「アイヌ・モシリの風」チカップ美恵子・著

 NHK出版







伊賀ふでさんの娘として生まれ、アイヌ文様刺繍に託された想いを多くの人に

紹介してきたチカップ美恵子さんのアイヌ文様刺繍への想い、そして世界各地で

めぐり合ってきた人や土地の想いが綴られている。

(K.K)






チカップ美恵子 (以下、ウィキペディアより引用)



チカップ 美恵子(チカップ みえこ、本名・伊賀 美恵子(いが みえこ)、1948年9月2日 - 2010年2月5日)

はアイヌ文様刺繍家、文筆家。北海道釧路市出身。『チカップ』とは、アイヌ語の名詞「cikap」で『鳥』と

いう意味。



釧路でアイヌ人の家族に生まれる。伯父に、エカシとして有名な山本多助がいる。幼少期より、母の

伊賀ふでより、アイヌ文様刺繍とアイヌ歌舞ウポポを習う。兄に、アイヌ民族活動家の山本一昭がいる。

少女時代に映画にも出演したことがある。このときの写真が無断使用された学術書が出版され、

『アイヌ民族肖像権裁判』となる。



首都圏で、アニメーション彩色の仕事につく。その後,アイヌ文様刺繍家として生計を立て、知名度を

上げる。アイヌ民族肖像権裁判で、マスメディアに登場する。1969年に出版された『アイヌ民族誌』(第一

法規出版)で、少女時代に映画撮影でとられたアイヌ民族衣装のいでたちの顔つき写真が無断で使われ、

見出しに『滅び行く民族』という語句がつけられた。このことを知ったチカップ美恵子は、そのページの

著者の更科源蔵らに抗議する。満足する謝罪は得られず、1985年に札幌地方裁判所に提訴、『アイヌ

民族肖像権裁判』として知られるようになる。その年に、更科源蔵は死去するが、出版社と監修者を

相手に、裁判を継続する。1988年に、チカップ美恵子への謝罪、その他の条件で和解となる。



アイヌの尊厳、先住民族としてのアイヌ民族の地位の確立、その他アイヌ民族の立場として、著書を

出版し発言する。アイヌ文様刺繍を初めとしたアイヌ文化の奥行きの深さについて、説いている内容の

文章が多い。その一方で、アイヌを搾取・収奪してきた近代日本に対して、アイヌの立場として告発

するような表現が多くあった。北方領土問題については、北海道ウタリ協会の立場と異なり、19世紀に

アイヌを『北方領土』から追い出した日本が返還を要求することを非難するという立場をとっていた。

ピースボートに、積極的に参加している。また、最近の著書では、日本の一般市民との対話を大切に

した雰囲気の表現となっていて、NHK出版から、『アイヌ・モシリの風』を出している。



2006年に急性骨髄性白血病を患い入院。その後講演活動を再開した。2009年9月に再入院。2010年

2月5日午前11時22分(JST)、入院先の札幌市内の病院で死去。61歳。






上の写真は「アイヌ・母(ハポ)のうた」伊賀ふで詩集 伊賀ふで・著 麻生直子+植村佳弘・編 現代書館
より引用。


創造のうたを布の上に (本書より引用)



