「ボビー・フィッシャーを探して」 フレッド・ウェイツキン著 若島正・訳 みすず書房


 






「内容紹介」より引用



チェスの神童ジョッシュとその父親である著者が、伝説的棋士ボビー・フィッシャーへの憧憬を
胸に歩んだ道のりを描く。

6歳でチェスを始め、子供らしい無邪気さでチェスに取り組みながら加速度的に強くなる息子
ジョッシュ。その眩ゆいほどの才能に父親は深くいれ込み、幼い息子はそんな周囲の思いに多感
に反応しつつも、仮借のない勝負の世界を懸命に生き、成長してゆく。

ときに公園の片隅で、ときに世界タイトル戦の場で、さまざまな棋士たちが味わう栄光と悲哀の
物語が、父子の道程と交錯する。そこには、冷戦の構図をはじめとして棋士の境遇や対局の質に
影響を及ぼす種々の社会事情が、色濃く映し出されている。

チェスの高峰を目指す父子の歩みはどこへ至るのか。ライバルたちとの息詰まる対局の行方は?
チェスの奥深さに魅入られた人々の興奮と葛藤をこのうえなく切実なタッチで写し取り、映画化
もされた珠玉作。

「出版社からのコメント」より引用

内容(「BOOK」データベースより)
6歳でチェスを始め、子供らしい無邪気さでチェスに取り組みながら加速度的に強くなる息子
ジョッシュ。その眩ゆいほどの才能に父親は深くいれ込み、幼い息子はそんな周囲の思いに多感
に反応しつつも、仮借のない勝負の世界で成長してゆく。チェスの神童ジョッシュとその父親で
ある著者が、伝説的棋士ボビー・フィッシャーへの憧憬を胸に歩んだ道のりを描く。


著者について

フレッド・ウェイツキン
Fred Waitzkin
1943年、アメリカ、マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。
趣味のビッグゲーム・フィッシング(スポーツとして大型の魚を狙う釣り)の知識を生かして
The New York Times, Forbes, The New York Times book Review, Sunday Magazine, New York,
Esquire, Sports Illustratedなどの雑誌へ主としてスポーツライターとして取材記事やエッセイ
等を寄稿するなかで、息子ジョシュアとチェスについて書いた記事が注目を浴び、1988年に
本書の原著Searching for Bobby Fisherの出版に至る。同書は1993年にハリウッドで映画化され
(邦題『ボビー・フィッシャーを探して』)、映画はその年のアカデミー賞にもノミネートされた。
以降もライターとしての活動を続けており、他の著書に
Mortal Games: The Turbulent Garry Kasparov(G. P. Putnam's Sons., 1993), The Last Marlin:
The Story of a Family at Sea(Viking, 2000), The Dream Merchant(Macmillan, 2013)がある。
ニューヨーク在住。


若島正
わかしま・ただし
1952年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科教授(英米文学)。詰将棋、チェス・プロブレム
作家としても知られる。 97年、国際チェス連盟(FIDE)が認定する「プロブレム解答国際マスター」
(IM)の称号を獲得(日本人では初)。
著書に『乱視読者の英米短篇講義』(研究社、読売文学賞受賞)、『盤上のファンタジア』
(河出書房新社)ほか。訳書にウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(新潮文庫)『ディフェンス』
(河出書房新社)、リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』(みすず書房)、
チェス小説アンソロジー『モーフィー時計の午前零時』(若島編、共訳、国書刊行会)などがある。



 



映画「ボビー・フィッシャーを探して」の一場面

 

