Datei:Vassily Smyslov 1977.jpg ? Wikipedia
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「激闘譜」 より抜粋引用 |
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「楽しいチェス読本」ロフリン著 より引用 3年後、挑戦者はスミスロフと決定しました。彼は青年時代まで非常に恵まれた環境に育っていました。 スミスロフ家では、チェスは他家の観劇や音楽鑑賞に相当していたのです。1940年のソ連選手権での 勝利は、彼に巨匠の名を与えました。第2次大戦後の1953年、スイスで開かれたFIDE認定の世界選手 権挑戦者決定戦でも第1位となり、ついに世界チャンピオンへの挑戦権を獲得したのです。 1954年3月、モスクワでボトビニクとスミスロフの試合が開始されました。チャンピオンのスタートは快調 で、5試合終了時ですでに4勝1敗と挑戦者を引き離していました。一方的な戦いとならないためには、 挑戦者の奮闘に期待が寄せられましたが、11試合が終わった時点では6勝5敗と逆に挑戦者がリード していました。その後さらに8試合が終了した時点で、ボトビニクの10勝8敗1分と逆転。その後、挑戦 者は頑張り続けたのですが、最終結果はまったくの引き分け12:12(点数計算)で、ルールによりチャン ピオンの勝ちとなりました。 1957年に、再びこの2人で世界選手権が争われました。今回は前回と違う展開でした。最初の5試合が 3勝2敗とボトビニクのリードではじまり、6、7試合目を続けてスミスロフが勝ってからは彼がリードを維持 し、12.5 : 9.5 でスミスロフが第7代世界チャンピオンとなったのです。 しかし、スミスロフの王位は1年しか続きませんでした。原因は、彼が驕っていたとはいえないまでも、 勉強を怠っていたからです。彼は偉大な天才プレーヤー、ボトビニクの底力を知らなさすぎたのです。 ボトビニクは当時47歳になっており、肉体的にはすでに下り坂で、ましてチェスのような複雑な競技に はその影響は否定できないものでした。しかし、大方の見方をくつがえして、ボトビニクはチャンピオン に返り咲いたのです。スミスロフより10歳も年長だったのに、です。 1958年のリターン・マッチでは、最初の6試合であらゆる予想がくつがえされました。チャンピオンの スミスロフは3試合続けて負けた結果、6試合終了時にはボトビニクの4勝1敗1分けと引き離されて しまいました。前述のように準備段階の時点で、2人の明暗ははっきりしていたのです。14試合目を 勝った時点で、ボトビニクは4ポイントをリードしていました。15試合目、ルークによる最終手で勝利 を目前にしながら、55手目で制限時間をオーバーして敗北したのです。最終的に勝利はボトビニク のものとなったとはいえ、成績は、予想をはるかに下回るものに終わりました(ボトビニクの12.5 : 10.5)。しかし、とにかく彼は4度目のチャンピオンの座を手にしたのです。 |
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スミスロフの名局 Paul Keres vs Vasily Smyslov Zurich Candidates (1953) ・ English Opening: Anglo-Indian Defense. Hedgehog System (A17) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 smyslov_keres_1953.pgn へのリンク Vasily Smyslov vs Zoltan Ribli London 1983 ・ Queen's Gambit Declined: Semi-Tarrasch Defense. Main Line (D42) ・ 1-0 「ベテランがみごとなサクリファイスを連発する。カスパロフとの一騎打ちへの道中の出来事。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 smyslov_ribli_1983.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Vasily Smyslov "The Peasant's Revolt" (game of the day Apr-01-10) Botvinnik-Smyslov World Championship Match (1954) ・ King's Indian Defense: Fianchetto Variation. Classical Fianchetto (E67) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 botvinnik_smyslov_1954.pgn へのリンク Vasily Smyslov vs Vladimir Mikhailovich Liberzon "Proper English" (game of the day Jun-02-08) URS-ch Erevan 1968 ・ English Opening: King's English Variation. Hungarian Attack (A25) ・ 1-0 smyslov_liberzon_1968.pgn へのリンク Vasily Smyslov vs Iosif Rudakovsky "Ruda Wakening" (game of the day Oct-09-09) USSR Championship (1945) ・ Sicilian Defense: Scheveningen. Modern Variation (B83) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「入念に作り上げた拠点・・・『c3(黒ならc6)のナイトには、相手が油断 した瞬間に Nd5(Nd4)でセンターに侵入する義務がある」(ニムゾヴィッチ)。スミスロフは、 c3にナイトがあるとき、何もせずにそんなチャンスをただ待っていたりしない。要のd5はしっか り守られているが、スミスロフはその防御ピースを取り除く方法を見つける。