すべての地球の生命はこの地球に水がもたらされたことで誕生したという。水のちからは何て偉大なのだろう。

水のちからはまさにカムイの御心のはたらきといえよう。カムイとは人間のちからの及ばない存在。神であり、

聖霊であり、精霊である。水は生命の誕生と生命の維持に必要なものであるが、しかしその一方で水は水難

事故などで、人を死に追いやるという側面ももっている。水には生と死を超越した二つのちからがあるというこ

とである。



水はたえず天と地を循環している。大地に降りそそぐ雨は大地をうるおし、やがて霧になって、天に帰っていく。

水は天と大地、そして生と死の永遠の“環”をつかさどる。水は地球上のすべての生命と時間と空間を超越し、

循環する永遠のカムイである。



長い冬の季節が春の季節にバトンタッチしようとするころ、そう、雪解け水が野山や川に流れ出すころ、木々

たちは人びとに天然水である樹液を届けてくれる。樹液はほんのり甘い、なつかしい香りのする、まさに聖水

だ。山や水辺には天からの贈り物がどこにでもある。



かつて川のほとりに暮らした人々は鮭をシペ(本当の食べ物・主食)と呼んだ。川に生まれ、大海を旅して故郷

の川に帰ってくる鮭はアイヌ民族の主食だったし、衣服や靴にもなったのである。



水のほとりに暮らした人びとは水の流れが一様でないことを見ながら暮らした。流れの中に大きな石があったり、

太い木やくいなどがあったりすると、流れはそれらのものの前後に回転の向きの違う渦をつくって流れていく。

こんな渦巻き文様を見ていると、ここから創造がふくらみ、アイヌ文様の「モレウ(ゆるやかに曲がる)」となって

いったであろうことが容易に想像できる。



北海道の海辺の砂丘伝いにはハマナスの群落が広がっている。ハマナスは夏の初めに紅紫色の美しい花を

咲かせ、夏の終わりが近づくと、オレンジ色のかぐわしい実をつける。



枝の先に三つ四つ、ちょこんとかわいい木の芽をつけるのはタラの木。タラの木はアイヌ語で「アイ・ウシ・ニ

(とげのある木)という。春の初めの山菜の代表格だ。タラの木もハマナスもアイヌ民族の暮らしにはなくては

ならない植物だ。



タラの木やハマナスにはとげがある。とげにふれると痛いのは当然のことであるが、実はこれこそが、これら

植物の知恵でもある。とげのある植物はとげが身を守っているのだから。植物たちのこんな知恵を大自然の中

に暮らしたアイヌ民族が見逃すわけはない。アイヌ文様の基本パターン、とげのある文様、アイウシはここから

生まれた。



伝染病が流行した昔、アイヌ民族はコタン(村)の入口や家の戸口、窓などにとげのある木を立てておいた。

病魔などの魔神や災いが入ってこないように、という願いをこめて。伝染病は容赦なく人をおそって、人を死に

至らしめるからだ。アイヌ民族の女性たちはとげのある木、タラの木やハマナスの木の魔除けのはたらきに

ならって、民族衣装に刺繍を施した。



伝染病などの病魔や災いから家族を守りたいとの女性たちの思いは、生命力をもたせるべくアイヌ文様の線

を強くしていく。民族衣装の襟元や袖口、背中や裾まわりにぐるりと施された一針一針のステッチには女性たち

の祈りがこめられている。アイヌ文様刺繍は母から娘へ、またその子どもたちへと伝えられた女性たちの祈り

とぬくもりの文化である。



アイヌ文様はアイウシとモレウの二つの基本パターンで構成される文様であるが、この二つのパターンを組み

合わせていくと、アイヌ文様は無限大に広がっていく。アイヌ文様はパズルに似たところがあるから、初心者に

は容易に創造できない難しさがる。しかし、このパズルのようなパターンこそがアイヌ文様のキーワードといえ

よう。このパズルのようなキーワードさえ押さえれば、アイヌ文様が無限大に広がっていくことや、アイヌ文様の

創造性の楽しさもわかってくる。



たとえば雨の日に森の中の湖に目をやると、モレウをつかさどる水の精たちが華やかなダンスパーティをくり

広げているのが目にとまる。空から競って舞い降りてくる雨の精たちは軽やかに水面をすべって、次々と大小

さまざまな輪をつくっていく。雨の精たちの輪はまるで踊り子たちの舞い姿のよう・・・・。



