$120K Will Buy You the Chessboard From 1972's 'Match of the Century' - RealClearLife




ボビー・フィッシャーの写真集 「Bobby Fischer against the World」 Harry Benson 写真・文 より引用

1972年チェス世界選手権中の休息日(上の写真)と世界選手権の対局場面(下の写真)










ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)

1943年3月9日~ 2008年1月17日

第11代チェス世界チャンピオン

本名 Robert James Fischer(ロバート・ジェームス・フィッシャー)


伝説的なチェスプレーヤー、ボビー・フィッシャーは1972年、1948年から24年にも渡ってソ連が

独占し続けていたチェス世界チャンピオンの座(ボトビニク、スミスロフ、タリ、
ペトロシアン、スパ

スキーが君臨していました)を奪い取りました。



上の写真は
1972年、世界チャンピオン・スパスキー(当時ソ連)相手に挑戦した時のフィッシャー

の姿です。第二次世界大戦後の世界を二分した、資本主義・自由主義陣営と、共産主義・社会

主義陣営という冷戦対立が凝縮され、64枡のチェス盤の中に映し出されたのです。



世界中で大々的に報じられたこの戦いに勝利した後、フィッシャーは姿を消します。誰もがフィッ

シャーはもうチェスを指さないだろうと思っていましたが、20年後の1992年に突然姿を現し、当時

国連制裁を受けていたユーゴスラビアで試合をしたのです。



奇しくも相手は20年前に世界チャンピオンを争ったスパスキーでした。フィッシャーはこの対局に

勝利し、また姿を消してしまいますが、2008年、チェス盤の枡の数と同じ64歳でこの世を去ります。

彼が歩んだ道、それは様々な解釈があるかと思いますが、彼の残したチェスの偉大な遺産は、

長い将来に渡って多くの人を魅了していくのでしょう。



「チェスは盤面の上の戦争である。その目的は相手のエゴを粉砕することだ。」

ボビー・フィッシャー











1958年(フィッシャー15歳の時) Moscow Interzonal 
相手は5年後にチェス世界チャンピオンになるペトロシアン
この大会の優勝はタリで、フィッシャーは21人中5位。


 




   ボビー・フィッシャー(Robert James Fischer)





「激闘譜 シュタイニッツからフィッシャーまで 歴代チェスチャンピオンからの珠玉集」
マックス・エイベ著 松本康司訳 日本チェス出版社より引用

11人目のチャンピオン、ロバート・フィッシャーは1943年3月9日シカゴで生まれました。

姉のジーンが彼にチェスを教えました。家族はすぐニューヨークに越すことになり彼はここ

でチェスの最初の上達が始まります。トーナメントには1955年11才のとき参加しています。



1957年はこの若いプレーヤーにとって素晴らしい成績の年として忘れられません。
サン

フランシスコのジュニア選手権で優勝。クリーブランドの全米オープン、ニュージャー
ジー・

オープン、そしてニューヨークの全米選手権とわずか14才の少年が驚異の優勝を
続けまし

た。フィッシャーはソ連のチェスの文献から豊富な知識を得るためにロシア語を
学びました。



インター・ナショナル・マスター位は1957年、そしてグランド・マスターを19
58年、史上最

年少記録です。1960年さらに優勝の数を加えます。マル・デル・プラタ、
レイキャビク。ラ

イプチヒのオリンピックでは1将として出場し最高勝率をあげ、またアメ
リカに帰っては全米

選手権で優勝。1962年のストックホルム・インター・ゾーナル。ここ
でも首位となりましたが、

続くキュラソーでの挑戦者決定戦では4位となって久し振りに
敗者の悲哀を味わいました。



技量まだその域に至らずということだったのでしょう。フィッ
シャーはこのあと国際大会から

姿を消しますが、時の流れを決して無為には過ごしませ
んでした。彼特有の頑固なまでの

不屈のねばり強さで研究に没頭していました。これから
立ち合わねばならぬ相手を徹底的

に調べ上げました。



1966年、国際舞台に登場します
が1968年また引退、そして1970年再復帰。この年こ

そ彼のこれからの大活躍の始ま
りです。破竹の勢いとはこのことでしょう。ユーゴスラビア

で行われた“世紀の対決”。(全
ソ連最高峰 対 残りの全世界のベスト・プレーヤー。双方

10人づつによる対抗戦。当時の全世界愛好者の期待した夢の企画でした。訳者註)。こ

こでフィッシャーは二将として出場ペトロシアンを3-1で倒しました。



ザーグレブ、ブエノス・アイレスの大会にも勝ち、マジョルカで行われたインター・ゾーナル・

トーナメントでも優勝したフィッシャーは世界タイトルの恐るべき挑戦者と見られるに至りま

した。挑戦者決定戦におけるタイマノフおよびラースンとの試合はチェス界では皆フィッシ

ャーの勝ちを予想しました。とはいえ、この2人の俊才に連続6-0、6-0で完勝するとは

誰も考えが及びませんでした。



世界のジャーナリズムが騒然となる中をフィッシャーの対局は続きます。相手はチャンピオ

ンを失ったとはいえ万戦練磨、防御の大名人ペトロシアン。フィッシャーはこお試合にも5勝

1敗3和で完勝、いよいよ最高位を極めるか否かチャンピオン、スパスキイへの挑戦です。



記者たちのインタビューに答えて、ペトロシアンはフィッシャーの強さをよく認め次のように

述べました。「フィッシャーは素晴らしい。彼は局面の難解なところを一目で見出し、一目で

解いてしまう。フィッシャーはチェスの新しい考え方に全部精通しているから用心するように

言っておきたい。どんな手にも彼は動じない。そして針の先で探すような小さな優位を見出

そうものなら、あとはまるで機械だ。彼のミスを期待するのはムダだ。フィッシャーはまったく

希有のプレーヤーだ。スパスキイ、フィッシャー戦は一荒れするだろう。」 



スパスキイ対フィッシャーの試合のための準備と交渉が始まりました。第28期世界チャン

ピオン決定戦はかくして1972年7月11日アイスランドのレイキャビクで幕をあけました。

世界の耳口はその始まる一週間レイキャビクからの発表に集中しました。第2局が終って

スパスキイが2局目の不戦勝を入れて2-0でリード、フィッシャーは2局目を欠席したから

です。そしてこの試合が互角となったのは、5局目が2.5-2.5終ったときただ一度でした。

6局目白番のフィッシャーはキングを盤端に捉えて快勝し、以後試合が終るまでリードを保

ちました。フィッシャーは8局目および10局目に更に勝点を加え、一方スパスキイは第11

局に一矢を報いその差2点。しかし、13局目および21曲目、フィッシャーは確実に差を拡

大して12.5-8.5のスコアで栄冠を奪取することに成功しました。



この新チャンピオンはチェスに対する最大の愛情と、一心不乱の研究訓練と適を十分に

知り尽くしての戦いによって勝ち取ったものといえましょう。精神と肉体の全てを投入して

の努力を全局に注ぎ、この強烈な緊張を最初から最後まで続けたのです。



新しい挑戦者を迎撃するために、フィッシャーはそして再び数々のゲームを分析する求道

の世界に入りました。(フィッシャーはこのあとチャンピオン決定戦の制度を変更する条件

を提出、1974年のFIDE総会により一部認められました。このあと挑戦者にソ連の新星

23才のカルポフが決定。希代のプレーヤー・フィッシャーのチェスを再度目にしたいと世界

中の愛好者が望みました。フィッシャーの残りの要求を満たすべく、FIDEの臨時総会が

1975年春開かれましたがこれは却下され、フィッシャーは不戦のままカルポフに王座を

ゆずりました。彼フィッシャーは信仰生活に身を投じました。訳者註)









歴代世界チャンピオンの肖像Serkan Ergun
serkan-ergun-the-world-chess-champions-by-serkan-ergun | Serkan Ergun

(大きな画像)


歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886~1894  50~58
2 Emanuel Lasker  1894~1921  26~52
3 Jose Raul Capablanca 1921~1927 33~39 
4 Alexander Alekhine 1927~1935  1937~1946 35~43 45~54
5 Max Euwe 1935~1937 34~36 
6 Mikhail Botvinnik  1948~1957 1958~1960 1961~1963 37~46 47~49 50~52
7 Vasily Smyslov  1957~1958  36 
8 Mikhail Tal  1960~1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963~1969  34~40 
10 Boris Spassky  1969~1972  32~35 
11 Bobby Fischer  1972~1975  29~32 
12 Anatoly Karpov  1975~1985  24~34 
13 Garry Kasparov  1985~1993  22~30 
14 Vladimir Kramnik  2006~2007  31~32 
15 Viswanathan Anand  2007~2013  38~43 
16 Magnus Carlsen  2013~present  22~







bobbyfischer.net より引用(フィッシャー20歳の時)



