Philidor - Analysis of the Game of Chess

「チェスの解析」フィリドール著 1749年





フィリドール(フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール)
1726年~1795年



以下、フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール - Wikipedia より引用



フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール(François-André Danican Philidor、1726年9月7日 - 1795年8月31日)は、

18世紀フランスの作曲家。有名な音楽家一族の出身。当時は世界屈指のチェス・プレイヤーと見做されており、フィリ

ドールの残したチェスに関する著作は、少なくともそれから1世紀にわたって標準的な指南書として通用した。当時は、

単にアンドレ・ダニカン・フィリドールとして著名であったが、現在では、同名の父親のフランス音楽史上における役割

が見直されるようになったため、父親と峻別する必要から、「フランソワ=アンドレ」と呼ばれるようになった。本稿では、

単にフィリドールと呼ぶことにする。フィリドールは、父親が72歳の時に19歳の女性と再婚し、それから産ませた子供

である。フィリドールが生まれたとき、父親はすでに79歳と高齢であり、まだ幼いうちに老齢の父親と死別している。こ

のため当時は、同名の父親と峻別する必要がなかったものと思われる。



音楽歴



1732年に6歳でルイ15世の宮廷に伺候し、宮廷礼拝堂の聖歌隊員となる。11歳で最初の作曲を試みる。ある逸話に

よると、ルイ15世は聖歌隊の演奏を連日のように耳にするのが好きだったため、聖歌隊員はルイ15世が訪れるまで

の間、退屈しのぎにチェスをしていたのだという。1750年から1770年までフィリドールは、フランスにおける指導的な

オペラ作曲家となり、その間にヴォードヴィルやオペラをしめて24曲作曲した。しかしながらフィリドール自身は、他の

作曲家、たとえばグレトリなどに比べて、能力的に劣っていると悩んでおり、その後はチェス競技に専念することに

決心した。



チェス歴

フィリドールがフランスにおけるチェスの中心地「カフェ・ド・レジャンス」でしばしばプレイするようになったのは1740年

ごろのことであるが、それ以後1740年代を通して、偉大なイタリアの選手ジョアッキーノ・グレコ亡きあと最強のチェス・

プレイヤーとみなされた。フィリドールはフランスで当時最高の選手であったレガル(Legall de Kermeur)に師事した。

はじめのうち、レガルはフィリドールに対してルーク落ちのハンデを与えていたが、わずか3年でフィリドールはレガル

に匹敵する実力の持ち主となり、やがては師を凌いでいった。



フィリドールは1745年にイギリスを訪問してシリア出身の名手フィリップ・スタンマ(Phillip Stamma)と対戦し、スタンマ

に毎回白(先手)を持たせながら8勝1敗1分という大勝利を収めた。1747年には非公式の世界チャンピオンとなって

いる。フィリドールは1783年5月9日にロンドンのセント・ジェームズ通りにあるチェスクラブで、目隠しチェス(blindfold

chess、盤面を見ずに相手が口で読み上げる駒の動きを記憶しながら行うもの)を同時に3人の対戦相手とやっての

け、友人たちの度肝を抜いた。しかもフィリドールは3人の対戦相手全員に白を持たせ、しかも3人目の相手にはポー

ン1個落ちで臨んだのである。観戦者たちは、このような離れ技が可能であることを後世の人々は信じてくれないの

ではないかと考えて宣誓供述書まで作成した。ただし今日のチェスの達人にとってこうした3面指しは珍しいものでは

なくなっている。晩年(1793年)に至っても、フィリドールはロンドンで67歳にして目隠しチェスの2面指しをして勝利を

収めている。



1749年、フィリドールは名著『フィリドールの解析』を出版。これは1871年までに70版を重ね、英語、ドイツ語、イタリア

語に翻訳されるほどの画期的なチェスの解説書であった。この本において彼は9通りのオープニング(序盤の定跡)

