サン・ダミアノ教会の中の「聖クララの小庭」と呼ばれた小さな庭


 


「巡礼の書 アッシジのフランシスコを賛えて」J.ヨルゲンセン著 永野藤夫訳 中央出版  より以下、抜粋引用。



人間の本性を研究する者にとっては、清貧への権利のためのこのような戦いほど、驚くべきものはすくない。

この世では、誰でもが互いに富をめぐって戦い、その社会秩序の下では、人間の価値はその金銭によってはか

られ、「善」と「富」、「悪」と「貧」が同義語になろうとしていて、「無一物」と皆にわかると、どんな正直者もうさん

くさく見られる・・・こんな世界やこんな人間社会では、思えば不思議なことである。実に、清貧を我がものにする

ために全力をあげ、平和の中に清貧に生きる許可を得るまでは、いつかな休むことをしなかった人々が存在

したのだから。実に、彼らは清貧を天国と思い、決して天国から追放されないために、自分の知っている最高

権威へ直接おもむき、教皇の大勅書が炎をはく剣のように自分の楽園を守るまでは、安心しなかった。それどこ

ろか、教皇に対してさえ、この清貧の熱烈な崇拝者たちは戦った。つまり、アッシジの聖クララが病床にあってなお

も生きながらえたのは、サン・ダミアノの彼女の修道女たちのために、清貧の貴い権利を確保するためだった。

教皇庁がこの権利の保持を許さないかもしれなかったからである。そこで、教皇イノセント4世が請願をついに

認可したとき、彼女はほっとして永眠した。ジオットーが清貧を女性の姿に描いているのは、不当なわけではない。

なぜなら、清貧は女性のように愛され、崇拝され、偶像化されているからである。女性のように清貧は、その愛人

を幸福にし、狂喜させ、喜びのあまりうっとりさせ、歓声と賛美で満たさせることができる。はたして、黄金はどんな

百万長者を、その臨終にあたって、助けたり喜ばせたりできたろうか。だが、清貧の忠実な花むこフランシスコは、

歌いながら死を迎え、貧しいクララはサン・ダミアノのあわれな小房で、「わが神よ、おんみがわたしを創りたまえし

を、おんみに感謝したてまつる」と、歓喜の言葉を口にして亡くなった。人間は臨終にあたって、神に創られた恵み

を感謝することより、何かより高いものに到達できるだろうか。




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