フィッシャーを題材とした映画






Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用


2015年12月25日よりチェス世界チャンピオン、ボビー・フィッシャー

半生を描いた映画「完全なるチェックメイト」が上映されます。。主役は「スパイダーマン」で

主人公を好演したトビー・マグワイアで、監督は「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィック

です。私自身映画スパイダーマン並びに、その役を好演したトビー・マグワイアに好印象を

持っていたのでこの映画に期待していますが、この映画に先立ってボビー・フィッシャーの

映像や貴重な証言を集めた「ボビー・フィッシャー 世界と闘った男」DVDが12月2日に発売

されます。また、フィッシャーの評伝「Endgame: Bobby Fischer's Remarkable Rise and Fall」

フランク・ブレイディー著の日本語版として、「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」

佐藤 耕士・翻訳、羽生善治・解説が、2013年2月15日文藝春秋から出版されました。




下の3つの映像は今までにフィッシャーを題材にした映画ですが、特に「ボビー・

フィッシャーを探して」の映画はアメリカ映画協会(en:American Film Institute; AFI)

が2006年、アメリカ映画100年を特集した「感動の映画ベスト100」の中に選出されて

いるものです。





フィッシャーの幼少の頃からその死まで追ったドキュメンタリー映画

「ボビー・フィッシャー 世界と闘った男」 DVD





映画「ボビー・フィッシャーを探して」の一場面





フィッシャーの生涯を描いた映画「Bobby Fischer Live」










「Chess Informant 640 Best 64_Golden Games」より引用

 


 ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)  挑戦者決定戦への道

 フィッシャーの肖像(フィッシャー評と写真)


 






1972年、チェス世界選手権(スパスキー対フィッシャー)の第6局



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




「今や伝説と化したフィッシャー対スパスキーのタイトル戦のなかで、おそらく最高の

ゲーム。ボビーは初手e4以外の手も知っていることを証明してみせた。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



FischerSpassky19726.pgn へのリンク





1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
Fischer 0 0 1 ½ 1 1 ½ 1 ½ 1 0 ½ 1 ½ ½ ½ ½ ½ ½ ½ 1
Spassky 1 1 0 ½ 0 0 ½ 0 ½ 0 1 ½ 0 ½ ½ ½ ½ ½ ½ ½ 0

FINAL SCORE:  Fischer 12½;  Spassky 8½

1972年チェス世界選手権 全棋譜

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Fischer_Spassky_1972all.pgn へのリンク
(チェス棋譜再現ソフトをご用意ください)





「ボビー・フィッシャーを探して」 フレッド・ウェイツキン著 若島正・訳 みすず書房

より以下引用


若い頃、私はチェスを頭でっかちで退屈な遊びだと思っていて、指し方を覚える気はまったくなかった。ところが1972年の

夏、ボビー・フィッシャーとボリス・スパスキーが世界チャンピオンの座を賭けて戦ったときには、午後に何度となく、友人

たちとテレビの前に陣取り、ばかでかいチェス盤に向かって、何千マイルも離れた場所で身動きもせずに座っている両

対局者の刻々と変化する局面ではなく、まるでそれがバスケットボールのコートみたいに、声援を送り、大声をあげること

さえあった。



マッチの開始時点では、駒の動かし方すら知らなかったが、それでもそのゆっくりとした難解きわまる戦いを見ていると、

最初のうちは自分でもわけがわからなかった興奮と憧れがわいてくるのだった。私はチャンピオンと挑戦者が感じている

に違いないプレッシャーを想像した。二人がお互いに相手に読み勝とうとして、毛筋ほどの複雑さで微妙な得を追い求め

ているかたわらで、何百万人もの観戦者が二人の肩越しにのぞきこみ、指し手の善悪を云々しているのである。それは

まるで、シェイクスピアに匹敵するようなソネットを今すぐ書け、さもなくばギロチンの刃が落ちるぞと言われているような

ものに違いない。両対局者ともに、国家の威信を背負っていた。



スパスキーはもし勝てばロシア最高の英雄となり、もし負ければ汚辱にまみれ特権を剥奪されてしまうだろう。フィッシャー

は、十代の頃に国際大会でロシア人がいんちきをやっていると思い込んでからロシア人嫌いになり、皆殺しにしてやると

思っていた。もし勝てば、彼はたちまち伝説の人物となる。もし負ければ、誰からも奇人扱いされてお払い箱になる。ヘン

リー・キッシンジャーがフィッシャーに声援を送り、ブレジネフが心配そうに対局の結果が届くのを待った。



大勢のテレビ視聴者にとって、午後の番組で勝負の決着をつけようと戦っているのは共産主義と資本主義だった。

フィッシャーは正確無比な棋風ながら、そこには暴力と非理性の気配が濃厚にただよっていた。ランボーを頭脳派に

したようなもので、彼は対戦相手の自我を叩きつぶしてやることを口にした。それに対して、スパスキーは都会派で、

皮肉屋で、知的で、審美家であり、粗野きわまりないフィッシャーの絶好の引き立て役だった。1972年のあの夏、

チェスは他のどんなゲームとも異なった壮大なものとなり、チェスを指したいと誰にも思わせるほどだった。





Federación Paraguaya de Ajedrez
Fischer analizando la partida Gheorghiu Andersson del Informador 19



Chess review | Simon Parris: Man in Chair

ミュージカル「CHESS」、くわしくはこちらです。









 GMラーセンとフィッシャー 1966年サンタモニカ(Piatigorsky Cup) にて


 

 

永遠のライバル、スパスキィとフィッシャー 。1970年ドイツ・シーゲンで行われた

オリンピックでの対戦(世界選手権の2年前)。写真撮影はBRUCE WEBER。



 



「A PICTURE HISTORY OF CHESS」 by Fred Wilson より

この画像は1966年、キューバのハバナにおいて行われた17回チェスオリンピック

において撮られたもので、右側のカストロ議長と話しているのがフィッシャー。有名

チェ・ゲバラもチェス・ファンで、このオリンピックの対局を熱心に観戦している。



 


「THE BOBBY FISCHER HOME PAGE」 より引用




ボビー・フィッシャーの写真集 「Bobby Fischer against the World」 Harry Benson 写真・文
 より引用


Robert Fischer (ロバート フィッシャー) この二つの写真は世界選手権が行われた1972年に

撮られたものだが、当時フィッシャー自身結婚しておらず、上の写真は誰か友人の家にいたとき

のものと思われる。ただこのような家庭的な雰囲気の写真はフィッシャーにしては非常に珍しい。

下の馬とフィッシャーの写真は世界選手権中の休息日に撮られたもので、このページのトップの

写真も同じである。



 







フィッシャー13歳の時の名局 "The Game of the Century" 


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




FischerByrne1956.pgn へのリンク










1992年 フィッシャーとスパスキー(ベオグラード)

「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 ボリス・スパスキー

ガルリ・カスパロフ「決定力を鍛える」より引用

 







チェスこそわが命 ロバート・ジェームズ・フィッシャーについて JCA会長代理 渡井美代子
(映画「ボビー・フィッシャーを探して」パンフレットより引用)



