Chess review | Simon Parris: Man in Chair


(67) 「CHESS MUSICAL - LONDON」のおしゃれアイデアまとめ|Pinterest




『チェス』(原題:Chess)は、冷戦をテーマにしたミュージカル。ABBAのメンバーであるベニー・アンダーソン、

ビョルン・ウルヴァースが作曲、ティム・ライスが作詞。 1984年、ミュージカル初演に先立ちコンセプト・アル

バムがリリースされる。1986年にロンドンのウェストエンドで行われ、その後3年間上演される。アメリカの

ブロードウェイでは、脚本や音楽を大きく変更し上演するが2カ月で終了する。その後、演出に変更が加え

られながら世界各国で上演される。


ウィキペディアより引用





『CHESS』って何だ?-ABBA MUSIC & MUSICAL IN JAPAN より以下引用


第一幕大意(ストーリー)

米ソ冷戦時代の北イタリアのチロリアン・タウン、メラノ。ここで『ワールド・チェス・チャンピョンシップ』が開催され

ようとしていた。フレディことフレデリック(30代半ば)はアメリカ人のチェス・チャンピオンだ。恋人でマネージャー

のフローレンスと共に、世界チャンピオン戦(タイトル防衛戦)のためにメラノにやって来た。挑戦者はソ連(ロシア)