を分析した。フィリドールのオープニングのほとんどはポーンを用いてセンター(盤面中央の4マス)の防御を強化する

ように工夫されている。彼はチェスにおけるポーンの新しい役割を最も早く認識した人物であり、「ポーンこそがチェス

の魂である」との格言を残した。フィリドールがポーンを重視した理由には18世紀フランスの政治的背景が関係して

いるといわれている。つまり、彼はポーンがチェスにおける「第三身分」であると考えていたというのである(1789年に

フランス革命が始まるまで、市民階級は社会において聖職者や貴族より下の第三の身分だとみなされていた)。



彼はまた、キング以外の駒が白(先手)はルークとビショップ、黒(後手)はルークのみであるような場合にチェックメ

イトにする定跡(エンドゲーム)についても分析し、今日でも通用する理論を構築した(将棋と違ってチェスの終盤は

両者とも駒数が極端に少なくなるので、実力の伯仲する相手のキングを追い詰めることは難しくなる。そのためこう

した特殊な場合についての研究は詰め将棋のように芸術性があるばかりでなく、実戦的にも有用なのである。)。

こうしたエンドゲームに関する研究の中でも、《ルーク vs. ルーク + ポーン》の不利な状況から引き分けに持ち込む

重要なテクニック「フィリドール・ポジション」によってその名は不朽のものとなっている。オープニングの定番「フィリ

ドール・ディフェンス」(1. e4 e5 2. Nf3 d6)もまた彼の名にちなんだものである。



 




Category: Board Games



以下、「謎のチェス指し人形『ターク』」トム・スタンデージ著 服部桂・訳 NTT出版より抜粋引用



1761年にフランスの作家ドゥニ・ディドロは「世界中でパリこそ、そしてパリのカフェ・ド・ラ・レジャンスこそ、最高

のゲームが行われる場所だった」と書いている。カフェ・ド・ラ・レジャンスは1680年に設立されたコーヒーハウスで、

1740年代にはパリで最もチェス愛好家が頻繁に訪れる場所になっていた。



このカフェの長年の常連客のインテリアの中には、哲学者のヴォルテールやジャン=ジャック・ルソー、アメリカの

議員で科学者でもあったベンジャミン・フランクリン、それに若い頃のナポレオン・ボナパルトさえ含まれていた。こ

のカフェで最もチェスが強かった1人レガル・ド・ケルムールルトは「痩せて顔色の悪い紳士で、長年いつも同じ席

に同じ緑色のコートを着て座っていた」とある人が伝えている。しかし、最高位にいたのはレガルの生徒のフランソ

ワ=アンドレ・ダニカン・フィリドールで、おそらく当時の最も才能あるチェスプレーヤーで、パリで最も強かったこと

は間違いない。



(中略)



