自宅に咲いた合歓の木(ネムノキ)です。2015年9月15日撮影。
2015年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 スターリン、ヒトラーなどの独裁者に共通するもの 自身が絶対正義だと陶酔し、意見の異なる人を邪魔者として抹殺する。 最近の日本では小泉がそうでしたが、今回の安保法案の賛成・反対派の両者とも、その危険性のある議員や民が いるのを感じました。 聖徳太子の十七条憲法(604年4月3日に臣下を集め提示したこの憲法は、日本で初めての成文法と言われています) の第十条にはこう書かれています。 「心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。 人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと 思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだという わけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがい だれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、 むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって 行動しなさい。」 十七条憲法は崇高な理念が書かれているのではなく、モーゼの十戒「殺すな、盗むな、姦淫するな」と同じく 行動規範が書かれています。 ただ、この第十条だけを抜粋して十七条憲法を語るのは卑怯な態度なので、憲法全文を時間がありましたら見て いただけたらと思います。 第七条にはこうも書かれています。 「人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な 人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、 生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小に かかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かに のびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は 官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。」 欺瞞・汚職にまみれた中国に限らず日本でも、聖徳太子のような人物が出てきたらと思っていますが、現代の 民主主義では不可能ではないかとさえ思うことがあります。 言霊、「言葉には霊力があるから、決して嘘をついてはいけない」、これは昔の日本だけでなくアメリカ先住民 (インディアン)にも共通していたことです。 選挙で聖徳太子のような人が選ばれるには、全ての民に言霊が宿って初めて実現するのですが、それは 聖徳太子の時代から1400年経っても殆ど変わらない姿を見ると悲観的にもなってしまいます。 ただ、そんな荒波の中でも、名もない知られざる英雄がいたことを指標として、自身が出来ることを模索して いかねばと思っています。 写真は9月15日に撮影した合歓の木(ネムノキ)です。 |