Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
フィリピン・アエタ族・・・パブロ・サントスの言葉 インター・プレス・サービス編 清水和久訳 明石書店より引用
暗殺された先住民族の指導者のマクリーン・デュラはかつてこう語った。「命が脅かされ たとき、私たちはそうすべきか。抵抗するのだ。抵抗するしかない。抵抗しなければ辱め られる。辱められつつ生きるのは、死よりも恐ろしい。もし抵抗しなければ・・・・・。いずれ にせよ私たちは死ぬのだ。もし闘えば、私たちの死は名誉ある死となる。だから、みんな に呼びかける。闘おう。」 フィリピンの先住民族はこう考えている。製材、鉱山、化学薬品 に依存して農産物加工農業に従事している国内外の巨大企業による強姦から土地を守 らねばならない。生命を脅かしつづけている政府の破壊的な開発計画から土地を守ら ねばならない、と。ミンダナオ島のアグサン民族のダツー・マカリパイは言う。「われわれ は大地に対してつねに丁重にふるまってきた。われわれは残っている森を誰の手にも 渡さない。そのためにたたかう決意である。残っている土地の富がこれ以上侵されるの を阻止するため、土地を守るため、私はたたかう。」 土地を守ることは命を守ることで ある。これが先住民族の闘争の核である。小さいものではあるが、すでに私たちは何回 か勝利を得た。たとえばミンダナオ島サウス・コタバトの先住民族の土地6000ヘクター ルが、本来の住民グラーン、バゴボ、マノボたちの手に戻った。「これらの土地はむきだ しの暴力とごまかしとで奪われたものだった」と、ミンダナオ島先住民連合のルナド・ミン ダノーは語っている。奪われた土地の回復は、フィリピンの先住民族の闘争が新しい段 階、高い段階へと進んだことを示している。先住民族は政府の空手形に、政府の代表 者たちへの陳情・要請のくり返しに、もう我慢できなくなったのである。ミンダノーの表現 を借りると、土地回復は「先祖以来のわれわれの権利を確認させる行為」である。問題 は先住民族の努力が歓迎されていないことにある。先住民族は虐待され、沈黙を強い られている。1990年11月、サウス・コタバトのラコノンでは、爆撃のために190軒の 家が焼かれ、チボリ、ブラーン両民族の14人が拷問された。ミンダノーは言う。「生存 のためのわれわれの闘争は大きな犠牲を強いられる。それはわかっている。しかしわ れわれは、命の源、すなわちわれわれの土地を守るためなら、どんな犠牲もいとわな い。土地があってこそ、われわれの存在と次の世代の未来が保障されるのだ。」 また、マクリーン・デュラはこう語っている。「ある場所の所有権を主張することは、人間 が生まれながらに持っている権利である。人間より劣っているとされるけものでさえ、 自分の場所の所有権を主張する。だから人間の場合、当然のことなのだ。」 私たち アエタと低地からの避難民との間に緊張が高まっている。低地からの人びとが、アエタ は救援活動で特別扱いされて得していると考えているからである。彼らの一部はアエタ の避難センターを襲撃する。爆弾を仕かけるなどと脅迫してきた。こうした敵意から逃れ るために、アエタの一部は火山のふもとに残っている森に引きこもった。そこは灰一面 の斜面であるが、逃げていったアエタは骸骨のような倒れた木々の間で細々と暮らし ている。低地の人びととの争いを避けて森の奥に入り、温和で平和な民として生活を 建てなおすということをアエタは何度もくり返してきた。その歴史がまた再現されてい る。フィリピンの他の先住民族と同じように、また東南アジア全域の先住民族と同じよ うに、アエタは土地を命と同じと考えている。とくにアエタの場合、川や谷や岩などが 民族の伝統と国家文化の一部になっている先祖伝来の土地は、命そのものなので ある。この最後の砦を失ったために、いま避難センターにいるアエタは、未来につい て強い不安にとらわれている。しかしアエタの多くは、避難センターで細々と暮らすの ではなく、荒涼とした風景に挫けずに、犠牲をいとわずに、かつて先祖たちがしたよう に、再出発する決意を表明している。
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