私が始めてボビーこと、ロバート・フィッシャーに出会ったのは1973年10月でした。日本で

スパスキーとのりマッチを企画するためお忍びで来日した時、当時のナショナルチームの一

員として権田源太郎全日本チャンピオン(当時)たちと一緒に松本さん(故JCA会長)に紹介

されたときでした。ボビーは大の日本ビイキとなりその後も数回来日しています。その折々、

そして私がアメリカを訪れた際などいつもチェスの相手をしていただきました。決って10手位

指して次は私の番になると「ツークツワンク」で全く身動き出来なくなります。まるで魔法にか

かったみたいになるのです。



◎ボビー・フィッシャー、3月9日シカゴにて生まれました。2才の時両親が離婚、母親と姉と

ボビーはブルックリンへ移りますが、姉がチェスを教えました。丁度USCF(アメリカチェス

協会)に導入されたばかりのレイティングに夢中になったボビーを母親が毎日チェス・クラブ

へと連れて行きました。



◎アメリカにチェスの土壌を培ったモルフィカパブランカレシェフスキィは皆、早熟な天才

児達でした。これに対しボビーは12才までは「チェスが大好きでちょっと強い子供の一人」

にすぎませんでした。小学校を登校拒否。チェスの著書を読むために気違いのように語学

(スペイン語、ロシア語、ドイツ語)の独学を始めます。当時は英語の著書には高度な文献

は少なく、強くなるためにはまず語学が必要だったのです。



◎脅威の14才でアメリカチャンピオンになり、翌年15才でGM(グランドマスター)となりモーフィ

以来百年に一人の天才少年と騒がれたのも類を見ない集中の成果でした。



◎1959年世界チャンピオン挑戦者決定戦に進出します。前に大きく立ちはだかるのはソ連軍

団です。ソ連棋士たちがひしめく大会で、当時ボビーは標的にされ徹底的にイビラレます。

ソ連人同士の対戦では体力をセーブし、全員ボビーを必死の勢いでツブシにかかります。

他のスポーツと同じようにソ連の棋士の一人一人には多数のセコンド、通訳、医師、心理学

カウンセラー、対戦局面解析者、統計学者らがスクラムを組んでサポートしました。自由圏

から紛れ込んだ個人プレーのボビーが8勝1敗9引き分けで5位に食い込んだことに対して

は当然大きな賞賛が起こりました。



◎1962年インターゾーン(ストックホルム)に優勝。2度目の挑戦者決定戦では同じくソ連棋士

達にブロックされて8勝7敗12引き分け4位。



◎1963ー64年アメリカ選手権で11戦11勝。引き分けの多い最高棋戦に完全優勝したこと

で、世界をアッといわせます。



◎1960年ライプツイヒ、1962年バルナ、1966年ハバナのオリンピックに参加して、ボビーは

ファンを増やして行きました。



◎1967年のインターゾーンでは、10局指しただけで棄権。その後1970年に復帰するまで実

戦界から姿を消します。



◎1970年「世紀のチェスマッチ、ソ連対自由圏全世界」。自由圏2将としえ登場したボビーは前

世界チャンピオンのペトロシアンを3対1で破り実力を示します。日本チームが初めて参加した

1970年シーゲンオリンピックでは世界ジャーナリズムの注目を浴びて世界チャンピオン・スパ

スキーと対戦し敗退。



◎ボビーはこの年、世界チャンピオンへの道をばく進します。挑戦者決定勝ち抜き戦GMタイ

マノフ(ソ連)、GMラルセン(デンマーク)をそれぞれ6対0で撫で斬りし、「鋼鉄のペトロシア

ン」も6.5対2.5で降ろして挑戦者になりました。GMを相手に14連勝のこの記録は人々の

度肝を抜きました。マスコミは「フィッシャー熱(対戦者はしょう紅熱みたいにこの病気に感染

して力を失う)が世界に流行した」と書き立てました。この記録は今後も絶対に破られないで

しょう。



◎スパスキーと世界選手権マッチは1972年レイキャビックで行われました。これ迄ボビーは

スパスキーと3度対戦して3敗の成績です。世界中のチェスファンがレイキャビックに釘づ

けされました。マスコミも「盤上の米ソ対決」と沸きました。スパスキーには例によって軍団

が付いていますが、ボビーは影ばかりのたった一人のセコンド、GMランバディを連れただ

けでした。



◎第1局スパスキー勝ち、第2局ボビーの棄権でスパスキー不戦勝、と早くも0対2.予期もし

ないスタートに多くのチェスファンがボビーの勝利を危ぶみました。



◎キッシンジャーが徹夜でボビーと語り合い、鼓舞したのは有名な事実です。



◎第3局ボビーが勝ち、第4局引き分け。第5局第6局もボビーが2連勝。さあこうなると止まり

ません。第7局引き分け、第8局ボビーが勝って3対5と大逆転。



◎24番勝負のうち21局が終わったところで7勝3敗11引き分け、ボビーの圧勝となり、第2次

大戦後初めて自由圏待望の世界チャンピオンが誕生しました。



◎ボビーはFIDEにチャンピオン・マッチの改革を要求しました。今のように対局数を21番と区

切ってしまっては必ずしも強い方が絶対に勝つとは言いきれない。



◎[局数を無制限にし、引き分けを数えずに10勝したものを勝ちにする]と言う提案はしかしFID

Eに受け入れられませんでした。ボビーは戦わず若い挑戦者カルポフに王位を譲り、再び

チャンピオンはソ連のものになりました。ボビーは姿を消しました。



◎ボビーは世界中にチェスブームを放ちました。その10年後自由圏からも沢山の若い棋士が

続出しました。ボビーの残した偉大な遺産です。しかしボビー以降、今だに旧ソ連軍団の厚い

壁を突破したものは誰も出てきません。



◎快適な生活を楽しめる人々にとって、チェス以外の全てを犠牲に「チェスこそわが命」、求道

者としてひたすら精進をした者のみにしか与えられない無冠のタイトルをボビーは唯、一人

持ち続けました。



◎1992年9月、私はボビーから「ベオグラードに来て欲しい」という電話を受けました。ユーゴ

スラビアでは丁度国連制裁が始まり、新聞には戦雲ただならぬ状況が毎日報道されていた

時でしたが、意を決して私はボビーを訪れました。スパスキーとのりマッチに20年間の空白

を物ともせず姿を現したボビーは64日間、賞金6億円を賭けた熱戦の末、10勝5敗15引き

分けで見事カムバック、20年前の王座をあざやかにも防衛しました。



◎世界でたった一人ボビー自身から招待されて、ベオグラードでのマッチの終始を観戦した私

は、その後映画の話にあるようにユーゴスラビアの旧国王や首相との拝謁に同伴する栄誉

にも浴しました。私が日本に帰った後、ボビーがまた姿を消してしまったことを知りました。

 
 




グリゴリッチ(35歳)とフィッシャー(15歳) 1958年

フィッシャーにとって、グリゴリッチは生涯を通じて心が結びついた数少ない友人の

一人で、1992年のスパスキーとの再戦前には、彼とチェスの時間を共にする。


 



 20年ぶりの復活、その記念すべき第1局

Robert James Fischer vs Boris Spassky
Fischer-Spassky II 1992 · Spanish Game: Morphy Defense. Breyer Defense Zaitsev Hybrid (C95) · 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




fischer_spassky_1992.pgn へのリンク









ボビー・フィッシャーの写真集 「Bobby Fischer against the World」 Harry Benson 写真・文
 より引用


 





The Chess Art Of Carina Jorgensen - Chess.comより引用
 



 

Fischer(右) - Spassky 1972年世界選手権時の写真



このアイスランド・レイキャビクで行われた、世界一の座を賭けた二人の天才の対決の

様子は「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社という本に

詳しく描かれています。1975年に世界選手権でカルポフとの対局を拒否してチャン

ピオンの称号を剥奪されたフィッシャーは、経済的には困窮しながらも20年間対戦

相手なしに耐え孤独な研究を続けていました。しかし1992年突然「フィッシャー、20

年ぶりのカムバック」という記事が世界中を飛び回りました。日本では新聞の片隅に

しか載りませんでしたが、世界ではビッグニュースだったのです。現在のチャンピオン

カスパロフ(ロシア)などはフィッシャーを神様のように崇めて成長してきました。その

フィッシャーの試合を再び見ることが出来る。世界中の多くのチェス愛好者の目と耳は

ユーゴスラビアに集中しました。相手は前のチャンピオンで1972年の世界選手権で

戦った宿敵スパスキイ。ここでの詳しい模様はフィッシャーと親しい渡井美代子さんが

書いた「最新 図解チェス」日東書院に詳しく書かれています。渡井さんは日本チェス

協会事業部代表でありながらも、数々の国際大会を経験し国際女子マスター(WIM)

並びに国際審判(IA)のタイトルを獲得した方です。フィッシャーから招待された渡井さ

んが、身近にこのユーゴスラビアでの決戦の様子を見聞きした貴重なものです。そし

てこの試合からまた身を隠していたフィッシャーですが、その後ラジオのインタビューを

受けその模様がインターネットで流され物議をかもしだしました。彼自身ユダヤ人の

血を持っていながら、ユダヤ社会には敵対しています。彼の棋譜や肖像を使って私腹

を肥やすユダヤの人々を攻撃しますが、彼にとってチェスは人生そのものであるだけ

に、それを商売目的で無断で利用されることに憤っているのかも知れません。ただ、

ホロコーストに関してのフィッシャーの意見には賛成できません。しかし、彼をそこまで

追いこませたものとは一体何だったのでしょう。


 


左の画像は1972年アイスランド・レイキャビクで行われた世界選手権(左がチャンピオン・

スパスキー右が挑戦者フィッシャー。右の画像は1992年、国連の制裁を受けていたユーゴ

スラビアにおいてアメリカ政府の警告に反しスパスキーとの再戦を表明するフィッシャー。二つ

の画像共、テレビ朝日「100人の20世紀」(2001年3月4日放映)から引用。





「最新 図解チェス」松本康司監修 渡井美代子著 日東書院 より引用

フィッシャーは世界中のプレスを前にして、アメリカ政府からの警告書に唾を吐き

ました。警告書は商務長官からの命令で「アメリカ国民としてのプロ棋士である

フィッシャーがユーゴスラビアでチェスをすることは国連で制裁中の国に対する

技術の輸出行為に該当するゆえこれを禁止する。違反した場合は禁固10年の

刑に処し25万ドルの罰金を科す」という厳しいものでした。アメリカへ帰れなくなっ

たフィッシャーはそのままベオグラード市に残っています。スパスキィはブタペスト

からウィーンへ向かいました。フランス政府はロシアから帰化した元世界チャンピ

オンの新しい祖国への帰国をもう許さないといいます。フィッシャーは誠実の人で

す。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い

違いであったとしても)絶対に信用しません。フィッシャーを奇人だという人がいま

す。それはそうです。一芸に達する人は皆偏執者で、一般常識から見れば奇人

です。しかし、フィッシャーには一人よがりのわがままはありません。常識は常識

以上にわきまえています。フィッシャーは確かに被害妄想があります。しかし次の

事実は妄想ではありません。(中略) フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に

応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と食事するという約束は何があっ

も一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。フィッシャーと

2ヶ月間の毎日は、非日常的なことの連続でした。 渡井美代子





2004年7月13日、フィッシャーは成田空港で出国の際に、無効なパスポートを

もって入国したとして、入管法違反で上陸許可を取り消され、8ヶ月間東日本入国

管理局に拘留されました。しかし2005年3月24日、アメリカの引渡し要求に屈する

ことなく、多くの関係者の尽力によりフィッシャーはアイスランド市民権を得、同国に

出国しました。詳しくは日本チェス協会のサイトをご覧になって下さればと思います。

2008年1月17日、アイスランドにて腎臓病のため64歳の波乱に満ちた生涯を閉じ

ました。チェスの盤面と同じ64でその命を終えたフィッシャーの名前と残した棋譜は

いつまでもチェスプレーヤーの心に残り続けていくことでしょう。




 
 



