Chess, 1886 | Read, Seen, Heard





ChessBase News | Edward Winter's Chess Explorations (6)


シュタイニッツ(Wilhelm Steinitz) 1836年〜1900年








歴代世界チャンピオンの肖像Serkan Ergun
serkan-ergun-the-world-chess-champions-by-serkan-ergun | Serkan Ergun

(大きな画像)

歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886〜1894  50〜58
2 Emanuel Lasker  1894〜1921  26〜52
3 Jose Raul Capablanca 1921〜1927 33〜39 
4 Alexander Alekhine 1927〜1935  1937〜1946 35〜43 45〜54
5 Max Euwe 1935〜1937 34〜36 
6 Mikhail Botvinnik  1948〜1957 1958〜1960 1961〜1963 37〜46 47〜49 50〜52
7 Vasily Smyslov  1957〜1958  36 
8 Mikhail Tal  1960〜1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963〜1969  34〜40 
10 Boris Spassky  1969〜1972  32〜35 
11 Bobby Fischer  1972〜1975  29〜32 
12 Anatoly Karpov  1975〜1985  24〜34 
13 Garry Kasparov  1985〜1993  22〜30 
14 Vladimir Kramnik  2006〜2007  31〜32 
15 Viswanathan Anand  2007〜2013  38〜43 
16 Magnus Carlsen  2013〜present  22〜



