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聖フランシスコ(フランチェスコ)に関する写真集・映画


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この映画の画像へ 映画
「ブラザー・サン シスター・ムーン」
 
1972年作 ゼッフィレッリ監督 
音楽・歌ドノバン


私が初めてアッシジの聖フランシスコを知る
きっかけとなったものです。映像・音楽・役者・
脚本が見事に溶け合い、素晴らしい叙情詩
に創りあげており、聖フランシスコの実像にも
限りなく近く迫っています。他にもフランシスコ
の映画はありますが、この作品ほど感動を覚
えるものは無く、傑出したものと言えると思い
ます。特にフランシスコを演じるフォークナー、
音楽のドノバンが素晴らしい。

フランシスコを演じたフォークナーですが、まる
で聖フランシスコの魂が舞い下りてきたかのよ
うな、演技を超越した次元に立っていたのでは
と思わずにはいられません。彼自身の俳優と
しての、また人間として未来、その全てをこの
映画に注ぎ込んだのではないでしょうか。一世
一代の演技とはこのことを言うのでしょう。


青春映画の古典となった「ロミオとジュリエッ
ト」の成功でいちやく名を高めたフランコ・ゼッ
フィレッリ監督作品。13世紀のイタリアを舞台
に、実在した聖人フランチェスコの愛と苦悩の
青春時代を描いた大作である。1200年、中
世イタリアの都市アッシジ。隣国との戦争に出
かけていたフランシスコ(グラハム・フォークナ
ーは、熱病におかされて帰ってくる。何週間も
生死の間をさまよったあげく、彼は精神的な
目ざめを覚えた。自然の中に愛や平和を見て、
本当に人間らしく生きたい! そして美しい娘
クララ(ジュディ・バウカー)との出会い、雪で
おおわれた白い野原にサン・ダミアノ教会の
再建を目ざすのだが・・・・・「人生は美しい、
私にとって美がすべてだ」と語るゼッフィレッリ
監督らしく、生きることのすばらしさ、愛の尊さ
を訴えかけ、四季をとらえた美しい映像は自然
への讃歌である。2人の新人スターの初々し
い魅力もあって、さわやかで感動的な青春映画
になっている。語りかけるような音楽は、シンガ
ー・ソング・ライターのドノバンが歌っている。
(渡辺 了 同映画パンフより引用)

 
 






 

この文献の詳細ページへ 「ASSISI」 
Elio Ciol 写真


すべての写真が白黒のものだが、その表現力、
視点が素晴らしく、心から感動を覚える写真集。
解説はイタリア語だがアッシジの写真集としては、
最高のものであると思う。

 
 





 

この文献の詳細ページへ 「愛されるより愛することを
    アッシジの聖フランシスコ」
 
フランシスコ会来日400周年出版
撮影 池利文 文 遠藤周作・加賀乙彦
編集 門脇佳吉 学研


上のElio Ciol 写真「ASSISI」がアッシジの風の
息吹を見事に捉えた写真集であるのに対し、この
写真集は、聖フランシスコと聖クララの魂の息吹
を現代人の心の中へと吹き込んだ傑作写真集で
ある。

これは池利文の写真家としての技量と共に、その
物事の本質に迫る感性に裏打ちされたものである
が故に、アッシジや聖フランシスコ、聖クララを収め
た多くの写真集の中でも最高峰であることは間違い
ないであろう。しかし何故このような傑作写真集が
生まれたか、それは同行したカトリック司祭、門脇
佳吉の存在なしには語れないだろう。本書のあとが
きに次のように書かれている。「私たちはコンベン
ツアル聖フランシスコ修道会の押川日本管区長の
親切な仲介によって、アッシジのサン・フランシスコ
大修道院に宿泊し、20日間もフランシスコ会修道
士と共に生活することができた。図版3でわかるよ
うに大修道院は壮大な建物の建造物だが、その
中での修道士たちの生活は、質素で単純そのもの
であった。私たちは修道士たちと全く同じ生活をし
た。小さな独房に住み、同じ大食堂で食事をいただ
き、いっしょに祈り、ミサに与りながら、聖フランシ
スコの精神を身をもって体験することができた。」

このような環境の下で生活したが故に、この写真集
に崇高な視点が宿っていくことになったのだろうと
感じずにはいられなかった。

 
 