のアナトリー(40代初頭)。彼のマネージャーモロコフはKGBだ。フレディは強気の姿勢を絶えず崩さず、ソ連代表

のアナトリーを挑発。まさに心理的揺さぶりだ。KGBのモロコフは形成を立てなおす為にアナトリーにフローレンス

を誘惑しろと進言する。



CHESS盤上で繰り広げられるアメリカ対ソ連の戦い。砲弾こそ飛んで来ないが、米ソの熱い戦いだ。熱気に包ま

れる会場。昨日までマイナー競技だったはずの『チェス』が今、全世界から注目を浴びている。いつもは静かな

田舎町が突如興奮の渦の中に飲み込まれていった。歓喜するオーディエンス(観衆)。この異常なまでの興奮の

中、今まで強気でいたフレディはさらに悪態をつくようになる。アナトリーとの対戦を揶揄し始める。そんなフレディ

の姿に、フローレンスは愛想を尽かし始める。



フローレンスの父はソ連軍に殺された、ソ連が憎いはずだった。だがフレディとフローレンスの関係に罅が入り

始める。今は内輪もめをしている場合ではない。フレディとアナトリーは仲直りすることになり、山の上ホテルで

会うことになった。だが、運命とは皮肉なモノ。アナトリーが遅れてしまったのだ。フレディの短気さは、遅れて来る

アナトリーを待つ余裕もなく、出て行ってしまう。入れ違いにアナトリーは到着する。そこにはフレディの姿はない。

いつしかソ連代表のアナトリーはフローレンスと恋に落ちてしまう。その光景を観たフレディは激怒。もう後戻り

できないこの3名の運命。試合はもはやアメリカ人フレディの負け。フレディは敗北の原因を恋人フローレンスの

せいにする。フローレンスと恋に落ちたアナトリーは「亡命」を決意し、フローレンスと共に西側諸国の大使館に

駆け込むのであった。



<第二幕大意(ストーリー)>



あれから1年が過ぎた。今年の『ワールド・CHESS・チャンピョンシップ』大会がタイのバンコクで行われようとしていた。

現在の世界チャンピョンは西側に亡命したアナトリー。彼の対戦者は挑戦者のロシア人の“CHESS・マシーン”こと

レオノイド・ビガンド。アナトリーのタイトル防衛戦だ。昨年とは逆の立場だ。しかも今年はアメリカ代表として、ソ連の

チャンピョンと戦わなければならない。このソ連の挑戦者はやはり、モロコフとその仲間達にコントロールされている。

昨年までの世界チャンピョンのフレディは、今はCHESS・プレイヤーからは引退し、この競技会にはTVのコメンテー

ターとしてやってきた。フレディは、プレイヤーの重圧から解放されてリラックスしているようで、メラノとはまったく対照

的なバンコクの怪しげな魅力には無関心だ。



ウォルターとフレディは、これから始まる選手権のテレビ放送の確認をしている。試合が始まる。アナトリーは先に

1勝したものの、2戦目を落としたところから集中できないようだ。彼は、かつてのライバルのフレディが来ている

ために落ち着かないとフローレンスに告げる。フローレンスは、フレディがここバンコクに来ているのはお金のため

であって、自分たちの人生を邪魔するためではないと安心させる。だが、さらに不安にさせるニュースが入る。

アナトリーの妻、スヴェトラーナがバンコクに来るというのだ。二人の関係に初めて不穏の種が蒔かれた。



一方モロコフは優れた“CHESS・マシーン”Viigandに絶対的な信頼を持っていた。アナトリーのように妻が突如現れる

といった個人的な問題に邪魔されることもなく、彼の勝利に確信を抱き、歓喜に酔っている。モロコフにとって都合の

いいことに、ウォルターは、アナトリーに衝撃を与えるようなテレビインタビューを手配してした。まず、インタビュアー

は他でもないフレディ・トランパー。それに、スベトラーナのビデオがあるのだ。無神経で口汚い個人的な質問がいくつ

も続いた後、アナトリーはスタジオから出て行く。ウォルターとモロコフが共謀して、アナトリーがゲームに負けてソ連に

戻るように、このようなインタビューを仕組んだことが明らかになる。



スヴェトラーナ・セルギイフスキーは、バンコクで一人ぼっちで悲しんでいるが、妻としてただずっと思い悩んでいるだけ

ではない。彼女は、アナトリーとのごたごたの後には明るい未来がきっとあると感じている。陰謀はますます激しくなる。

登場人物のそれぞれが競うように策略を繰り広げ、それが競技会でのCHESS盤上の策略にも影を落としていく。アー

ビターは、この状況を監視しようとするができない。モロコフは、スヴェトラーナにアナトリーをソ連に連れて帰るように

圧力をかけ、夫婦は気まずい対面をする。ウォルターは、フローレンスの父親はブダペストで死亡しておらず、ソ連で

30年間投獄されているという知らせでフローレンスを動揺させる。この選手権が「いい結果」になれば、フローレンスの

父親は西側諸国への移動が許されるというのだ。アナトリーは、負けてモスクワに戻らなければならない。フローレンス

はウォルターの言うことを信じていいのかどうかわからない。ウォルターは、フローレンスはこちらの思い通りに動くだ

ろうとモロコフに伝えるが、念のためフレディの協力も取り付ける。フレディは、アナトリーがフローレンスの為に試合を

放棄するように企てるが、アナトリーに一蹴されるばかりか、フローレンスにも軽蔑される。



フローレンスに拒否され、アナトリーに蔑まれ、政治に利用されたフレディは、ついに疲れ果てる。傲慢で偉そうな自尊

心のマスクは剥がれ落ちてしまう。同じく悲しんではいるが、自制心は失っていない愛人(フローレンス)と妻(スヴェト

ラーナ)は、自分が愛する同じ男(アナトリー)のことを歌う。



しかし、CHESSの試合は続けなければらない。アナトリーは、家庭の問題から逃れて気持ちをCHESSに戻そうと、バン

コクの公園で一人打つ手を考えている。そして突然、隣に立っているフレディに気づく。アナトリーは、このかつての

ライバルはCHESSのことを話したいだけなのだと分かって驚かされる。フレディは、ゲームを見ていて気が付いた

挑戦者Viigandの弱点を挙げる。



スコアは5対5、どちらにとっても勝利まであと1ゲーム。アナトリーが負け、Viilgandが新チャンピオンになるだろうと誰もが

思っている。偉大なCHESS・プレイヤーがいつの時代もそうであるように、アナトリーは、自身の複雑な人生に翻弄され

ている。政治の世界で、またプライベートでも、フローレンスに、スヴェトラーナに、モロコフに、Viigandに悩まされている。

自分が自分に正直でいられるたった一つの方法は、ゲームで最高のスキルを見せることだ。アナトリーは、フレディの

ようにCHESSを通して自分自身を取り戻し始める。アナトリーは、困難な状況を乗り越えて勝利する。



フローレンスとアナトリーは、一緒にいられる時間が終わったことを知る。だが、お互いへの愛情は終わっていない。

アナトリーは国に帰らなければならないが、ありのまま自分に戻り、そして今なおチャンピオンだ。アナトリーは、これで

フローレンスの父親が解放されたのであればいいがと願う。アナトリーが去った後、ウォルターは父親の新しい情報を

手に、フローレンスににじり寄るのだった……。フローレンスのお父さんが本当に生きていることなんて誰も知らない、
ましてや、そのお父さんがフローレンスのもとに戻ってくるなんて……。



第二幕終了FIN



大まかに「第二幕」のニュアンスは掴めたでしょうか?