「天声人語」朝日新聞2004年8月19日朝刊 より以下引用


「10年ほど前、「ボビー・フィッシャーを探して」という題名の米国映画が公開された。チェスに才能

を見せる少年を描いた作品だ。題名の人物は、実在するチェスの元世界チャンピオンである。

一時は米国の英雄ともてはやされたが、忽然と姿を消し、もはや伝説の存在に近かった。先月、

彼が成田空港で拘束されたという報は世界をめぐった。不法入国をしていた疑いである。米国に

とっても彼は「お尋ね者」だった。強制送還されるかどうか、世界のメディアが注視している。「私

を逮捕してボビーと同じ部屋に入れてください。チェスの道具と一緒に」。ブッシュ大統領あてに

そう懇請したのは、宿命のライバルともいえるボリス・スパスキーさんだ。旧ソ連時代の世界チャ

ンピオンである。72年、世紀の対決と騒がれた対局でフィッシャーさんにタイトルを奪われた。2人

は92年に旧ユーゴで再戦、この時もフィッシャーさんが勝った。米国は経済制裁下の旧ユーゴで

の対局を容認せず、フィッシャーさんを起訴、以来彼は「逃亡生活」をしていた。その間、反米的

発言で米政府を刺激したこともあった。「彼は悲劇的な性格の人だ。恐ろしく非社交的で、普通

の基準には合わない。いつも自分の損になることばかりしている」。スパスキーさんは宿敵につ

いてそう言いながら寛容な措置を乞うた。チェスの試合では引き分けが多い。チェスの名人を

めぐって今後、日米間の綱引きもあるだろう。強制送還ではなく、せめて引き分けに持ち込めな

いものか。チェスファンの願いだろう。」








 「伝説のチェス王者」フィッシャーを救え 文藝春秋 2004年11月号

私が小泉首相あてに嘆願のメールを送った理由 羽生善治




 





Images Collection Bobby Fischer より引用

2010年6月19日、アイスランド最高裁はボビー・フィッシャーの相続権(約1億8千万円)

を巡り、親子関係を主張するフィリピン人少女(9歳)の主張を認め、フィッシャーの墓

を掘り起こして遺体の一部を採り、DNA鑑定するよう医療機関に命じました。過去に

フィッシャーと交際のあったフィリピン人女性が、「9歳の娘はフィッシャーとの子供」との

主張をしており、その真偽を確かめるための命令だそうです。フィッシャーの遺産相続

に関しては、2004年日本で入管法違反の疑いで収容されていた時、アメリカへの強制

送還を避けるため日本チェス協会会長代行の渡井美代子さんがフィッシャーとの結婚

を宣言した経緯があります。渡井さんとフィッシャーは昔からの親友であり、フィッシャー

にとって渡井さんは心から信頼できる人だったようです。2010年8月17日、DNA鑑定の

結果が公表され、この9歳の少女の父親がフィッシャーでないことが明らかとなったそう

ですが、フィリピン女性は娘の父親がフィッシャーでないことは承知していたはずです。

それにも関わらず、フィッシャーの墓を掘り起こすことを裁判所に訴えたことは死者を

冒涜するものでしかないと思います。そして2011年3月3日、レイキャビク地方裁判

所は渡井さんがフィッシャーの妻であることを認め、唯一の遺産相続人である決定を

下しました。フィッシャーが生きた空白の20年(1972年~1992年)の最初の時期

(1973年)に初めて出会ったフィッシャーと渡井さん、そしてスパスキーとの再マッチ

(1992年)以降のフィッシャーを知る数少ない一人である渡井さんが、何らかの形で

この空白の時を埋めてくれることを望んでいます。


チェス「キングとクィーン」 太古の伝説と未来(北欧神話より) を参照されたし。

 





Un anno senza Bobby su Bobby è leggenda より引用


フィッシャーチェス界に遺した遺産

考案者ボビー・フィッシャーの名前を冠してフィッシャー・ランダム・チェス(Fischer

Random ChessまたはFischerandom Chess)、最近ではチェス960(Chess 960)、

フルチェス(FullChess)と呼ばれるもので、「序盤定跡の記憶や準備に頼らず、創造

力と才能で勝負が決まるようなチェスの変種を作ることであり、そのためにチェスの

初期配置をある一定の条件の下にランダム化した」(ウィキメディアより引用)もの

で、1996年6月19日に発表されました。最初のトーナメントは同じく1996年にユーゴ

スラヴィアで開催され、グランドマスターピーター・レコが優勝しました。確かにトップ

プロは序盤の僅かな有利さを築くために、日々進化する定跡の研究に多くの時間を

割いておりましたが、この定跡から解放され、初手から創造性と客観性、戦略と戦

術の戦いを要求されるのです。今後、このフィッシャー・ランダム・チェスがチェス界

にどのような影響を与えるのか、とても関心があります。



Tarjei J. Svensen(@TarjeiJS) | Twitter

Fischer Random Chess Carlsen vs Nakamura 2018年2月 カールセンが14対10で勝利
壁の写真はフィッシャーの墓が飾られている。



Fischer_Random_Chess_Nakamura_vs_Carlsen_2018_02_11.pgn へのリンク

このマッチの全棋譜16局(1~8局の持ち時間は40手まで各45分+終局まで15分、9~16局は1手5秒のブリッツ)
Fischer_Random_Chess_Carlsen_vs_Nakamura_2018.pgn へのリンク




フィッシャースタイル(Fischer style) 或いは、フィッシャーモードと呼ばれる持ち

時間設定は、フィッシャーが考案したもので定められた持ち時間に加え、一手

毎に決められた時間が加算されており、秒読み指しきりの問題点を解消した

画期的な持ち時間設定方法です。現在では多くのチェスクロックに搭載され、

また実際にトーナメントでも使われるようになっています。持ち時間切迫による

失着など、純粋な論理的勝負からかけ離れたところで勝負がつくことはチェス

には相応しくありません。たとえ持ち時間ゼロになっても次の一手に何秒か何

分か(そのトーナメントでの設定によって異なる)考える時間を提供することで、

純粋な論理的勝負をある程度保証することが出来ます。現在では、チェスに限

らず将棋・囲碁にもこのフィッシャースタイルが浸透しつつあります。





チェスの世界選手権やトーナメントにおいて、おおむね2時間30分(両者合わせて5時間)の

持ち時間が設定されているが、これは継続した人間の集中力が5時間までしか持たないと

いう科学的根拠に基づくものであり、それを過ぎると純粋な知性の勝負ではなく、体力・気力

が加味された知性の勝負とは関係のない試合になってしまう。



日本の囲碁・将棋で見られる長時間の対局(将棋の順位戦の場合、各6時間で12時間、囲碁

は各5時間で10時間)もの対局を強いられる。これらの勝負は、知性だけの勝負を目的とした

ものでなく、知性・体力・気力など全人間的な戦いを想定したものであるが、国・文化・各人に

よっていろいろな考え方があるのかも知れない。ただ、私にはこのような長時間の戦いの設定

は純粋な知性の戦いとは思えないし、日本の囲碁が中国・韓国に完全に抜き去られてしまった

背景には、純粋に知性だけに絞った戦いを軽視し過ぎた結果であるように感じてしまう。

 (2016年12月)


 


チェスの歴史上、最強の人間は誰だったか、それは人の感性や棋力により答えが異なるのは当然かと

思います。現在のレーティング(強さの数値)で判断すると、必ず現在の棋士がトップに来ますが、それは

チェスのイロレーティング(Elo rating)が年に数%づつインフレを起こしているためです。ですから最も公平

な見方は、同時期に存在した多くの名人たちとの比較などでしか判断できないかも知れません。例えば時

代別にA・B・Cの名人を並べると、AとB、BとCは対戦が多く優劣の判断はできるが、AとCは対戦したこと

がない。このような場合、AとC、どちらが強いかを判断するには、Bの存在で測ることも可能です。AとBの

勝率、BとCの勝率などで、AとCの力関係を推察することができる。しかし、この比較も名人と言えども全盛

期とそうでない時期、そして相性の問題も当然あるのでやはり確定することはできないように思います。私

個人としては、モーフィーカパブランカフィッシャーがチェス史上最強かと思いますが、カスパロフに関し

ては序盤研究のプロ集団を雇っていた彼にはその資格はないと思います。そして大事なことは、たまたま

チェスに接することがなかっただけで、その素質は彼らより上という人間も人類誕生から今日まで沢山いた

ことを忘れてはいけないと思っています。


2013年1月31日 K.K











偉大な二人の天才

シュタイン(右)の対局を後ろから観戦するフィッシャー。シュタインはユダヤ人の血を

ひくウクライナ出身(旧ソ連)で、世界チャンピオンになる位困難と言われるソ連チェス

選手権で3回もの優勝を果たしますが、心臓発作のため38歳の若さで亡くなりました。


 

