「朝の光の中で St. FRANCIS OF ASSISI」
葉 祥明著 愛育社 より
「地雷ではなく花をください」などの絵本作家で知られている著者が、1998年アッシジを 訪れた際に産まれた言葉と絵。この旅の模様はNHKテレビ「わが心の旅」で放映され たものだが、その素朴な絵と聖フランシスコの清らかな泉に触れた著者の詩はとても 美しく感銘深い。そしてこの絵本という泉の中にも、聖フランシスコの魂が映し出されて いるのを私達は見出すであろう。 (K.K)
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今どうしてフランチェスコなのか 十二世紀のイタリア・アッシジに生きた、聖フランチェスコが、現代に生きる私達に伝える ものは何でしょう。地球的規模で失われていく自然。苦しみの中にある無数の生命・・・争い の絶えない人間世界の現状を見るにつけ、暗い気持ちになりがちです。しかし、だからこそ 私はフランチェスコの存在と彼の生き方に心惹かれるのです。神への従順、清貧、他者へ の愛、小さく弱いものへの優しい思いやり、太陽や月や星々、草や花や樹木、小鳥や虫に 対する兄弟意識。まことにシンプルに、イエスのように生きたフランチェスコ! 彼の故郷・ アッシジへの旅で彼の心に触れ、少しだけ人間の未来に希望が持てたような気がします。 生きとし生けるもの、すべてが幸せでありますように・・・1999年3月 葉祥明 (本書より)
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そよ風や大地 咲き乱れる花々 ああ あなた達の家族に 私も入れて下さい 私は大地になりたい 私は草になりたい 私は青空になりたい 私は白い雲になりたい 私は鳥に 虫に なりたい!
フランチェスコの願い 天を目指してそびえる 樹になりたい 揺らぐことのない信仰の 岩になりたい フランチェスコの夢 野の風にそよぐ 可憐な花になりたい ひたむきに生きる 動物や虫になりたい フランチェスコの祈り 愛と平和のための 神の道具になること!
教えてください 平和の道具になるには どうしたらいいのか? 愛することだ 人々を、生きものを 自然を、人生を・・・ 愛って何ですか? 受け容れること この世の全てを あるがままに 自分自身も? そうだ 自分をもだ! そうすれば 全てを愛することができる
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2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 原罪の神秘 キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが 何か考えるようになってきた。 世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る 余地などない。 ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない 遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら の魂は何かに守られていると感じてならなかった。 宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力 に満ち溢れているのだろう。 その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た わっているのかも知れない。 世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し ている。 世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。 これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類 と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、 原罪との関わりもわからない。 将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、 ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と 言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。 しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。 原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて いる。 前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも それは変わらないのだと強く思う。 最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は 聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。 私の文章で不快に思われた方、お許しください。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。 神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。 自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 ☆☆☆☆ (K.K) |