フレディはかつての敵であった「メディア側」に転身し、昨年「メディア」から自分がされたと同じことをアナトリーに向け、

発信し、アナトリーを攻撃します。全てはフローレンスを取り戻す為です。しかしフローレンスからは愛想をつかれ、もう

フローレンスが自分の元に戻らないことを悟ります。そんな中、フレディは、かつての自分が『CHESS』に賭けた情熱を

取り戻し、敗戦もやむを得ないアナトリーを助けます。フレディはゼロから人生をやり直すことに決めたのです。



フローレンスは、フレディが自分とアナトリーを執拗までに攻撃・干渉してくることに唖然とします。そして、1956年の

ブタペスト動乱で行方不明になった自分の父親が実は生きていることを敵国ソビエトのセコンドKGBモロコフや、

グローバル・テレビジョンのウォルターや、フレディから聞き、動揺します。しかも最後はアナトリーが祖国に帰り、

一人ぼっちになり、ウォルターから「お父さんが本当に生きていることなんて誰が知っているものか」と言われ、茫然と

します。そうです。フローレンスは何もかも失ってしまったのです。そして、アナトリーがソビエトに帰った「本当の理由」

を聞き、さらにショックを受けます。



アナトリーは西側(アメリカ)陣営になり、最初の『ワールド・CHESS・チャンピョンシップ』防衛戦をフローレンスと共に

迎えますが、フレディからくだらないインタビューを受けたり、メディアからのしつこいインタビューにうんざりしていた

ところに、妻のスヴェトラーナがソビエトから来たことを知り、さらに動揺します。そしてあろうことか、フローレンスの

お父さんが生きていることを知ります。その上、フローレンスのお父さんをフローレンスの元に戻すために「試合に

負ける」か、「勝って、ソビエトの帰順」するよう求められ、心の中で格闘します。そしてアナトリーの選んだ道は

「勝って、ソビエトに帰順」することでした。愛するフローレンスのもとを泣く泣く去って行きます。



アメリカ陣営のウォルターは「グローバル・テレビジョン」は独占放送も出来たし、誰が勝とうが彼には全く関係あり

ませんでした。彼は彼の役目を十分果たしたことに満足します。



新たなソビエトCHESSチャンピョンを引き連れ、彼のセコンドで登場したKGBのモロコフは、アメリカのウォルターと

協力し、フローレンスのお父さんが生きていることでフローレンスを動揺させ、アナトリーに、フローレンスのお父さん

を戻す為の条件を伝え、アナトリーのソビエト帰順に成功します。しかし、アナトリーと約束した「フローレンスのお父

さんを戻すこと」を何でもなかったかのように知らぬ顔で、アナトリーとスヴェトラーナと共にソビエトに戻ります。



スヴェトラーナは本当はバンコクに来るはずではなかったのですが、モロコフの戦略にみすみすハマり、バンコクに

やってきて、アナトリーと口論します。そして、フローレンスと自分とでは、どちらがアナトリーを本当に愛しているか?

フローレンスに求めます。そして、ついにアナトリーを取り戻すことに成功します。しかしソビエトに帰って、そのまま

アナトリーと「新たな生活」が出来たかどうかはわかりません。



人が幸せになったり、不幸せになるのは、いつ、どんなことがきっかけで起こるかわかりません。他人の手により、

人生が左右されることも多々あります。それはまるで『CHESS』のコマのように、神の手によって、なされるのです。



大事なことは、「後悔しない生き方」をすること。そして、人生は、いつ、どんな環境下でもやり直しがきくということ。

『CHESS』はそんな人間の人生絵巻をミュージカルと言う形を通して、私達に伝えているのです。



果たして、あなたの人生は、どうですか?





チェス棋士・フィッシャー(Bobby Fischer) チェス世界チャンピオン を参照されたし。




Theatre Explorer: CHESS mist spanning op alle fronten


CHESS – Das Musical IMG_8458 – INSIDE Magazin - Halle, Leipzig & Region - Lifestyle, Reisen, Auto, Technik, Business


Corbett Auditorium | College-Conservatory of Music




2015年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!



ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。



やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。



ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。



今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、



この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 



おまえたちの終りは近いぞ」



2013年2月17日、亡き伝説のチェス王者・フィッシャーのこの言葉をフェイスブックで紹介したが、フィッシャーの母はユダヤ人

であり、生涯その関係は血のつながりを感じさせる温かいものであった。



なのに何故?



何が彼をそこまで追いつめたのか?



以前、郵便チェスでアメリカ人と対局したことがあるが、彼は「フィッシャーは不幸にして病んでいる」と応えていたが、アメリカ人

の多くがそう思っていることだろう。



1972年のアイスランドでの東西冷戦を象徴する盤上決戦と勝利、マスコミは大々的に報じ、フィッシャーを西側の英雄・時代の

寵児として持ち上げた。



それから43年後の2015年。



フィッシャーの半生を映画化した「完全なるチェックメイト」(原題はPawn Sacrifice)が日本でも12月25日から全国で上映される。



主演はスパイダーマンで有名なトビー・マグワイアだが、このスパイダーマンの映画の中で心に残っている台詞は、



「これから何が起ころうと僕はベン叔父さんの言葉を忘れない。『優れた能力には重大な責任が伴う』 この能力は僕の喜び

でもあり悲しみでもある。だって僕はスパイダーマンだから。」



フィッシャーとスパイダーマン、一時的にはフィッシャーは英雄となったが、彼にとって「重大な責任」とはチェスの真髄を追い

つづけることだったのかも知れない。



東西決戦の後にフィッシャーがとった奇怪な言動は、妥協を決して許さない態度が周囲との摩擦を深めていく中で、奇異な

ものとなっていったのだろう。



フィッシャーの素顔。



アメリカから訴追され、日本に居たフィッシャーをアイスランドへ出国させる為に尽力した渡井美代子さんは、フィッシャーと

スパスキーとの再戦時(1992年)に招待された時のことを次のように書いている。



「フィッシャーは誠実の人です。約束は必ず守ります。だから、会うたび違うことをいう人を(どんな些細な食い違いであった

としても)絶対に信用しません。フィッシャーは、私が希望をいえば誠実に応えてくれる最高の友です。試合のない日は私と

食事するという約束は何があっも一度も違えませんでした。どんな偉い人がきても袖にしました。」



有名な写真家Harry Bensonは、フィッシャーが亡くなった後に、「Bobby Fischer against the World」という自らが撮った

フィッシャーの写真集を出版した。



そこには、花や馬と戯れるフィッシャーがいた。



アイスランド。



盤上決戦の地であり、フィッシャーが64歳で亡くなった地。



私がチェスに関心をもつ前に、ある写真集に惹かれ、それから写真・写真集に関心を持つようになったのだが、そのきっかけ

となったのがアイスランドに近いアイルランドの写真集だったのも何かの因縁かも知れない。








2013年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」文芸春秋 を読み終えて

(写真はフィッシャーの写真集より引用したもので世界選手権の休息日に撮られたものです。)



2001年9月11日、同時多発テロの日。



「ブッシュ大統領に死を! アメリカに死を! アメリカなんてくそくらえ!

ユダヤ人なんかくそくらえ! ユダヤ人は犯罪者だ。

やつらは人殺しで、犯罪者で泥棒で、嘘つきのろくでなしだ。

ホロコーストだってやつらのでっちあげだ。あんなの一言も真実じゃない。

今日はすばらしい日だ。アメリカなんてくそくらえ! 泣きわめけ、

この泣きべそかきめ! 哀れな声で泣くんだ、このろくでなしども! 