こんなふうに一つのパターンからでも、こんな創造が生まれてくるのである。アイヌ文様が無限大に広がって

いくのは、大自然の創造のうたがあるからだ。



私たちのまわりの景色には季節の移ろいがあり、私たちはいつでも季節の香りと彩りにつつまれて暮らしてい

る。身近な何気ない景色の中にも美はある。心が美を探せば、瞳は美を見つけるということである。心が探した

美を瞳が見つけたとき、生命は輝き、調和のうたをうたう。



カムイが宿る心は豊かな想像力をもたらしてくれるということである。こんな創造のうたを、布上に一針一針

ステッチしていくのは実に楽しいことである。



本書は、これまで私がアイヌ文様刺繍を施しながら、出会った人びとやさまざまな思いをつづったものを一冊に

まとめたものである。この本を通して読者の皆様の心にふれられたならば、どんなにすてきなことだろう。








アイヌ民族はカムイたちとの暮らしの中に、生の倫理や尊厳を知り、ともに生きることを学ぶのである。儀式

というのは、いつの時代においても神聖なものである。儀式は生と死の時間を超越し、“生命のめぐりの環”に

よって、すべてが結びついているということを教えてくれる場でもある。儀式に参加することで人は神聖な時間と

空間のいわば“聖地”を体験し、生きる手がかりを知る。儀式には人間の本質がある。生命あるものは、何か

の生命をいただき生命をつむぐ。たとえ、それが苦痛をともなうものであったとしても、それが「生きる」ことの

現実であり、脅威であり、生命の神秘である。儀式をつかさどる場所は聖なる場所だ。そこで人は自分を見つ

め、自分自身の存在理由や「生きる」ことの意味、試練を体験するのである。



たとえば、アイヌ民族であることで不快なことや差別があったとしても、アイヌ民族の文化はそれらを乗りこえて

しまうほどの素晴らしい世界観がある。それは闘う勇気と強さである。そして、どんなことがあっても、人間性を

失わず、人間らしく生きることを先祖たちは教えている。生きること、それは喜びを分かち合い、ともに苦しむと

いう思いやりの心を備えることである。これこそが、かけがえのない先祖たちのメッセージであり、贈り物で

あろう。



しかし、共生と調和があれば、それに対立するように破壊がある。それはアイヌ語のカムイに魔神としての意味

合いがあるように・・・・。先住民族にとって破壊とは環境破壊であり、それは精神の破壊、人間性の破壊につな

がっていくことを意味する。



心も失ったとき、人に優しさや思いやりの心はあるのだろうか。魂が調べる詩や歌や人びとの心から聞こえて

くるだろうか。荒廃した心は何もうたわない。



社会は集団から個の尊重へ移行した。しかし、個は孤立することではない。集団と個のバランスが現代社会に

欠落しているように思うのである。人は他者との一体感があってこそ、生きているという実感を感じるものである。

すべてのものがつながり合って生きているということを忘れてはいないだろうか。



つながり合う“環”は和となり、調和となるということを。



アイヌ・ラックル=天地創造は人生を神話にたとえた素晴らしい魂の調べである。アイヌ・ラックルとは「人間の

ような神様」という意味である。アイヌ・ラックルのメッセージはどんなに時代が変化しても、変わらないものが

ある。それは“人間性”という人の心であり、人は人の心をもった人としての人生を創造することであると伝えて

いる。アイヌ・ラックルの話はこれで終わるけれでも、ここから先はあなた自身の人生が創造のドラマを語る番

である。







心通いある共生の大地へ

「アイヌ・モシリ」は未来へのメッセージ



さて、一九九二年の地球サミット以降、地球環境を取り巻く状況は一人ひとりの生き方の中に問われだし、

そして、それとともに忘れられていた先住民族の生き方にスポットが当てられるようになった。



アイヌ民族の文化や人権にふれよう、知ろうとする人たちがずいぶん増えてきた。高度成長期の繁栄は人びと

に物の豊かさ、便利な生活をもたらしてくれた。しかし、それは心の豊かさや心のゆとりにつながることでは

なかったのである。それが人びとの生き方に表れてきたのであろう。これまで否定されてきた先住民族の生き

