Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)



インド・チプコ・・・ラダー・バットの言葉「ヒマラヤからの声に耳を」

「先住民族 - 地球環境の危機を語る」

インター・プレス・サービス編 清水和久訳 明石書店より引用



「開発」という名の傲慢は、自然、環境、そして人類が直面している最大の危険である。

ヒマラヤの大河 --- ピンダール、マンダキニ、アラクナンダ ---はテーリほど大規模

ではないが、すべて水力発電所の建設予定地である。地元の人びとにとっての最大

の問題は、川床沿いの最も肥沃な土地を奪われることである。最も影響を受けるの

は女性たちである。山地ではふつう男たちは平原へ仕事に出ていくため、一家の労

働の大半が女たちに負わされるからである。山地では農業と家畜の世話はすべて

女たちの仕事である。女性は自然を相手の労働で明るさとたくましさをわがものに

する。そして同時に独立も手に入れる。この50年間に、私は人間と自然との関係

が悪化していくのをこの目で見てきた。私の祖母と母にとって、ジャングルは近し

い、最愛の働き場所、働き甲斐のある労働の場だった。森の中で一日中忙しく働

くとしても、楽しくすごせたのだった。祖母や母はうたい、何の屈託もなく笑いころ

げ、友だちと打ち明け話をしていた。私はそういう祖母、母を見て育った。村や家

では、責任に縛りつけられていたから、あんな風に伸び伸びふるまえなかった。

だから、母たちは家で働くより森で働く方が好きだったのである。こうした体験が

母たちの世代の特徴だった。だから両親が果樹園の木に向かってこう語りかけ

たのも不思議でも何でもなかった。「あなたが病気だったのに気がつかなくてごめ

んなさいね。これからは気をつけて面倒を見ますから。」科学の教科書や授業で

学んだ知識ではなかった。一生を木とけもの、空と水といっしょに暮らす間に、

自然に心の中で育っていった意識なのである。こうした意識や知識の種は、私

の場合、10歳のときに渡された。雌牛の餌用に葉を刈りとろうと、はじめて鎌を

片手に一本の木の前に立ったとき、祖母はこう言った。「両手をきちんと合せな

さい。そしてこの木に優しくこう話すんだよ。“神様、これから私の手と足が犯す

罪をおゆるし下さい”ってね。」 木の神を鎌で傷つけること、さらには木に登る

ことさえ、祖母には罪なのだった。私の同僚のアナンドバーイは、クマオンにあ

るスンダルバリ村の出身だが、彼女の子ども時代の体験のひとつをこんなふう

に話してくれた。彼女の母親は家の中でゴダーン(幸運を招く雌牛)を飼ってい

た。たしかに名前のとおり、雌牛は一家にとって、喜びと幸運と平安の源だっ

た。できるだけたくさん乳を出すように牛小屋に閉じ込めて飼うとか、太らせて

いずれ肉牛にするとかなどのこと、つまり生産性を高めることなどは、全然頭

になかった。アナンドバーイの母親は、ゴダーンが自然に出す乳の量で大満足

なのだった。とくに興味深いのは、ゴダーンが家族の一員のようだったことであ

る。アナンドバーイはこんなことも話してくれた。ディワリ(ヒンズー教の光の祭)