おまえたちの終りは近いぞ」



これはイスラム過激派の言葉ではない。この言葉は1972年という東西冷戦時のソ連にたった一人で

立ち向かい、チェスで勝利した男・ボビーフィッシャー(ユダヤ人の血をひくアメリカ人)が発したもの

である。



チェスを超えて自由主義圏の英雄ともてはやされた男が何故ここまで堕ちたのか、いや正確には追い

つめられたと言ったほうがいいのだろう。



妥協することを許さない天才。彼の言葉は物事の真実を暴こうとするが周囲からは理解されず、彼の

名声やお金に与ろうする人間によって傷つけられ、人間不信と妄想そして貧困が彼を蝕んでいく。



母子家庭で育ったフィッシャー、その乾いた心を慰めてくれたものがチェスだった。その天性の才能は

花開き、数々のドラマを生みながら目標としていた世界選手権に挑む。



相手はソ連の世界チャンピオン・スパスキーだった。スパスキーは、その天性・性格・容姿から「チェス

の貴公子」と呼ばれていたが、1968年ソ連がチェコスロバキアに軍事介入した時、スパスキーは黒の

腕章を巻いて大会に現われ、チェコの選手一人一人に握手した。ソ連政府に対して暗黙の抗議を行っ

たスパスキーは1975年フランスに亡命することになる。



一匹狼のフィッシャーと貴公子のスパスキー、この似ても似つかない二人が、1972年世界チャンピオン

の座をかけて戦い、そして20年後の1992年にも国連制裁を受けていたユーゴスラビアで再び戦う。



チェスは白と黒の全く異なる駒が戦う競技だが、それは相手がいればこそ成立する。最初は国の威信

をかけての敵同士だったが、アイスランドでの選手権の戦いを通して彼らはまるでチェスの白と黒の駒

のように惹きつけ合い、互いになくてはならない存在になっていることに気づく。



フィッシャーがアメリカ政府から起訴され、日本で無効なパスポートをもって入国したとして入管法違反

で拘留させられたときも、スパスキーは6歳年下のフィッシャーを、まるで本当の弟のように心配し、

「何故、フィッシャーだけ捕らえるんだ。私も同じ留置所に入れてくれ」と弁護している。



「フィッシャーはその天性の完全さでいつも私に特別な感銘を与えた。チェス、

そして人生の両面においてだ。妥協は一切なかった」 スパスキー



本書はフィッシャーと長年親交があった人が書いたフィッシャーの評伝であるが、単に壊れていく悲劇

の軌跡を追うだけに留まらず、稀にみる一人の天才が対局場で産み出したチェスの名局と共に、チェス

盤と同じ64マスの生涯を終えたフィッシャーの人生そのものがチェス盤そのものに映し出されたような

錯覚に陥ってならなかった。



2013年2月17日 K.K



 




2014年5月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。





27歳の若さで亡くなったガシモフ(1986年~2014年 アゼルバイジャン)



チェスの黎明期から現在まで、多くのチェスの名人たちの写真を見てきましたが、ガシモフほど心の底からの笑顔を湛えた人は

いなかったかも知れません。



有望なチェスプレーヤーであると共に、持ち時間の短い試合において世界トップクラスでしたが、てんかんの発作を防ぐ手術を

してから健康上の問題を引き起こしてしまいます。



彼が亡くなって3ヶ月後の2014年4月、彼の故郷アゼルバイジャンにて「ガシモフ追悼トーナメント」が開かれ、世界チャンピオン

を含めて多くのトップ棋士たちが集まりました。



ガシモフには恋人がいましたが、最後に彼女の言葉を引用します。



チェス盤を前にした真剣な表情からは想像できない微笑み、彼女が言うように「自分よりも他の人の幸せを願った」人だった

からこそ、多くの人に愛されたのだと思います。



☆☆☆



彼は私が出会った人の中で最も感銘深い人でした。



私たちの絆は深い愛へと移行しましたが、同時に親友そのものでもありました。



私はチェスでは素人であり、チェスのルールしか知りませんし、正式な試合をしたこともありません。



私は彼の試合を評価することは出来ません。ただ言えることは、彼は自分よりも他の人の幸せを願った人でした。



彼の優れた美意識と感性、思いやりと趣味の広さ、詩を作り人生を思索するのを好み、また何時間も音楽を聴いたりする

貴方を、私は愛していました。



貴方と過ごした時間は私にとって名誉であり宝物です。



きっとこれからも貴方は私のそばにいて、私が出会う人生の様々な時に、その思い出と共に勇気を与えてくれるでしょう。



Elisabeth W.