   「アッシジの光」 
詩・絵/葉 祥明 
英仏訳/マリアの宣教者フランシスコ修道会 
自由国民社

この絵本は著者と聖フランシスコ、そして100年前
はるばる日本にやってきた5人のシスターたちとの心
のつながりの中で紡がれた美しい絵本です。聖フラン
シスコの魂を自らの中に根づかせた著者による言葉、
そして透明感あふれる挿絵には、希望と安らぎの光
が横たわり、不思議と癒されていく自分を感じていま
した。そしてある一つの出会いを思い出さずにはいら
れませんでした。それは私がまだ洗礼を受ける前の
ことです。桐生にある聖フランシスコ修道院の黙想会
に参加したことがあります。その中に60代と思われる
気品あるフランス人のシスターに出会いました。この
方の修道会(名前は聞きませんでしたが)は北海道か
ら沖縄まで数名のシスターで回り、人が嫌がる仕事を
しながら宣教なさっているとのことでした。その話を
伺ったとき「どうしてそんなことが人間に出来るので
しょう」と聞くと、「いいえ人間の力では出来ません。
神の力があるからこそ出来るのですよ」とおっしゃい
ました。遠く故郷フランスから日本に来て、ずっとこの
ような仕事をしながら生きている人間に衝撃を受けた
私にはこのような疑問しか浮かばなかったのです。
そのシスターの微笑みと言葉、それは教会から離れ
てしまった私の心に今でも焼き付いています。そして
この「アッシジの光」という絵本を読んだとき、このシス
ターのことが懐かしく思い出されてなりませんでした。
神の呼びかけに「はい」と応えたこのシスターの単純な、
そして高貴な姿。この一期一会の出会いは私の心に
生きつづけています。


この絵本は、「マリアの宣教者フランシスコ修道会」
が、1898年に熊本のハンセン氏病患者の救済施設
をつくるため、フランス人4名とカナダ人1名の修道女
を派遣してから100年が経ったことを記念して創作さ
れました。ちょうど画家・葉祥明さんが、NHKの番組
「わが心の旅 - イタリア聖なる光の中で」(1999年2
月6日放送)の取材で、イタリアのアッシジへ旅し、そ
の地の自然の中で神や聖フランシスコと交わした心の
交流を、詩の型に書き留め、自身で絵を描いて「心の
絵本」に仕上げました。お読みいただいて、皆さまのお
心に平安が訪れることを願ってやみません。
(本書より引用)



 
 



この文献の詳細ページへ 映画
「神の道化師、フランチェスコ」
 
ロベルト・ロッセリーニ監督
1950年製作 イタリア
1950年ヴェネツィア映画祭出品
1991年3月16日 日本公開(三百人劇場)

この映画は聖フランシスコの一生を追った作品で
はなく、聖フランシスコと兄弟たちの逸話を採集した
名作「聖フランシスコの小さき花」「小さき花2」
ら10篇を抜粋し映画化したものである。この映画に
登場する兄弟たちの中で特にジネプロにまつわる
逸話が多く紹介されているということは、監督自身も
天真爛漫で、単純素朴なジネプロにひかれていたの
かも知れない。またこの映画の特徴は、聖フランシス
コと兄弟たち全てがフランチェスコ会の修道士によっ
て演じられていることにある。

全編白黒の映画だが、ジネプロとジネプロを処刑し
ようとしたニコライオの演技が光っている。この二人
が出る逸話を見るだけでも価値が十分あるのではと
感じてしまった。

本当にフランシスコが生きたアッシジにはなんと個性
あふれる聖人たちが集まったのだろう。聖クララ、兄
弟ジネプロ、奇跡を数々起こした聖人エジディオ、そ
して多くの兄弟たち。神がアッシジという街に特別な
恩寵を与えたとしか考えられない。まさにこれも奇跡
なのかも知れない。

聖フランシスコの一生を追った映画を見たい方には
不向きかもしれないが、名作「聖フランシスコの小さき
花」を映画化したものとして貴重なものになるだろう。

尚、聖フランシスコではないが「神の道化師」トミー・
デ・パオラ著の絵本も実に素晴らしい。



 
 



 

