ミハイル・ボトヴィニク(ボトビニク)、(Mikhail Moiseyevich Botvinnik) |
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「激闘譜」 より抜粋引用 |
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ミハイル・ボトヴィニクの名局 A Yurgis vs Mikhail Botvinnik "Yurgis is as Good as Mine" (game of the day Aug-05-13) Leningrad tt 1931 ・ English Opening: Anglo-Indian Defense. King's Knight Variation (A15) ・ 0-1 yurgis_botvinnik_1931.pgn へのリンク Vsevolod Rauzer vs Mikhail Botvinnik USSR Championship (1933) ・ Sicilian Defense: Dragon. Classical Variation Maroczy Line (B72) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 rauzer_botvinnik_1933.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Rudolf Spielmann Moscow (1935) ・ Caro-Kann Defense: Panov Attack. Modern Defense Reifir-Spielmann Line (B13) ・ 1-0 解説・GM Lubomir Kavalek/The Huffington Post Huffington: The Adventures of Mikhail Botvinnik (1) | Chess News botvinnik_spielmann_1935.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Vitaly Chekhover "Chekhover That Position Again" (game of the day Aug-18-04) Moscow (1935) ・ English Opening: Agincourt Defense. King's Knight (A09) ・ 1-0 「最初の偉大なるソビエトのプレーヤーによる型破りのキング・ハント。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 botvinnik_chekhover_1935.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Savielly Tartakower "Sheriff of Nottingham" (game of the day Aug-09-2007) Nottingham (1936), Nottingham ENG, rd 4, Aug-13 English Opening: Anglo-Indian Defense. Old Indian Formation (A15) ・ 1-0 botvinnik_tartakower_1936.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Jose Raul Capablanca "A Thing of the Passed" (game of the day Jan-27-06) AVRO (1938) ・ Nimzo-Indian Defense: Normal Line (E40) ・ 1-0 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 「ボトヴィニクの最高のゲームであるだけでなく、ベスト・ゲームの人気投票でも最高位を獲得 するであろうゲーム。絶妙のコンビネーションに飾られた作戦的勝利の名局。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 botvinnik_capablanca_1938.pgn へのリンク Paul Keres vs Mikhail Botvinnik "Absolutely Smashing!" (game of the day Jun-21-16) USSR Absolute Championship (1941) ・ Nimzo-Indian Defense: Classical. Noa Variation (E34) ・ 0-1 keres_botvinnik_1941.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Milan Vidmar "I'm Too Sexy for Milan" (game of the day Nov-02-11) Groningen (1946) ・ Queen Pawn Game: Symmetrical Variation (D02) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「終盤の対決 ナイト対ルーク・・・この栄えあるボトヴィニクのゲームは、 1938年のAVRO(オランダの放送局)大会でカパブランカを破った名局に匹敵する。全局を通 じて魅力的なゲームだ。序盤から、ボトヴィニク独自のスタイルで進められる。中盤では、ルー クの支配を保つために交換損のサクリファイスをする。終盤では、機敏なナイトが相手ルーク の周りを飛び回る。本局からは多くのことを学べるが、それ以外にも、並べるたびに新たな喜 びを感じられる。ジョン・コリアーのファンタジー小説やペレルマンのばかげたパロディーが、 何度読み直しても楽しめるように。」・・・本書より抜粋引用 botvinnik_vidmar_1946.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Lajos Portisch "Botvinnik and Paid For" (game of the day Feb-12-09) Monaco 1968 ・ English Opening: King's English. Two Knights' Variation Reversed Dragon (A22) ・ 1-0 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 「50歳代の後半になってもボトヴィニクは、まだはつらつとした指しぶりを見せていた。 これは60年代を代表するゲームのひとつ。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 botvinnik_portisch_1968.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Isaac Boleslavsky USSR Absolute Championship (1941) ・ French Defense: Tarrasch Variation. Open System (C07) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「優雅な単純化・・・本局はボトヴィニクの名局の一つで、序盤戦略の 独創性と中盤のコンビネーションが卓越している。終盤戦は、学習者にもひじょうにわかり やすい。このルーク+ポーン終盤を学べば、誰もが棋力を向上できること請け合いだ。『無駄 のない勝ち手順の明晰さは、魅力的な論理に支えられている。それを称賛するのはたやすい が、説明するのは難しい!』ラインフェルド。」・・・本書より抜粋引用 boleslavsky_botvinnik_1941.