太陽の歌・・・アッシジの聖フランシスコ



いと高く、全能の、いとも善き主よ、

賛美と、栄光と、誉れと、祝福は、あなたのもの。

これらは、ああ、いと高きおかたよ、

あなたのみに帰すべきもの、

なにびとも、ふさわしく、

あなたのみ名を呼ぶことはできない。



   主よ、ほめたたえられよ、すべての被造物、わけても、兄弟なる太陽とともに。   

かれは、われらに昼を与え、あなたは、かれによってわれらを照らす。

かれはまた、美しく光り輝き、その大いなる光明によって、

ああ、いと高きおかたよ、あなたをかたどる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる月と星のために。

あなたは、かの女たちを明るく、とうとく、美しく、天に造られた。



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる風のために。

しかして、空気と、雲と、晴天と、もろもろの天候のために。

あなたは、かれらによって、被造物をささえられる。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹なる水のために。

かの女は、いと有益にして、謙遜、貞潔なるゆえに



主よ、ほめたたえられよ、兄弟なる火のために。

あなたは、かれによって夜を照らす。

しかして、かれは、美しく、陽気にして、健やかで強い。



主よ、ほめたたえられよ、姉妹にして母なる大地のために。

かの女は、われらを保ちささえ、

さまざまな果実と、色とりどりの花と、木々を生みだすゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

あなたのみ名によってゆるし、

病苦と艱難とを耐え忍ぶ人々のために。

幸いなこと、平安にこれを耐え抜く人々、

そは、いと高きおかたよ、

かれは、あなたから冠を授けられるゆえに。



主よ、ほめたたえられよ、

姉妹なるからだの死のために。

生きとし生けるもの、なにびとも、

かの女からのがれ得ない。

災いなこと、大罪のうちに死ぬ人。

幸いなこと、あなたの聖なるみ旨を行う人

そは、第二の死は、

かれをそこなうことなきゆえに。



主をほめたたえ、祝福せよ。

主に感謝をささげ、深くへりくだって主に仕えよ。


 



アッシジの聖フランシスコが亡くなった時(1226年10月3日未明)の天空

StellaNavigator Ver.5



アッシジの聖フランシスコが亡くなった時(1226年10月3日未明)の天空

とても不思議なことですが、太陽を中心として水星、金星、地球、火星、木星、

土星が十字架の形に並んでいます。青い星が多くの生命の母なる地球です。


1226年10月3日未明のアッシジの星空

Stellla Theater Pro


1226年10月3日未明のアッシジの星空です。

1225年夏頃から聖フランシスコの目は悪くなり始め、亡くなるこの日はほとんど見えな

い状態でしたが、アッシジの街には満天の星からの光りが舞い降りていたことでしょう。



フランシスコが亡くなった所に立てられた記念教会の壁画。




土曜の夕方、祝福されたフランシスコが主のみもとに移ろうとしていた夕べの晩課の後で、

ラウデ(賛美)と呼ばれるひばりがたくさん、フランシスコの臥す住まいの屋根の上、あまり

 高くないところで飛び交い始めた。鳥たちはぐるぐる輪になって飛び回り、さえずった。祝福 

されたフランシスコと共にいて、フランシスコについてこのようなことを書いてきたわたしたち

は、フランシスコが次のように言うのを何度も聞いたことがある。「もし、わたしが皇帝にお

話できるとしたら、神の愛のために、またわたしのたっての願いのために、どんな人もわた

したちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくだ

さるよう懇願します。同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、

そのような祭日にふさわしく住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくに

わたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思いま

す。また、聖母があの夜、牛とろばの間にある飼葉おけにお置きになった神のおん子を敬

うために、ご降誕の夜は、兄弟である牛とろばに飼葉をたくさんやるはずです。さらに、主

   のご降誕の祝宴を開く時は、富んでいる人は貧しい人に、おなか一杯食べられるだけのも   

のが与えられるように配慮しなければならないのです。」祝福されたフランシスコは、どの

祭日よりも大きな敬いを込めて主のご降誕を祝った。他の祭日も、主がわたしたちの救い

のためにお働きになったことを記念するが、祝福されたフランシスコがよく言っていたよう

に、まず、主がわたしたちのためにお生まれになったからこそ、わたしたちの救いは成就

されたのである。だから、フランシスコは、キリスト教徒が皆、その日にはわたしたちのた

めにご自身をお与えくださったかたの愛を思って、主のうちにあって喜んでほしいと願って

いた。だれもが貧しい人たちだけでなく、動物や鳥にも寛大に喜んで与えなければならな

いのだ。祝福されたフランシスコは、ひばりについてこう言っている。「姉妹であるひばりは

修道者のように、頭巾をつけていて、謙遜な鳥なのです。ほんの少しの穀粒が動物の糞に

混じっていれば、ついとはじき出して食べます。飛んでいる時は、地上のことを軽んじ、いつ

も天上のことに思いをはせ、善良な修道者のように、主をほめたたえます。その上、羽の

衣は土の色をしていて、この点でも修道者に良い手本を見せてくれます。修道者ははなや

かな上等の布の着物を着るのでなく、むしろ冴えない土のような色を選ぶべきだからで

す」。祝福されたフランシスコは、今言ったことを姉妹であるひばりの中に見ていたので、

ひばりをこよなく愛し、ひばりを見ることが喜びだったのである。・・・・・・・・・


「フランシスコと共にいた わたしたちは」あかし書房より


 
 