この文献の詳細ページへ 「アッシジの修道院」 
世界の聖域14 講談社


聖フランシスコおよび修道院のことを、かなり
詳しく豊富な写真とともに紹介する。


しかし、フランチェスコの兄弟団においては、
貧困そのものが理想であり目的であり、これ
によって「キリストの模倣」を実践することで
あったから、絶対的必須のものであった。しか
し貧困はいかにして、何故に、しかく重要なも
のとして要求されるのであるか。所有は、物を
もつことは、物に頼ること、物に依存すること
である。無一物になることは無力になること
である。頼るべき何ものもないことである。真
に貧しく、真に卑しい者になることである。しか
しそれによって彼には一切のものが「与えら
れた」もの、「賜物」になる。すべてのものが
恩寵となる。乞食をし施しを受けるのは神から
受けるのである。真の無所有は神の外に頼る
もののないこと、一切のものから開放されて
神に絶対的に憑依することである。その故に
貧困生活が宗教的生活になる。単に内心に
おいてするのでなく、「実例」において生きるこ
と、実証することである。一切を捨てることに
よって、一切のものが「与えられたもの」になり、
一切のものと兄弟となり姉妹となる。「兄弟なる
太陽」、「兄弟なる風」、水、火、大地、すべて
わが兄弟、わが姉妹となる。フランチェスコは
最後に「死」をも「わが姉妹」と呼んで太陽讃歌
に加えた。死をも否まず、これを悦び迎えた。
「聖者は歌いながら死を迎えた」と伝記者は記
している。フランチェスコの「太陽の讃歌」は
貧困無所有によって享受した歓喜と感謝の
讃歌である。しばしばロマンチックな詩、自然
美の発見、汎神論的自然観、ルネッサンスの
先駆等々と解釈されるが、それは単に歌詞か
らの極めて表面的な解釈にすぎない。この讃歌
の歌われたフランチェスコの境位は、到底この
ような解釈を容れるものではない。フランチェス
コは43歳で死ぬのであるが、その2年前、アル
ヴェルナの山中で、40日間の断食をして、「聖
痕」(スティグマ)---キリストと同じ両手両足脇
腹の傷---を受け、歩行も出来ず驢馬に乗って、
気息奄々としてアッシジに辿りつき、芝の小屋
に病弱の身をよこたえた。すでに殆ど盲目にな
り、野鼠が顔の上を跳梁して、眠ることも祈るこ
とも出来ない病苦の裡から、死を前にして歌い
上げられた文字通り「深淵からの」頌歌が太陽
の讃歌である。苦痛を耐え忍ぶのは道徳であっ
て、苦痛を歓喜とすることが真の宗教である
(W・ジェームス)。本来のフランチェスコは、
沈思瞑想の聖者でなく、敏感多感の詩人型の
聖者であり、感動が直ちに歌となるような天性
の人であり、「キリスト教トルバドール」と称せ
られる性格の人であったが、しかし「太陽の
讃歌」は不断のこの種のものではない。荘重
にして沈痛の調子がある。天上と地上の一切
の被造物が荘重に歓喜をもって列記され、こ
れに対する同胞的親愛感が表白され、宇宙詩
が叙情詩化されている。宗教的恍惚が宇宙的
規模にまで昂っている。徹底した貧困無一物
の底で、失明---光まで貧困の中---で、光が
讃美され、光の恩寵が歌われているのである。
これをこそ宗教詩と呼ぶべきであろう。キリスト
と同じように「聖痕」を受けたことも、「キリスト
の模倣」の最後の徹底ではなかったか。これを
「奇跡」とするか、フランチェスコ自身による
「模倣」とするかは解釈の問題である。
(同著「聖フランチェスコの悲願」下村寅太郎
より抜粋引用)

 
 




  この文献の詳細ページへ DVD「ルネサンス時空の旅人
    『聖なる都アッシジ物語』」
 


中世絵画の父と呼ばれたジョット、その生涯と
作品を基としてアッシジの聖フランシスコの根底
に流れる現世の美を追った作品で、案内人は
女優の大竹しのぶである。羊飼いの少年だった
ジョットがチマブーエに見い出され、如何にルネ
ッサンス芸術の先駆者となったかを彼の作品や
ダンテとの交流を通して描かれている。ジョットが
残した偉大な作品は、アッシジのサン・フランチェ
スコ大聖堂やパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の
壁画、そしてフィレンツェのサンタ・マリア・デル・
フィオーレ大聖堂の「ジョットの鐘楼」や西洋美術
史上最も重要な作品のひとつである荘厳の聖母
(オニサンティの聖母)がある。アッシジの聖フラ
ンシスコの生涯を追ったものではないのだが、
アッシジの風景やジョットの心の中に流れている
聖フランシスコの息吹が感じられる良作だと思い
ます。

ジョットとチマブーエとの出会いを描いた絵本も
素晴らしいです。
「ジョットという名の少年 羊がかなえてくれた夢」

 
 



 