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古本においては、Amazonが一番充実しているかも知れません。


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チェス文献は「毒舌風チェス上達法」に詳しく書いてあります。



「完全なるチェス
天才ボビー・フィッシャーの生涯」
フランク・ブレイディー著、佐藤 耕士・訳 
羽生 善治・解説

中味拝見

フィッシャーと長年親交のあった、ブレディー
によるフィッシャーの伝記本「ENDGAME」。この
本が2013年2月15日に日本語版として発売され
ました。

2001年9月11日、同時多発テロの日。
「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! 
アメリカなんてくそくらえ!
ユダヤ人なんかくそくらえ! 
ユダヤ人は犯罪者だ。
やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、
嘘つきのろくでなしだ。
ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。
あんなの一言も真実じゃない。
今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 
泣きわめけ、
この泣きべそかきめ! 
哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 
おまえたちの終りは近いぞ」

これはイスラム過激派の言葉ではない。この
言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたっ
た一人で立ち向かい、チェスで勝利した男・
ボビーフィッシャー
(ユダヤ人の血をひくアメリ
カ人)が発したものである。

チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはや
された男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確
には追いつめられたと言ったほうがいいのだろう。

妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事
の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、
彼の名声やお金に与ろうする人間によって傷つ
けられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕ん
でいく。


本書はフィッシャーと長年親交があった人が書い
たフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲
劇の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の
天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、
チェス盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャー
の人生そのものがチェス盤そのものに映し出され
たような錯覚に陥ってならなかった。



「ボビー・フィッシャー 魂の60局」
ボビー・フィッシャー著 水野優訳 評言社

「伝説の世界チャンピオンが遺した『世界で
最も多く読まれたチェス最高傑作』初の邦訳」

本書帯文より引用
中身拝見

左の文献の日本語訳。水野優さんはこれま
で名著と言われるチェス本を2冊邦訳されてき
たが、この「ボビー・フィッシャー 魂の60局」
は名著の中でも優れた存在で、フィッシャー自
身のコメントを通してチェス名人が何を考え迷っ
たかを感じ、そしてその解析力にまるでフィッシ
ャーの横に座って対局中のチェス盤を見ている
ような錯覚を覚えてしまう。単なる高度な解析だ
けでなく、そこにフィッシャーという一人の人間性
を垣間見ることが出来からそう感じてしまうの
かも知れない。素晴らしい文献を翻訳されたも
のだ。
 
 




「完全なるチェックメイト」
(中身拝見)

以下、商品説明より引用
『スパイダーマン』のトビー・マグワイアと『ラスト
サムライ』のエドワード・ズウィック監督が贈る!
アメリカVSソ連による盤上の第3次世界大戦勃発!
国の威信をかけた、究極の頭脳戦の真実を明ら
かにする衝撃の実話! 手に汗握る攻防戦! 圧巻の
勝負と驚嘆の真実に絶賛の声が続々!

【特典映像】
・メイキング
・インタビュー(監督、トビー・マグワイア、マイケル・
スタールバーグ、スティーヴン・ナイト)
・予告編集
・キャスト&スタッフ プロフィール(静止画)
・プロダクションノート(静止画)

【キャスト】
トビー・マグワイア
ピーター・サースガード
リーヴ・シュレイバー
マイケル・スタールバーグ
リリー・レーブ
ロビン・ワイガート

【スタッフ】
監督・製作:エドワード・ズウィック
製作:ゲイル・カッツ、トビー・マグワイア
脚本・原作:スティーヴン・ナイト
撮影:ブラッドフォード・ヤング

【ストーリー】
米ソが世界を二分していた冷戦時代。1972年に
アイスランドのレイキャビクで開催されたチェスの
世界王者決定戦は、両国の威信をかけた“知"の
代理戦争として世界中の注目を集めていた。
タイトルを24年保持してきたソ連への挑戦権を
獲得したのは、アメリカの若きチェスプレイヤー、
ボビー・フィッシャー。
IQ187を誇る天才で15歳にして最年少グランドマス
ターとなった輝かしい経歴の持ち主だが、その
思考は突飛で、行動は制御不能。謙虚さのカケラ
もない自信家で、自分の主張が通らないと大事な
ゲームすら放棄する。
そんなモーツァルトにたとえられる奇行の天才が
相対するのは、最強の王者、ソ連のボリス・
スパスキー。
対局一局目、スパスキーに完敗するフィッシャー。
残り二十三局、絶対不利と見られたフィッシャー
は極限状態の中、常軌を逸した戦略をうちたてる。
二大国家の大統領もフィクサーとして影で動いたと
言われる、歴史を揺るがす世紀の一戦で生まれた、
今尚語り継がれる<神の一手>の真実が明かされるー!


   
 
「My 60 Memorable Games」
Bobby Fischer著 Faver(英語)
中身拝見

フィッシャー自身が自局を分析した名著。
自分の負けたゲームを取り上げるなど、
チェスへの真剣な愛情、誠実さが感じら
れる。版権などの問題で絶版になってし
まい、古本では高価な値段が付いてい
ましたが、2008年
12月8日に再販され
ることになりました。
「Bobby Fischer's Games of Chess」
Bobby Fischer 著 ・ Sam Sloan 序論
中身拝見

フィッシャー単独で書いた唯一の本で、
1959年に出版されましたが絶版となり、
2008年に復刻されたものです。この文献
には1957年~1958年に行われた全米
チェス選手権の彼の全試合13試合が、
彼の解説と共に収録されています。

またドナルド・バーンとの「世紀のゲーム」や、
ユーゴスラビアで開催された1958年のインター
ゾーナル・トーナメントでのフィッシャーの21局
(解説なし)が掲載されています。この全米選手
権時、フィッシャーはわずか14歳の少年でした
が、強豪のレシェフスキーなどを抑え8勝0敗5分
けで優勝しています。

若き日のフィッシャー、14歳のチェス思考がどの
ようなものであったのか、当時の彼のチェスを
知るには貴重な文献かも知れません。

 


ボビー・フィッシャーの生涯を追った
ドキュメンタリー映画

ボビー・フィッシャー 世界と闘った男 [DVD]
中身拝見


ボビー・フィッシャーの幼少の頃からその
死まで追ったドキュメンタリー映画で、貴重な
証言や映像を交えながらフィッシャーの実像
に迫った試みは素晴らしい。2014年にNHKが
「NHKスペシャル」として独自に取材したドキュ
メンタリーも良かったが、この「ボビー・フィッ
シャー世界と闘った男」には、世界選手権の
時にフィッシャーに対戦するよう要請したニク
ソン大統領補佐官キッシンジャーや選手権時
の主審シュミット、フィッシャー死後に彼の
写真集を出版したハリー・ベンソンなど、彼を
身近に知った人による貴重な証言が臨場感
を盛り上げてくれる。

この日本語版DVDは、2015年12月25日から
全国で上映される「完全なるチェックメイト」
映画に先行して12月2日に発売されたもので
ある。



  「Bobby Fischer
Against the World」
 
Harry Benson 写真・文
中身拝見

雑誌「Life」など多くの雑誌で活躍した著名な
写真家・Harry Bensonによるフィッシャーの写真
集。恐らくチェスプレーヤー、一人に焦点を当て
た写真集が出るのは、長きチェスの歴史の中
でも最初のことであり、チェスファンだけに留ま
らず、如何に世界中の多くの人間がアイスラン
ドにおけるチェス世界選手権に目が釘付けに
なったかを垣間見ることができる。写真家であ
るハリー・ベンソンはこの文献でフィッシャーの
ことについてこう述べている。「私の写真家生活
の中で、彼は最も気難しい人間でありながらも、
最も魅了された人間だった」。

この写真集の多くは1972年の世界選手権の時
の休息日に撮られたものである。私達が知って
いる対局場面のフィッシャーではなく、花や馬と
心通わせるフィッシャーなど意外な一面をうかが
うことができる。またそれとは逆に悲壮感や
孤独感が漂う表情も混在している。恐らく写真家
ハリー・ベンソンはこの混在した世界を併せ持つ
フィッシャーに魅せられたのだろう。

この写真集は、フィッシャー・ファンだけに留ま
らず、チェス・ファンにとっても貴重な証言記録
として後世に残り続けるに違いない。

尚、同じ題でフィッシャーのドキュメンタリー
映画
も出ているが、これも実に素晴らしい。

 
「白夜のチェス戦争」
ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社
中身拝見

1972年のスパスキイ対フィッシャーの戦い
は米ソ両陣営の威信をかけた戦いであり、
壮絶な心理ドラマであった。
本書はこの白夜の町で戦われた二人の天才
の軌跡を追うと共に、チェスの歴史をたどり
孤独なチェス頭脳のメカニズムにもメスを
入れた名著。残念ながら絶版である。
 

 

「Bobby Fischer」
The Career and Complete Games
of the American World Chess Champion
 
Karsten Muller 著
中身拝見

ボビー・フィッシャーの1955年から1992年まで
の全試合735局を詳細な解説付で紹介した素晴
らしい文献。これまでフィッシャーの全試合を記録
した
「The Games of Robert J. Fischer」があった
が、1992年のマッチは含まれておらず、また解説
も本書の方が詳しい。

