「世界樹木神話」

J・ブロス著 藤井史郎 藤田尊潮 善本孝訳

八坂書房


  











本書 はじめに より引用

人類の誕生以来、人間は樹木と運命をともにしてきた。両者の関係は非常に緊密で

強固なものだったので、その絆を乱暴に絶ち切ってしまった人類はこれからどうなる

のかと思わずにはいられないほどである。今日、世界的な規模の森林伐採が引き起

こしている重大な結果について知らない人はいない。さらに、その馬鹿げた原因が、

印刷されるそばから廃棄される紙の消費のあいかわらずの増大であることを知らな

い人もいない。これはどうしても認められない現代の不合理の一つである。しかし、

人間が生き延びることを望むならば、手遅れにならないうちに、踏み荒らし尽くしそう

なものを復元、保護し、何千年も続くような均衡と調和を再び打ち立てることこそが

必要だろう。


拙著『フランスの樹木、歴史と伝説』の中で私は、古代社会において樹木の果たした

大きな役割について軽くふれた。しかしそこで挙げた例は、私が樹木について書いて

きたこの30年間に、できうる限り深めてきた探求の全体から見れば、ほんの一部でし

かなかった。読者は、本書にその探求の成果を見出されることであろう。


過去の宗教を研究すると、ほとんどどの宗教においても、神聖であると見なされた樹木

に対する、なかでも最も崇められた樹木すなわち宇宙樹に対する崇拝と出会う。その樹

は中心の柱となっていたが、それを軸として、自然的かつ超自然的な、形而下的である

と同様形而上的な宇宙全体が秩序づけられていた。一般に流布している神話学の裏

に、非常にアルカイックな神話的基層を見出すことは今でも可能であり、そこにおいては

樹が、地下の深淵と地表と天界の三つの世界をつなぐ特権的仲介者であり、また何よ

りも神の現存を明らかに示すものでもあった。この統一的でありながら少しも簡略的で

はない宇宙論全体は、何世紀にもわたって文明から文明へと伝統によって伝えられて

きたが、この体系については今日ではばらばらになったわずかな断片しか残っていな

い。しかもたいていは見分けがつかないほど変化し、現在の形になるまですっかり無

秩序な状態になってしまっている。したがってその絡み合ったもつれを解きほぐすには、

忍耐だけでなく周到さも必要とされるのである。


樹木学は樹木の神話学の復元に不可欠の下準備ではある。しかし、通常は分割され、

それぞれが独自の専門分野を持ついくつもの領域にまたがる樹木の神話学の復元とい

うこのような仕事を成し遂げるには、それだけでは十分ではないだろう。というのは、樹木

学によって解決される問題点の多くは、ひたすらさまざまな樹種とそれらの特異性につ

いての正確な知識に基づくもののみであるからだ。したがって、もしクロード・レヴィ=ス

トロースを筆頭とする・・・・というのも本書で本質的に問題とされるには「野生の思考」で

あるからであるが・・・・何人かの確かな導き手がいなかったらならば、私はそこに足を踏

み入れることはなかっただろう。


本書の研究は、通常の関心と一見かけ離れているように見えるが、じつはそれらを原点

へと連れ戻すものである。レヴィ=ストロースは言っている。「人間が世界の他のものから

切り離したことで、西洋の人間主義はそれを保護すべき緩衝地帯を奪ってしまったので

す。自分の力の限界を認識しなくなったときから、人間は自分自身を破壊するようになる

のです。」したがって人間を自然へと、俗を聖へと、日常を神性へと調和させていた宇宙

を秩序づける鍵を再発見することは、現代の思想にとって時宜にかなったことだといえる

だろう。


 
 