この文献の詳細ページへ 「ジョットという名の少年 
    羊がかなえてくれた夢」
 
パオロ・グアルニエーリ 文 ビンバ・ランドマン 絵 
せきぐち ともこ 訳 石鍋真澄 解説 西村書店
第6回 日本絵本賞 翻訳絵本賞
 


「ルネサンス時空の旅人『聖なる都アッシジ物語』
[DVD]」
で詳しくジョットの生涯が紹介されているが、
この絵本はジョットが羊の番をしながら羊の絵を描
いているとき、当時有名な画家であったチマブーエ
にその才能を見い出された逸話「羊の伝説」をした
ものです。中世の空気の匂いを独特のタッチで表現
した絵、そして文はジョットがチマブーエや絵と出会
い、新たな旅に旅立つ模様を描いています。ジョット
はサン・フランチェス聖堂の壁画や、彼自身の最高
傑作とも言える透き通った天空に引き込まれそうに
なるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画を描い
た人で、ルネサンスを語る上でなくては人です。


 
 






 

この文献の詳細ページへ 「アッシジ エリオ・チオル写真集」 
岩波書店


前に紹介した白黒の写真集「ASSISI」と同じ
写真家による日本語解説付きのものである。
カラー写真も含まれており、アッシジの街名所
や壁画など中心にまとめられている。エリオ・
チオルは1929年、写真館の息子として生ま
れ22歳の時初めてアッシジを訪れ、幼少の頃
より求めていた”精神の純粋さ”をこの地に見
出し、終世のライフワークとしてアッシジに取り
組む。彼の膨大な写真は多くの美術館などに
収蔵され、美術、考古学、建築、自然景観など
きわめて広範囲な分野ですぐれた作品をのこす
現代イタリアを代表する写真家の一人である。
芸術的な観点から見ると「ASSISI」の方が表現
力ともに優れているが、この「アッシジ エリオ・
チオル写真集」はアッシジの全体像を掴むうえ
で貴重なものであると思う。そしてそこに彼なり
の視点の崇高さが宿っている。

 
 
この文献の詳細ページへ 「ともだちになったフランシスコ
     とおおかみ」
 
ロベルタ・グラッツァーニ・文 パトリツィア・コンテ・絵
わきた・あきこ・訳 女子パウロ会

「聖フランシスコの小さき花」にも収められている
有名な逸話を絵本にしたものだが、暖かさを感じる
挿絵が素晴らしい。この絵本には「聖フランシスコ
がグッビオの町を荒いから救ったこと」以外に、
「フランシスコがきょうだいとよんだ、動物たち」や
「ともだちとあそぼう オオカミさん、オオカミさん、
なにしているの」という遊びも紹介している。

どんな生きものも 大きいのも、小さいのも、みんな、
かみさががおつくりになったもの。だから、フランシスコ
は、すべての生きものをだいじに、きょうだいとよんで、
やさしくあつかったのです。むかし、イタリアの小さな町
で、ほんとうにあったお話。
(本書より引用)

ずっとむかしの ある冬のこと、イタリアのグッビオと
いう町で、ほんとうにあった、おそろしいオオカミと、と
てもやさしいフランシスコのものがたり。このお話は、
せかいじゅうでよく知られているけれど、日本ではどう
かな?
(本書 はじめに より引用)

 
 



 

この文献の詳細ページへ 「聖フランシスコの世界」 
菅井日人文・写真グラフィック社


聖フランシスコの足跡を美しい多くの写真と
文で紹介している好著であり、著者の聖フラン
シスコに対する愛情が伝わってくる素晴らしい
写真集です。


生活がもっと豊かになってほしいという誰も
の願いは、今日の日本では当然のことです。
急激な高度成長の結果、自然破壊、人間性
の無視、われわれは欲望の渦の中にいます。
物質的なもののみが尊重され、実は心の豊
かさを今日ほど忘れた時代はないと思います。
物質的所有より心の豊かさがどんなに大切
なことであるかは、フランシスコが示してくれ
ました。物を持たず、ひたすら愛と平和を説
いたフランシスコの精神は、いつの時代にも
人々に真の幸福を与えてくれるものと確信し
ています。私の主観がかなり入ってしまいま
したが、アシジの丘から心地よい風を受けて
撮り続けている写真を通じ、「聖者」のメッセ
ージが伝わることを願ってやみません。
(本著「結び」より引用)

 
 






 

この文献の詳細ページへ 「古都アッシジと聖フランシスコ」
    新装版
 
小川国夫・文 菅井日人・写真 講談社


著者のとても素朴な感性から紡ぎ出される聖
フランシスコへの想いには、静かな共感と感動さえ
覚えてしまう。また写真は「聖フランシスコの世界」
でもその美しい映像を撮ったカトリックの写真家・
菅井日人氏によるものであり、小川国夫氏の文と
共にアッシジの祈りに満ちた世界に読者をひきこ
むだろう。尚、この文献は1985年に刊行された
ものだが、新たに装幀され出版されたものである。