フランシスコがこの世にあった最後の一昼夜の間、兄弟たちは、だれも彼の病床から離れ

なかった。くりかえしアンジェロとレオーネは、彼に太陽の歌をうたってやらねばならなかった。

くりかえし病人は「ほめられよ、わが主よ、姉妹である死によって!」という最後のところをくり

かえした。それから、臨終の時がきたら、また裸にしてもらい、裸で地面に寝たままで死ねる

ようにと、修道院長に求めた。金曜日が過ぎ、土曜日(10月3日)となった。医者が来ると、

永遠の生命への門はいよいよいつ開かれるのか、と彼は尋ねた。兄弟たちに、灰を頭にま

いてくれるように頼んだ --- 「やがてわたしはちりと灰以外の何物でもなくなるだろう」 夕方

彼はまた異常な力で歌いだした。それはもう太陽の歌ではなくて、「われ声を出して主に呼ば

わり」に始まる詩篇第一四二だった。十月の夕やみが迫り、ポルチウンクラの周囲の森の

深い静寂の中で、かたずをのんで耳を傾ける弟子たちに囲まれて、詩篇を唱えた -------


われ声を出して主に呼ばわり、

声を出して主に請い求む。

われはそのみ前にわが嘆きをそそぎだし、

そのみ前にわが悩みを表す。

わが霊魂わがうちに消えうせんとする時も、

おんみわが道を織りたまえり。

人われを捕えんとて、わが行く道に罠を隠せり。

われわれが右の手に目をそそぎ見れど、一人だにわれを織る者なし。

われには逃げ道なく、またわが霊魂をかえりみる人なし。

主よ、われおんみを呼ぼう、われいわん、おんみはわが望み、

生ける者の地にてわがうべき分なりと。

願わくはわが嘆願にみ心をとめたまえ、われいたく卑しめられたればなり。

われを迫害する者より救いたまえ、彼らはわれに優りて強ければなり。

願わくはわが霊魂を牢獄より解き放ち、われにみ名を賞賛せしめたまえ。

義しき者はおんみがわれに報いるを待てリ。


フランシスコが祈っているうちに、庵の中は真っ暗になった。彼の声がやんだ時、死の静けさ

が忍びこんだ --- この声がもう破ることのない静けさが。アシジのフランシスコのくちびるは

永久に閉じた。フランシスコは歌いながら永遠の中へ入って行った。だがみまかった神の歌

い手への告別のあいさつとして、その瞬間、庵の上に、不意に高いさえずりが響いた ---

最後のあいさつを告げたのは、聖フランシスコのよき友ひばりだった。


「アシジの聖フランシスコ」イエンス・ヨルゲンセン著 永野藤夫訳 講談社より





2013年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





本日10月3日の夜明け(4時46分〜6時38分)の光景です。


本日10月3日は、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」でも有名なアッシジの聖フランシスコ

(フランチェスコ)が亡くなった日ですが、彼がよく唱えていた「平和を願う祈り」を掲載させてい

ただきます。私は頭では素晴らしい「祈り」と感じていても、実際に行動にうつすことができませ

ん。しかし、この祈りを体現できている方は、たとえ世に知られていなくとも、聖フランシスコと同

じようにひとりの聖人であることは確かなことだと思います。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

    憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。


神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。


自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。



☆☆☆☆




 

2015年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







(大きな画像)


先日9月28日ののスーパームーンと皆既月食(写真はNASAより引用)



大西洋方面(ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカ)ではこの二つの現象が重なり合いましたが、次にこの

二つの現象が見えるのは18年後の2033年です。



北海道のアイヌと共に、縄文人の遺伝子の多くを引き継ぐ沖縄、彼ら沖縄の人々の月への想いはどの

ようなものだったのか。



「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書より以下引用します。



<月の神>



◎月も、太陽と並ぶ久高島の最高神である。



月神は<マチヌシュラウヤサメー>(マチは待つ、シュラは美しい、ウヤサメーは尊い親の意)といっている。



月の光の柔らかなイメージが女性のイメージと同質と考えたのか、月神は神女たちの象徴で、家レベルでは

根神が、シマレベルでは外間ノロがその司祭者である。



また月は女親であって産む能力を持っていて、久高一人一人の命に責任があると考えられ、出生のとき、

結婚のときは月神に報告し守護を頼む。年始めの健康願いも月神に祈る。



穀物を生産する力も月神で、麦、粟で作った濁酒は月神の守護力を持った尊いものである。麦、粟の

農作祈願祭祀はこの濁酒を神女たちが「共飲して」おこなわれる。



太陽が一日の周期を考えるのに対し、月は一ヶ月の周期で考えられる。つまり、月の満ち欠けによって

月日を読む。



月もその光によって守護力が発揮されると考え、十三、十五、十八夜は守護力が強い吉日と考え、祭祀の

適日である。イザイホーも十五の満月の夜から始める。一年で月神の守護力である月光が最も充実して

いるのは旧暦八月の十五夜である。



この満月の夜に穀物の豊作と神女たちの健康願いがおこなわれる。月神も太陽神と同じく地上に降臨

することはなく、香炉もないまま、神饌を供える高膳が外間殿にあるだけである。月神を象徴する色は白である。

また月は普通、チチと呼ばれている。なお、日食は月神と太陽神の逢引といわれている。










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