「アイヌ学の夜明け」
梅原猛・藤村和久 編 小学館ライブラリー より引用
哲学者として著名な梅原猛氏とアイヌの研究者として有名な藤村和久氏、並びに アイヌの古老、ヨーロッパのアイヌ研究者との対談から、アイヌ文化の真の姿を 垣間見ることができる。また現代においてこのアイヌ文化の持つ視点の重要さ を考える時、それは合わせて人類の未来のあり方を探るものともなっていくに 違いない。インディアンを始め先住民族共通の視点がこの日本にも存在してい たことを、そして私たち一人一人のの血の中にもこの太古からの記憶が残っ ていることを改めて再認識させてくれる文献である。 (K.K)
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梅原猛・・・本書「アイヌの古老に訊く」対談より
私はやはりみんな死ぬと同じあの世にいけるというアイヌの人たちの考え方は、いいと 思いますね。キリスト教や仏教のようにあの世にいって裁判をされて、地獄や極楽へ いかされるとう考え方は、どうもいやですね。この世の恨みをあの世ではらすというこ とですから、これは人間のあさましい考え方です。それに対してアイヌや沖縄の他界 には地獄も極楽もない。本来、人類の他界には、地獄も極楽もなかった。それは農耕 や牧畜をやるようになって、貧富の差や差別が発生し、そして都市や国家が発生す る。そこで人生がどうしようもなく苦しくなる。その逃げ道としてあの世での地獄とか極 楽を考えるようになったのです。だから貧富の差のない狩猟採集社会の段階におい ては、人類は地獄も極楽も考えなかったと思う。たとえば浄土真宗で、とにかく南無阿 弥陀仏さえとなえれば極楽へいって仏になれるという考え方がでてきて、それ日本で 多くの人の支持をえた背景には、やはり仏教以前の日本には、だれもが等しく同じ あの世へいけるという、アイヌや沖縄に今も残っている信仰があったからだと思い ます。だから日本人はどこかで、だれもが同じように極楽にいけると思っているので しょうね。
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アイヌの古老に訊く 本書より引用
葛野辰次郎(アイヌの古老)・・・あるアイヌの古老に言わせると、人間という動物は、生れ てきたということは死なんがための前準備なんだという。だから、人間という動物は、生れ てきたからといって安心するな、死なんがために生れてきたのだから死ぬまで勉強しろと いうことなんです。だから私も何回か死にかけたことがありますが、なんとかかんとか生き ながらえて先住民族の残した風習やしきたり、また日常用語を、昔のエカシのようなりっぱ なことはできないが、その万分の一でも残したいと思っているのです。そう思っているうち に、藤村さんと出会い、それが縁で今日こうして梅原先生とも会えた。藤村さんと会わな かったら、梅原先生とも会うこともできません。世の中というのはやはりいろいろな人間 同士が出会って、いろいろからみ合ってできているのです。まあ生れてきて、こうして尊い 自然のなかで生かしてもらっているということは、私は何よりも大自然にたいして感謝しな がらいるのです。アイヌの社会には神社もないし、お札もない。みな自分の精神のなかに 神社もお札もおさめているのです。シサム(和人)は、アマテラスオオミカミという神さまを、 お宮をつくってそのなかに祭っていますが、あれはアマテラスオオミカミという尊い神さま のためにつくった神社ではないと思っているのです。あれは人間のためだけにつくられた 神社なのです。アマテラスオオミカミがあんな小さな宮のなかに入れますか。少し屁理屈 かな。・・・・・・・(梅原猛)そうなのです。神社というものは仏教が日本に入ってきてお寺 がつくられるようになってから建てられるようになったのです。それ以前の日本の神様は お宮のなかに入れることはできなかったのです。坊さんがお寺を建てるから神主さんも 対抗上お宮をつくるようになった。本来、神さんというのは、宮のようなもののなかへ入り きれないものなのです。