念願であった聖フランシスコが最後にキリストの
様に聖痕を受けたといわれるラ・ベルナ山に登っ
て行った時のことでした。空が一転にわかに暗く
なり、嵐になりました。非難するため、聖フランシ
スコの隠遁した岩の洞穴に入って祈ったり暗い
中のローソクの明かりで撮ったりしていました。
外はみぞれまじりの大雨で仕方なく聖堂に、また
行ってみました。正面祭壇の一段も二段も高い
ところに美しい聖母像だけが見えました。聖母像
の箱の中に明かりがついていたので、何とか三脚
なしにカメラを手で固定して撮ろうとしていました。
聖堂内はほとんど真暗な状態でしたので私は聖母
像だけに集中していました。と突然、私が向ってい
る暗がりの左側の小窓に黄金色の光が当たって
いました。その明るい光は背後から照らして聖フラ
ンシスコの像を浮かび上がらせたのです。びっくり
しました。それまで聖母像だけで聖フランシスコの
像に全く気付いてませんでしたから、考えると、あ
るべき太陽は嵐の中ですし、私のうしろにあるは
ずがなくきっと急に太陽がでて、光線が岩に反射
しているのでしょう。聖堂内は私一人で、もう音一
つなく神秘的な空気がただよっていました。ここに
神様がいると感じて、鳥肌が体中に立ちました。
その後ひざまずき祈りながら、聖母マリアと聖フラ
ンシスコを二つ一緒に撮ることに成功しました。
聖堂の外に出ると、思った通り、今までの嵐はうそ
のように静まり、雨水の流れた岩山に一本の大き
な木の十字架が立っていて、雲一つなく澄みきった
青空に、美しい夕日が輝いていました。まるでその
夕日は沈みゆく前に、もう一度すべての光を惜し
みなく注ぐかのように、キリストに最も近く生きた、
聖フランシスコを讃えているかのように見え、先程
の洞穴での祈りと、不思議な聖堂での祈りの答え
だったのかも知れません。その夜、再びみぞれが
降りさまざまの感動とともに頭はさえわたり、一晩
中、寒さの中で眠ることすら惜しかったのでした。
神は何と偉大で恵み深いのでしょうか。神の姿に
もっとも似せて造られた人間とは、一体何ものなの
でしょうか。人間の生きる価値として一番大切なも
のは何なのでしょうか。アッシジの聖フランシスコの
ように、富も名誉も財産も捨て、貧しくとびきり豊か
な心を持って生きることができないものでしょうか。
「天に宝をつみなさい、あなたの宝のあるところに、
あなたの心もあるのだから。そこでは虫もくわない
し、また盗人もいない」。言葉というのは言うにやす
く実行にむずかしいことですが、写真という小さな
仕事を一つ一つ大切にやりとげます。どうか聖フラ
ンシスコの精神が私の中で生きつづけ、平和の
道具としてあなたに使っていただけるなら、こんな
に幸せなことはありません。
(菅井日人・・・・本書「心のふる里」より引用)

 
 


 





 

