日では却って読まれること寧ろ稀なボナヴェントゥラの『大伝記』が公認の伝記

であった。しかし『小さき花』を少し注意して読めば、ここに描かれているフランシスは必ずし

も円らかな小児の如く無心の聖者ではなく、この書自身ある意味で論争的主張を含むこと

に気づくことである。一般にフランシスの諸伝記には何らかの意味で教団政治的主張を含

む謂わば護教的性格をもっている。このことは今日と雖も本質的には異ならぬように思え

る。聖者の生涯は---死後の伝記においてすら---安らかではなかったのである」 ここに

は事実の歪曲を許さぬ精神史家の眼が光っている。ブルックハルトの精神史的研究にも

通読され、すでにルネッサンス期の芸術家についても独自の研究業績をあげられ、鋭い

歴史感覚を身につけておられる先生の、鷹が獲物を見つけたときのような、気負いさえこ

こには感じられるのである。その上、これまでのルネッサンスの研究で練磨されていた語

学力が、フランシス関係の資料を渉猟する上で役立ったとも思われる。こうして日本で初

めての本格的な学術的フランシス研究が始まったのである。(以下省略)


 
 


目次

序章 再逢の聖フランシス


第二章 伝記の問題

フランシスの復活

「聖者伝」(レゲンダ)について

「フランシス問題」

聖者の奇蹟について


第三章 生涯

フランシスの生涯

フランシスの死

付記1 フランシスの十字軍行

付記2 「太陽讃歌」について


第四章 弟子たち

聖クララ(出家 フランシスとクララ フランシス以降のクララ)

「兄弟」ジャコパ・デイ・セッテソーリ夫人

エリア(「問題の人」 その後のエリア)

その他の弟子たち


第五章 フランシスの「こころざし」

遺書

貧困

苦行

自由


第六章 その後の小兄弟団

第七章 フランシスの哲学

フランシスの根本経験

神秘主義

スコラ哲学

オックスフォードの兄弟団(イギリス経験主義哲学の源泉について)

若干の参考文献


「あべんでぃーちぇ」

アッシジのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ

聖フランシス生誕八百年

フランシスの十字軍行・補遺


後記

第三巻について





2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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