そうなってしまえ ば、彼はナイトをd5に居座らせてセンターを固定する。そして、キング側へ注意を向けると、 華麗な速攻で突破する。」・・・本書より抜粋引用 rudakovsky_smyslov_1945.pgn へのリンク Vasily Smyslov vs Mikhail Botvinnik Botvinnik-Smyslov World Championship Match (1954) ・ French Defense: Winawer. Retreat Variation Armenian Line (C18) ・ 1-0 smyslov_botvinnik_1954.pgn へのリンク Vasily Smyslov vs Samuel Reshevsky "Slippery Vasily" (game of the day May-26-04) FIDE World Championship Tournament (1948) ・ Spanish Game: Morphy Defense. Modern Steinitz Defense (C75) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「ルークとポーンの終盤戦・・・すべてのチェス棋士(読者と私も含めて) は、サディステックな側面を持っていなければ、仲間が容赦なく徹底的に負かされるのを見 ていられないだろう。本局では、スミスロフが開始直後からセンターを掌握する。タラッシュに よって有名になった指し方で一手ずつ支配を固めていく。相手は譲歩せざるを得なくなり、弱 くなったポーンが取られるのを防げないことが判明する。1ポーン得になったスミスロフは、急 いで終盤戦へと転換する。そして、とびきり教訓的なルーク+ポーン終盤に仕立て上げた。 それを見事な指し回しでやってのけるのだから、全く脱帽する。この分野での彼の能力が、す でにカパブランカやルビンステインのそれに比肩することは明らかだ。これ以上の賛辞はな い。」・・・本書より抜粋引用 smyslov_reshevsky_1948.pgn へのリンク Igor Bondarevsky vs Vasily Smyslov Moskva 1946 ・ Spanish Game: Closed Variations. Delayed Exchange (C85) ・ 0-1 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「1個半ビショップ・・・厳密に言うと、これは2ビショップのゲームではない。 2ビショップが2ナイトやナイト+ビショップに対抗するゲームに特有の魅力を多く備えているが。 スミスロフは、ビショップの一つをナイトと交換することで、2ビショップ・ゲームから外れる。し かし、10手後に、ビショップを取ったポーンを当然取り返す。中盤では、スミスロフのポーンが 小さな黒アリのように盤上を埋め尽くし、相手を不快にする。白のピースは、センターに居心地 のいいマスが見つけられない。終盤では、スミスロフの残った白マス・ビショップ(一つで十分 だったらしい)が、白マスにとどまっていた相手のクイーン側ポーン群に襲いかかる。全局は、 スミスロフの最高の棋風で指されており、通して並べると楽しい。」・・・本書より抜粋引用 bondarevsky_smyslov_1946.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Vasily Smyslov "From Russia With Love" (game of the day Oct-24-08) Botvinnik-Smyslov World Championship Return Match (1957) ・ English Opening: Anglo-Indian Defense. Slav Formation (A15) ・ 0-1 botvinnik_smyslov_1957.pgn へのリンク スミスロフが負けた名局 Vasily Smyslov vs Gyula Sax "Sax Fifth Avenue" (game of the day Apr-28-08) It ( cat. 15 ), Tilburg 1979 ・ Indian Game: King's Indian. Fianchetto Variation (A49) ・ 0-1 Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合が一手ごと詳しく解説される。 smyslov_sax_1979.pgn へのリンク |
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スミスロフの名局集 その一 125 Selected Games by Vasily Smyslov Compiled by suenteus po 147 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Smyslov_Select.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) スミスロフの名局集 そのニ Vasily Smyslov's Best Games Compiled by KingG 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Smyslov_Best.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) スミスロフの全棋譜 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Smyslov_All.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) |
El Cubo de Rubik ・ Antonio Gude: KASPAROV contra SMYSLOV
Kasparov vs Smyslov
Final de Candidatos. Vilnius, marzo 1984
カスパロフとスミスロフ
_Griphin's_Chess_Bl0g_: Vasily Smyslov dies March 26, 2010