この文献の詳細ページへ 「アッシジの人・
聖フランシスコとその世界」
 
ワルター・ニッグ文 小林珍雄訳 
エンデルレ書店

聖フランシスコの伝記と、彼が歩いた道程を
写真で紹介している。


宗教哲学者ニコライ・ベルジャーエフは、そ
の自叙伝の中で、「フランシスコはキリスト教
史上、最重要な出現である」と、いっている。
この評価は、カトリック信者ではないロシア思
想家のことばだから、いっそう意味深長である。
キリスト教世界は、この重大事件をその奥底
までほりさげたわけではないから、ひとは事実
上このキリスト教史上最大出現を十分に味わ
いえないのである。ラインホルト・シュナイダー
も、フランシスコを同じように見ていた。かれに
よれば、フランシスコは、神言の実現からこと
をはじめるように、えらびだされた者である。か
れの最深の個性は、主のみことばを実行する
にあった。「本当にフランシスコ会的独自性は、
無条件貫徹の勇気にあり、決して新思想新
感情にあるのではなくて、きわめて真剣に
キリストから、またキリストに服従して、人生を
生きぬくことにある。この希求の無比の大胆さ
において、へりくだった模倣の道すがらキリスト
に化したのである。」したがってシュナイダーに
とって、フランシスコは、西ヨーロッパ・キリスト
教の本質に対する生ける具体的典型の解答
にほかならない。かれ自身もしばしばフランシ
スコの清貧にならった。かれこそ「聖フランシス
コの時の鐘」をまれにみるほどよく悟れる詩人
である。現代人の、神ばなれぶりを深刻にえが
いている小説家ジュリアン・グリーンは、そのけ
いがんな日記において、幻視的につぎのように
いっている。「キリストは、その福音をフランシス
コの生存中、再度示してくれたのではないかと、
私はこの数日以来自問している。」こういったの
は、つまり、現代人も包み被うフランシスコの
聖性の予感が示されたものというほかはない。
これら思想家や詩人がフランシスコについて考
えたことは美しくもあり深刻でもある。かれ自身
は自分の喜びをいろいろに表現している。「とき
には、かれは地上から木片を拾い上げて、左腕
にのせ、右腕で弓がわりの棒きれをとり、ヴァイ
オリンなどを弾くときのように、それで木片をこ
すった。おまけに、それにふさわしいリズムでか
らだをうごかし、主イエス・キリストのフランス語
の賛美歌をうたった。とうとうおしまいにはこれ
らの歌や踊りは、感激の涙になり、キリストの
思いやかれの中にあるすべては、純粋な浄福
に達する。かれは何を手にしているかも忘れて、
天国にいる気になる。」独特な美しさの感動す
べきえがき方である。かかる情景に接して、ひと
は、甘辛らさを味わうような気がして、途方にく
れた世界に、人心の抗しがたいあの古くしかも
常に若々しいメロディを奏するために、フランシ
スコのヴァイオリンを手にしたがる願いをきく思
いがある。
(同著「アッシジの聖フランシスコ」
ワルター・ニッグ より抜粋引用)

 
 
 



 

この文献の詳細ページへ 「アッシジの聖堂壁画よ、
    よみがえれ」
 
石鍋真澄著 小学館


フランシスコ大聖堂に描かれている壁画、
それは見るものを圧倒する。約700年前に
描かれた壁画には、聖フランシスコやイエス・
キリストの生涯が描かれており、当時のイタ
リア美術の偉大な足跡を伝えるものである。
これらの数多くの壁画を写真で撮ったこの
文献の特色は、各壁画に描かれる基になった
フランシスコの伝記を詳しく紹介している所で
あろう。それにより、これらの壁画に込められ
た背景や意味を深く理解する助けになってい
る。この文献を読んで、実際にフランシスコ大
聖堂の素晴らしさに触れることが出来たら、
より感慨深い旅になるかも知れない。


記憶の中で、アッシジはいつでも色褪せる
ことがない。スバシオ山の中腹に広がる、あ
の白っぽい肌色の町を遠くから初めて見た
ときのことは、誰だって忘れないだろう。静寂
が支配する真昼の町を歩いたり、夕暮れに
かすむウンブリアの平野をテラスから眺め
わたしたりするだけで、不思議な幸福感が
こみ上げてくる。そこには、長い間かかって
培われた自然と人間との調和があり、それ
ゆえに、言いしれぬ心の安らぎを感じるので
ある。アッシジが特別なのは、そうした恵みの
すべてが聖フランチェスコという一人の聖人の
おかげだと、自然に、そして率直に納得する
ことができる点にほかならない。
(本書・はしがき より引用)

 
 





  この文献の詳細ページへ 「生誕800年を迎え
    聖フランシスコは いま」
 
菅井日人 著 あかし書房

聖フランシスコ生誕800年を記念して撮られた
写真集。著者の素朴な視点が写真に生かされ
ている。1981年発行。

フランシスコとクララ
小さき兄弟たち

日本カトリック管区長協議会会長 佐藤啓一

イタリアには、数多くの霊場がある。その中で群を
抜いているのは、もちろんローマである。次に言わ
れれば、むろんアシジを上げる。理由は、説明す
るまでもなく、この町が13世紀に生んだ不世出の
二人の聖人、フランシスコとクララのためである。

アジアの西端イスラエルに生まれたキリスト教が、
グレコ・ローマンの世界で育ち、1200年の歳月を
経て、当時の社会を代表する二つの階層(貴族と
町民)から出た、この二人の男女によってヨーロッ
パ独自の聖性、すなわち福音的・使徒的生活と
清貧の実戦という、真にキリスト教的な大輪の花
を開かせたのである。

花といえば、フローレンスと呼ばれたあの15世紀
イタリア・ルネッサンスの巨人たちを輩出させた
トスカーナの町を思い起こす。歴史をひもとく時、
このトスカーナとフローレンスが確かに芸術と学問
を育てる環境をもっていたことがわかる。

