「奄美学 その地平と彼方」

「奄美学」刊行委員会編 南方新社 より引用








序 奄美学 その地平と彼方

山下欣一さんの大学退職に寄せた奄美からの発信として 刊行委員会


今、私たちは「奄美」に暮らしています。ここでの「奄美」とは、奄美諸島を構成する八島

の島々の総称としてあることを、ひとまず確認しておかなければなりません。このように

特定して語らねば、この「奄美」という言葉が多様な意味を喚起していくことになるから

です。むしろこうした揺らいだ言葉としてのありようこそが、島嶼地域社会のありのまま

を含意しているのだと言っていいのかもしれません。そして、それぞれの位置からこの

「奄美学」を介して、私たちは様々な表現を試み、またそれらを深めようとしてきました。

こうしてこの「奄美」を介して表現を試みる私たちにとって、大切な友人として、躊躇なく

山下欣一さんの名前を挙げることができるでしょう。その山下さんが、大学退職というひ

とつの節目を迎えることになりました。事改めるまでもなく、「奄美」から拡げられていっ

た民族研究の足跡は、計り知れない大きさとなって積み重ねられてきました。それ以上

に、私たちの身近へと届けられた「奄美」からの、そして「奄美」へのこれまでの発信に

よって、どれほど私たちは知の勇気を、刺激を、そして挑発を受けてきたことでしょうか。

1974年(昭和49年)、「奄美の人が奄美を認識し、自己を規定していく、奄美学を確立

する時期にきている」とした問題提起は、鮮烈な問いとなって響きました。他方にヤポネ

シアを論じる島尾敏雄さんが対峙しての二人の議論は、確かに「奄美」を鍛える熱い言

葉となっていったことを忘れません。それ以降、私たちは「奄美学」という言葉に、『奄美」

のアイデンティティーを語る可能性を見てきたことも確かです。そして今、山下欣一さん

の新たな出発に際して、私たちもこの発せられた問いに改めて向き合うことによって、

今この時の歩みを新たにしてみたいと考えています。二十一世紀のパスワードのように

してあるグローバリゼーション、その世界の一元化への対抗として多文化主義が主張

されています。しかし、その土地に育まれたとする地方の文化的特殊性を強調するだけ

では、新しい知の構築とはなりません。むしろ日本の中で周縁化されることで、「奄美」

を特殊なものとして自己主張するあまり、逆に普遍的な日本を強化するような陥穽には

まる危険性に気付いておくべきでもあるのです。この間、「奄美」という言葉が多様な意

味を生み出してきました。では「奄美学」を介して私たちは何を明らかにしてきたでしょう

か。またそこには何が欠落していたでしょうか。こうしたひとつひとつを明確にしていくこ

とが、新たな歩みには必要だと考えています。「奄美」固有の文化や価値観があると語

ることによって、どれだけ日本を、そしてその近・現代を相対化できたでしょうか。私たち

が、ここに掲げるように「奄美学 その地平と彼方」とするのは、こうした問いとともに新し

い「奄美」の知のあり方を考えていこうとするからです。そしてこのことが、一人の知の

旅人としての山下さんと私たちの「奄美」を介した結びつきを、また知の友情を表現して

いくことになると考えているのです。

(本書より引用)


目次


第一部 座談 奄美の未来を探して 奄美学 その地平と彼方

講演要旨 山下欣一


第二部 奄美学の地平


1.分かちもつ世界

奄美・神の行方 ノロ・異人・弁財天

ノロ聞き書き抄 奄美・大和村大棚

奄美の初穂儀礼の構造 名瀬市大熊の事例から

「諷歌 倒語」と「サカウタ」の関連

「ぐぃくまぎり」に関する一考

昔むんがたり

喜界島・中里の「ソーメンガブー」小考

学校の怖いハナシ 名瀬市立名瀬小学校

祈りの風景


2.時空への位相

奄美の一字名字と郷土格について その歴史的背景

奄美群島の名字について

古代の南島経営と奄美の地名表記考

地名に見る「青」の思想

南西諸島の洞穴墓

奄美グスク成立前夜

喜界島からの発信

薩摩藩の山林・土地政策と奄美島民の暮らし

大宰府へ献上した赤木考


3.明日への回路

「奄美ルネッサンス」の呼称をめぐって

二十一世紀における島興しへの視点

復帰五十周年を終えた奄美

奄美が奄美で在り続けるために


4.思いと想いの間で

私の中の奄美

足許・この一点から

奄美時代の山下欣一さん







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