フィリドールはロンドンからパリに帰ってきたばかりだった。彼はロンドンで毎年2月から5月まで、パルスローズと

いうチェスのクラブで試合をしていた。彼はそこで1782年5月に、一連の出し物の最初に、2人を相手に目隠しを

したままチェスを指すという芸当を行った。それは当時、驚異的な技だとされた。1783年5月28日には、今度は

目隠しをしたまま3人を同時に相手にし、2人に勝って3人目とは引き分けた。あるロンドンの新聞は、「何度もこう

した事実を見せられなくては、とても信じられないような、途方もない驚異」と紹介している。



彼は一般的には英国やフランス、またヨーロッパの他国でも最強のチェスプレーヤーとして知られているが、フィリ

ドール自身は自分を音楽家だと思っていた。1726年生まれの彼は、音楽家一家の出で、少年の頃はヴェルサイユ

の王室の教会で聖歌隊の一員として歌っており、10歳のときに宮廷の音楽家からチェスを習い、その後にレガル

の弟子になった(宮廷音楽家はカードやサイコロを使った賭博など偶然を使ったゲームをすることを禁じられてい

たが、チェスは許されており、6つもチェス盤がはめ込まれた長いテーブルが用意されていた)。



1745年にロッテルダムに演奏旅行に行っているときに、ソリストが病気になってコンサートが中止になり、そのせい

でフィリドールは生活のためにチェスに頼らざるを得なくなった。彼は才能あるチェスプレーヤーだったが、彼の名

前を本当に有名にしたのは1749年に「チェスの解析」というチェスの戦略を詳細にわかりやすく書いた本を出した

からで、それはすぐに古典として認められるものになった。



フィリドールはまた並行して作曲家としての業績もある。少年の頃に作曲したものがルイ15世の前で演奏され、そ

の後の仕事もヘンデルから評価された。彼の最も大衆受けした作品は喜歌劇(コミック・オペラ)だったが、どれも

収入には結びつかず、作曲家としての活動だけでなくチェスを教えたり目隠しチェスの対戦などの見世物にも出演

したりするようになる。



フィリドールはへまもやり人好きのする性格だったが、少々ユーモアに欠けるところもあり、「常識はないが、天才

そのもの」と言われたこともある。チェスを指している間はいつもそわそわしており、机の下で足を動かしていた。

彼のチェスの指し方は非常に斬新で、チェスの戦術の中には彼の名前がついたものもある。特に彼はポーンの

大切さを強調し、戦略上の犠牲を払うこともした。「フィリドールの犠牲」という名前は、ポーンの位置を優位にする

ためにナイトやビショップを取らせる戦術を指す。それに「フィリドールの遺産」という大胆な手も、彼の名を冠した

ものだ。それは最強の駒であるクイーンを犠牲にする大胆な動きを組み合わせた攻撃で、次の一手で、詰み

(チェックメイト)に持ち込むものだ。



フィリドールがタークと対戦することに同意したことは、ケンペレンにとって大成功だったが、彼はチェスの巨匠を

やっつけることにもっと価値があるとわかっていた。フィリドールの長男アンドレが、ちょっと信じがたい話を伝えて

いる。ケンペレンが試合の前日にフィリドールのところにやって来て、「私は貴殿もご存知のとおり奇術師ではない

し、オートマトンは私より強くはありません」と変な提案をしたというのだ。「それは現在の私の生活を支える唯一の

手段です。オートマトンがあなたを打ち負かしたことを発表してそれが新聞に載るということが、私にとってどんなに

意味があることかを察してください」と言うつもりだったのだろう。フィリドールはうぬぼれた男ではないので、その

機械が勝利に値するほど上手にチェスを指せるなら負けてもかまわない、と表面上は同意した。しかし相手が強い

指し手でないのなら、容赦なく叩きのめすとも言った。



明らかにタークはフィリドールを打ち負かすには、程強い強さでしかなく、フィリドールはやすやすと勝った。しかし

後になって彼は、人間との勝負でもあんなに疲れたことはいまだなかったと告白している。フィリドールはどうも

タークは正真正銘の機械であると信じており、チェスを指す機械というアイデアに恐怖を感じていたらしい。パリの

人々もそれを真のオートマトンと信じていたことから、彼がそう感じたのは1783年の夏の知的な気分を反映した

ものだったのだろう。6月5日にはモンゴルフィエ兄弟が南フランスのアイネーで熱気球を初めて一般公開したと

いうニュースが伝わっており、パリは熱気に包まれていた。空を飛ぶ機械ができるなら、チェスを指す考える機械

があってもいいではないかという雰囲気だったのだ。



 




以下、チェス漫画「クロノ・モノクローム」磯見仁月 全5巻 より抜粋引用


仁月の甲羅書き雑学6


ボンジュール!仁月です。今回はうんちく増量です。だってカフェについて語らいでか!!