本書 結び より引用

このようにキリスト教が勝利をおさめてからというもの、崇めることの許された樹は

ただ一つ、贖い主がその上で死んだあの四角い木だけになってしまった。他の崇拝

はすべて禁じられ、それらを一掃しようとして福音伝道者たちの払った熱意について

は周知の通りである。多様性、相互補完性に根ざし、複合的で互いに関連し合った

宇宙論・・・・古代の「多神教」がそうである・・・・に代わって、教権的、不寛容で二元

論的な一神教がその跡を引き継ぐことになった。善悪の区別という名のもと、旧い

精神状態に対する反動から、魂は肉体から切り離され、人間は自然から隔てられ

た。当然神につながるのは魂であるから、自然も肉体も必然的にそこから排斥され

たのである。自然や肉体人を誘惑に駆りたてるものにすぎず、エデンの園追放に責

任を負うべきかつての知恵の樹の蛇のように、悪魔の手先以外にはなりえなかった

のだ。


往々にしてそれと気づかぬうちに私たちのものになってしまっているこのような状況

について、クロード・レヴィ=ストロースは見事な深さで捉えている。「ユダヤ・キリスト

教的伝統がそれを隠蔽するためにいろいろなことを言ってきたのですが、この地上で

他の動物と一緒に生きながら、地上で暮す喜びを彼らとともに享受している人間が、

その動物たちとのコミュニケーションを持てないという状況ほど悲劇的なものはなく、

また心情にも精神にも反するものはないと私は思うからです。これら[ユダヤ・キリスト

教以外]の神話は、この原初的欠陥を原罪だなどとは考えないで、自分たち人間の出

現が、人間の条件とその欠陥を産み出した事件であると考えている、というのはよく

理解できますね。」


こうして生きとし生けるもの同士の交感の上に立脚していた生命のバランスは崩壊し、

その最終的な影響が今日人類の上にふりかかっている。かつての開放的だった人類は

次第に自らの内に閉じこもり、その頑なな人間中心主義のため、もはや人類以外の存在

は物としか映らなくなってしまった。自然全体が価値を下げることになったのである。かつ

て自然の中では、すべてのものが何かのしるしであった。自然それ自身がある意味をも

ち、人はそれぞれ心の内でその意味を感じとっていた。しかし人間はそれを見失ってし

まったがゆえに、今日自然を破壊し、またそうすることによって自ずから裁かれているの

である。


 