ひるがえってアシジを考える時、その環境、つまり
ウンブリアの大自然は、フランシスコと彼の後に
つづく小さき兄弟たちという、13世紀の中世キリスト
教界のみならず、現代にまで世界的に影響を及ぼ
す霊性の巨人たちを生み育てる素地をもっていた
ことも、また確かである。

不肖私も、役目柄一度ならずこの地に杖をひき、
数旬を過ごす機会をもったが、その折感じたことは、
訪れる だれをも ひきつけずにはおかない大自然
の美しさ、すばらしさであり、この環境にして始めて、
フランシスコ的人物や精神が生まれ育つことができ
るということである。
(本書より抜粋引用)
 
 



 

この文献の詳細ページへ 「イタリア古都紀行」 
悠久なる時の流れ 知の旅シリーズ 
渡部雄吉著 クレオ


多くの歴史と芸術を秘めたイタリアの都市の
中で、古都に相応しい12の町を豊富な写真と
共に紹介するものである。私自身アッシジ、ミ
ラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマに行っ
たことがあるが、この文献に紹介されている
サン・ジミニャーノなど是非訪れて見たいと思っ
てしまいました。


12の古都の紹介・・「富と美の象徴ミラノ」、
「ロメオとジュリエットの舞台」、「アドリア海の
真珠」、「ポルティコのある風景」、「ビザンティ
ン文化の都」、「ルネサンスの昔にいざなうフィ
レンツェ」、「塔の町サン・ジミニャーノ」、「中世
の時を刻むシエナ」、「歴史の栄光と跡を残す
ペルージャ」、「荒野の聖フランチェスコ」、「ナポ
リの雑踏から、静寂のポンペイへ」、「ヨーロッパ
文化のメッカ、ローマ」


小鳥を愛し、清貧に甘んじた聖フランチェス
コはアッシジの裕福な商人の子として生まれ、
放蕩無頼の青年時代を過ごしたのであった
が、あの感動的な映画「ブラザー・サン、シス
ター・ムーン」で見られるように、18歳のとき
兵士となってペルージァとの戦いに参加し、
敗れて捕虜となった。帰郷した彼はその後
入信し、あるときサン・ダミアーノ教会で「お前
がいまいるこの荒れ果てたわが家を建て直し
にかかれ」という神の声を聞いてダミアーノ教
会の再建にとりかかった。「一歩一歩、一個
一個、石を積み上げよう」というドノバンの歌も
素晴らしかったが、冷えびえとする荒野で素足
のまま一個一個石を積み上げる映画のシーン
は印象的だった。
(本文献より引用)

 
 





この文献の詳細ページへ 映画
「剣と十字架」
 
監督……マイケル・カーティス
フランチェスコ……ブラッドフォード・ディルマン
クレア……ドロレス・ハート

1962年公開

「ブラザー・サン シスター・ムーン」、「神の道化師
 フランチェスコ」の映画と違い、この映画は青年時
代から死ぬまでの一生を描いた最初の映画である。

1950年「神の道化師、フランチェスコ」そして1972年
「ブラザー・サン シスター・ムーン」の中間に位置し
た映画であるが、アッシジの聖フランシスコを知らな
い人にとっては、その死ぬまでの生涯を知るには
価値がある映画かも知れない。

ただ、聖フランシスコの生涯で最も重要であり、最も
感動的な回心の部分の描写が省かれているのに
困惑してしまった。聖フランシスコが父親に訴えられ
た時、広場に集まった多くの見物人の前で、衣服を
全て脱ぎ父に返すところは彼の物語の始まりであり
原点であった。「ブラザー・サン シスター・ムーン」
ではこの場面が感動的に描かれていたが、これを
省いた監督・脚本家は聖フランシスコの何処にひか
れて映画を作ったのだろう。

また俳優も如何にもアメリカ人というかハリウッド向
きという雰囲気があり、親しみを覚えることができな
かった。崇高な人の生涯を追った映画を作るのは
本当に難しいと改めて感じてしまった。
 

 





 

