「神女(シャーマン)誕生」

徳之島に生まれた祝女2万6000日に記録

松堂 玖邇 著 フォレスト より引用





松堂玖邇が体験した神仏との語らい、そして預言。その信憑性云々に関しては、

霊性などない私が言葉をはさむことは許されないが、ただシャーマンとしての自覚

が芽生えるまでの心の苦悩や葛藤を描いた本書は、ユタが神からの呼び出しに

応えていく心の軌跡そのものであり、その語り口は見聞きした者を強くひきよせる

不思議な力を持っている。心の揺れを実直に、そして何も装飾しないで語る著者

自身の誠実で謙虚な態度、それはシャーマンに共通するものであり、共同体やそ

こに生きる人間のため自己犠牲的な覚悟を選んだ者だけが発することを許され

た言葉の重みを感じずにはいられない。

(K.K)








本書 あとがき より抜粋引用


昨年、久しぶりに故郷の徳之島に帰りました。私が育ちました屋敷は跡形もなく消え、

茫々と雑草が茂る原野となっておりました。南国の島を襲う台風の力は凄まじく、誰

一人住まなくなった屋敷はまず屋根が落ちてにょっきりと支柱だけが残ったそうです。

しばらくすると残った柱も強風でことごとくなぎ倒され、いまは朽ちて土に戻っておりま

した。いかに強靭に建てられた家とて、天や自然や時の流れの前では所詮、砂の城

でしかなかったのです。徳之島の我が家に限らず、人間の力の脆さと限界を最近とみ

に感じるのは私だけではないはずです。わずかばかりの科学の進歩を根拠に人間は

全能観にとらわれ、永遠の繁栄を勝ち取ったかのように思い込みましたが、新しい世

紀を迎えた途端、所詮はそれが一時の儚い夢でしかなかったことを我々は思い知らさ

れました。このような厳しい現実は、いまに限らずいつの世でも天は奢った人間世界に

対して突きつけてまいったと言ってよいと思います。いえ、それは地球全体という大きな

単位に限らず、一人の人間の一生の中でも示しております。


例えば、この世に生を受けた私どもは必ず生老病死を経験します。生は別にしても老病

死はいかに人間が努力をしたところで、結局は防ぎようのない、どのようにしても天の手

から纂奪できないものでございます。ところが、天や神といった精神世界に対し、ことに

日本人は、わからないとか科学的でないという理由で、怪談めいたものとして包み込んで

しまう傾向がございます。こうした霊的、精神的に貧しい環境では、いつまでたっても不思

議なことや科学では割り切れないことは怪談としてしか語られません。もう、こうした捉え

方はやめにしていただきたい、精神世界は崇高にして神聖であり、しかも理性的な世界

であるということを皆様にお伝えしたい、そう考えてこの本を書いたのでございます。


シャーマニズムとは、はるか太古の時代に自然界の森羅万象を畏れ敬い、絶対的なもの

として捉えた人々の一つの心性とも言えるものです。大自然は生きとし生けるものに空気

を与えたり与えなかったりという差別はしません。自然の恵みの中に、自然そのものとして

存在し、その波動を自らの内に受け入れて生きて行く、そのような人間の最古層の能力の

一つがシャーマニズムと呼ばれるものです。それは現在の組織化された宗教が発生以前

の原初的な形といえます。既存の制度化された宗教は民族の利害と結びついてほぼ二千

年を経た今日、実態としては空洞化し形骸化してしまいました。ところがいますべてを地球

規模で考えなければならない時代となり、そのような形骸化された宗教では世の中を変え

る力に成りえなくなってしまったのです。だからこそ、原初の力を秘めたシャーマニズムが

復活しなければならないのです。そして、神仏のエネルギーは生きた天性のシャーマンの

エネルギーによって保たれ続けられます。


ところが天性のシャーマンがほとんどいなくなってしまいました。神仏のエネルギーがなくな

りますと人心は荒廃します。私がシャーマンとして立ち、日々を送っておりますのはこのよう

な意味もあるのでございます。そして、シャーマンと占い師の違いもこのことにあります。どう

ぞシャーマンという存在に無用な偏見を持たず、精神世界を当たり前のこととしてお考えい

ただきますようお願い申し上げます。


2002年桃月 松堂玖邇


 
 


シャーマン松堂玖邇との出会い 大竹慎一


松堂先生とわたしとのおつきあいは、それほど古いものではない。わずか数年前に

さかのぼる。そのきっかけというのは、当時、わたしは、ある女のことで悩んでいた。

それをある人が見かねて、松堂先生に相談するとよいと、紹介の労をとってくれたの

である。そこで、さっそく伺ってみると、松堂先生は、女の話はそこそこにして、わたし

の前世に興味を持たれて、そちらの話を主にされたのである。わたしも、前世の記憶

が、かすかに一部残っているので、大変興味深い話ではあった。さて、この本でわた

しが期待したことは、松堂先生が今までなしてきた、天からの預言にもとづく奇跡の

一端を開陳してほしかったのだが、残念ながら、いろいろとひかえることもあったのか、

松堂先生の伝記スタイルになっている。仕方がないので、わたしが経験してきた、松堂

先生の奇跡を一部お伝えすることにしよう。


松堂先生はある時、三輪神社に行きなさいと言う。わたしも、三輪神社に是非お伺いを

立てたいことがあったので、ある秋の休日、大和の国にまで、出かけていった。わたしは、

三輪神社の大鳥居と本宮の間を何度も往復しながら、三輪大神に問いかけた。その問い

かけというのは、「わたしは、大国主命を連れ帰り、日本の国を再び栄えさせたいが、そ

の前にそれに抵抗する鬼共をことごとく平げねばならない。その時、あたたの民に塗炭の

くるしみが襲いかかるが、それでもよろしかろうか」というものである。そして、三輪大神の

神託が降りた。わたしの前に一羽の鳩が舞い降りたのである。その鳩は片足であった。

三輪大神は、わたしが、日本経済を片足にすることをお許しになったのである。


昨年、松堂先生は何度も出雲へお出ましになられた。松堂先生によれば、出雲にて、

スサノオノミコトが日本に帰られて着座された由、承ってきたとのことである。わたしは、

大国主命が帰ってこられて日本も治めることが、日本の人々にとっては最も幸あること

と思っており、できれば、スサノオノミコトには帰って来てほしくはなかった。なぜなら、

スサノオノミコトが帰ってこられれば、日本が大荒れになるのは避けられない。しかし、

それも順番上、止むを得ないことであり、三輪大神の神話の示すところでもあろう。ま

た、松堂先生は、秦川勝を甦らせたと言う。秦川勝は、長岡京、平安京を造営した当

代随一のエンジニアであった。


わたしは、古い金融機関を整理淘汰することと、新しい金融機関をつくることについて、

ほぼ目途をつけたので、今、土木関係の新しい事業に取りかかっている。松堂先生の

話を承って、わたしは、「そうか、秦川勝がわたしを助けに来てくれるのか」と理解したの

である。そこで、昨年末、広隆寺まで出向いて、秦川勝に、わたしの事業につき報告を

してきた。おそらく、松堂先生とわたしだけが、日本の将来を織っているのだろう。あま

り、安っぽく語りたくはないが、大変にしんどい未来が日本を待ち受けている。折にふれ

て、松堂先生とわたしは、天から受ける預言を告げてゆくことになろうが、それをどう受

けとめるかは、聞かれる人の思いしだいである。

2002年3月


 


目次


お七夜

琉球の血

薩摩侵略

カミウマレ

一族の死

漂流

巫病

捜神

成巫

巫業開始

三輪山へ


あとがき

シャーマン松堂玖邇との出会い 大竹慎一

参考文献








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