方、“大地との共生”こそが未来へのメッセージであり、地球をいたわる心につながっていくのだと、多くの人び

とは気付いたのである。そして、それが平和で創造性のある社会をはぐくんでいくことであると。



人はだれでも与えられた生命を輝いていたい、と思うものである。そんな輝きが生きている証、存在理由となっ

ていくのだから。かけがえのない生命は差別によって、価値観をともなうようなものであってはならないと思うの

である。



アイヌ・モシリという言葉には“人と人”“人と自然”の共生の思想が息づいている。アイヌ民族は大地にも、心に

も国境をつくることなく、ボーダーレスに生きてきた。そして、そこには“個”としての尊重やいたわりがあった。

人は一人では生きられるものではない。怒りや喜びなど、喜怒哀楽をともにすることで生きているという実感が

ともなうと思うのである。人とかかわり、その魂にふれることで、人は輝きもする。



アイヌ・モシリというのは大地との共生を表す言葉である。自然であることがごくあたりまえだったということで

ある。自然とは大地から生まれ出たあるがままの存在で、光り輝く生命のさまをいう。生命のサイクル“生命

のめぐりの環”のバランスがとれている状態がアイヌ・モシリであろうと思うのである。



人が自然を、あるいは人が人を支配するということではない。人間たちも自然の中の一つの生命体にすぎない

という謙虚さがこの言葉に表れている。それはアイヌ民族の生き方にも見られる謙虚さである。



森羅万象にはカムイが宿るものと信じ、祈りをささげ、カムイに感謝するのがアイヌ民族の暮らし、それが

アイヌ・プリ(アイヌ民族の伝統的慣習)だった。



生まれ、育ったところはその人のかけがえのない故郷であり、心のよりどころである。故郷の景色を思い出す

だけで、人を優しくつつみこんでくれるし、うるおいやぬくもりを感じさせてくれる。そんな故郷へのまなざしが人

を輝かせ、故郷を光り輝かせるのだろうと思うのである。




以下、「アイヌ・母(ハポ)のうた」伊賀ふで詩集 伊賀ふで・著 麻生直子+植村佳弘・編 現代書館
より引用。







母鳥たちのピリカモシリ 麻生直子 本書より抜粋引用



伊賀ふでさんの数冊のノートのふちには黒く焼け焦げた跡があった。ふれるといまにも剥がれ落ちそうで、

私は手に取ることがためらわれた。イランカラプテ(あなたの心にそっとふれさせてください)という挨拶の

ことばをのみこんだ。札幌に住む植村佳弘さんを訪ね、チカップ美恵子さんの遺品やふでさんのノートや

日記帳を見せていただいた日のことだった。



(中略)



チカップさんには多くの心残りがあったに違いない。彼女は著書のなかで、母、ふでさんの遺した回想記や

アイヌ語の意訳詩や、詩作品も収載し、母の生き方は私のバイブルだとも書いている。私は二人の単行詩

集を、暗黙の約束として発行してあげたいとおもった。現在では知里幸恵編訳の『アイヌ神謡集』がユーカラ

として有名だが、その他にさまざまな地域の口承文芸があることを、ふでさんの兄、山本多助さんやチカップ

さんの著作で知った。釧路市阿寒町の阿寒湖畔にあるアイヌコタンでは新しく「阿寒湖アイヌシアター イコロ」

もでき、アイヌ民族の伝統的な歌や踊りも行なわれている。



(中略)



ふでさんのノートは1954(昭和29)年、当時41歳のものから1967(昭和42)年4月に54歳で亡くなる直前まで

日記帳とともに書き記されている。そのノートのなかの詩、「ポロンノアン:私の時間」には〈若い時に書きしる

したノートは・無情な動物に焼かれてしまった)という二行がある。そのノートがあれば忘れたものがすぐわか

るのに情けないと嘆きながら、夜8時から10時まで、記憶をたどり、思考をかさねながらアイヌ語の単語に日

本語訳を綿密に書き入れ、先祖から伝わるイヨマンテやイフンケ、ウポポやリムセの詩を意訳した詩集前半

の伝承歌は得難い存在である。ノートには1ページも無駄にしない緻密な文字が詰まる。ふでさんが生まれ

育った道東の、太平洋が広がる釧路の豊かな海、阿寒周辺、塘路湖など、アイヌ語を語源とする地名や動

植物、種々の薬草や効能も記され、それのみで貴重な資料にちがいない。



(中略)