この文献の詳細ページへ 「アッシジへ行く」 
高山辰雄墨画集 講談社


スイス・フランス・イタリアへの旅を素朴な
墨画と散文で綴るものだが、写真とは異なっ
た墨画独特の空間が広がっている。


夕日に照り輝くアッシジの丘が見えます。
三度目にやっとたどりついた道、松岡先生
はどのようにしてこの道を通られたのだろ
うか。寺院の大きい列柱の横を車で登りな
がら、ふと思ったのでした。食後八時過ぎ、
フランチェスコ寺院へ散歩しました。広場の
両わきにある回廊の暗いあかりの下の石
だたみをのぼって正面に出ました。照明で
黒い夜空にクッキリと黄土の色で浮かんで
います。左肩に三日の月が星をつれて出て
いました。風もなく、暑くも寒くもない夜でした。
寺院の隣にある宿スバシオに帰り、眠るに
惜しく広間に出て腰かける。二十畳ぐらいの
部屋は賑わっています。テレビを見ながら
土地の人が幾人かいました。テレビは、日本
で大分前に見たレオナルド・ダ・ビンチを
白黒でやっていました。次の日は朝から、
寺の数々の壁画を見ました。フランチェスコ
やクララがこの丘や野を歩いた頃、八百年
前はどんなところだったのだろうか。聖母の
絵や、フランチェスコ伝の絵などくわしく知り
たい気になります。こまかい雨が時々落ち
てきて、アッシジはいっそう灰色のなかに
沈んでゆきました。山の上から遠く、ウン
ブリアの野を見渡す。点在する小さな町、
古い寺院、歴史の厚みと美しい自然。
北イタリアのアッシジに、私は立っていました。
(本書より引用)

 
 



   

この文献の詳細ページへ 「朝の光の中で 
St. FRANCIS OF ASSISI」
 
葉 祥明著 愛育社

「地雷ではなく花をください」などの絵本作家
で知られている著者が、1998年アッシジを訪
れた際に産まれた言葉と絵。この旅の模様は
NHKテレビ「わが心の旅」で放映されたものだ
が、その素朴な絵と聖フランシスコの清らかな
泉に触れた著者の詩はとても美しく感銘深い。
そしてこの絵本という泉の中にも、聖フランシス
コの魂が映し出されているのを私達は見出す
あろう。

今どうしてフランチェスコなのか十二世紀の
イタリア・アッシジに生きた、聖フランチェスコが、
現代に生きる私達に伝えるものは何でしょう。
地球的規模で失われていく自然。苦しみの中に
ある無数の生命・・・争いの絶えない人間世界
の現状を見るにつけ、暗い気持ちになりがちで
す。しかし、だからこそ私はフランチェスコの存在
と彼の生き方に心惹かれるのです。神への従順、
清貧、他者への愛、小さく弱いものへの優しい
思いやり、太陽や月や星々、草や花や樹木、
小鳥や虫に対する兄弟意識。まことにシンプル
に、イエスのように生きたフランチェスコ! 彼の
故郷・アッシジへの旅で彼の心に触れ、少しだけ
人間の未来に希望が持てたような気がします。
生きとし生けるもの、すべてが幸せであります
ように・・・1999年3月 葉祥明 (本書より)


 
映画 「フランチェスコ」 ノーカット完全版
1989年作品

この映画は人によって評価が分かれると思い
ます。私自身、ニコス・カザンツァキが書いた
「アシジの貧者」と同じように、聖フランシスコの
人間的な面(弱さを含めて)を余りに強調しすぎ
る視点に違和感を覚えていました。確かに聖
フランシスコは家庭を持ちたいという強い欲望
を感じたりと人間的な部分も当然ありましたが、
何故神が聖痕を与えるほどまでに彼を愛した
か、彼の魂の奥深くで希求するもの、その揺る
ぎない強い願望見ずして彼を語ることが出来な
いように思います。カザンツァキの「アシジの貧
者」、そしてこの映画「フランチェスコ」ではそれ
が描かれていなかったように思います。

またこの映画の中で対立する修道者エリアの
描き方も一方的に悪者に仕立て上げられており、
安易にこのような解釈をしていいのか戸惑った
ところもあります。フランシスコ亡き後、聖クララ
にとって、エリアは最も信頼できる兄弟だったと
いう指摘は「聖クララ伝 沈黙と記憶のはざまで」
マルコ・バルトリ著でも読むことが出来ます。

フラテ・エリア(エリアス)に関してはこちら
参考にしてくださればと思います。

【キャスト】
ミッキー・ローク、ヘレナ・ボナム=カーター、
パオロ・ボナチェッリ、アンドレア・フェレオル

【スタッフ】
監督: リリアーナ・カヴァーニ
脚本:リリアーナ・カヴァーニ、ロベルタ・マッツォー
ニ、編集:ガブリエラ・クリスティアーニ、撮影:ジュ
ゼッペ・ランチ、音楽:ヴァンゲリス


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