のときだった。ゴダーンが滑って足を怪我したときには、一家はみんな慌ててし

まい、光の祭なのにランプを灯すのを忘れてしまったのだった。人間は自然の

一部である。自然の主人ではない。主人ならば自然はたしかに利用の対象だろ

う。1エーカー当たり17人というこのあたりでは、農地はまちがいなく不足してい

る。しかし、ビンタール、ピトラガールなどの高地地方で進んでいるような中央権

力による開発計画や工業化計画、観光振興用の醜い建物の建設は、どれも人

びとから土地を取りあげながら実行されているのである。高地では農業は女性

の仕事である。しかしナイニタール地区のビンタールに住む貧農の女性はどう

したらよいか弱っている。つまり、土地そのものは肥えているのだが、村人た

ちがビンタールを工業の町にするために土地を売ってしまったため、女性たち

は畑と家畜を失って途方に暮れているのである。ピトラガールはナイニタール

地区の中心の町であり、以前は農地だった場所は事務所で占められている。

貧しい農民たちは土地を売り、いまは工場や政府の事務所で働いている。彼ら

はもはや独立した農民ではない。独立した農民であるという伝統を誇ることもで

きなくなった。農業を重んじない開発、民族集団やその文化を重んじない開発は

まちがっている。共同体の文化を殺す行為である。自然と調和して生きるという

生得の能力によって、女性たちは深い理解力と成熟とを与えられていた。そうし

た理解力と成熟は彼女たちの生活と抗議行動に表現されてきた。しかし、自然

にみだりに手を入れる現在の開発計画は、こうした女性たちの生活様式を変え

てしまったのである。アルモーラ地区のヒマラヤ山系にある鉱山についての調査

によると、このマグネサイト鉱山周辺に住む女性たちは不幸せを嘆いている。雌

牛も畑も失くしてしまったからだ。畑を耕したり牛の世話をしたりという労働はしな

くてすむようになったのだが、根を切られ、自然と共に生きる喜びを失って悲しい

と、口をそろえて語っているのである。現在の開発はこうして女性たちの個性を

破壊している。だが、それだけではない。女性たちの基本的権利を奪ってきたの

である。自分で搾り作ったミルクやバターや蜜蜂に長い間親しんできたのに、いま

では平原産の粉ミルク、ダルダ(植物油)、砂糖を待っているのである。こうして超

国籍企業が人びとの生活を支配するようになった。こうしたことが果たして開発な

のだろうか。伝統的な社会のすぐれた面のすべてを尊重し、生かしつづけながら

変化を加えていくときに、開発ははじめてその名に値するのだが、実状は逆であ

る。まちがった現代の価値観が自分の社会への誇り、環境への尊敬、平和への

願いを押しのけてしまったのである。椅子、テーブル、紙、枕木、樹脂、ハーブ、

ミネラル、果物運搬用の木箱などを欲しがる人間がいるために、森は裸になっ

た。私の祖母や母がしたような、葉を刈る前に木に赦しを乞うということを山地

の女性はもうやめてしまっている。彼女たちはジレンマのとりこである。つまり、

木は伐りたくないのだが、たきぎや牛の餌は必要なのだ。木を伐るか、それとも

牛や子どもを飢えさせるのかのどちらかを選ばなければならないとしたら、貧し

い農民はどうすればよいのか。


 
 


ラダー・バットは現在ヒマラヤ・セバク・サングの議長であり、1991年には、草

の根での活動を評価されて、権威ある賞、ジャムナラル。パジャジ賞を受けた。

チプコで起こった女性たちの抵抗は「チプコ運動」として知られている。これを

紹介している「世界の先住民族」ジュリアン・バージャー著の記述を紹介する。

「1972年、インドの部族の女性たちが、木にしがみつく(チプコ)運動を始めた。

これは、祖先の時代の、木を斧から守るための、非暴力の抵抗だった。これが

現在では、ヒマラヤ、インドの他の地域、インド以外の地域、スカンディナビアに

も広まっている。運動は1730年の女たちの行動に触発されており、この時、

緑の木を切らず、野生の動物も殺さないことを誓った。300人以上のヒンズー

教徒が、木にしがみついている時に打ち倒された。最近の運動では、ウッタル・

プラデーシュで、30度の斜面の1000メートル以上にある木を商業目的で切る

ことの一時停止を勝ち取っている。森林に依存している村人たちは、地下水面

と川の流れを維持し、土壌の侵食を防ぐのに、木が重要であることに気づいて

いる。“チプコは自然を商品とみなす価値観への反乱である”」








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