少年時代からチャンピオン、そして1992年のマッ
チまでフィッシャーの足跡を辿るには最適の文献
である。 

 
  「Bobby Fischer rediscovered」
Andrew Soltis著(英語)
中身拝見

恐らくフィッシャーの735局全てを並べ検討した
人間は数少ないであろう。大抵は名人達の名局
集などからフィッシャーの詳細な分析された試合
を見るに留まる。この文献を見ると、今まで名局
集などに掲載されていない対局が多くあるのに
気がつく。しかもそれがフィッシャーらしい鋭い
感性に溢れたものが多いのに驚かされる。著者
が如何にフィッシャーの棋譜に精通し、しかも
真剣に分析したかの証明だろう。この文献には
1956年から1992年まで100局を選んでいるが、
この選局集はフィッシャーがフィッシャーたる
所以を、伝説のチェス棋士が伝説である所以を
納得させる名著だと思う。フィッシャー・ファンで
なくてもチェスの真髄を知らしめる文献の一つに
違いない。
 

「ボビー・フィッシャーのチェス入門」
ボビー・フィッシャー著
中身拝見

私をチェスに夢中にさせた罪深い(?)
本です。たとえ幼稚園の子どもだって
読めます。図が大きく字も少ない、そして
構成も次第にチェスの醍醐味を感じさせ
てくれる内容となっています。この本を
通してチェスにはまった人も多いのでは
ないでしょうか。この本を書いた一人は、
今では伝説的な世界チェス・チャンピオン
のフィッシャーです。


2010年3月16日、新装版として再販され
ました。
 
「Russians versus Fischer」
Dmitry Plisetsky、Sergey Voronkov著(英語)
中身拝見

フィッシャーと対戦した最強のソ連軍団のラ
イバルたちのゲーム(158局)の詳しい分析と、
フィッシャーのチェスに対しての感想やエピソ
ードが含まれている。実はこの文献は、KGB
(ソ連国家保安委員会という情報機関・秘密
警察)、ソ連スポーツ委員会、ソ連チェス連盟
への報告内容を公開したものであり、ソ連軍
団の最強の棋士達(ボトビニク、タル、ペトロシ
アン、スミスロフ、ケレス、ゲラー、ブロンシュタ
イン、コルチノイ、グーフェルドなど)が分析・
コメントしている。

ソ連軍団の多くが若きフィッシャーの輝く才能
に驚いていたことは彼らのコメントから読み取
れる。またそれは、読者にとってもフィッシャー
のゲームを理解するうえでも最良の資料を提
示しており、多くのフィッシャーに関する文献の
中でも最高という評価をしている人もいる。フィ
ッシャーとスパスキーの世界選手権、ソ連とい
うチェス大国が総力を上げてフィッシャーを分
析・準備したのに対し、たった一人で立ち向か
い勝利したフィッシャーの偉大さを改めて実感
してならない。



  「Bobby Fischer:
from Chess Genius to Legend」

Eduard Gufeld著
中身拝見

旧ソビエトの著名なグランドマスターが知る
素顔のフィッシャー。この本を読む限りフィッ
シャーは共産主義に対しては嫌悪感を持っ
ていたが、個々のソビエトのプレーヤーに対
しては友人として接していた。各競技会前後
のインタビューなどを通して語られる新たな
フィッシャー伝。棋譜の解説は多くはないが、
読み応えがある好著。

2002年にこの本は出版されたが、著者は言う。
「真のチェスの天才と呼べる者はフィッシャー
シュタインだけだ」と。確かに序盤の研究に
プロ集団を雇っていた前のチャンピオン、カス
パロフではないことは確かかも知れない。
 
「A legend On the Road
Bobby Fischer's 1964 Simul Tour」

John Donaldson著

中身拝見

フィッシャーが全米各地、1964年に行った
同時対局のツアーの棋譜が解説と共に200局
収められている。一人で、数十人を同時に相手
にするものだが、一人につき考える時間は数秒
しかない。それでも94パーセントの勝率を収めて
しまうことも凄いことだが、レイティング2000以上
の相手を拒否してしまうカスパロフを初め多くの
グランドマスター達の同時対局に対し、州のチャ
ンピオンなどレイティング2000以上の強豪など、
対戦相手を排除することがなかったフィッシャー
の偉大さを改めて実感させてくれる文献。
また、考える時間が極端に短い中、直感的に
フィッシャーがどのような手を思い浮かんだのか、
その感性を探る意味においても貴重であると
思う。

   
 
「BOBBY FISCHER Profile of a Prodigy」
Frank Brady著 Dover(英語)
中身拝見

フィッシャーの伝記と厳選した90局の
棋譜の解説。


Endgame:
Bobby Fischer's Remarkable Rise and Fall
- from America's Brightest Prodigy to the
Edge of Madness」

Frank Brady著 Dover(英語)
中身拝見

左の文献の完結編とも言えるもので、
フィッシャーの後半の半生を描いている。

フィッシャーと長年親交のあった、ブレディー
によるフィッシャーの伝記本「ENDGAME」。この
本が2013年2月15日に日本語版として発売され
ました。

 
「The Games of Robert J. Fischer」
Wade and O'connell編集 Batsford(英語)
中身拝見

フィッシャーが残した770局全ての棋譜と
解説、フィッシャーの写真。1972年以降、
チェス界から姿を消したフィッシャーだが、
その数年後、コンピューターと対戦しており、
その試合も掲載されている。1992年の
スパスキーとの再マッチは掲載されてい
ない。
「Chess Exam: You VS. Bobby Fischer: 」
Matches Against Chess Legends,
Play the Match, Rate Yourself,
Improve Your Game

中身拝見

とてもユニークな本である。フィッシャーが
負けたか或いは引き分けた試合から60の
局面を再現し、フィッシャーは悪手を指した
が、あなただったらどんな手を打つ?という
スタンスに立つ好著である。本書にはその
局面の評価(4段階)、そして考えらる指して
(4段階)から自分で解答を出さなければなら
ない。また自分の解答に詳しい説明と点数
が与えられ、自分の棋力を知ることが出来
る。そして遊び心もあり、実際フィッシャーが
指した手の点数と、自分の点数を比較して
フィッシャーに勝つことが出来るかと読者を
引き込むことに成功している。本書は初級
者から上級者まで、60の試験を受けながら
上達を目指す工夫がされ、フィッシャー・ファ
ンでなくとも一読に値する価値を持っている。

 
「ボビー・フィッシャーを探して」 
フレッド・ウェイツキン著
 若島正・訳 みすず書房

中身拝見

チェスの神童ジョッシュとその父親である著者
が、伝説的棋士ボビー・フィッシャーへの憧憬を
胸に歩んだ道のりを描く。

6歳でチェスを始め、子供らしい無邪気さでチェス
に取り組みながら加速度的に強くなる息子
ジョッシュ。その眩ゆいほどの才能に父親は深く
いれ込み、幼い息子はそんな周囲の思いに多感
に反応しつつも、仮借のない勝負の世界を懸命
に生き、成長してゆく。

ときに公園の片隅で、ときに世界タイトル戦の場
で、さまざまな棋士たちが味わう栄光と悲哀の
物語が、父子の道程と交錯する。そこには、
冷戦の構図をはじめとして棋士の境遇や対局の
質に影響を及ぼす種々の社会事情が、色濃く
映し出されている。

チェスの高峰を目指す父子の歩みはどこへ
至るのか。ライバルたちとの息詰まる対局の
行方は?
チェスの奥深さに魅入られた人々の興奮と葛藤
をこのうえなく切実なタッチで写し取り、映画化
もされた珠玉作。
(本書より引用)
  映画「ボビー・フィッシャーを探して」
中身拝見


2008年1月17日アイスランドにて64歳
にて亡くなった伝説的なチャンピオン・
フィッシャーを題材とした映画。フィッシャー
に憧れる少年とその家族の心の葛藤を描い
た作品で、前編を通してチェスの場面が登場
するお勧めの映画です。尚、この物語は左の
実話を基にして作っています。


主人公がライバルに勝つ局面は、アリョーヒン
カパブランカの世界選手権(1927年)の第
32局目を彷彿させるものでした。

アメリカ映画協会(en:American Film Institute;
AFI)が2006年、アメリカ映画100年を特集した

「感動の映画ベスト100」の中にこの「ボビー・
フィッシャーを探して」が選出されている。

映画の基となった文献「ボビー・フィッシャーを
探して」フレッド・ウェイツキン著の日本語版は
こちら

 

「Bobby Fischer:
The Five Million Dollar Comeback」

中身拝見

フィッシャー、スパスキー、今までのスタイルを
紹介しながら、20年ぶりに復帰した1992年の
フィッシャー、そして対戦相手のスパスキーと
の30局全てを解説する。

「Garry Kasparov On Fischer
中身拝見

前の世界チェスチャンピオン・カスパロフ
が1834年からの各時代のチェス名人た
ちの棋譜を詳細に分析したもの。全5巻
もあり、チェスファンにとってはたまらない
ものですが、中・上級者向けの本かも知
れません。この第4巻は主にフィッシャー
を分析したものです。
 
