アイヌ・・・川村シンリツ・エオリパック・アイヌの言葉


鎌倉時代より、和人(日本人)が砂金や毛布、魚などを求めて北海道にやって来た。

それまでアイヌ民族が川で鮭を捕り、山や平原で鹿などを捕り、植物を山ほど貯蔵し

て平和な生活を営んでいるところへ、和人が急増したのである。江戸時代からは、

アイヌ・モシリに屯田兵が、大量に入り込むようになった。インディアンやオーストラ

リア・アボリジニなど世界の先住民にも共通しているように、侵略者達はフロンティア

の開拓や開発という大義名分のもとで、自然界をことごとく破壊し、先住民族を迫害

し続けてきた。また和人が持ち込んだ、天然痘や梅毒などの病気によって、江戸時

代にはアイヌ人口はそれまでの約半数に激減した(それ以前の人口は約50万人と

見られている)。更に漁場などで強制労働を強いられ、民族の存続さえも一層危ぶま

れるようになったのである。


インディアン達の忠実と同種の迫害の歴史は、アイヌ民族にものしかかっている。

しかし共通して言える事だが、よそからの異民族がやって来た時、先住民族達は

彼等を迎え入れるように親しみと慈しみの心で接し、惜しみなく分け与えていたの

である。決して敵対する関係、奪い合う関係ではなかったのだ。


明治以降、狩猟をすれば密漁だと逮捕され、川で鮭を捕まえれば密漁となり、仕掛

弓さえ禁止され、ロシアへの対外政策もあってか、保護の名のもとに土地を追われ、

移された荒れ地で慣れぬ農耕労働を強いられ、少しでも土地が良くなると再び荒れ

地へ強制移住させられるという事が続いてきた。狩猟民族が、いきなり農耕労働をさ

せられたその苦労は、想像に難くない。


和人の開拓に都合のよい法律(北海道旧土人保護法)が制定されて以来、アイヌ民族

はこの法の存在によって、どれ程苦しめられてきただろうか。この法が生んだ差別・偏見・

迫害の数は、限りない。アイヌはこの法によって、現実的には日本人でもなく外国人でも

ない、劣等民族的な身分上無権利の取り扱いを受けてきたのである。昭和49年(74年)

から、二次にわたる「北海道ウタリ福祉対策」が推進されてきたが、生活状況に多少の

改善は図られたものの、まだなお多くの格差が存在している。生活・就労・所得水準や

進学状況においてその格差は著しく、60%以上のアイヌが、差別は現在もあると言う。


アメリカ合衆国のインディアン政策をそっくり取り入れて、日本のアイヌ政策ができ上がっ

た関係上、開拓した側とされた側の歴史は当然の事ながら酷似している。共に文字をも

たない民族であり、土地を奪われ続け、人権・主権・文化などをことごとく無視されてきた。


92年は、コロンブスがアメリカ大陸を“発見”して500年目にあたる。これは、アメリカ合衆

国と先住インディアンの関係にとどまらず、物質文明による略奪の象徴だと、私は考える。

世界各地で、数百年にわたり同じ事が繰り返されてきたのだ。発見した側、或いは開基し

た側にとってはお祭りであろうが、もともとの原点にだれもが立ち帰り、その事の意味を学

び直すためのいいチャンスだと思う。93年は国連の「国際先住民族年」である。この2年間

のもつ意味はきわめて大きい。白人大国と先住民インディアン、日本とアイヌ民族の原点

に、多くの人々の目が注がれるだろう。


物質文明の人間が、文明の発展と相反して失ってしまった精神性は、大き過ぎる。しかし

少なくとも、少数民族とされる人間社会には、その精神性や宗教性がひき続き残されてお

り、その事実と崇高性に、物質文明の人達が目を向け始めているのも確かだと思う。開拓

した側にとっても、された側にとっても、長い険しい歴史であった。われわれは今、地球人

として気がつかなければならない最後の段階に入っている。既に何族だと張り合う時代で

はない。小数・多数を問わず、異民族同士が一つの大地を共有しているのだ。人間のみ

ならず、そこに生きる動物・鳥達・魚達・植物達と共に生き合う世界的潮流が、始まってい

るのだと思う。


何より、インディアンはインディアンとしての、アイヌはアイヌとしての、民族の誇りとアイデン

ティティーを見据え再認識し、その意思をもち続ける事、そして異民族同士が互いのそれを

認め合う事が、新しい時代の教育の中心ではなかろうか。世界の先住民族との交流は、そ

ういった事をはっきり見せてくれる。またそれらを取りもったり、それらに関わってくれる日本

の仲間たち、シサム(隣人)の存在は貴重だ。そうやって、われわれは互いに学び合ってい

る訳である。


人類は今のところ、地球の上でしか生きられない。その母なる地球は、有史以来かつてない

程の危機に瀕している。温暖化、砂漠化、核や原発、人の生命さえ物質化され、金銭を頂点

とする価値観から忍び寄る心の問題、小は家族から大は戦争まで、われわれを取り巻く問題

は多過ぎる。インディアンが語るように、赤・白・黒・黄の全人種が一つとならなければ、われ

われに光りある未来は見えてこないだろう。アイヌ文化の伝承の暮らしの中にいて、私は常

日頃、そういう願いをもつ地球人の一人でありたいと思っている。


人間の生活からセレモニーがなくなってしまうと、もはやどうしようない。われわれは自分達の

子孫に何を残してやれるだろうか? きれいな地球、共存共生できる世界・・・・それこそが

人間(アイヌ)の道だと思う。91年9月に亡くなった荒井源次郎エカシは、「老若共に、生命尊

重の教育を」と、訴えておられた。アイヌ民族は元来平和を愛し、平和の中に生きた民族であ

る。今この時代こそ、われわれの叫びに心の耳を傾けてほしい。われわれと共に、生命を学

び合ってほしいと切望する。


イヤイライケレ(ありがとう)


「夜明けへの道」 人間家族 特別号 より抜粋引用


アイヌの伝承世界に息づく豊穣な魂を綴った民話と神話集「炎の馬」を参照されたし







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