☆☆☆






2013年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



ヴェラ・メンチク(1906-1944)・写真は他のサイトより引用



現在でも光り輝く星・ヴェラ・メンチク、彼女はチェスの世界チャンピオンを倒したこともある実力を持ちながら、

第二次世界大戦のドイツの空爆により、38歳で亡くなる。



上の写真はメンチク(前の女性)がクラブの23人のメンバーと同時対局(18勝1敗4分け)した時の写真である

が、彼女の偉業を称えて、チェス・オリンピックでは優勝した女性チームに「ヴェラ・メンチク・カップ」が現在に

至るまで贈られている。



彼女のような輝く女性の星が再び現われるには、ユディット・ポルガー(1976年生まれ)まで70年もの年月が

必要だった。チェスの歴史上、数多くの神童や天才が出現したが、その中でもひときわ輝いていた(人によっ

て評価は異なるが・・・)のがモーフィー(1837年生まれ)、カパブランカ(1893年生まれ)、フィッシャー(1943年

生まれ)である。



他の分野ではわからないが、このように見ると輝く星が誕生するのは50年から70年に1回でしかない。



20世紀の美術に最も影響を与えた芸術家、マルセル・デュシャン(1887年~1968年)もピカソと同じく芸術家

では天才の一人かも知れない。1929年、メンチクとデュシャンは対局(引き分け)しているが、デュシャンは

チェス・オリンピックのフランス代表の一員として4回出場したほどの実力を持っていた。



「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうどこの両極間の作用によって火花が

起こるように、何ものかを生み出す」・デュシャン、この言葉はやはり前衛芸術の天才、岡本太郎をも思い出

さずにはいられない。世界的にも稀有な縄文土器の「美」を発見したのは岡本太郎その人だった。



「チェスは芸術だ」、これは多くの世界チャンピオンや名人達が口にしてきた言葉だ。この言葉の真意は、私

のような棋力の低い人間には到底わからないが、それでもそこに「美」を感じる心は許されている。



メンチクの光、芸術の光、それは多様性という空間があって初めて輝きをもち、天才もその空間がなければ

光り輝くことはない。



多様性、それは虹を見て心が震えるように、「美」そのものの姿かも知れない。








2012年11月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「美女と野獣」(写真は他のサイトより引用)



今年2012年10月16日、アメリカの「チェスの日」に行われた Amanda Mateer(National Master)

による同時対局。



1989年生まれの彼女は、25人を相手に同時に対局(22人に勝利し、3人と引き分け)しましたが、

チェスの面白さと奥深さを知る写真だと思います。








2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)




追記(2012年11月30日)


監督はフィンチャー監督が降板し、「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィックになっています。





