未来をまもる子どもたちへ




上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・ケンブルの滝 きりん座。

距離・・・NGC1502(2680光年)



上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです

ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。


 



NGC1502から流れ落ちるケンブルの滝(画像上から中央下まで星が連なっています)。この

ケンブルの滝の長さは満月5個分に相当するもので、5〜10等級の星が20個以上集まって出来

たものです。実はこの星の連なりは見かけの直線で、個々の星の間に関連はありません。しか

し、どうしてケンブルの滝と命名されたのでしょう。それは、フランシスコ会修道士でもありアマ

チュアの天文学者でもあったルシアン・J・.ケンブル(Lucian J. Kemble 1922--1999)神父がこ

れらの星の連なりを発見し、Walter Scott Houstonに手紙で「暗い星の美しい滝」と書いたこと

によります。ケンブル神父は、7×35(口径3.5cm 倍率7倍)の双眼鏡でこれらの星の流れに滝

を感じ取ったのですが、この手紙を読んだWalter Scott Houstonは非常に感銘を受け、1980年

に「Sky&Telescope」という有名な天文雑誌にこれらの星群のことを書き「ケンブルの滝」と命名し

たことによります。


「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」 ケンブル神父



 


2011年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「ケンブルの滝」と呼ばれる星の並びです。



この滝はペルセウス座とカシオペア座の近くにある「きりん座」の中に位置しています。写真では

左下から右上にかけて直線状に伸びているのがわかると思いますが、この写真は他のサイトか

ら引用させていただきました。



皆さんは、「望遠鏡だとこんなに美しく見えるんだ」と思うかも知れません。でも実はこのケンブル

の滝は双眼鏡でしか全体像を見ることができないんです。何故ならこの滝の長さは満月5個分に

相当する長さなので、望遠鏡では滝の一部しか視界に入らなくなってしまうからです。



この滝の存在は、フランシスコ会の修道士で、アマチュアの天文学者でもあったケンブル神父

が小さな双眼鏡(口径3.5cm、倍率7倍)で見つけたものです。「え?、そんなに小さな双眼鏡で

星が見えるの?」と思われるかも知れませんが、夜空には望遠鏡よりも双眼鏡の方が適してい

る天体もあるんですよ。



「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」ケンブル神父



もう直ぐクリスマスですね。



少し話がそれますが、私が感銘を受けた本「沈黙を聴く」の中で紹介されたモーリス・ズンデル神

父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。ようやくズンデル神

父の価値が認められたのは彼が亡くなる3年前(1972年)のことで、時の教皇パウロ6世により

ヴァチカンの黙想指導に招かれています。



このズンデル神父の言葉を紹介しようと思います。「キリスト教の話なんて聴きたくないよ」と思わ

れる方もいるかも知れませんが、クリスマスということで許してください。



☆☆☆☆



「キリストを愛するとは、すべてを愛することである。

彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・キリストを愛しているとは言え

ない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。マホメット

もまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安ら

ぎを感じるだろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。」



☆☆☆☆



ケンブルの滝、20個以上集まるこの滝の先端に散開星団「NGC1502」(写真では左端やや下

に映っています)があります。この星団までの距離は2680光年。つまり2680年前船出したこの

星団の光がやっと今、地球に到達しているんですね。この地球で2680年前頃というと「ソロン、

釈迦孔子」が誕生しています。



こんな昔のことを思い浮かべながら夜空の星を見上げるのもいいかも知れませんね。

皆さん、いいクリスマスを。



(K.K)


 




今から2680年前の世界とは?(2011年基点)

遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に
映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。


 


前776  ギリシアで第1回オリンピア競技

前750頃 古代ローマが建国される

前620頃〜560頃 イソップ

前570頃〜496頃 ピタゴラス

前594  ソロンの改革

前557  シャカ生まれる

前551  孔子生まれる



 



A FULL CATALOG OF...より引用

ソロン(Solon, 紀元前639年頃 - 紀元前559年頃)は、古代アテナイの政治家・改革者で、ギリシャ
七賢人の一人に挙げられる。紀元前594年、ソロンの改革と呼ばれる国制改革を通して、貴族と
平民の対立解消を図ったが、失敗に終わった。

両親とも名家の出身であるが、決して富裕ではなかった。人格の高さが評価されて、紀元前594年
アルコンに就任して借財の帳消しと借財による市民の奴隷化を禁止するなどの改革を行った。市民
を財産によって4階級に分け、それぞれに見合った参政権を与えたが、かえって貴族と市民の対立
に油を注いだと言われている[誰によって?](ただし、対立の根幹はそれ以前から続く社会的矛盾に
よるところが大きく、改革は対立の名目に使われただけとする説もある)。ソロンの改革を中途半端
であるとする友人ペイシストラトスとの対立によって引退後は事実上の亡命生活に入った。

オリエント各地を見聞して知識を深めて帰国し、アテナイの市民に広めたと言う。その際にアトランテ
ィス伝説を提唱し,この伝説はプラトンに引継がれた。

プラトンはソロンの遠縁にあたる。プラトンとの系図については、クリティアス (プラトンの曾祖父)参照。


ソロン - Wikipedia より抜粋引用



APOD: 2010 January 28 - Kemble's Cascade より引用 (大きな画像)

画像左側に見える星団がNGC1502で、「ケンブルの滝」は右上の方に流れています。


ルシアン・J・.ケンブル(Lucian J. Kemble 1922〜1999)神父

La Cascada de Kemble ≪ La bitacora de Galileo より引用

RASC Calgary Centre - Credits and Special Mentions より引用




2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 


「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用







双眼鏡で見る春の星空 双眼鏡で見る夏の星空

双眼鏡で見る秋の星空 双眼鏡で見る冬の星空

天体観測に適した小・中口径の双眼鏡

天体観測に適した大口径の双眼鏡

(映し出されるまで時間がかかる場合があります)

いい双眼鏡とはどんなもの

雑記帳(魅せられたもの)

美に共鳴しあう生命

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