「激闘譜 シュタイニッツからフィッシャーまで 歴代チェスチャンピオンからの珠玉集」

マックス・エイベ著 松本康司訳 日本チェス出版社より引用。



1858年アンデルセンがアメリカからやって来たモーフィに打ち砕かれ、ヨーロッパのチェス界は大打撃に見まわ

れました。7局を最初に勝ったものを勝者と定めたこの試合はアンデルセンの2勝7敗2和。しかしアンデルセンの

妙技は変わることを知らず1862年、第2回ロンドン・トーナメントに名局を残しながら優勝し王者の貫禄を示してい

ました。



この頃、一人の貧しい学生がウィーンの小さなカフェの一隅でわずかにチェスをすることにより糊口をしのいでいま

した。この寡黙の青年シュタイニツに誰が未来のチャンピオンの姿を見ることができたでしょう。シュタイニツは1836

年プラハに生まれました。ウィーンの最強のプレーヤーの集まるトーナメントに参加。1859年には3位、1861年には

30勝1敗の驚異の成績で優勝。



シュタイニツはアンデルセンが名局を作って優勝した第2回世界大会にも出場しましたが14人を相手に8点、無残や

6位に甘んじなければなりませんでした。シュタイニツ自身の野望にははるかに及ばぬ結果とはいえ、しかしアンデ

ルセンはその技量を高く評価しています。シュタイニツが自分のなすべきことのためらいを捨て、チェスに全生活を

投入する決心をしたのはデュボアとの試合に5勝3敗1和で勝った後でした。フランス第一の名門校工業技術大学を

中退しロンドンに向います。成果はすぐに現われ、先ずブラックバーンを7勝1敗2和(1862)、5勝1敗(1863)と血祭

りに上げ英国の老雄モントグレジェンと7連勝(1863)、グリーンを5勝2和(1864)に破りました。



シュタイニツはこれらの勝利を積み重ねつつ一歩また一歩と世界一の座に進みます。前に立ちはだかるのはアン

デルセンただ一人。シュタイニツのはるかな夢であった世界最強のプレーヤーとの対決は1866年ついに実現する

ことになりました。



シュタイニツは今までの勝利の数々の割には未だそれほど人気が出ていませんでした。地平線から昇りくる一つの

新星シュタイニツと、世界最大の衆目の一致するアンデルセンの試合はロンドンの三つのチェス・クラブにより企て

られました。試合の直前になって大きな興味がわき起こり、チェス界はピリッと張りつめました。ほとんどのチェス通

はアンデルセンの楽勝を予想しました。試合は引き分けを数に入れず最初に8局勝ったものが勝ち、40手各4時間

の持ち時間です。第一局目はアンデルセンが勝ち彼に“乗った”人たちは大喜び、しかし次の4局はシュタイニツの

4連勝。するとアンデルセンも発奮して今度は5−4とリード。続くシュタイニツの二連勝。ここでアンデルセンが勝っ

て6対6。と文字通りシーソーゲーム。



第13局、ここを山場とみたアンデルセンは常用の“イバンス・ガンビット(定跡の名)”を避け、スペイン定跡を試して

失敗してしまいます。いよいよカド番、しかしこれもシュタイニツの勝利することとなり8対6でさしもの激闘も幕を閉じ

ました。この勝利により、シュタイニツは世界一のチェス・プレーヤーとしての衆評を得ました。けれど彼を世界チャ

ンピオンとするには一つの勝利だけでは不十分だとする異論がなかったわけではありません。



シュタイニツの棋風はアンデルセンやモーフィとやや異なるところがありました。同時代のプレーヤー同様、攻撃を

主とはしていましたが、彼の処方には新しい別の要素が加わっていました。よく守られた形の維持、さばきの前の

準備、最小の優位を保っての固い防御。こういう思想はそれまでのチェスにはないものでした。この頃、シュタイニ

ツは“フィールド”紙を担当していました。彼はチェスの新しい考え方を公式化しようとしました。第一に、それはでは

当然とされていた攻撃をやめるといいました。攻撃は彼の意見によると前もって十分に準備されたとき始めてスタ

ートすべきで攻め手をみりやり探し出す必要はない。自陣の強化が一番重要なことである。



ここにもう一人、同じ時期に鳴り物入りで頭をもち上げてきた人物、ツケルトートがありました。ウィーン1882年。

シュタイニツは34局中24点をあげ優勝しましたが、個人的にいえばこのツケルトートに破れています。1年後のロン

ドン1883年大会ではツケルトートは2位のシュタイニツに3点も差をつけて優勝しました。二人の立合いは当然避け

られないところでした。



チェス界も一方、公式のチャンピオンを欲していました。1886年の1月、果し合いが始まります。徹底的な攻撃で

ツケルトートはたちまち4−1とリード。シュタイニツは相手の予期せぬ強襲戦法に驚かされましたがすぐに適応する

方策を見出して、一局また一局とまき返しを始めました。シュタイニツの10勝5敗の最終結果は彼のチェスにおける

新思想が正しいことを示しました。そしてこの試合はシュタイニツの地位を公式にチェスの王者として確立したもの

でもありました。



この勝利のあと、世界チャンピオン、シュタイニツは世界最強たちとの試合に止まることを知りません。対チゴリン

10勝6敗(1889)、対グンスベルヒ6勝4敗(1889)、再びチゴリン10勝8敗(1892)。1892年、シュタイニツは夫人と18才

の令嬢を失いました。しかし、この深い悲しみも彼から創作活動を奪うことはできませんでした。彼は1894年ラスカー

に5勝10敗で破れチャンピオンの座を失いました。2年後、モスクワでのリターン・マッチの打撃は更に深いものでし

た。2勝10敗の完敗です。健康をも害していたシュタイニツにもはや昔の若さはありませんでした。4年後の1900年

8月12日、彼はニューヨークでこの世を去りました。シュタイニツは生涯の最後まで自分の独創的な構想に忠実でし

た。しかし彼の思想が完全に理解されるようになったのは彼がこの世を去った後だったのです。


 