2012年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。




ロンドンで行われている国際トーナメントで、未来のチェス界を引っ張っていく日本にゆかりのある二人が

対戦しました。



世界5位のHikaru Nakamura(アメリカ)は、大阪生まれで日本人の父とアメリカ人の母をもち、世界24位

Anish Giri(ロシア)は、ネパール人の父とロシア人の母をもち、8歳のときから6年間日本に住んでいま

した。



5位と24位では一見差があるように見えますが、チェスでは僅かの差に多くの名人がひしめき合っていま

すので、順位に見られるような大きな実力の差はありません。



このロンドンでの大会でのHikaru Nakamuraは絶不調で、9試合終わった時点で12人中12位の最下位。

Anish Giriは7位に位置していました。



私は夜1時ごろ目が覚め、その後何故か寝つかれないので、この大会のライブ映像を見ながら二人の

試合を観戦していました。



Hikaru Nakamura(白)とAnish Giri(黒)の対戦で、上の画像は46手目の局面(GiriがBe5と指したところ)で

すが、この後に指された白の手に唖然としてしまいました。



「こんな手が成立するのか」と、それは世界中のチェス・ファンにとっても同じだったようで、その後数手

打たれてから初めて深遠な構想にを気づいたほどです。



この手は私のようなレベルがどんなに時間をかけても見つけ出せないでしょう。



人間には不思議な能力を持った方がいます。以前の職場では私の生年月日を言うと、直ぐにそれが

何曜日かを正確に答えることができた人がいましたし、世界にはカメラアイと言って風景や形、配列な

どを瞬時に記憶出来てしまう人もいます。



人間の脳にはまだまだ未知なる領域が沢山あるのでしょうね。



☆☆☆☆



Hikaru Nakamuraは、47手目をg5と指しました。ポーン、ルークのサクリファイス(犠牲)をしながら白の

キングをクィーン側に持っていき戦いに参加させる深い構想です。



☆☆☆☆







2013年4月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





昨日、電王戦という将棋のプロ棋士とコンピューターの対戦でコンピューターが圧勝(3勝1敗1分け)した。



人間の最後の砦、A級棋士も負けたのだが、振り返ればチェスは1997年に人間チャンピオンがマッチで負

ている。その当時の掲示板では、多くの将棋ファンが「だからチェスは将棋より劣った競技だ」と主張して

いたが、そこに未来の将棋の姿を予見したものは殆どいなかった。



これは何もチェス・将棋・囲碁などの盤上競技だけに当てはまるものではないと思う。



1986年のチェルノブイリ原発事故など世界中で多くの事故や事件が起きてきたが、それを対岸の火事とし

てしか捉えなかった人々。私も含めて多くの人がそのような態度を取ってきたのだが、何故それらのことを

我が事として捉えることが出来なかったのか。



当時の私自身の視点、感受性のどこに問題があったのか。



それを想うと私自身とても偉そうなことは言えない。



人間は過去からの知の遺産を継承して現在の文明を築いてきたが、過去の過ちから感じたことの継承が、

果たして現在の文明にどれほど備わっているのだろうか。



今回の人間とコンピューターの対戦、それを通していろいろなことを思い巡らせてしまう。




 




2013年11月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。






動画は、先ほどインドで行われたチェス世界選手権で、22歳の若さで新チャンピオンになったカールセン(ノルウェイ)が支援者らに

プールに投げ込まれ喜びを爆発する場面です。



私が小学生のころ、運動会がとても苦痛でした。背は高いのに、走ると一番最後で、観客の笑い声が聞こえてきたからです。



「運動会なんてなければいい」と心底思っていましたが、その後、遊び半分で始めたスキップ(出来るだけ膝を高くあげる独特の

スキップ)で、少しだけ早く走ることが出来るようになっていました。



純粋な「勝つ喜び」、それは相手を蹴落として自分が優位に立つ感情とは別のもの、常日頃から努力してきた結果が報われた時の

感覚から来るものかも知れません。



努力がいつも結果を伴うとは限りませんが、その過程が最も美しいのかもしれないと思うことがあります。







2014年12月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



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20年前の写真です。



私の子どもと対戦しているのが大学教授だった関永さん。桜美林大学やフェリス女学院で英語を教えていた方です。



新聞配達をして家計を助けていた高校時代の経験、またキリスト教徒(内村鑑三の無教会主義)としても気さくな人柄で

尊敬に値する方でした。



私が主催する小さなチェスサークルにも、毎回のように息子さんと一緒に参加されていましたが、いつかそのような場を再び

創れればと思っています。



二枚目の写真は、ブラジルから日本に働きにきていた斉鹿セルジオさん、サークルだけでなく家にも何度か来てくれました。



三枚目の写真は、伝説のチェスチャンピオン故・「ボビー・フィッシャー」がアメリカの要請で日本で拘束されたとき、

フィッシャーと結婚しアイスランドへの出国の道を開いた渡井さんです。



現在ヨーロッパではフィッシャーの伝記映画が、トビー・マグワイア主演(スパイダーマン役などで有名)で上映されております。



チェスのプロになるのは絶対お勧めしませんが、子供が大人と真剣に対峙できるということ、それはチェスに限らず

盤上ゲームの素晴らしい特性なのかも知れません。



FB友人のYamadaさんのお子さんの写真、兄弟がチェス盤を前に戦っている姿を見て、昔を懐かしんで投稿してしまいました。






2016年6月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





コルチノイ出演の牛乳のCM



コルチノイは旧ソ連出身のチェス棋士でしたが、ソルジェニーツィン、あるいはノーベル平和賞を取った物理学者の

サハロフと同じように旧ソ連に反逆し、1974年に奥さんと一緒にオランダ(後にスイス)に亡命します。



1974年というと、世界中を沸かせたフィッシャースパスキーの世紀の一戦の2年後で、1978年には挑戦者として、

旧ソ連の王者カルポフと世界選手権を争いますが、僅差で敗れてしまいます。



昨日、「ソ連のフィッシャー」と呼ばれたコルチノイは85歳で亡くなりましたが、70歳過ぎてまで闘志むき出しの対局

姿勢に世界のファンは魅了されたのではと思います。



偉大な芸術家に共通する老いることのない情熱。



激動の時代の生き証人だった人ですが、このようなおどけた姿でCMに出ていたんですね。









麗しき女性チェス棋士の肖像

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