「聖フランシスコに語りかけた十字架」

マイケル・グーナン著 小平正寿 訳 サンパウロより







43頁しかないとても小さな本です。この十字架は聖フランシスコに語りかけた有名な十字架ですが、12世

紀の無名の美術家によって創られたものです。この十字架像に描かれている様々な場面や人々の姿、こ

れらの意味は何か、それをこの文献は詳しく教えてくれます。恐らく、このような詳しい解説は他のフランシ

スコに関する文献にはないのではと思います。

(K.K)



 




本書 導入 より引用


サン・ダミアーノの十字架は、おそらく世界でいちばんよく知られ、敬われている十字架でしょう。

イタリアのウンブリア地方にあるアッシジの、ちょうど外れのサン・ダミアーノの壊れかけた聖堂の

祭壇の上に、たぶん、それは掛かっていたのでしょう。御聖体も安置されていなかったと思われ

る、見捨てられた小さな聖堂のなかで、それは唯一中心的な姿をとどめていたにちがいありま

せん。



青年フランシスコ・ベルナルドーネは聖堂に入りました。ひざまずき、祈っていると、十字架から

三度、声が聞こえてきました。「フランシスコよ、見てのとおり、わたしの家は完全に壊れようとし

ている。さあ、行って、わたしの家を修復しなさい」。それはフランシスコの魂にとって、夢のよう

にうっとりする慰めの瞬間でした。彼は神から使命を受けたのです。お召しを受けたのです。彼

はもはや、もとの彼ではなくなるほど変えられて聖堂を出たのでした。



フランシスコに語りかけたこのイコンの十字架像は、クララ会が創立されてまもなく、サン・ダミア

ーノをクララ会の修道院としてフランシスコがあてがったときから、クララ会の姉妹たちの保護の

もとにありました。1257年、姉妹たちがサン・ダミアーノを去るとき、十字架像を持って行ったので

す。そして、それ以来、姉妹たちはそれを大切に守ってきたのです。この十字架像は、毎年、アッ

シジを訪れる何千何万という人々の崇敬を受けています。現在、この十字架像は聖クララの教会

に安置されてり、1958年から、巡礼者が近づけるように上からつるされています。



この十字架像のレプリカは、全世界の多くのフランシスコ会の修道院、教会、また個人宅でも見

られます。



この十字架像は、高さが2.1メートル、幅が1.3メートルあり、12世紀にウンブリア地方の無名の

美術家によって描かれたものです。12世紀初頭、イタリアの美術家たちは、木の板の上に十字

架像を描いていたのです。その板はあるところまで広げられていて(たとえば、キリストの腕の下

のほうまで)、そこにキリストの生涯にまつわる、さまざまな場面やいろいろな人々を描くことが

できたのです。



これらの十字架像はロマネスク様式ですが、ビザンティンの影響も強く受けていたことがわかり

ます。それは、おそらく、イタリアのスポレトに何世紀も住んでいた、シリアの修道僧たちのもた

らした影響であると思われます。ビザンティン様式の幾つかの特徴は、イエスの顔のまわりや

天使たちに描かれている豊かな髪の毛であり、勝利のイエスを指し示す、ほとんど旗ざおのよ

うに長い十字架です。胡桃の木からできている十字架に、固着された亜麻布の上に描かれた

サン・ダミアーノの十字架は、イタリアの十字架絵画のすぐれた例です。フランシスコに語りかけ

たように、今も、その十字架は、細密に描かれた装飾とデザインのなかから、わたしたちに何か

を語りかけているようです。


 




2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)









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