以下、「楽しいチェス読本」ロフリン著 日本チェス協会訳編 ベースボール・マガジン社 より引用。



当時のシュタイニッツは、自己の棋譜を厳しく検討し、それが彼の特徴でもありました。彼は名人たちの試合につい

ても、多くの間違いを指摘しています。積極的な分析の結果、攻撃は堅固な駒組みに依存しなければならず、高度な

守りの技術をもっていれば、最後には効果的な攻撃に転じ、たくさんの勝負で勝利を得られるであろうという結論を下

しています。



ラスカーは、シュタイニッツのこのような分析的観察を次のように定義しています。「シュタイニッツの考えとは、どのよ

うなプランもその根拠をもっていなければならないという法則から出発しています。存在するものはすべて、その存在

理由をもっているものです。シュタイニッツはそれらの根拠を、チェスの盤上の状況下に見いだすことを経験で感じ

とっているのです。また、その根拠をコンビネーションフォームの中にではなく、ポジションの裏にこそ見いだすべきだ

と考えていました。たとえばあるプレーヤーがとほうもない記憶力の持ち主だったとします。彼が、ある状況下で、最も

必要なコンビネーションを100万個の記憶の中から選びだすことができるなら、プランを創り出すという必要はなくなる

でしょう。しかし、そんなことはふつうの人間には不可能ですから」。



シュタイニッツによると、名人のプランというものは、常に正確な状況認識と分析にもとづいていなければなりません。

そして、最も重要なことはいかなるプランも根拠をもっていなければならず、攻撃もすべて根拠あるものでなくてはなら

ないという点です。しかし、理論は実践によって証明されて、はじめて力となりうるのです。



(中略)



シュタイニッツの戦法の基本は、盤上の力がまだ同等で攻撃用の利を集積して優位に立つということです。その特色

とは、

@ゲーム展開における大きな活動性を条件づける優勢

A中央と空いている列の占有

B一時的にせよ対戦者のテンポを狂わせる優勢。相手が取られた駒の埋め合わせを考えている間に、その場の

イニシアチブをとるか、ある種の優勢を獲得することが可能。

Cポーンによる有利な形勢。側面でのポーン数の差

D最後に、攻撃の目標を決定するための弱点の発見。



 



以下、「チェス戦略大全1 駒の活用法」ルディック・パッハマン著 小笠誠一訳 評言社 より引用。



現代チェスの発展はウィルヘルム・シュタイニッツ(1836〜1900年)の業績で始まる。彼は33年間にわたって世界

最強と讃えられ、このうち10年間は新設されたチェスの世界チャンピオンとして王座を守り通した。しかし最も注目す

べき点は、彼の研究によってチェスが科学的な試合になり、新時代が始まった点である。



彼は始め(1862年〜1873年頃)、イタリア派の影響を大きく受けていたが、その後、新しい道を求めた。『フィールド』

誌におけるチェス欄、後の「国際チェス・マガジン」誌、そして未完成の「現代チェス教書」のなかにおいてシュタイニッ

ツはそれまでチェス芸術の頂点と考えられていた試合を厳しく批判した。彼の下した結論は、当時としては全くの異説

であった。これらの試合の決め手になった攻撃は、ほとんどの場合、誤った防御の産物であり、それまでのチェスに

は戦略的な原則に則って計画を立てることなく、目的のない手が多かったとしている。



それの批判の一方で、シュタイニッツはチェスの指し方における新しい指針を作り出すことに多くの労力を費やした。

後にラスカーがシュタイニッツのチェス戦略の新しい概念を次のようにまとめている。



@局面には「均衡状態」というものがある。



A鋭い攻撃が仕掛けられるのはこの均衡状態が崩れたときであり、それ以前ではない。



B攻撃は、敵の弱点だけを目標として狙わなければならない。



C防御は、最も効率よく行われなければならない。必要もなく、各ピースが守りに縛られてはならない。



シュタイニッツがチェス戦略の発展にもたらしたものは、このような基本原則だけではない。小さな陣形的優位に注目

したのも彼である。彼は孤立ポーンやダブルポーンといった「弱点」の重要性を指摘し、クイーン側のポーン・マジョリ

ティ(多数ポーン)の価値を説いた。また開いた局面における2ビショップの威力も指摘した。それと同時にこれらの

優位差の活用法も示した。そしてポーン、特にキャスリング後にキングを守るポーンは最初の位置が最も強力である

ことを証明した。キングは強力なピースであると主張し、場合によっては中盤戦においても有効に働かせることができ

るとした。正確な防御は攻撃と同等の戦略的価値を発揮するとして、端を攻める際にはセンターを固定する必要があ

ることを強調した。さらに、彼は先人たちが避けるよう努めた閉じた局面における戦略を始めて解明したことを、最後

に挙げておこう。



 


シュタイニッツの名局


Serafino Dubois vs Wilhelm Steinitz
"Dubious Dubois" (game of the day Dec-13-05)
London 1862 ・ Italian Game: Giuoco Pianissimo. Normal (C50) ・ 0-1


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Wilhelm Steinitz vs Augustus Mongredien
"Augustus, seize her!" (game of the day Aug-14-08)
London 1862 ・ Scandinavian Defense: Ilundain Variation (B01) ・ 1-0


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Wilhelm Steinitz vs Rock
"Rock Bottom" (game of the day Jul-22-08)
London 1863 ・ Chess variants (000) ・ 1-0


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M Hewitt vs Wilhelm Steinitz
"Hewitt Blew It" (game of the day May-15-06)
London, England 1866 ・ Bishop's Opening: Calabrese Countergambit (C23) ・ 0-1


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Samuel Rosenthal vs Wilhelm Steinitz
Vienna (1873) ・ Three Knights Opening: Steinitz Defense (C46) ・ 0-1




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「2ビショップ・・・2ナイトまたはナイト+ビショップに対する2ビショップの

優位を示す、最も古いが未だに絶好の実例といえる。シュタイニッツの2ビショップは後衛に

就いているが、存在感は示している。そこにいるだけで、盤の反対側まで影響を与えている。

一方、相手の一つしかないビショップは、哀れにも同色マス上にある駒に行く手をさえぎられ

ている。センターでの足がかりを得ようと奮闘するナイトは、シュタイニッツに攻撃され、戦場

から撤退させられる。」・・・本書より抜粋引用




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Wilhelm Steinitz vs Alexander G Sellman
Baltimore 1885 ・ French Defense: Classical. Steinitz Variation (C11) ・ 1-0




「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい

解説がされています。「シュタイニッツの奇妙な戦略・・・『駒一式を帽子に入れて激しく振り

混ぜる。そして61cmの高さから盤上に降り注げば、シュタイニッツ風チェスのできあがりだ』

バード バードはふざけて言ったのだろうが、アンデルセンやモーフィーの率直な攻撃やコ

ンビネーションを見て育った棋士たちの目には、わずかな優位を得るために手数をかける

シュタイニッツの駒繰りが奇異に映った。騎士(ナイト)が大胆だった頃の勇敢なチェス精神

とはかけ離れたようなものに見えたのだ。しかし、シュタイニッツとその奇妙な手順からは、

勝つための戦略を大いに学べる。ラ・ブルドネやモーフィーと対戦したら彼らを脅かしたで

あろうシュタイニッツには、陣形を重視する指し方の基礎が見られる。本局の序盤では、シュ

タイニッツの型にはまらない指し方にとまどうかもしれない。遅いキャスリング、バカげたよう

に見える手、5手もかけて縁の拠点へドン・キホーテのように向かうナイト。しかし、終局まで

鑑賞すれば、現代のチェス戦略を大いに学ぶことになるだろう。。」・・・本書より抜粋引用




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Johannes Zukertort vs Wilhelm Steinitz
"Bohemian Rhapsody" (game of the day May-24-09)
Steinitz-Zukertort World Championship Match (1886) ・ Queen's Gambit Declined: Modern Variation (D53) ・ 0-1