本書より引用



ある日の午後、ジョッシュと一緒にクラブを出ようとすると、50年近くもクラブの常連になっている老女が

近づいてきた。古風な笑みと薄くなった白髪で、私の祖母を思い出させるこの老女は、ジョッシュの頭を

撫でてあたたかい言葉をかけてくれるのかと私はてっきり思い込んでいた。



「7歳の息子さんを連れて、またここに来ているのね」と老女は悲しそうな笑みを浮かべながら言った。

「こんな煙草の煙だらけの場所に引っぱってきて、チェスを指させるなんて。この子がチェスキチに

なっちゃうのがわからないの? あなたは自分の人生でできなかったことを子供で埋め合わせしよう

としているのよ。」





別のときには、ジョッシュがチェスを勉強しているのはばかげたことのように思えることもある。息子の

調子が出なかったり、気のない指しぶりだったりしたせいか、あるいは私の機嫌が悪かったせいか、

ともかく、これだけ真剣に取り組んでいるのが無意味に思えてくる。そういう気分でいるときには、

息子にチェス教育を受けさせているのが恥ずかしくなる



私はインターナショナル・マスターのビクトル・フリアスがアメリカのチェス・マスターの人生を「涙の谷間」

と言った言葉を思い出し、この袋小路のような趣味をすすめたことを後悔した。当時フリアスは、全米で

も有数のプレーヤーなのに、生活費を稼ぐために一晩中タクシーを運転していたという。あるとき、

ジョッシュがチェスを指すようになる何年も前に、空港までタクシーに乗ったら、その運転手が実は

グランドマスターだと教えてくれたことがあった。彼は対局でどんな場所に行ったとか、どんな相手を

負かしたかを話してくれた。こいつはきっと嘘つきだと思ったが、もしかすると本当だったのかもしれ

ない。フリアスの客の中には、彼がコルチノイやユスポフ、それにベリャフスキーやラーセンと指した

という話を聞いて、嘘をついていると思った人間もいただろう。



いったい私たちは何をしているのだろう、と私はよく自問自答する。なぜジョッシュのチェスが私に

とってこれほどまでに大切なのか? これはチェスの天才を息子に持ったすべての親を悩ませる

疑問だ。テニスの天才少年とは違って、チェスの大天才少年でも一攫千金の夢を見るわけには

いかない。



大会になると親たちは震える両手を握りしめ、子供が生きるか死ぬかの瀬戸際のように応援し、

子供が比類のない不動の天才だという強烈な夢を見る。はらはらしながら応援するあまり、息も

切れ、顔も赤らんで、親たちはお互いにこう言う。「この世界は狭すぎますよ」、あるいは「勝つこと

にこだわりすぎですよ」、あるいは「どれだけこれに時間をつぶしているか、そう思うと嫌になり

ます」 誰もがその言葉にうなずく。そうした疑念に耳を傾けていると、この親たちは子供向け

チェス大会のサーキットにもう子供を出させないつもりだな、と思いたくなる。ところが、次の大会

になると、また親たちは勢揃いして、こんなつまらないことにカンカンになるなんて気が狂って

いる、とお互いに慰め合うのである。



 