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梅原猛・本書・藤村和久氏との対談より引用
あなたにそういっていただければたいへんうれしい。私は一つの仮説を出しはしましたが、 その仮説の証明を急がずに、その仮説をもとにしていろいろ考えてきた。そしていろいろ 考えていくうちにその仮説はたぶんというより絶対に正しいと思うようになった。そう考える と日本の古代がおどろくほど透明に見えてくるからです。日本の基層の文化を考えると、 それは縄文文化までさかのぼらざるをえないのですよ。しかしこの縄文文化というものも 日本独自の文化とは考えられない。もちろんそれは日本独自な面もあるけれど、人類共 通のものである。人類は狩猟採集生活を長い間続けてきた。人類の歴史を二百万年前 だとすると、百九十九万年間は狩猟採集生活をやってきたわけです。この間、日本は 森に覆われ生みに囲まれ、狩猟採集生活にはたいへん恵まれていた。そしてその狩猟 採集生活のなかで、土器を発明したこの高度に発展した狩猟採集文化が縄文文化です。 その縄文文化が日本の辺境に残っている。アイヌ文化はこの縄文文化の遺産を色濃く もっている。それゆえにアイヌ文化は日本文化を研究するには欠くことができないばかり か、人類のたいせつな知恵を伝えるものです。というのは人間の深い知恵がこめられて いる。以後、人類は農耕牧畜文明を発達させますが、農耕牧畜文明は自然を壊す文明 で、緑を食ってその文明を発達させた。その上にさらに工業文明が発達して一層自然を 破壊している。そういう状況のなかで、もう一度、狩猟採集文化が見直されなければなら ない。狩猟採集文化から知恵を学ばないと、人類は生きていけない時期にきているので はないか。こういう意味で、狩猟採集文化の一つの形態としての日本の縄文文化という ものは、たいへん大きな意味をもっているだろうと私は考えるのです。その縄文の文化 がもっとも残されているのがアイヌと沖縄の文化だと思うわけです。沖縄の場合は朝鮮 や中国の影響がかなりあるようですが、アイヌ文化にはもっとも純粋に縄文文化が残さ れている。そういう意味で私はアイヌ研究の重要性を指摘したわけです。この北と南に 縄文文化が残されている。その自然人類学的な基礎についてはすでに自然人類学に おいて十分、証明されている。そういうフィジカルな面のみではなく、メタフィジカルな宗教 や信仰面に私は注目しているわけです。たとえば藤村さんのアイヌの宗教についての 研究とつき合わせたらどうなるかということですね。おそらくアイヌと沖縄の宗教はよく 似ていると考えてまちがいないでしょうね。両方ともすべてのものには霊がありその霊を あの世に送って、そしてまたその霊はこの世に帰ってくるという、そういう考え方です。 たとえば親鸞なんかの考え方も、これと同じ構造をもっている。それは、日本にはもと もとアイヌや沖縄の宗教が基層にあって、それが仏教を変質せしめたということなの です。フィジカルな面で自然人類学が証明したことを、メタフィジカルなところでも私は だいたい証明できるのではないかと考えるのです。そうするとその中間の民俗学とか 言語学の面ではどうか。それについての証明はまだされていませんが、おそらく同じ ようなことがいえるのではないかと私は思っているのです。ですからこれからまだまだ 詰めていかなければならないことがいっぱいある。そのためには民俗学者や文化人類 学者、国語学者、言語学者、とくにアイヌ文化の研究者、沖縄文化の研究者の協力も 必要です。そういう意味で、藤村さんと出会ってからの十年は種まきの十年だったと 思いますね。
