1150〜1200年頃のもので、ノルウェーにて発見される。象牙で作られており、キリスト教の司教(ビショップ)が彫られている。
NYC: Bergdorf Goodman's 2008 Holiday window display - Chess vs. an owl | Flickr - Photo Sharing!
The Enduring Mystery of the Lewis Chessmen - History in the Headlines
実戦に、そして研究にとこのチェスセットを持ち出さないこ とはありません。盤はイタリアのアッシジへ巡礼に行ったとき、 道端のお店のショーウィンドウに飾られていたもので、盤の 色彩や重厚感に魅せられ購入したものです。 ただリュックに入れ日本に持ち帰ったのですが、盤や駒が割 れてしまいました。一度は捨ててしまおうかと思ったほどの損 傷を受けてしまいましたが、なんとか修復したものがこれです。 今の私にとって思い出が刻まれた最も大事なチェス盤です。 駒は骨製(何の骨かはわかりません)で、第二次世界大戦の 終戦時に売られていたものと聞いています。それぞれ別々に 購入したものですが、私にとっては駒と盤が見事に調和してい ます。 またこの駒は、アビラの聖テレジアが昇天した10月4日という 日に偶然届けられたもので、私にとっては貴重なものです。画 像をクリックすると大きく表示されます。 この局面の棋譜はこちら |
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一見すると「ルイス島のチェス駒」に見えるけれど、良く見る と全く違うものである。勿論土台は「ルイス島のチェス駒」なの だが、何故このように変化させたのか、また素材・製作年など 不詳である。 ただこのチェス盤と駒の造りは素晴らしく、上で紹介したチェス と同じく大切にしている。 画像をクリックすると大きく表示されます。 |
このページの一番最初の写真は「ルイス島のチェス」です。とても魅力ある駒 で、ハリー・ポッターの映画でも登場してきます。「白夜のチェス戦争」ジョージ・ スタイナー著及びチェスの根源・歴史を研究発表した「チェス」増川宏一著より ルイス島に関する記述を紹介します。
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「白夜のチェス戦争」ジョージ・スタイナー著より引用。「ひとたび足がかりを つかむと、チェスは隆盛をきわめる。16世紀の初頭には、ヨーロッパの旅行客 がアイスランド人のゲーム熱にふれていた。ハンザの商人で旅行家のゴーリ ース・ペールゼは、1561年に上梓されたアイスランド紀行で、裕福なアイス ランド人になるほど子供や召使いに家をまかせきりにして、ながい冬の闇にと ざされた週日をチェスのほかなにもせず寝てばかりいる、と報告した。それは、 われわれの知るところではとりわけ、フィスク教授が300年後にチェスの道具 とチェス関係の蔵書を寄贈することになる北極圏の小島、グリムジャーの実情 であった。1600年よりまえにまとめあげた「アイスランドにて」のなかで、ノル ウェイのペーデル・クラウソン・フライス師は耐久競技に言及しているが、それ こそ「いずれかの闘士の勝利で決着がつくまで、ときとして数週間を・・・毎日 指して・・・つぎこむ」アイスランドの棋士のねばり強さであり、わざなのだ。戦闘 意欲は教会をまきこむ。17世紀のなかばに生きた牧師のステファン・オラーブ ソンは、チェス狂ならだれしも邪悪な心の奥底から応唱するであろう、ひとくだ りの呪詛をのこしている。「わがかけし呪・・・ステイニの手勢が山と斃(たお)れ ることを。わが神呪が彼王をまどわし、危難がその手駒の二つ三つをいちどきに 襲うことを。老いしもの(ガムラ=クィーンをさす)が生命をおとすことを、雑兵ども が盤上ますますへることを、そして、彼王がいっさいのメイトに詰みとられること を」 デンマーク王室につかわされた英国大使のサー・ロバート・モールズワー スは、アイスランドのチェスの優秀さと普及ぶりにおどろいて、1694年にしるし た。「もの好きに詮索させるだけのことがあるのは」 彼はこう問いかける。 「かくも考えぬかれた面倒なゲームが、どのようにしてこんな北のはてにわた り、これほど広く手がけられるまでになったかだ」 名だかい海豹(あざらし)の 牙のチェス駒、というとヘブリディーズのルーイス島ウィーグ教区で1831年に 出土したものだが、それを大英博物館なりエジンバラの国立古代博物館でつく づくみるにつけ、この疑問は心をみだしてやまない。とある地下の貯蔵庫に海水 が流れこみ、ずっしりした78のものいわぬ小立像を、磨耗にも威厳ある風貌と ともに、あらわにしたのだ。好古学者で古文書学者のサー・フレデリック・マドン は、1年後に発表された論文において、これらの駒の出所をアイスランドに帰着 させた。1200年ごろに彫られ、贈答品か獲物として北の海をわたって、ヘブリ ディーズ諸島にもちかえられたというのであった。われわれに確かなところはわ からないが、マドンはおそらく正しいのだろう。このゲームとアイスランドの風土 との親密な関係は、根ぶかいようである。レイキャビークを数マイルもはなれる と、路面は均した溶岩の小道にかわり、ものすごい静寂・・・チェスのばあいとお なじように張りつめ、ときには威嚇する沈黙・・・があたりをつつむ。光と闇が、 盤上さながらにアイスランドの1年をわけあう。牙はチェス駒の彫刻にもっとも適 当な有機物であり、棋士の目と指先がもとめる、おさえた光沢とかたいへこみを もつ。アイスランドの歴史と古の猛威と位置上のおもおもしさが、このゲームには ふさわしい。
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「チェス」増川宏一著より以下引用。
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Old Chess Figures Wallpapers | 2560x1024
「ルイス島のチェス駒」
北欧神話は、870〜930年にノルウェーからの植民者によってアイスランドに持ち込まれ、 彼らの子孫によって伝えられ、古アイスランド語で書かれている。 詳しくは、チェス「キングとクィーン」 太古の伝説と未来(北欧神話より) を参照されたし。 出典は「生と死の北欧神話」水野知昭・著より引用 「巫女の予言」59〜62。 Baldr - Wikipedia, the free encyclopedia かの女(巫女)は見る、 海中よりふたたび とこしえに緑なす 大地が浮かびくるを。 滝はたぎり落ち、 山に棲まう、 鷲が上空を飛び、 魚を狙う。 アースたちは、 イザヴォッルに邂逅し、 そして力猛き 大地の帯(ミズガルズ蛇)のことを語らう。 そこで思い出されるのは、 畏怖すべき運命的な出来事、 そしてフィムブル・テュール(偉大なる神オージン)の 古き秘蹟(ルーン)のことども。 そこでふたたび 草むらのなかに、 不可思議な 黄金のチェス駒が見い出されよう、 それらは過ぎし昔に 神の族の持てしもの。 種まかずとも 穀物は育つだろう・・・・ ありとあらゆる災厄が吉に転じよう、 バルドルは来たらん。 彼らホズとバルドルは、 戦士の神々の聖域なる フロフトの勝利の地に住む。 おのおの方、さらに知るや、それとも如何に? Baldr's death by SceithAilm on DeviantArt |
Callanish Stones, Isle of Lewis | The Scottish Highlands
アイスランドの近くに位置するルイス島 「Callanish Stones」