本書 「訳者あとがき」 より引用


高名な批評家であり、フィッシャー対スパスキーの世界チャンピオン戦のルポルタージュを書いたこと

もあるジョージ・スタイナーの言葉によれば、人間が思春期の前に偉業を成し遂げた知的分野は三つ

しかなく、それは音楽、数学、そしてチェスであるという(スタイナー『脱領域の知性』)。その言葉を裏書

きするように、チェス界では昔から天才少年少女のエピソードには事欠かない。9歳のときに20人の大人

相手に多面指しを行って19勝1引き分けという結果を残したサミュエル・レシェフスキー、13歳のときに

「世紀の一戦」と呼ばれる名局を残したボビー・フィッシャー ・・・・ こうした天才少年の逸話はいくら

でもある。しかし本書のユニークなところは、神童がチェスプレーヤーとして育っていく姿をそばで見て

いた父親の視点から描いた点にある。



著者のフレッド・ウェイツキンは、自身が熱心なチェスプレーヤーだというわけではない。彼は、息子の

ジョッシュがチェスで発揮する才能に魅せられ、そして子供と一緒に栄光への道を歩んでいくという

物語にも魅せられて、否応なしにチェスの世界へとはまりこんでいく。彼はそういう意味で、チェス界の

内部にいる人間でもあり、またその外部にいる人間でもある。外部の人間の少し距離を置いた目から

見れば、チェスの世界は栄光ばかりではない。まともな生活をすることは放棄して公園やクラブで

チェスをすることに時間をつぶしている人々がいる。賭けチェスで食っている人々がいる。国民的英雄

としてあれほど栄光を浴びたフィッシャーですら、奇行に奇行を重ねて姿を消した。それはチェスという

ゲームの性格上、最初からやむをえないことなのかもしれない。なぜなら、チェスには勝者と同じ数だ

け敗者が存在するのだから。



本書が描いているのは、そうした外部の人間から眺めたチェス界の栄光と悲惨だけではない。ここに

はあまりにも多くのものが詰め込まれている。子供に対する親の過度な期待と、それに対する子供の

側の反発といった、親子関係の問題。指導者と生徒の問題。チェスという文化の社会における位置

づけ。さらには、チェスという本来まったく政治とは無関係なはずのゲームにまで反映している、当時の

冷戦の構図。そして、これほどまでにたくさんの大きな問題を背負いながら、その中で成長していく

けなげな子供たちの姿。本書を読むためにチェスの知識はとくに必要がない。たとえ読者がチェスの

知識を持っていなくても、それは著者のフレッド・ウェィツキンも同じようなものだと思えばいい。読者

は初めて見るチェスの世界にきっと好奇心を感じるだろうし、チェス以外の部分にもなにがしか興味を

おぼえる点もきっと見つけるだろう。



 


映画「ボビー・フィッシャーを探して」


映画の中で、主人公がワシントンスクエアで「タリを破った男」と試合をしますが、

この人物はジルベル(ジルバー)という実在の人物で、実際に1952年にタリとの

試合で勝っています。ジルベルは1933年ラトビア生まれで、1958年にはラトビア

のチャンピオンになりますが、その後アメリカに移住します。1980年代はホーム

レスとして生活し、ワシントンスクエアでは一番の実力あるプレーヤーでした。下

の棋譜は、1952年タリを破ったものです。



Mikhail Tal vs Josif Israel Zilber
URS 1952 · Sicilian Defense: Modern Variations (B56) · 0-1

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「ボビー・フィッシャーを探して」 フレッド・ウェイツキン著 若島正・訳 みすず書房 
より以下引用