「最新 図解チェス 必勝の手筋」
中身拝見

渡井美代子著松本康司監修 日東書院
国際女子マスター(WIM)である著者が
初心者向きに駒の使い方から、世界チャ
ンピオンの妙手まで優しく解説する。
またフィッシャーと親交があり、20年ぶり
に復活したフィッシャーの招待を受けユー
ゴスラビアに行き、その闘いの様子を
記した貴重な証言もある。監修者の松本
康司氏は国際チェス連盟(FIDE)の理事や、
チェスオリンピックなどの主要大会の役員・
主審等歴任したが既に故人である。
「完全チェス読本2 
偉大なる天才たちの名局」

ラスカーからカスパロフまで」フォックス&
ジェイムズ著 松田道弘訳 
毎日コミュニケーションズ 

歴代チェスチャンピオンたちの肖像とその
最高の棋譜を紹介する。またチェスの長い
歴史の中で誰が一番偉大なのかを、過去の
名人の言葉や戦績を基に著者はフィッシャー
とカスパロフと位置づけている。フィッシャー
自身は1964年に次のように書いている。
「チェスで最も偉大なプレーヤーはモーフィー
だ。マッチ試合なら現在のどんな相手であろう
と打ち破るだろう。」
この本も絶版である
 
「Bobby Fischer
His approach to chess」

Elie Agur著
中身拝見

フィッシャーが残した偉大な棋譜を、それぞれ
のの項目(ポーンの形、戦略、戦術など)に分類
しを研究した文献で、フィッシャーの特質を知る
格好の本であると共に、ファンでない人にとって
もチェスの考え方を学ぶことが出来き、チェス
技術の向上にも役立つことが出来る優れたも
のである。
「ボビー・フィッシャーの究極のチェス」
ブルース パンドルフィーニ著
中身拝見

伝説の棋士フィッシャーの実戦譜から101
の手筋問題を紹介。これらの101の全記録
集も掲載されている。簡単な手筋から高度
なものまで順不同になっており、手筋を勉強
するというよりフィッシャーの妙手を楽しむと
いう性格を持った本。
 





Pawn Sacrifice: Movie Review - Chess.com


フィッシャーの名局


Robert James Fischer vs Hans Berliner
"When Pawny Comes Marching Home" (game of the day Aug-26-12)
New York ch-US 1960 ·
Alekhine Defense: Exchange Variation (B03) · 1-0



「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「パスポーンの高まる欲望・・・『パスポーンは、ほとんどのピースがな

くなれば脅威になる』(カパブランカ)。本局では、フィッシャーがパスポーンに秘められた力

を華麗に実証する。彼がパスポーンをブロックしたり前進を妨げるピースを追い払う方法に

注目しよう。無防備なポーンやピースに脅威を与え続けて相手を忙殺させ、自分は貴重な

手得をする様にも注目しよう。フィッシャーの絶え間ない攻撃力は、現れるやいなやその

卓越した技能でチェス界を震撼させたポール・モーフィーを思い出させる。」

・・・本書より抜粋引用




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Rene Letelier Martner vs Robert James Fischer
Liepzig Olympiad Prelim 1960 ·
King's Indian Defense: Normal Variation (E70) · 0-1




letelier_fischer_1960.pgn へのリンク







この写真(フィッシャー対タリ)の時の試合、タリが7手目Ne7を指そうとしている。1960年

Robert James Fischer vs Mikhail Tal
"French Drawings" (game of the day Oct-15-07)
Leipzig Olympiad Final 1960 ·
French Defense: Winawer. Retreat Variation Armenian Line (C18) · 1/2-1/2



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳から以下抜粋

引用します。各試合はフィッシャー自身の解説ですが、試合の序文を書いているのは

友人の一人だったアメリカの強豪ラリー・エヴァンズです。「乱闘・・・タリが世界チャン

ピオンになってからの2人の初対戦は、古風な乱戦になった。持ち前の激しい棋風で、

フィッシャーはたちまち制圧して勝勢になるが、うかつにもタリに14...Nxe5!からの目も

くらむ連発花火を許す。そして、7手のシーソーゲームの後、永久チェックに終わる。

このハイレベルな対決を見るかぎり、いずれフィッシャーがタリの実力を見定めること

は間違いなかった。これから1年も経たずに、タリが世界選手権のリターンマッチで

ボトヴィニクに破れた後、フィッシャーはそれを果す。タリの手相を見て、フィッシャー

は予言した。『次の世界チャンピオンは・・・ボビー・・・フィッシャー!』。」




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Robert Eugene Byrne vs Robert James Fischer
"The Brilliancy Prize" (game of the day Jan-19-08)
US Championship 1963/64 (1963) ·
King's Indian Defense: Fianchetto Variation. Immediate Fianchetto (E60) · 0-1



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳から以下抜粋

引用します。各試合はフィッシャー自身の解説ですが、試合の序文を書いているのは

友人の一人だったアメリカの強豪ラリー・エヴァンズです。「名局賞・・・『南アフリカ・

チェス・クォータリー』の編集者K.F.カービーは、チェス界の特ダネや称賛記事を総括

してこう書いている。『バーンのゲームはとてもすばらしく、これに匹敵するものを思い

出せない。白の第11手後の時点では、白が少し有利で少なくとも全く危なげなく見え

た。それをもう11手先にメイトへ向かう局面にするとは、チェスというより魔術だ!

率直に言うと、私はこの時のボビーを止められる男を知らない・・・』 以下のバーン

自身の言葉には、何も付け足す必要がない。『私は座って、なぜフィッシャーがこんな

手順を選んだのかと思案していました。明らかに黒の負けに見えたからです。すると

突然の18...Nxg2。この目もくらむ手に衝撃を受けました。コンビネーションが最高潮の

ときに私は投了しましたが、そのときでさえ、別室で観衆に向かって解説をしていた

グランドマスターが、2人とも私の勝勢だと思っていたのです!』




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 (この局の大きな図と、実際に対局を見ていた方の観戦記)





Robert James Fischer vs Reuben Fine
New York (USA) 1963 ・
Italian Game: Evans Gambit. Compromised Defense (C52)



「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳から以下抜粋

引用します。各試合はフィッシャー自身の解説ですが、試合の序文を書いているのは

友人の一人だったアメリカの強豪ラリー・エヴァンズです。「ショック療法・・・世界のトッ

プクラスまで上り詰めながらも、ファインは、その絶頂期(1945年)に臨床精神分析医

になるためにチェスを引退した。しかし、チェスへの愛情と才能を失ったわけではない。

本局は、彼がニューヨークの自宅で即席に指した7、8局のゲームの1つである。ファイ

ン博士がかなり本気だったことは保証していい。ここでは、お気に入りのルイ・ロペス

を初めて外したフィッシャーが、1世紀前にエヴァンズ大佐が考案した大胆なギャンビッ

トを採用する。競技場からほとんど姿を消した作戦である。定跡本をいくつか残してい

るファインとはいえ、錆びついているのも無理はない。絶対に逃げられない万力に捕

まってしまう。フィッシャーは、17手で華やかにけりをつけた。」




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Robert James Fischer vs Pal Benko
US Ch. 1963 ·
Pirc Defense: Austrian Attack. Weiss Variation (B09) · 1-0



「ボビー・フィッシャー 魂の60局」ボビー・フィッシャー著 水野優訳から以下抜粋

引用します。各試合はフィッシャー自身の解説ですが、試合の序文を書いているのは

友人の一人だったアメリカの強豪ラリー・エヴァンズです。「楽勝・・・『チェス・ライフ』

1964年1月号より。『この大会の大詰めでは、フィッシャーの対戦相手たちが、ボビー

の11勝無敗というスコアを保証したようなものだった。高まる緊張感は、彼には有利

に働いた。フィッシャーは12月30日月曜日、1963年最後の対局を勝利で飾った。パー

ル・ベンコーを、彼が防御のやり繰りでやや自滅しかかってから、小気味いいコンビ

ネーションで葬り去ったのである』 そういうわけで、もう一人のグランドマスターが21手

で打ち負かされた。ベンコーは、(15手目に)不利でも持ちこたえられる終盤へ移行す

るために単純化するチャンスを逃す。これは読者にとって幸運だった。さもないと、白

の19手目のような巧みな手にいつかだまされていただろう。この手だけでも入場料を

払う価値がある!」。」




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Dr. Anthony Saidy vs Robert James Fischer
New York ch-US 1965 ·
Nimzo-Indian Defense: Normal. Bronstein (Byrne) Variation (E45) · 0-1




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Robert James Fischer vs Oscar Panno
"The Pann-handler" (game of the day Jan-08-10)
Buenos Aires 1970 ·
Sicilian Defense: French Variation (A04) · 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




 (この局の大きな図と、ソ連邦チェス連盟会長ロフリンによるフィッシャー評)

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Robert James Fischer vs Bent Larsen
"Denver Omelette" (game of the day Oct-26-07)
Fischer-Larsen Candidates Match (1971) ·
French Defense: Winawer. Advance Variation (C19) · 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Robert James Fischer vs Tigran Vartanovich Petrosian
Buenos Aires cf 1971 ·
Sicilian Defense: Kan. Modern Variation (B42) · 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