今回出てきたカフェ・ド・ラ・レジャンス。当時のフランスに本当にあったカフェで、2世紀に渡りチェスの聖地として活躍しま

した。1688年カフェ・プラス・ド・パレ・ロワイヤルとして開業し(諸説あり)、次第にフランスカフェの黄金期の代表として頭角を

現しました。1718年レジャンスに改名、シャンデリアや鏡、彫刻などで彩られた豪華なカフェへ改装し、20以上の大理石の

テーブルとチェス盤が並ぶ中、コーヒーと対局を楽しむゲーム喫茶として、18世紀の爆発的なチェスブームの一端を担いま

した。場所はフランス王弟オルレアン公の宮殿パレ・ロワイヤルの前の広場という一等地。1784年にはショッピングセンター

も完成し、パリ最大の人気スポットに成長しました。



顧客は王侯貴族に有名人ばかり。1770年時点ではヴォルテールやルソーの他、後世、ヨーゼフ2世やナポレオンも訪れて

います。棋士ではレガル、フィリドール、マイヨが訪れ、特にフィリドールは世界最強としてレジャンスの象徴となり、彼が来る

と静けさと緊張が支配した事からレジャンスを「沈黙の神殿」と評した作家もいました。



非常に居心地がいいと太鼓判のレジャンスでしたが、ここ以外でも有名なカフェが沢山ありました。レジャンスと並ぶ老舗

名店とされたカフェ・プロコップはいわゆる「談論カフェ」。百科全書派など知識人が熱く語り合う場所でした。他にもフランス

革命で活躍する過激派のたまり場で、地元民にはアイスクリームが人気だったカフェ・ドゥ・フワ。店内に給仕がおらず、

昇降機で注文品が運ばれる仕組みで大繁盛したカフェ・メカニックと個性的なものばかり。ケンペレンが第26局で飲んで

いた怪しげな店は、カフェ・デ・ザヴーグル(盲人カフェ)をモデルにしています。カフェ・イタリアンの地下にあり、店名の通り

盲人の楽隊が演奏する中、客と娼婦が入り乱れるというパリの中でも最低の代物でした。目が見えなければ客の振る舞い

を気にせず演奏できるという理由で生まれた、現代では考えられない店ですが、ここに行かなければ何も見なかった事と

同じと言われるほど、裏の名店として名を馳せました。



因みに1770年、パリの人口は65万。内、娼婦の数は2万もいたとされ、パリはプロの娼婦のサンクチュアリだったのです。

当時の絵画を探すと、パレ・ロワイヤルの庭園で熱く政治について議論する男性と、その中から客を物色する老婆と女性達

が出てきます。まさに光の都。



光が強くなれば影も濃くなるように、18世紀最大の大都会だからこその明暗なのでしょう。






仁月の甲羅書き雑学8


こんにちは!仁月です。フランス、黒六の修行編となりました。なので今回は黒六の師匠・フィリドールについて語ろうと

思います。



フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール。18世紀に実在したフランスの作曲家で、音楽の名門フィリドール家の一員と

して、フランス国王・ルイ15世に仕えました。少年時代は聖歌隊で退屈凌ぎにチェスを指し、やがてフランスの代表的な

オペラ作曲家として活躍しましたが、音楽の才能に限界を感じ、棋士に転向したら世界王者(非公式)になっちゃったという、

色々な意味で天才なお方です。他にも目隠しで3人同時対局、しかもうち1人は駒落ちで、フィリドールは不利な黒番という

状態で勝利する離れ業をやってのけたり、現代でも通用する定跡・フィリドール=ディフェンスや、不利な状況でもステイル

メイトに持ち込む不屈の技術・フィリドール=ポジション、必殺のチェックメイト・フィリドールの遺産を生み出すなど、偉業を

数多く遺しました。1749年には第27局で黒六が子供時代にもらっていた「フィリドールの解析」を出版し、画期的なチェスの

指南書として世界各国で70版を超えるベストセラーになりました。この本では現代では必須とされている最弱の駒、ポーン

の重要性を説いており、「ポーンはチェスの魂」という彼の名言に繋がりました。余りの天才ぶりに、当時の弟子達は理解

が追いつかず、後世長い時間をかけて彼のチェスが証明されていったのです。



またフィリドールは史実でもタークと対局しています。対局前日、ケンペレンが負けて欲しいとお願いに来たのに勝ったとか、

後々タークとの対局はとても疲れたとフィリドールがこぼしていたという意味深な逸話も残っており、記録の端々に少々

ドジっ子で人好きのする性格が垣間見えます。



そんな華々しいフィリドールも最期はイギリス・ロンドンで客死しました。彼はポーン=第3身分(平民)と考えており、その

重要性を説いていたにも係わらず、王家に繋がりが強かったことで、フランス革命の処刑リストに入り、亡命を余儀なくされ

たためでした。愛するフランスには帰れなかったフィリドールですが、彼のチェスは現代でも受け継がれ、世界中の人々に

愛されています。






フィリドール、チェスの魂を見出した男 文・小島慎也


「クロノ・モノクローム」第4巻では、フィリドールと黒六のチェス修行の話がメインとなります。第1巻のコラムでは、オーストリア

シュタイニッツが初代世界チャンピオンだと書きましたが、公式の世界チャンピオン制度ができる以前、18世紀に並はずれ

た実力を誇り、非公式の世界チャンピオンだった人物こそ、フランスのフィリドールなのです。



偉大なるチェスプレーヤー、フィリドールの名前は、特定のオープニングやエンドゲームに残されています。例えば、タークの

デビュー戦でコベンツル伯爵が使ったオープニングは、フィリドールディフェンスでした。また、ルークエンディングでポーンの

少ない側がドローに持ち込める形は、フィリドールが最初に提唱したことから、フィリドールポジションと呼ばれています。この

ポジションでのテクニックは、現代のプレーヤーも必ず学ぶものであり、ルークエンディングにおける基礎とされています。



さらには、作中でも紹介されているように、フィリドールは1749年に革新的なチェス書籍を出版しました。これはチェスの序盤

から中盤、そして多くの戦略について書かれた、世界初の書籍だと言われています。その中で登場する「ポーンはチェスの

魂」という言葉は、フィリドールの名言として、現在でも広く知られています。



実際にフィリドールはセンターポーンの厚みや、盤全体でポーンを巧みに使うプレーにより、それ以前に考えられていた

「ポーンは価値の低い駒」という認識を改めさせました。こうした理論を打ちたて、200年以上チェスの世界に名を残す偉大

なプレーヤーとの交流は、黒六だけでなく、世界中のチェスプレーヤーにとっての憧れかもしれませんね。



 