塘路湖でのベカンベ祭りは現在、休止しているが、湖畔でムックリを吹くふでさんの写真は印象的だ。阿寒

湖のまりも祭りには長老たちが小舟に乗り、まりもを祀る儀式もある。ふでさんの詩「トウラ サンベ:まりも

の歌」で「トウラ サンベ」は「湖の妖精」を意味する。先ごろ、世界各地の湖沼に生息するマリモの祖先は、

そのすべてが阿寒湖のマリモで、渡り鳥によって運ばれその地で生育したものだと実証されたという。湖の

妖精が鳥によって運ばれて世界の美しい水辺で育ち、菱の実はもしかしてヒマラヤを越えて飛来する鶴が

運んできた神様の贈り物かもしれないなどと想像してみる。



この宇宙や地球は神(カムイ)からの借り物であり、自分たちは未来の子どもたちに、水や空気も汚さずに

引き渡さなければならない、というアイヌ民族の自然観や精神文化を身近に感じる。ふでさんのアイヌ語と

日本語のバイリンガルの詩は、「ウエノソイマ エミナ カイクシ:おてんばは喜ぶ春」や「ポン レタラ アパッ

ポ(レヘ オイラ:鈴蘭」などに代表されるように、自然や動植物や子どもたちの呼吸が、リズム感をもって

伝えられる。



詩集後半の生活実感がにじみ出た詩の多くは、日記の断片のような独白のことばになっている。1913(大正2)

