「アイヌの昔話 ひとつぶのサッチポロ」
萱野茂 著 平凡社
昔話、それは自分自身が主人公になって、何を感じ何を考え何を為すのかを 問わずにはいられない。子どもへの躾や教育、それは親や教師などから押し 付けられたものだと、自我の欲求との折り合いがつくはずもない。ただ、それ が自分自身が主体的に、そしてその昔話の世界がまるで子どもの心の世界 に溶け込んでしまったら、その昔話に宿る教訓は子どもの力となり生きる指針 をも与えるものになるのかも知れない。民族が太古の昔からの経験を通して、 次の世代に引き継がなければならない大切なものを伝えていく。まるでそれは 太古の生きた人間からの贈り物であり、彼らが生きた証でもあるのだろう。私 たちは、この昔話に込められた想いを感じることが出来るのだろうか。 (K.K)
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アイヌの人々の間で口伝えに語り継がれてきたウゥェペケレ(昔話)、20話。 悪い根性を懲らす痛快な、よい生活の作法を教える温かな話の中に、人間と 自然と神とが自在に交流し共生する世界のあり方を告げる。 (本書より引用)
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本書 はじめに より引用
昭和7,8年の二風谷村(北海道沙流郡平取町二風谷)のアイヌの家々には電灯が ありませんでした。石油ランプがあればいいほうで、ランプがあっても、たまたま石油 を買うお金がないため、灯の点らない三分芯のランプが、ほやの片方を黒くしてぶら 下がっていたものです。
そのような暗い生活の中で、祖母はかつては、孫のわたしをこよなく愛し、自分が知っ ているすべてのアイヌ語を、小さい孫に受け継がせようと努力していたかのようでした。 昭和8年4月、わたしは二風谷小学校へ入学、学校では日本語の教科書、サイタ、サイ タ、サクラガサイタ。ススメ、ススメ、ヘイタイススメ。家へ帰ると祖母が語るウゥェペケレ というアイヌのむかしばなしに耳を澄ませ、目をかがやかせ、物語の主人公になったよ うな気持ちで胸をわくわくさせながら聞いたものです。
家庭での祖母との語らいは、完全にアイヌ語だけ、家族同士では日本語とアイヌ語が ごちゃまぜという具合でした。そんな環境のなかで育ったわたしは、母国語であるアイ ヌ語と、外国語である日本語と、両方聞き覚えてしまったのです。それが昭和20年1月、 祖母が亡くなるまでつづきました。祖母が亡くなったとたんに、身辺からアイヌ語が消え、 わたし自身もアイヌぎらいになっていました。それがふとしたことがきっかけで、一度捨て たアイヌ語や文化を、見直し、ひろい上げたのが昭和28年であったでしょうか。
手はじめに、村から持ち去られるアイヌの生活用具を自費で買い集め、流出を食い止 め、つぎに録音をしはじめたのです。民具、つまり生活用具からはいって、ことばの大事 さを知り、録音をはじめてから20年の歳月が流れました。
この本の話は、いままで録音してあった500時間、そしてたくさんの話のなかから選び 出したものです。17,18年もむかしの録音テープを再生翻訳しながら、子どものとき、祖母 が聞かせてくれた数多くのむかしばなしやアイヌ語が、これほど役立つとは思いもしな かったことです。
それにしても、アイヌ語の現状はどうなのだろうか。むかしのままのアイヌ語でむかし ばなしを語れる人がいるにはいるが、聞いて理解できるアイヌが少なく、生活様式も 一般化してしまいました。長い歴史の中で形づくられてきたことば、民族の文化遺産 アイヌ語が、いま、地球上から消えようとしていることは、まぎれもない事実です。そう したなかで、この小さいむかしばなしの本が、アイヌ文化を知るために、そしてことば の命を復活させるために、少しでも役に立てばいいなあと考えています。
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2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |