「火の雨 氷の雨」

カムイユカラ・アイヌの神さまがはなしたこと

萱野茂・文 石倉欣二・絵 小峰書店



この絵本について 萱野茂 (本書より引用)


わたくしがこの絵本「火の雨 氷の雨」について触れたいのは、この話を収録した日のことです。

その日---昭和41年1月21日は、吹雪でした。友人の川上勇治さんがバイクで来られ、以前か

ら行きたいと思っていた木幡うもんてさんの所へ誘ってくれました。さっそくわたくしは、テープレ

コーダーをリュックサックに入れて背おい、バイクの後ろへ座り、大男の勇治さんにしがみつき

ました。20分ほど走って、うもんてさんの家に着き、録音したのがこの話です。当時めずらしい

機械だったテープレコーダーで録音するようすを、隣の部屋の障子の隙間から、子どもたちが

音も立てず、じっと見ていたものでした。わたしくは、昭和35年9月から30数年間、700時間に

およぶアイヌの伝承文化を収録しましたが、この絵本の話を収録した吹雪の日、バイクの後ろ

に乗って寒かったことと、静かに聞いていた子どもたちの姿を忘れることができません。


カムイユカラというのは、神の方からアイヌに注文をつける形で語られる神謡です。この話の

場合、雷の音が聞こえてきたら研ぎ物や針仕事などをしていけない、金属性の物には落雷の

おそれがあると、村人たちに教えているのです。北海道でもっとも多くのアイヌ民族が暮らして

いるシシリムカペッ=沙流川、そこを舞台に星づくりの神、その近くに住んでいるカンナカムイ

=竜神が語る壮大な物語がこの絵本です。星づくりの神、太陽の神、月の神、雲づくりの神、

その雲の下で、のどかに暮らしているアイヌ民族たちの生活が、生々と描かれています。ひと

りでも多くの子どもたちが、このおおらかなアイヌの世界、アイヌの村里に思いをはせてほしい

と思います。それがこの絵本に託するわたくしの願いです。

(萱野茂二風谷アイヌ資料館館長)



アイヌ民族の文化伝承に生涯を捧げている著者の自叙伝「アイヌの碑」を参照されたし




APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 







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