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Wilhelm Steinitz vs Louis Paulsen
"The Royal Stroll" (game of the day Mar-21-07)
Baden-Baden (1870) ・ Vienna Game: Vienna Gambit. Steinitz Gambit Paulsen Defense (C25) ・ 1-0


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Wilhelm Steinitz vs Mikhail Chigorin
"Good Wil Hunting" (game of the day Jun-18-09)
Steinitz-Chigorin World Championship Rematch (1892) ・ Spanish Game: General (C65) ・ 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Wilhelm Steinitz vs Curt von Bardeleben
"The Battle of Hastings" (game of the day Sep-28-04)
Hastings (1895) ・ Italian Game: Classical Variation. Greco Gambit Traditional Line (C54) ・ 1-0

Wilhelm Steinitz: A short tribute | Chess News


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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シュタイニッツの名局集

Wilhelm Steinitz's Best Games
Compiled by KingG


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The Dark Side
Compiled by lonchaney


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シュタイニッツが解説した局

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シュタイニッツの全棋譜はこちら

 


「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」

ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用




残念ながら、モーフィは局面図をまったく残していないし、その手順を解説する文書もほとんど見当たらない。時代

のはるか先を行っていたモーフィが第一線から退くと、ふたたびロマン派が優勢になった。彼らは何も学ばなかった

のだろうか。展開と攻撃の基本原則が再発見され、公式化されるのはさらに四半世紀先のこととなる。



その再発見はヴィルヘルム・シュタイニッツの功績だった。当時オーストリア帝国の一部であったプラハに生まれ、

チェスをはじめた当初よりめきめき腕を上げていったシュタイニッツは、同時代の棋士たちに似た棋風だった。すな

わち、華麗に、捨て駒をいとわずにプレーし、防御や安定はまず顧みない。だが大胆な攻撃で棋士として名を馳せた

シュタイニッツは、やがて“オーストリアのモーフィ”の異名をとるようになる。



英国に移住後、シュタイニッツは少しずつ考え方と棋風を変えていった。英国では20年をすごし、のちにアメリカに

渡って市民権を得ている。大会の合間の長い休息期間に思索と研究を進めるかたわら、彼は有名なチェスのコラム

を書き、公開試合をおこなった。1870年にはディフェンス、弱点、戦略的プレーの理論構築に着手。チェスの年表は

ここで“シュタイニッツ以前”と“シュタイニッツ以後”に分かれる。



シュタイニッツの不朽の名声を確立したのは理論に関する貢献だろうが、彼はそれを盤上で実践することにも成功し

た。1886年、保守派であるロマン主義の攻撃的棋士ヨハネス・ツケルトートと対戦した。これは現在、第1回公式世界

チャンピオン戦として記憶されている。最初の5局で4敗したものの、最後にはシュタイニッツとその原則に軍配があ

がった。彼は敵の力量を見定めて対応し、9局で勝利を記録、その後の敗北は1局にとどめている。ツケルトートは

まったく理解できなかった。華々しく攻めるわけでもないのに、どうしてシュタイニッツが勝てたのか。結局のところ、

試合とは攻めて勝つものではないのか?



1894年にシュタイニッツがエマーヌエル・ラスカーに王座を明け渡すころには、新世代の棋士たちがシュタイニッツの

教えを十分に吸収する。歴代のどのチャンピオンも、シュタイニッツの理論と原則に恩義を感じていた。ゲームの進化

はつづいているが、最初にチェスを海中から陸地に引きあげたのは、モーフィに触発されたシュタイニッツだった。





Moritz Porges (1857-1909)

1895年のヘイスティングズ大会

Standing: Lasker, Charousek, Schlechter, two organisers, Janowsky, Maroczy, Marco, Showalter, three organisers
Seated: Albin, Porges, Chigorin, Tarrasch, Winawer, Steinitz, Blackburne, Schallopp, Schiffers, Pillsbury, Walbrodt, Teichmann







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