訳者あとがき 訳者代表 藤井史郎 より抜粋引用

これまでで、ブロスの人となりがおおよそのところ示されたと思う。ところで、筆者の手元

には一枚の写真がある。パリの植物園と思われる、両側を高いプラタナスに囲まれた道

の中央で、ブロスがこちらを見つめている。長身、やせ型で、背筋をピンと張り直立して

いる。きりっと引き締められた口元と少し寄せられた眉には、明らかに意志の強さが現

われている。写真に付された解説によれば、ブロス69歳とあり、1991年に写されたこと

になる。原著刊行は89年であるのでその2年後ではあるが、この写真は本書執筆時とほ

ぼ同時代のブロスを示している。翻訳をすすめながら、筆者は、67歳という年齢を感じさ

せない若々しいはつらつとした熱情にあふれる作品であるという印象を受けたものであっ

た。この写真を見ると、それも納得されるものがある。1987年には、ブロスのそれまでの

全著作を対象に、アカデミー・フランセーズの文学大賞が与えられていた。そしてこの『世

界樹木神話』にも、自然に関するその年の最も優れた著作に与えられれるピエール・テル

ベス賞が贈られた。


パリの植物園近くで生まれ、乳母車に揺られながら春の若葉の間に踊る抜けるような青空

を見上げていた記憶のあるブロス、小説家としての文体の修練、編集者としての長い経験、

図書館での独学、ラ・ドゥヴィニエールでのエコロジーを実践する生活、「人間は歩く樹木」で

あると見なし・・・・ちなみにブロスは樹木のうちでもギリシャ人たちが樹の中の樹、樹木の原

型と考えていたオークをとりわけ愛しているという・・・・、「対立する二つの無限、方向は正反

対であるが対照的である二つの深淵、地下の暗闇の侵入不可能な物質と接近不可能な光

輝く天空を結びつけているのが樹木である」と考えるブロス、このようなブロスの手に成るべ

くして成ったのが『世界樹木神話』であり、著者の数多くの著作のうちでも最も円熟した境地

を示す作品といえるだろう。それだけにブロスが本書の中で扱う神話・伝承は、ギリシャ・ロ

ーマは当然のこととして、北欧、ケルトのみならず、メソポタミア、インド、中国、南アメリカ、

エジプトにも及んでおり、目くるめくばかりの絢爛さである。ひと言、本書の特徴に言及する

ならば、それは神話と対応する樹木と種によって限定したことである。たとえば、従来なら

ば、アッティスの聖樹といえば単にマツとされていたが、ブロスは植物学を援用して、それは

イタリアカサマツであると限定し、提示している。この点は、他の類書には見られないものと

いえよう。本書は、先にも述べたとおりまさに世界各地の壮大なる神々の世界を、著者一流

の視点で切り開き、再構築したものといえる。その膨大な知識に裏づけられた内容には圧倒

されるが、しかし読者は、ブロスに導かれるままに、各地の宇宙樹との出会いを楽しむのが

最良であろう。





 


目次


日本語版への序文

はじめに


第1章 地球の中心に

巨大なトネリコ、ユッグドラシル

ウプサラの王族からクレタ島のミノス王へ

ポセイドンすなわちトネリコの神

世界各地の宇宙樹

現実的夢想


第2章 神秘の梯子

シャーマンのカバノキ

聖ブリギットと聖燭祭

カバノキ、テングタケとソーマ

悟りの聖なるインドボダイジュ

逆さまの樹木アシュヴァッタ

セフィロトの樹


第3章 神託のオークの樹

ドドナの聖所

ナイオスのゼウスからクレタのゼウスへ

ギリシャとイタリアの聖なるオーク

ヨーロッパにおけるオーク崇拝

ドルイドのヤドリギとバルドル神


第4章 樹液の魔術

樹木のディオニュソス

儀式的縊死と豊饒

キヅタとディオニュソス的錯乱

ブドウの樹の神バッコス

ディオニュソスと樹液の秘儀


第5章 神樹の死と再生

聖なるマツの樹の祝祭

アッティスあるいは原初の供犠

イタリアカサマツ

マルシュアスと吊り下げられた神

アドニスあるいは没薬(ミルラ)

フェニックスとナツメヤシ

オシリスの樹木


第6章 聖なる森と樹木の魂

聖なる森

聖なる森の迫害者たち

ブロセリアンドの森で

マーリンと森の野人

樹木の魂

ダプネとゲッケイジュ

レウケとウラジロハコヤナギ

ピリュラとシナノキ

ピテュスとオニマツ

カリュアとクルミの樹

ピュリスとアーモンドの樹

キュパリソスとイトスギ

ピュラモスとティスベあるいはクワの樹

ピレモンとバウキス

異教の残存


第7章 妖精の森

大いなる牧神パンからサタンへ

呪われた狩人、聖フベルトゥスとハンノキの王

エルフ、小悪魔、コリガンたち

妖精たちについて

魔法の杖、魔女の箒とヘルメスの杖

処女林と幻想の現実


第8章 果実、神話と歴史

オリーブの樹とアテナイ創設

ローマの起源、マルスのイチジクの樹

ヘスペリデスのリンゴ


第9章 エデンの園から十字架の樹へ

堕罪から贖罪へ

エッサイの樹

アリマタのヨセフのサンザシ


結び

原注

訳者あとがき

索引





2013年8月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


2013年8月13日、カナダ・オンタリオ州で撮影されたペルセウス座流星群(写真はNASAより引用)



私が住む厚木では流星群は雲で見えませんでしたが、古代の人はどんな想いで夜空を見上げて

いたのかなと想像することがあります。人類は夜空の星や天の川を通して、この世界とは異なる

世界があるのではと感じていたのかも知れません。



古代の人は天は3、7または9つの層があると信じ、その世界観がシャーマニズムの土台となって

いきます。



天の北極(世界樹)の周りを、太陽、月、彗星、惑星・星たちが異なる動きをしているのを見て、

天には幾重にも層があると思ったのも当然かも知れませんが、たとえその世界観が科学で否定

されようとも、彼ら古代の人が目を天へと向けつづけた視線。



その視線という方向性から産み出されたものは、宇宙創生から私たちを突き動かしている大い

なる力の輝きを宿した一つの形なのかも知れません。










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