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Ilia Abramovich Kan USSR Championship (1931) ・ Dutch Defense: Classical Variation. General (A96) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「トラが忍び寄るように・・・アメリカのトップ棋士の一人が、かつて私 にこう言った。『何も起こらないゲームが好きだ』。彼はきっとこのボトヴィニクのゲームが 気に入っただろう。ささいなコンビネーションはあるが、注釈にしか現れない。ボトヴィニク は、純粋な陣形の有利さだけで勝利する。d5を要マスとするdファイルを制圧することで、 ピースが敵陣へ侵入できるようになる。第30手頃の交換でメジャーピースのいつくかがな くなり、ボトヴィニクが1ポーン得のルーク+ポーン終盤が残る。彼はやすやすと勝利する。」 ・・・本書より抜粋引用 botvinnik_kan_1931.pgn へのリンク Mikhail Botvinnik vs Ilia Abramovich Kan Russia 1943 ・ Sicilian Defense: Scheveningen. Classical Variation (B84) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「さまようキング・・・全ピースがまだ残っている中盤戦で、ボトヴィニク は巧妙な数手で状況を一変させる! 中盤戦が突如として終盤戦になり、ボトヴィニクの2の ポーンが昇格マスへ近づく。続く見事な手順では、キングが重要な役割を果たし、再び状況 が一変する。パスポーンは局面を単純化させるために両方とも消え去るが、ボトヴィニクの 勝利は思うがままとなる。」・・・本書より抜粋引用 kan_botvinnik_1943.pgn へのリンク ミハイル・ボトヴィニクが負けた名局 Mikhail Botvinnik vs Jose Raul Capablanca Moscow (1936) ・ English Opening: Agincourt Defense. Catalan Defense (A14) ・ 0-1 79 years ago: Capablanca beats Botvinnik | Chess News botvinnik_capablanca_1936.pgn へのリンク |
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ミハイル・ボトヴィニクの名局集 Mikhail Botvinnik's Best Games Compiled by KingG 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Botvinnik_Best.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) ボトヴィニクの全棋譜 |
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以下、「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」 ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用 妥協なき長老 第6代世界チャンピオン(1947-57, 1958-60,1961-63)。ロシア、クオッカラ生まれ。1946年にタイトル保持者 のアレクサンドル・アリョーヒンが死去したのを受け、世界の名手たちによる新チャンピオン決定戦が組織 された。ボトヴィニクはこの1948年の大会を制し、その後連続とつづくソ連出身世界チャンピオンの第1号と なる。工学者を兼業していたが、最優先事項はつねにチェスだった。 “ソ連チェス界の長老”という称号に加えて、再戦の王と呼ぶこともできるだろう。世界チャンピオン戦に破れ ながら、1年後に雪辱を果すこと2回。個々の対戦相手の特徴を徹底的に調査して準備する能力により、 チェス界に新たな水準の厳しさとプロ意識を定着させた。こうした再戦に挑んで勝利するには、粘り強いだ けででは足りない。ボトヴィニクは自身のプレーヤーを客観的に分析し、最初の対戦で敵につかれた弱点を 修正することができた。 妥協のない性格は晩年まで変わらなかった。1994年にモスクワで開催される快速チェスの大会への参加を 打診した際、当時83歳のボトヴィニクに「快速チェスとはふまじめな!」と断られた。快速チェスは新しい流行 で、このイベントにはみんな参加する。あなたの宿敵ヴァシリー・スミスロフもだ、とこちらも食い下がったが、 ボトヴィニクの返事は「私は自分の頭で考えることに慣れている。百人が別の考えだとしても、気にはせん!」 ボトヴィニクは1970年にプロの世界を離れ、その後は後進の指導と新しい分野であったコンピューターチェス に専念した。彼主宰のスクールは若年層の逸材を全国から年2、3回招待し、数世代にわたってチャンピオン を生み出すようになる。60年代前半の初代卒業生に若き日のアナトリー・カルポフが、1973年には10歳の 私、ガルリ・カスパロフがいた。1987年に若きウラジミール・クラムニクが参加するころには、この学校は ボトヴィニク・カスパロフ合同のスクールとなっていた。・・・チャンピオン輩出の業績は目覚しい。 「ボビー・フィッシャーを探して」 フレッド・ウェイツキン著 若島正・訳 みすず書房 より以下引用 1949年、当時の世界チャンピオンだったミハイル・ボトヴィニクは、ソ連のチェスについて書いた著書の中で、 ソ連のプレーヤーがなぜ成功するのか、その心理的優位面をこう説明している。「ソヴィエト派のチェスは諸外国 のチェスとどこが根本的に違うのか? 最も重要な点は、チェスの社会的地位である。・・・・我々ソヴィエトの マスターたちは・・・・チェスが社会的に有用な文化活動であり、我々がソヴィエト国家に利益をもたらすことを 知っている。」 端的に言えば、チェスはロシアの文化的優位性のバロメーターなのである。1972年にフィッシャー がスパスキーを破り、ロシア人がこれは永遠に自分たちの宝物だと信じるに至った世界チャンピオンの座をもぎ とったとき、この国では何かが腐っていると国中が怪しんだほどだ。 チェスは、合衆国での野球やフットボールに似て、ソヴィエトの国家意識の一部である。チェスはその比喩的な 含みと論理的および数学的な純粋性のために、さまざまな人々にとって実にさまざまなものを象徴する。長年に わたって、ソ連邦ではチェスが芸術か、スポーツか、それとも科学かをめぐって激論がかわされてきた。ボリス・ スパスキーやダヴィド・ブロンシュテインといったプレーヤーは、しばしば直感や幻想やロマンティシズムといった 言葉でチェスを抒情的に描く。ブロンシュテインの著書「80年代のチェス」では、チェスは人生の隠喩となり、クリ ストファー・ラッシュ(アメリカの社会批評家)やスーザン・ソンタグ風の社会批評の契機となる。 ロシア作家はチェスを題材にした短編や詩をよく書く。それと同時に、ソヴィエト派のチェスが他の流派と異なって いるのは、実験や体系的分析といった科学的方法を徹底的に使用している点だ。今では現役から退いている ミハイル・ボトヴィニクをはじめとする、人工知能開発に興味を持つ人々にとって、チェスは人間知性の本質に 迫る真剣な科学的探究のために格好の素材を提供しているのである。 1920年代以降、チェスはソヴィエト政界へのトレーニング場とも見なされてきた。著書「ソヴィエトのチェス」の中で、 D・J・リチャーズはこう書いている。「・・・・理想的なチェスプレーヤーの資質は理想的な共産主義者の資質と軌を 一にしていた。どちらも臨機応変で創意に富んでいなくてはならず、戦略や駆け引きの才能があり、あらゆる障害 をはねのけて最後に勝利を勝ち取ろうとする鉄のような意志の持ち主でなくてはならない」 |
ボトヴィニクのチェス学校、隣に座っているのが少年時代のカスパロフ
Fichier:Mikhail Botvinnik and Max Euwe 1962.jpg - Wikipedia
ボトビニクとエイベ