年生まれのふでさんが、戦中、戦後の困難な時代、多くの母たちが味わった窮乏生活のなかで、家族のこと、

病気や入院生活、自分の夢や欲望や悲嘆や死さえも、ことばに吐き出し、それが、かえって詩を書くことをより

どころにしていた独りの母や女性の姿を映し出す。



チカップさんの詩群は昨年、『チカップ美恵子の世界』(北海道新聞社)といsてアイヌ文様刺繍とともに作品集

に収載された。『アイヌ・母(ハポ)のうた・・・・伊賀ふで詩集』はこのたび植村さんと一緒に編むことができ、そ

こにいたるまでいろいろな人にご協力をいただいた。なによりもチカップさんにそのことを伝えたい。

〈あなたの心にそっとふれさせてください〉という読者への願いもこめた詩集なのです。







娘につなぐウポポのこころ 植村佳弘 本書より引用



本書は北海道釧路市に生まれ育ったアイヌ民族の一人の女性、伊賀ふでの詩をまとめたものである。ふでは

生前、アイヌに伝わるウポポ(歌劇)を意訳した詩の他に、アイヌ語と日本語で多数の詩を遺していた。それら

を書き留めた十三冊のノートと日記は長女のアイヌ文様刺繍家、チカップ美恵子が大切に保管していた。



チカップとはアイヌ語で鳥を意味する。美恵子は2010年2月5日、急性骨髄性白血病で鳥のようにおおらかに

羽ばたいた61歳の生涯を閉じた。私は刺繍の写真と詩を『チカップ美恵子の世界・アイヌ文様と詩作品集』

(北海道新聞社)として刊行した。彼女との最後の約束だった。



美恵子は母ふでとその長兄、山本多助エカシ(長老)から大きな影響を受け、自分の著作の中でふでの詩など

を断片的には紹介していた。美恵子の没後、美恵子が生前最後に行った「日本の詩祭」(2009年)での講演を

主催した日本現代詩人会の実行委員でもあった詩人、麻生直子さんからふでの詩集を刊行したいとの申し出

があった。以後、二人でふでのノートを見直し、本書にはほぼすべてとなる71編の詩を収載した。アイヌ語につ

いては大野徹人さん(アイヌ語講師、北海道日高管内様似町在住)に監修いただいた。また民族の伝統を尊重

しながら、ロック調にアレンジした音楽の演奏など、いまを生きる民族の文化の発信を追及している「アイヌアー

ト・プロジェクト」代表で版画家の結城幸司さんに版画を寄せていただいた。



明治以降の同化政策によって、先住民族であるアイヌは抑圧されていく。貧困と差別、希望が見えぬ生活に

酒におぼれるアイヌも少なからずいた。酒を飲んでは大声を出して妻につらくあたる夫。ふでの家もまた同じ

であった。



やり場のない悲しみと苦しみ。しかし、ふでは戦後の新しい風も吹く中、詩やエッセー、物語などの文芸の他に

も刺繍や彫刻、習字、油絵などと多彩な表現活動を展開、才能を開花させ始めた。高度経済成長が本格化し

ていく1960年ごろ、畳さえ満足になかったあばら家の自宅の真ん中には、大きな箱型のオープンリールのテー

プレコーダーが一台あった。事故死した夫に代わり、出稼ぎをして一家の生活を支えていた長男、久幸が大

奮発して買ったものだ。



ふでは病弱であまり外出はできず、近くで暮らす千家イセと従妹の井樫タケ、二人のフチ(おばあさん)や山本

エカシがよく遊びに来た。どぶろくを呑み、調子が出るとウポポが始まる。添付のCDに収録されているウポポ

がその一部だ。



歌っていたウポポがすぐにその場で聴ける。フチらにとってテープレコーダーはまるで「魔法の箱」だった。ふで

はおしゃべりの合間をみて、録音したばかりのウポポを聴かせる。まだ小学生の美恵子とフチらは驚きの声を

出して、大笑いした。



日本全体が東京オリンピックの熱気につつまれるころ、ふでは病気で入退院を繰り返すようになる。人生は

はかなく、自らのいのちも限られたものであることを自覚したのだろうか。執筆のペースは上がり、多くの詩な

どを書いている。苦しみさえ包み込み、その表現は生きる喜びにあふれ、しなやかに澄んでいる。



一方ふではアイヌ語の語彙や意味、ウポポの歌詞などをノートに書き留め、記録することにこだわりを見せて

いる。アイヌ語は独自の文字をもたず、文化や歴史は口承されてきた。同化政策でアイヌ語の使用は制限さ

れ、「滅びゆくアイヌ」とさえいわれた。「民族のこころを守り育てていく。母がしたことは、言葉を奪われた民族

の文字による表現と記録への挑戦だった。その母の背中をずっと追い続けている気がする」と美恵子が話し

たことがある。



「美しき着物、夢」

毎日、よく降る雨である。一針一針動かしつつ祖母の作った百年近いと思われる古い着物を見ながら、と

言ってよいか、拝しながら、と言った方が正しいのでしょう。それを見ながら感激やら感謝をして真似をして

みるが、うまくいかない。

祖母はこの着物を作る時、どんな気持ちで一針一針を運んだのだろう。ミシンでもうまくいかないくらい、少

しも狂っていない。井樫おばさんの話だと、祖母が私の母に作ってくれたものだという。今、50歳になった私

がそれを見て、手を動かしている。何という感激であろうか!

刺繍をしていないところはボロボロである。けれど一針一針の真心は今なお、立派に美しく残っているので

ある。私は素晴らしい祖母と母をもって幸せであった。ありがとう。ありがとう。

(1964年6月10日 ふでの日記から一部略)



ふでの没後に改築されたものの、ふでと美恵子らが暮らした家は今も残っている。天気さえ良ければそこ

からも見える高台に二人の墓があり、太平洋がはるかに広がっている。訪れるたび、海はさまざまな表情

を見せる。



「生命(いのち)のめぐりの環(わ)」と美恵子はよく言っていた。その環の中で、母から娘に紡がれていくも

の、吹きつける風のかなたで、母と娘は楽しげにウポポを舞い続けているに違いない。





APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 







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