「手ごわい強敵に対して、模範的なポジショナルによる勝利の名局。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用



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フィッシャーが15歳のときに負けた名局

Fridrik Olafsson vs Robert James Fischer
Portoroz Interzonal (1958) ·
Queen's Gambit Declined: Ragozin Defense (D38) · 1-0



「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「仰天の一瞬・・・チェスのすばらしさの一つには、尽きない意外性が挙げ

られる。偉大なマスターでさえ、不意打ちを食らうことがある。本局では、ボビー・フィッシャーが

ルークとナイトの交換得を求める。それが深く隠された罠だと気づいた彼の驚きを想像してみ

よう。その交換得を得るために、フィッシャーのキング側は少し弱くなっていた。この弱点が、

オウラフソンの巧妙な手順によってつけ込まれる。しばらくの間は、フィッシャーが互角にするよ

うに見えるが、オウラフソンは、見事な指し方で自陣を密かに進化する。そして、ニ連結パス

ポーンができると、その威力には抗えない。オウラフソンの棋風は一貫して優美だ。本局は、

現代チェスの宝箱に入った宝石である。」・・・本書より抜粋引用




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フィッシャーの名局集(121局)

Robert Fischer's Best Games
Compiled by KingG


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フィッシャーの名局集(147局)

Bobby Fischer: Selected Games from 1955-1992
Compiled by wanabe2000


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フィッシャーが解説した局

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Chessgames.com


圧倒的な勝利を飾った1970年のブリッツ(早指し)・トーナメントの棋譜は、こちら です。

フィッシャーの全853局の棋譜はこちらです。




2015年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!



ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。



やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。



ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。



今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、



この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 



おまえたちの終りは近いぞ」



2013年2月17日、亡き伝説のチェス王者・フィッシャーのこの言葉をフェイスブックで紹介したが、フィッシャーの母はユダヤ人

であり、生涯その関係は血のつながりを感じさせる温かいものであった。



なのに何故?



何が彼をそこまで追いつめたのか?



以前、郵便チェスでアメリカ人と対局したことがあるが、彼は「フィッシャーは不幸にして病んでいる」と応えていたが、アメリカ人

の多くがそう思っていることだろう。



1972年のアイスランドでの東西冷戦を象徴する盤上決戦と勝利、マスコミは大々的に報じ、フィッシャーを西側の英雄・時代の

寵児として持ち上げた。



それから43年後の2015年。



フィッシャーの半生を映画化した「完全なるチェックメイト」(原題はPawn Sacrifice)が日本でも12月25日から全国で上映される。



主演はスパイダーマンで有名なトビー・マグワイアだが、このスパイダーマンの映画の中で心に残っている台詞は、



「これから何が起ころうと僕はベン叔父さんの言葉を忘れない。『優れた能力には重大な責任が伴う』 この能力は僕の喜び

でもあり悲しみでもある。だって僕はスパイダーマンだから。」



フィッシャーとスパイダーマン、一時的にはフィッシャーは英雄となったが、彼にとって「重大な責任」とはチェスの真髄を追い

つづけることだったのかも知れない。



東西決戦の後にフィッシャーがとった奇怪な言動は、妥協を決して許さない態度が周囲との摩擦を深めていく中で、奇異な

ものとなっていったのだろう。



フィッシャーの素顔。



アメリカから訴追され、日本に居たフィッシャーをアイスランドへ出国させる為に尽力した渡井美代子さんは、フィッシャーと

スパスキーとの再戦時(1992年)に招待された時のことを次のように書いている。



「フィッシャーは誠実の人です。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであった

としても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と

食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。」



有名な写真家Harry Bensonは、フィッシャーが亡くなった後に、「Bobby Fischer against the World」という自らが撮った

フィッシャーの写真集を出版した。



そこには、花や馬と戯れるフィッシャーがいた。



アイスランド。



盤上決戦の地であり、フィッシャーが64歳で亡くなった地。



私がチェスに関心をもつ前に、ある写真集に惹かれ、それから写真・写真集に関心を持つようになったのだが、そのきっかけ

となったのがアイスランドに近いアイルランドの写真集だったのも何かの因縁かも知れない。




 

2013年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」文芸春秋 を読み終えて

(写真はフィッシャーの写真集より引用したもので世界選手権の休息日に撮られたものです。)



2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!

ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。

やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。

ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、

この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 

おまえたちの終りは近いぞ」



これはイスラム過激派の言葉ではない。この言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたった一人で

立ち向かい、チェスで勝利した男・ボビーフィッシャー(ユダヤ人の血をひくアメリカ人)が発したもの

である。



チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはやされた男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確には追い

つめられたと言ったほうがいいのだろう。



妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、彼の

名声やお金に与ろうする人間によって傷つけられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕んでいく。



母子家庭で育ったフィッシャー、その乾いた心を慰めてくれたものがチェスだった。その天性の才能は

花開き、数々のドラマを生みながら目標としていた世界選手権に挑む。



相手はソ連の世界チャンピオン・スパスキーだった。スパスキーは、その天性・性格・容姿から「チェス

の貴公子」と呼ばれていたが、1968年ソ連がチェコスロバキアに軍事介入した時、スパスキーは黒の

腕章を巻いて大会に現われ、チェコの選手一人一人に握手した。ソ連政府に対して暗黙の抗議を行っ

たスパスキーは1975年フランスに亡命することになる。



一匹狼のフィッシャーと貴公子のスパスキー、この似ても似つかない二人が、1972年世界チャンピオン

の座をかけて戦い、そして20年後の1992年にも国連制裁を受けていたユーゴスラビアで再び戦う。



チェスは白と黒の全く異なる駒が戦う競技だが、それは相手がいればこそ成立する。最初は国の威信

をかけての敵同士だったが、アイスランドでの選手権の戦いを通して彼らはまるでチェスの白と黒の駒

のように惹きつけ合い、互いになくてはならない存在になっていることに気づく。



フィッシャーがアメリカ政府から起訴され、日本で無効なパスポートをもって入国したとして入管法違反

で拘留させられたときも、スパスキーは6歳年下のフィッシャーを、まるで本当の弟のように心配し、

「何故、フィッシャーだけ捕らえるんだ。私も同じ留置所に入れてくれ」と弁護している。



「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 スパスキー



本書はフィッシャーと長年親交があった人が書いたフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲劇

の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、チェス

盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャーの人生そのものがチェス盤そのものに映し出されたような

錯覚に陥ってならなかった。



2013年2月17日 K.K



 
 

2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年~1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。




 

2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)




追記(2012年11月30日)


監督はフィンチャー監督が降板し、「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィックになっています。

 

2014年12月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



(大きな画像)



(大きな画像)



(大きな画像)



20年前の写真です。



私の子どもと対戦しているのが大学教授だった関永さん。桜美林大学やフェリス女学院で英語を教えていた方です。



新聞配達をして家計を助けていた高校時代の経験、またキリスト教徒(内村鑑三の無教会主義)としても気さくな人柄で

尊敬に値する方でした。



私が主催する小さなチェスサークルにも、毎回のように息子さんと一緒に参加されていましたが、いつかそのような場を再び

創れればと思っています。



二枚目の写真は、ブラジルから日本に働きにきていた斉鹿セルジオさん、サークルだけでなく家にも何度か来てくれました。



三枚目の写真は、伝説のチェスチャンピオン故・「ボビー・フィッシャー」がアメリカの要請で日本で拘束されたとき、

フィッシャーと結婚しアイスランドへの出国の道を開いた渡井さんです。



現在ヨーロッパではフィッシャーの伝記映画が、トビー・マグワイア主演(スパイダーマン役などで有名)で上映されております。



チェスのプロになるのは絶対お勧めしませんが、子供が大人と真剣に対峙できるということ、それはチェスに限らず

盤上ゲームの素晴らしい特性なのかも知れません。



FB友人のYamadaさんのお子さんの写真、兄弟がチェス盤を前に戦っている姿を見て、昔を懐かしんで投稿してしまいました。


 

2016年6月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





コルチノイ出演の牛乳のCM



コルチノイは旧ソ連出身のチェス棋士でしたが、ソルジェニーツィン、あるいはノーベル平和賞を取った物理学者の

サハロフと同じように旧ソ連に反逆し、1974年に奥さんと一緒にオランダ(後にスイス)に亡命します。



1974年というと、世界中を沸かせたフィッシャースパスキーの世紀の一戦の2年後で、1978年には挑戦者として、

旧ソ連の王者カルポフと世界選手権を争いますが、僅差で敗れてしまいます。



昨日、「ソ連のフィッシャー」と呼ばれたコルチノイは85歳で亡くなりましたが、70歳過ぎてまで闘志むき出しの対局

姿勢に世界のファンは魅了されたのではと思います。



偉大な芸術家に共通する老いることのない情熱。



激動の時代の生き証人だった人ですが、このようなおどけた姿でCMに出ていたんですね。





Callanish Stones, Isle of Lewis | The Scottish Highlands

アイスランドの近くに位置するルイス島 「Callanish Stones」


bobbyfischer.net


Orwell Today


Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2016 March 16 - A Phoenix Aurora over Iceland

アイスランド 不死鳥のオーロラ (大きな画像)








麗しき女性チェス棋士の肖像

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