「チェス戦略大全1 駒の活用法」ルディック・パッハマン著 小笠誠一訳 より以下引用



現代チェスの発展



上述の原則は18世紀におけるイタリア流の基礎となった。デル・リオ、ロリィ、ポンチアニらは当時のイタリア派を代表

する人物であり、優れた理論家でもあった。しかし、フランスもフィリドールの名で知られるF.A.ダニカンの出現をもって、

この派に対抗できる存在を生み出した。1749年には彼の有名な著作「チェス競技の分析」が出版された。その内容は

フィリドールを1世紀以上の時代を先駆けた理論家として位置づけるものであった。フィリドールは次のように記している。

「ポーンはチェスの魂であり、攻撃と防御、両面の状況を形成する。試合の勝敗はポーンの形の善し悪しで決まる」。



この新しい概念は当時の人々や彼の弟子たちには理解されなかった。フィリドールはポーンの扱いに注意を払うように

説いた。ポーンは孤立して前進し、弱められるようなことがあってはならない。お互いを支えるようにして前進すべきで

ある。彼はピースの展開よりも先に、ポーンの前進を成功させることに重点を置いた。例えば、1.e4.e5の後、続いてf4と

できない理由で2.Nf3とすらしなかった。またd4の準備のためのc3を妨げることを理由に2.Nc3をも避けた。彼は2.Bc4を

好んだ。また、1.e4 e5 2.Nf3の後、彼は...f5を考慮して2....d6を勧めている。フィリドールは自らのアプローチにあまりに

一途であったため、ピースの展開を過小評価してしまった。



フィリドールはその先人とは異なり、ただ序盤の分析だけに留まらなかった。彼の著作は序盤と中盤の関係についても

検討を加え、試合のどの段階にも通じる原則を作ろうとした。さらに彼は終盤も視野に入れていた。ルーク+ナイト対

ルークの終盤における分析の深さと正確さは、今日でも彼の右に出る者はいないだろう。残念なことに、彼はイタリアの

一流マスターと対戦する機会をもたなかったので、その対立する理念は実戦で試されることはなかった。当時のフランス・

イギリス・オランダには、彼に匹敵するような人物は現れず、彼は駒落ち対局か同時対局するのが常であった。



一般的にフィリドールは当時の最強者と考えられている。次の試合ではフィリドールの戦略の特徴をよく表している。この

試合は「盤面を見ないで」行われたものである。



John M Bruehl vs Philidor
Blindfold simul 1783 · Bishop's Opening: General (C23) · 0-1
(盲指しによる同時対局の一つ)




philidor_bruehl_1783.pgn へのリンク



フィリドールが生涯を通して受けた名声や称賛にも関わらず、またその著作が何回となく再販された(最後は1852年版)

にも関わらず、彼の思想は後継者たちに受け継がれなかった。実際19世紀のチェスはイタリア派の思想によって支配さ

れていた。無論、その思想には改良が加えられた。



ラ・ブルドネ(1795~1840年)、アンデルセン(1818~1879年)、モーフィー(1837~1884年)、チゴリン(1850~1908年)等

は皆、イタリア派の出身者である。彼らはそれぞれにチェスに新風を巻き起こした。




 フィリドールの名局



NN vs Philidor
"Pawns Towards the Centre" (game of the day Mar-28-10)
Analyse du jeu des ノchecs 1749 · Philidor Defense: Lopez Countergambit (C41) · 0-1




philidor_nn_1749.pgn へのリンク





Philidor vs NN
Unknown 1790 · King's Gambit: Accepted. Greco Gambit (C38) · 1-0




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Philidor vs NN
Unknown 1790 · King's Gambit: General (C30) · 1-0



philidor_nn_1790.pgn へのリンク





Smith vs Philidor
London, England 1790 · Bishop's Opening: Berlin Defense (C24) · 0-1




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Sheldon vs Philidor
London 1790 · Bishop's Opening: General (C23) · 0-1




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Philidor vs NN
Unknown 1790 · King's Gambit: Accepted. Cunningham Defense Bertin Gambit (C35) · 1-0




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 フィリドールの名局集

Philidor
Compiled by Runemaster


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