Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
アラスカ・イヤク族・・・マリとアンナの言葉 「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」明石書店より引用
マリが幼いころ、村にはご家族がいた。そのなかには、アンナの両親がいた。アンナは 1906年生まれで、この年にイヤク湖から6kmほど離れたコルドヴァが建設された。 父親は、アンナがまだ幼いころに死んだ。彼女は自分の住んでいる地域が開発されて いったのをかすかに覚えている。缶詰工場が建設されて、イヤクの最上の魚場が遮ら れてしまった。サケはダイナマイトで捕獲されるようになった。缶詰工場の労働者が酒、 アヘン、はしか、結核そして梅毒を運んできた。女性が少なかったので、男たちの争い は熾烈で、暴力沙汰も少なくなかった。6歳のとき、アンナは妊娠していた母親が男に 殺されるのをなすすべもなく見ていた。孤児になり、彼女は別の村に食べ物と保護を めて移っていった。冬の寒さを避けるために、暖炉のそばで犬を抱いて寝たこともあっ た。ばい菌で首のところがただれたことがある。彼女は犬が傷口をなめてくれたことが 病気の治療になったと信じた。しかし、傷跡はそのままだった。12歳のときに、アンナ は隣村のアラガニク出身のイヤクであるガルシア・ネルソンと結婚した。新しい旅立ち であったが、結婚直後、イヤクであったアンナは缶詰工場の労働者に監禁・強姦され た。ガルシアが彼女を探し出して連れ戻すのに数週間かかった。二人は4人の息子 に恵まれた。ガルシアは修理工として生計を支えたが、末の息子が生まれた直後に 結核で他界した。アンナは最善を尽くして4人の子どもを育てた。現金はいつも不足 していたが、土地の恵みから食料を得ていた。アンナが再び話し始めた。今度は、 人間と動物の関係についてのいきいきとした笑い話が中心であった。彼女の好きな 話の一つは、オオカミの群に誘拐された若い女についてである。オオカミたちは山の 中にある自分たちの家で食べ物を分け合って女に親切にした。ある日女がオオカミ の下を離れ、村に帰って、村人たちに言った。「もうオオカミを殺すのはやめて。人間 と同じなのだから。オオカミもクマもヤギも、生き物はみなちゃんとした魂をもっている の。あのオオカミたちはそれをわたしに教えてくれたわ。魂がわたしたちに話しかける のよ」と。コルドヴァが発展するにつれて、イヤクは少なくなっていった。アンナも祖先 の時代から住んでいたコルドヴァ近くの場所を離れて海岸線のヤクタートに移り住ん だ。彼女は子どもや親族よりも長生きした。1975年に息を引き取る寸前、彼女は 言った。「引き潮の浜辺を歩いている。岩に腰掛け、涙を流している。おじいさんたち はみな亡くなり、おばあさんたちも死んでしまっている。イヤクはみな死んでいく。ワタ リガラスのように、わたしだけが生き残っている」。台所のテーブルに静かに向かい、 マリはもう一杯コーヒーを注いでくれる。アンナが死んでしまって、マリは部族のたった 一人の人間になってしまった。彼女には28人の孫がいる。でもみんな混血で、言語も イヤクの生活様式も忘れてしまっている。そのかれらもまた、マリを最後のイヤクだと 考えている。マリとわたしは、少しの間何も言わずに座っている。すると彼女が、「最近 父が話かけてくるのさ。 “先へ進んで、しなければならないことをやりなさい” とね」。 「何をしなければならないと感じているのですか」とわたしが尋ねる。すると少し黙りこ んで窓の外を眺めたあと、わたしのほうを向き直って次のように言う。「部族の人に、 いまもっている憎しみを消してもらいたいね。いままでわたしたちは追いやられてば かりだった。殴られ続けてね。でも憎しみをもつのはイヤクのやり方ではないよ。中に は貪欲な人もいるけど、それもイヤクのやり方ではない。先住民としてのやり方でない ね。わたしの夢は、貪欲さや憎しみを消し去って、昔の生活のやり方を戻すことだよ」。
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1999年4月1日、イヌイット語で「我らが大地」の意味を表わす「ヌナブット準州」が誕生した。 独立した立法、行政、司法権が与えられる準州は実質的に立国としての意味を持つ。日本 の5倍の広大な大地にはイヌイットと呼ばれる先住民が85%いるが、先住民族に共通して 見られる自己基盤喪失による自殺やアルコール・薬物依存症が、カナダの平均より3倍多く 性犯罪も7倍多い。このような悲惨な現実の中にも彼らは自らの民族の政治的・精神的自立 を目指して、30年近くも粘り強くカナダ政府と交渉してきた。初代の首相は34歳の先住民で あり、彼自身も高校時代酒を盗み禁固刑に服し兄が自殺した経験を持つが、その後立ち直 りヌナブット創設運動に加わってきた。世界中の多くの先住民が政治的・経済的・社会的そ して精神的に虐げられている現在において、この決定は多くの勇気と希望を与えるだろう。 (本文は朝日新聞1999年3月31日夕刊に書かれた記事を参考にしています)
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