「野菜畑のインディアン」

バーバラ キングソルヴァー著 真野明裕訳 早川書房 より引用










この奇妙な青春のストーリーは、わたしが貧しく希望のない町をオンボロ車に乗って

逃げ出したことから始まった。オクラホマのチェロキー・ネーションを通過中、インディアン

の少女が近づいてきて、頼みもしないのに車の座席に小さな子供を置いていった。わた

しの身体にしがみつこうとするばかりで、声も出せず、体じゅうに生々しいあざがあった。

しかもその子は、女の子だったのだ。突然ころがりこんだインディアンの子供を連れたま

ま、わたしはアリゾナのとある町にたどりつく。そこにはまた、乳呑児をかかえ夫に捨てら

れた女や、暗い過去をまとうグアテマラからの亡命者夫妻がいた。それぞれの痛みや悲

しみにとまどい、途方に暮れながらも、わたしはその町で生活の糧を得て、傷だらけの

子供の閉ざされた心に光をあてようと試みるのだが・・・・やがて、子供の心にさらに傷を

負わせる事件が起こった。へらず口を叩きつつひたむきに生きる若い女主人公と、いたい

けなインディアンの女の子との心の交流を描く感動作! (本書より引用)



みずみずしい新緑の中を吹き抜けてくる爽やかな初夏の風のような----かつて「一服の

清涼剤」という決まり文句もあった。この本の読後の印象をたとえて言えば、そうなると思う。

生きることの意味をあくまでも肯定しようとする強い意志に貫かれたこの物語の世界からは、

「いざ、生きめやも」という生きとし生けるものの合唱が聞こえてきそうな気さえする。といって

脳天ほがらかな、現実ばなれした、きれいごとのお話ということではもちろんない。この本の

印象を決定づけているのは、ヒロインの飾らない、生一本な、凛とした生き方そのものであ

る。無鉄砲で、根性があって、男に媚びない潔さがあり、そのくせぎすぎすと肩肘張ったとこ

ろはなく、めっぽう情にもろいケンタッキーの田舎娘の、しゃっきりと背筋をのばして我が道を

を行く人生への姿勢が清々しい。


この物語の題材の面から見れば、アメリカ社会の重い現実を生々しく反映していて、決して

単純に現状肯定的な明るい一方の軽い作品でないことは歴然としている。そもそもヒロイン

がケンタッキーの故郷をスターターもないおんぼろフォルクスワーゲンで飛び出していくの

は、おびただしいティーンエージャーの妊娠・出産に象徴される、セックスにしか逃げ場が

ないような貧しさと希望の無さへの反発からである。そして冒険を求めてあてもなく踏み出

した道中で、皮肉にも見知らぬインディアンの幼児を押しつけられ、心ならずも「母」となった

ことで、アメリカ社会に蔓延している児童虐待の醜悪な現実に直面させられる。その子は虐待

の後遺症でかたく心を閉ざし、言葉を発することさえない。その心をときほぐし、気持ちをかよ

せあうもでにこぎつけるヒロインの悲喜こもごもの奮闘がこの物語の大筋である。


さらに、ヒロインの危なっかしい子育てを陰になり日向になって助ける未亡人の中古タイヤ

店主がいて、彼女はまた、中米の抑圧政治から逃れてきた難民たちをかくまう組織「地下

鉄道」の活動家でもある。難民たちを不法入国者として国外追放するアメリカの非人道的

な対応を目の当りにして、ヒロインは素朴な義憤を感じ、自ら危険を冒して保護活動に荷担

することになる。ざっと主なところを並べただけでも、社会派問題小説と紛うばかりだが、実

は大違い。第一、暗くない。重苦しくない。辛辣だが温かいユーモアがある。現実に絶望せ

ず、あくまで人間を信頼しようとする楽天主義が根底にある。それらをヒロインが体現してい

る。母一人子一人の貧しい境遇に育ちながら、「褒めちぎって育てる」という母親のプラス思

考の子育てのたまものか、彼女は変に屈折したところがなく、常にひたむきで、前向きで、

自立心旺盛で、現実の暗さにめげない陽性のしぶとさがある。



目次

1 出てゆく者

2 新年の豚

3 ジーザス・イズ・ロード中古タイヤ

4 タグ・フォークの水

5 なごやかな場

6 ヴァレンタイン・デイ

7 天国での食事法

8 犬糞公園の奇跡

9 イスメネ

10 豆の木

11 夢の天使

12 恐ろしい夜

13 夜咲きサボテン

14 守護天使

15 チェロキー湖

16 健全な精神状態と自由な意志

17 根瘤バクテリア

訳者あとがき







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