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ポストカードの写真
空(鳥)から見たアッシジの街並み |
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ポストカードの写真
私の写真
司教座聖堂「聖ルフィーノ」。12世紀に建てられ
たもので、ウンブリア地方でも最も美しい正面を
持つものです。この教会にある洗礼盤は、司教館
のそばにあるサンタ・マリア・マジョレ教会にあっ
たもので、聖フランシスコ、聖クララ、悲しみの聖
母の聖ガブリエルや歴史に有名な王侯たちが
洗礼を受けています。
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ポストカードの写真
アッシジの聖フランシスコが洗礼を受けた司教
座聖堂「聖ルフィーノ」にあるピエタ(嘆きの聖母
像)。
本祭壇の左手に小さなチャペルがあり、15世紀
のドイツ製ピエタの木像がありますが、1499年
に、この御像のマリア様が涙を流されたと伝え
られています。
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下部大聖堂の近くにあるフラテ(修道士)たちの
墓地に立つ聖フランシスコ像。この墓地の回廊に
は修道者のフラテ達や聖フランシスコを尊敬する
あまり、その身近に葬られることを望んだ人々が
眠っています。この死者のお墓を踏んで歩くという
ことは、自分の犯した罪や過ちを死後、人々に踏
みつけられることで償いたいという心と、出来れば
思い出して祈ってもらいたいという気持ちが込めら
れているそうです。
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聖フランシスコ大聖堂。フランシスコが亡くなっ
た後、建てられたもので1239年に完成する。フラ
ンシスコの遺体が安置されている教会として、ま
た建築・絵画芸術の宝庫として世界的にも貴重
な修道院である。特にジョットは、上下両大聖堂
に傑作を多く残している。この修道院には世界中
から多くの修道者が世界平和のためにに祈りと
黙想の生活を送っている。
私の写真
(フラテ・エリア(エリアス)について書いています)
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聖フランシスコ大聖堂。
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中世の町並みを保存しているアッシジの街の風景。
この写真より一歩中に入ると石畳の小道や階段が
迷路のように続き、不思議な景観をかもしだす。
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アッシジの街からの風景。
私の写真 |
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アッシジの街からの眺め。このようにアッシジの街は
スバシオ山(1290m)から下った丘の広がった所にあ
り、人口五千人という小さな街ですが、最初にアッシジ
の駅から見たこの景観はこの世とも思われぬ崇高さに
満ち満ちており、強い衝撃を受けました。
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サン・ダミアノ教会。聖フランシスコの全ては、この
聖堂の修復に始まる。後年、聖女クララが住み、聖
フランシスコが「太陽の歌」を完成させた所である。
聖フランシスコはこの教会にかかっていた十字架から、
「私の教会を建て直せ」というキリストの声を聞いたが、
数々の奇跡の舞台となった有名な巡礼所です。
スライドの写真
私の写真
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十字軍に加わって、スポレトの街に泊まったとき、
キリストの示しに出会い、この世の主君に仕えるより
神に仕えることを選び、サン・ダミアノ教会で祈りをし
ていた時、この十字架から「私の教会を建て直せ」と
いう声を聞いた。現在この十字架は聖クララ教会に
保存されている。
私の写真
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上の写真を拡大したもの。制作年も古くウンブリア
地方では数少ない貴重な十字架板絵。
スライドの写真
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サン・ダミアノ教会の中の食堂。この写真は聖クララ
たちの食堂と呼ばれた所で、法王の命令で聖クララが
パンを祝福したところ、すべてのパンに十字架の印が
現れた奇跡の場所です。奥に見える壁画は16世紀
初頭のもので、聖クララがいつも座っていた場所には
花瓶が置かれています。
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サン・ダミアノ教会の中の「聖クララの小庭」と呼ば
れた小さな庭だが、一生涯この修道院を出なかった
修道女達が、ささやかな憩いのひとときを過ごした
場所である。
ポストカードの写真 そのニ
私の写真
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アッシジの街の遠景。1986年10月27日、この
アッシジの街で、全世界の宗教指導者が、互い
の宗教を超えて「祈りのサミット・平和祈願祭」が
開かれました。
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聖クララ教会。聖クララの死後四年目の1257年
に造り始められ、現在のような地下聖堂の造りに
なったのは1850年のことです。この教会には聖ク
ララの遺体、聖フランシスコに語りかけた十字架が
保存されています。
私の写真
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聖フランシスコと共にアッシジに生きた聖女クララの
遺体。死後740年近くたったが、その遺体は空気に触
れて黒くなりミイラ化しているが腐敗は免れている。
聖フランシスコの精神を最も体現した人として知られ、
神によって強く結ばれた二人の心の軌跡にはこの世と
も思われぬ芳香が満ち満ちている。後年、この二人の
関係を邪推する本が出版されたが、この聖クララの
奇跡としかいいようがない腐敗しない遺体は、二人の
真実の姿を雄弁に語りかけている。
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私の写真
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この小さな10坪にも満たない教会「ポルチウンクラ」
(サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の中にある)は、
フランシスコおよびその兄弟(修道者)たちにとって
心の故郷と呼ぶべき存在でした。全てを捨てることを
命じたフランシスコでしたが、この教会だけは布教の
中心として持つことを認めていました。また世界で唯一
の全免償を受けられる場所として有名ですが、これは
この特別な恵みをフランシスコは直接にイエズス・キリ
ストから受けたと伝えられていることによります。カト
リックに強くひきつけながら洗礼を拒否し続けたシモー
ヌ・ヴィイユが、生まれて初めてある力に逆らえず、ひ
ざまずいた教会としても私の心に生き続けています。
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私の写真
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「ポルチウンクラ」小聖堂
(サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の中にある)。
この「ポルチウンクラ」は6世紀に建てられたものです。
貴族の娘だったクララは1212年、枝の主日にこの祭壇
の前で剃髪し修道生活を始めました。「清貧」「貞潔」
「従順」の精神が、この小さな聖堂の中に生きています。
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聖フランシスコ大聖堂の下部聖堂の下にある地下
小聖堂の祭壇。聖フランシスコの遺体が安置されて
いる。尚この遺体は600年近く地中に深く埋め尽くさ
れていたが1818年、52日 間もかけてついに発見
されたものです。これは聖人の遺体を奪われるのを
心配したフラテ・エリアが誰にも近づけないようにした
ことによります。私たちもこの修道院で祈りの生活を
送っている修道者と共に、この遺体を安置している
石棺の前で礼拝しました。
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私の写真
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聖フランシスコの遺体が安置されている石棺が祭壇
の上に置かれている。聖人のお墓の周りには、その
師を慕うかのように、聖人の最初の弟子たちの中でも
特に優れていたレオ、マッセオ、アンゼロ、ルフィノが
葬られています。
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聖フランシスコが亡くなった所にたつ記念教会。
私の写真 |
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聖フランシスコが亡くなった記念教会。
この像の下で(写真下)で聖フランシスコは生涯を
終え、聖フランシスコの遺骨の一部が安置されて
いる。この記念教会はポルチウンクラの横に立って
いる。
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1226年10月3日、アッシジの聖フランシスコここで
天へと昇る。生まれたときと同じように裸で大地に
帰っていったが、その瞬間、この庵の上に不意に高
いさえずりが響いた。それは聖フランシスコのよき友
ひばりであった。
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聖フランシスコが亡くなった記念教会に描かれた
聖フランシスコ昇天の絵。
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