公園にいたもう一人の真剣師はイズラエル・ジルバーである。50歳ぐらいの年齢にして、彼は

すっかり衰弱し、雨風にさらされた顔には無数の皺ができていて、75歳と言っても通りそうな

ほどだった。よれよれの革のジャケットを着て、大きな保安官のバッジで飾った海軍帽をか

ぶっている。どの指にもけばけばしいコスチューム・ジュエリーを付けていて、貧しい身なりの

ヘルズ・エンジェルといった風情である。ジルバーはインターナショナル・マスターで、ブリッツ

では全米でも指折りだ・・・・これは1分から10分のあいだで終了するゲームを指す。



30年前、ジルバーはラトヴィアの選手権で、すぐ後に世界チャンピオンになる名手ミハイル・

タリ
を破ったことがあり、古今の名局選集にも彼の棋譜がいくつか載っている。ところが公園

での日々では、彼はチェスプレーヤーや観光客に選択肢を与える。1ドルで、写真を1枚撮ら

せるか、1局指してあげようというのである。毎局、相手がどんなに強かろうが弱かろうが、

彼はロシア式の記法でナプキンか古い封筒に棋譜を書きとめる。夜になると寝る場所は

ベンチの上で、いちばん大切な持ち物はシャツの下に突っ込み、数ドルは靴下か空になった

煙草の箱にまるめて入れておく。



ジョッシュが6歳で初めてジルバーに指してもらったときのこと、マスターは仇敵タリみたいに

奇想天外な捨駒の妙手を放って、息子を12手とか14手で粉砕した。毎回ジルバーに負けて

動揺していないかとジョシュにたずねたら、息子はこう答えた。「平気な顔をしてるけど、内心

はひどくくやしいんだ」 2年後、対局はふつう30手とか40手までもつようになり、ジョッシュは

盤上にわずかな駒しか残っていない段階の終盤で負けるのだった。たいてい、息子が考慮

中に、ジルバーは木を見上げたり、リスに向かってロシア語の歌を歌ったりする。しかしその

目つきは鷲のようで、決してはめ手を見逃さないし、観光客がまず先に1ドルを払うことなく

写真を撮ろうとすると、指を振って厳しく注意するのである。



ある冬の夜、猛烈な吹雪の中、私は公園を通り抜けるときに、ジルバーがチェステーブルを

申し訳程度の雪よけ代わりにして、ベンチで寝ているのを見た。それではたして朝まで命が

もつのだろうか。数日後、私たちがチェスをやっている片隅を通りかかると、彼は一人でテー

ブルに座って木に語りかけ、メモを取っていた。「冬のあいだにジルバーが死んだりしないと

いいけど」と、夕食に間に合うよう家路を急ぎながら、ジョッシュが言った。「あんなに強いのに、

どうしてお金がもうからないの?」





次の試合もタリ(12歳)とイズラエル・ジルバー(15歳)の時のものだが、タリ自身が書いた

名著「The LIfe and Games of MIKHAIL TAL」Mikhail Tal著の最初の自選記に彼との試合が

詳しく解説されている。


Mikhail Tal vs Josif Israel Zilber
Riga (1949) · French Defense: Tarrasch Variation. Chistyakov Defense (C07) · 1-0

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Josif Israel Zilber(1933年~生死不明)の全棋譜

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Chessgames.com



From Chess to Dreams: Interview on the Creative Writing Process with Fred Waitzkin | The Creativity Post

実際のジョシュ・ウェイツキン(右側)の写真


http://blogs.scientificamerican.com/beautiful-minds/2013/04/01/
from-chess-to-dreams-interview-on-the-creative-writing-process-with-fred-waitzkin/




2015年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!



ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。



やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。



ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。



今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、



この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 



おまえたちの終りは近いぞ」



2013年2月17日、亡き伝説のチェス王者・フィッシャーのこの言葉をフェイスブックで紹介したが、フィッシャーの母はユダヤ人

であり、生涯その関係は血のつながりを感じさせる温かいものであった。



なのに何故?



何が彼をそこまで追いつめたのか?



以前、郵便チェスでアメリカ人と対局したことがあるが、彼は「フィッシャーは不幸にして病んでいる」と応えていたが、アメリカ人

の多くがそう思っていることだろう。



1972年のアイスランドでの東西冷戦を象徴する盤上決戦と勝利、マスコミは大々的に報じ、フィッシャーを西側の英雄・時代の

寵児として持ち上げた。



それから43年後の2015年。



フィッシャーの半生を映画化した「完全なるチェックメイト」(原題はPawn Sacrifice)が日本でも12月25日から全国で上映される。



主演はスパイダーマンで有名なトビー・マグワイアだが、このスパイダーマンの映画の中で心に残っている台詞は、



「これから何が起ころうと僕はベン叔父さんの言葉を忘れない。『優れた能力には重大な責任が伴う』 この能力は僕の喜び

でもあり悲しみでもある。だって僕はスパイダーマンだから。」



フィッシャーとスパイダーマン、一時的にはフィッシャーは英雄となったが、彼にとって「重大な責任」とはチェスの真髄を追い

つづけることだったのかも知れない。



東西決戦の後にフィッシャーがとった奇怪な言動は、妥協を決して許さない態度が周囲との摩擦を深めていく中で、奇異な

ものとなっていったのだろう。



フィッシャーの素顔。



アメリカから訴追され、日本に居たフィッシャーをアイスランドへ出国させる為に尽力した渡井美代子さんは、フィッシャーと

スパスキーとの再戦時(1992年)に招待された時のことを次のように書いている。



「フィッシャーは誠実の人です。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであった

としても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と

食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。」



有名な写真家Harry Bensonは、フィッシャーが亡くなった後に、「Bobby Fischer against the World」という自らが撮った

フィッシャーの写真集を出版した。



そこには、花や馬と戯れるフィッシャーがいた。



アイスランド。



盤上決戦の地であり、フィッシャーが64歳で亡くなった地。



私がチェスに関心をもつ前に、ある写真集に惹かれ、それから写真・写真集に関心を持つようになったのだが、そのきっかけ

となったのがアイスランドの写真集だったのも何かの因縁かも知れない。




 

2013年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「完全なる天才 天才ボビー・フィッシャーの生涯」文芸春秋 を読み終えて

(写真はフィッシャーの写真集より引用したもので世界選手権の休息日に撮られたものです。)



2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!

ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。

やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。

ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、

この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 

おまえたちの終りは近いぞ」



これはイスラム過激派の言葉ではない。この言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたった一人で

立ち向かい、チェスで勝利した男・ボビーフィッシャー(ユダヤ人の血をひくアメリカ人)が発したもの

である。



チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはやされた男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確には追い

つめられたと言ったほうがいいのだろう。



妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、彼の

名声やお金に与ろうする人間によって傷つけられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕んでいく。



母子家庭で育ったフィッシャー、その乾いた心を慰めてくれたものがチェスだった。その天性の才能は

花開き、数々のドラマを生みながら目標としていた世界選手権に挑む。



相手はソ連の世界チャンピオン・スパスキーだった。スパスキーは、その天性・性格・容姿から「チェス

の貴公子」と呼ばれていたが、1968年ソ連がチェコスロバキアに軍事介入した時、スパスキーは黒の

腕章を巻いて大会に現われ、チェコの選手一人一人に握手した。ソ連政府に対して暗黙の抗議を行っ

たスパスキーは1975年フランスに亡命することになる。



一匹狼のフィッシャーと貴公子のスパスキー、この似ても似つかない二人が、1972年世界チャンピオン

の座をかけて戦い、そして20年後の1992年にも国連制裁を受けていたユーゴスラビアで再び戦う。



チェスは白と黒の全く異なる駒が戦う競技だが、それは相手がいればこそ成立する。最初は国の威信

をかけての敵同士だったが、アイスランドでの選手権の戦いを通して彼らはまるでチェスの白と黒の駒

のように惹きつけ合い、互いになくてはならない存在になっていることに気づく。



フィッシャーがアメリカ政府から起訴され、日本で無効なパスポートをもって入国したとして入管法違反

で拘留させられたときも、スパスキーは6歳年下のフィッシャーを、まるで本当の弟のように心配し、

「何故、フィッシャーだけ捕らえるんだ。私も同じ留置所に入れてくれ」と弁護している。



「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 スパスキー



本書はフィッシャーと長年親交があった人が書いたフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲劇

の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、チェス

盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャーの人生そのものがチェス盤そのものに映し出されたような

錯覚に陥ってならなかった。



2013年2月17日 K.K



 
 

2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年~1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。




 

2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)




追記(2012年11月30日)


監督はフィンチャー監督が降板し、「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィックになっています。

 

2016年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


不死鳥のオーロラ(写真はNASAより引用)


アイスランドにて昨年9月に撮影されたものですが、オーロラを見に集まっていた人々が帰った午前3時30分、

光が弱くなっていたオーロラが突然空を明るく照らします。



場所はアイスランドの首都レイキャビクから北30kmにある所で、流れている川はKaldaと呼ばれています。



画像中央やや上にはプレアデス星団(すばる)が輝き、山と接するところにはオリオン座が見えます。不死鳥の

頭の部分はペルセウス座と呼ばれるところです。



☆☆☆



この不死鳥のくちばしの近く、やや右下に明るく輝く星・アルゴルが見えます。



アラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいましたが、それはこの星が明るさを変える星だったからです。



イギリスの若者グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体(子供の時の猩紅熱が原因)でした

が1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を追いつづけ、この星が明るさを変えるのは暗い星がアルゴルの

前を通過することによって起こる現象ではないかと仮説を立てます。



1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッドリックは肺炎により

22歳の若さで他界してしまいます。



グッドリックの仮説が認められたのは100年後(1889年)の分光観測によってでした。



今から230年前の話です。



不死鳥のオーロラ、多くの魂が光の中で飛翔していますように。










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