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目次 はじめに 梅原猛 藤村久和 日本学の方法 アイヌと沖縄の視点から J.クライナー 梅原猛 アイヌ研究と沖縄研究 スラヴィク先生の日本への関心 岡正雄との出会い 語学の天才・・・・プフィッツマイヤー 周縁にこそ日本の基層文化が・・・・ 国家主義にゆがめられた日本のアイヌ研究 日独伊三国同盟をささえた奇妙な人類学理論 最近の自然人類学の成果 まれびと信仰・・・・アイヌと沖縄を結ぶもの 柳田民俗学の出発点 沖縄についての柳田民俗学の誤謬 狩猟採集社会のまれびとと農耕社会のまれびと 海のかなたと山上の天国 アイヌ文化の位置 日本独特の双系社会 家紋・・・・狩猟採集社会の名残り 熊送り・・・・人類普遍の宗教概念 必要なキリスト教以前の世界観の研究 日本の仏教 キリスト教や仏教の背後にあるもの 普遍的な土着の神々 望まれるアイヌ語と琉球語の比較研究
アイヌ研究の可能性 K・レフシン 藤村久和 岡田路明 静内方言からのアイヌ語研究 ヨーロッパと北海道の文化交流 意外におくれているアイヌ研究 温かく迎えてくれたアイヌの人たち アイヌ語はどんな言語か アイヌ語の方言研究について アイヌ語=インド・ヨーロッパ語説批判 ヨーロッパにおけるアイヌ研究 ヨーロッパのアイヌ資料 アイヌ語と日本語の親族関係 比較的豊富なアイヌ研究資料 アイヌの自然観に学ぶ アイヌ文化を残すために アイヌ研究者の務め
座談会を読んで 梅原猛 辺境からの視点 アイヌ=白人説の過謬 新しい研究への糸口 アイヌ語研究の方法 同根性の証明は不可能か 拓かれた沃野への道
アイヌの古老に訊く 葛野辰次郎 浦川タレ 梅原猛 藤村久和 生・・・・死なんがための学習期間 食物すべてがご神体 火の神さまと戸口の神さま 太陽・・・・絹衣のぬくもりを与える神 幣場の神々 “近い神さま”と“遠い神さま” 葛野家独特の神々 シマフクロウの神さま 天国への道筋と送る言葉 あの世とこの世 存在するすべてのものに魂がある 不時の災難・・・・神さまの油断
日本語の成立をめぐって A・スラヴィク J・クライナー 梅原猛 「アイヌ」とは アイヌ文化圏をめぐって 日本語の三つの成素 アイヌ語と日本語 X語=類アイヌ語の担い手 生業・歴史をあらわすアイヌ語地名 アルタイ語以前の基層言語について ユーカラ分布図の必要性 印と文様の研究 望まれるアイヌ語辞書と文化事典
昭和十年代の二風谷 アイヌ研究の回想 F・マライーニ 梅原猛 昭和十三年・北海道へ アイヌ研究の先駆・・・・デ・アンジェリス 二風谷でのN・G・マンロー ジョン・バチェラーの功績 必要な総合的なアイヌ語辞書
アイヌ語と日本語 片山龍峯 アイヌ語との出会い アイヌ語単語集の作成 日本語とアイヌ語の類似の割合 語源分析法による比較 イケマと「いけま」 パカリと「はかる」 エカムと「かぶる」 コレと「くる」 「つく」のさまざまな意味 スラと「すつ」・オケレと「けり」 スンケと「すか」 カリと「から」 ポプケと「ぽか」 ポプテと「ほとる」 ウプシ、コテ、イカ、コシル、カネ 音韻対応の規則性1・・・・i音とu音 音韻対応の規則性2・・・・p音とb音・h音 オピッタ、エピッタと「みんな」 「いらす」「うやまう」「すける」 キプと「きびしい」 プシと「はず」・マシと「ます」 アイヌ語の形容詞的な動詞 シリと「知る」の対応 ラマチと「たくましい」 精神生活の中心語・・・・ラム
日本語の祖語をさぐる〈シンポジウム〉 梅原猛 片山龍峯 中川裕 藤村久和 吉田金彦 画期的なシンポジウムに むずかしい共通性の証明 フンペがなぜ鯨か 音韻対応ということ 必要な日本語の語源研究 アイヌ語・琉球語・朝鮮語 R音のこと 「から」をめぐって 「ラム」と「らむ」 タンネについて N音とR音 八母音か五母音か アイヌ語と上代東国語 比較地名学の重要性 アイヌ語と日本語のちがい アクセントと助詞の問題 アイヌ語の古層をたどる
“アイヌ学”の課題 梅原猛 藤村久和 ユーカラの背後にあるもの ヨーロッパにおけるアイヌ研究の位置 アイヌの古老たち 自由な創作と語りのなかに・・・・ 歌うということ・・・・神の声 必要なアイヌ資料の集成と提供 ピウスツキの偉大さ 吉田巌と白井柳治朗
編者・参加者紹介 初出一覧
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2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |