「鷲と少年」
ズニ・インディアンに残された物語
北山耕平 再話 菊地慶短 作画 星雲社
北山耕平さんのホームページ「Native Heart」
昔インディアンの若者や子供たちは火の周りを囲み、長老たちが語る物語を 楽しみに聴いていました。そこで語られる物語は、部族の歴史の中で起こった 教訓的なことがらです。人や自然の関わりを通して何が大切なことかを暗に教 え、若者や子供がこれからどう考え生きていかねばならないのかの基盤を作 る意味を持っていました。北山さんはイロコイ、シャイアン、ズニの各部族の中 で語り継がれてきた多くの物語の中から4つの物語を紹介しています。「アシ ハヤ」は同じ年頃の仲間からからかわれていた存在でしたが、如何に「平和 の時」を守ったかが語られます。「星の少年」は空の国で育った少年が、亡く なった母親の故郷を数々の困難から救う物語です。「鷲と少年」は家の仕事 をなおざりにし鷲の子供の世話ばかりしていた少年が、鷲と共に空の国に行 き、様々な経験を通して一人前の人間になっていく物語です。「ますらお」は トーテムポールやワタリガラスの伝説で有名なクリンギット・インディアンが 舞台です。部族の皆からなまけものと見られていた「うすよごれ」は誰も知ら れず秘密に鍛錬していました。そして村を襲う困難から救い、最後には世界 を乗せた柱を支える偉大な者になっていくのです。 2002年8月21日 (K.K)
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本書より引用。
この「大人になるとき聞かされる物語」のシリーズにおいて、私は「アメリカ・インディ アン」と「インディアン」という言葉を使っています。彼らのことを「ネイティブ・アメリカ ン」と呼ぶべきだとする意見もありますが、たとえどの呼称を用いたとしても、南北 アメリカ大陸の先住民を百パーセント適切に言い表しているとは思えません。アメ リカで生まれた人は誰でも「ネイティブ・アメリカン」であるわけですし、私が出会っ た多くのネイティブ・ピープルは自分たちのことを「インディアン」「アメリカ・インディ アン」と胸をはって呼んでいました。ネイティブ・アメリカンと呼びかえればめでたく この世界から差別がなくなるわけでもないのです。こうした言葉の置き換えに反 対するネイティブの人たちの話をしましょう。インディアンという言葉のもととなった とされる「インディオ」という言葉は、もともと「In Dios」で、これは「聖なる道を生き る人たち」文字どおりに訳せば「In God(神のなかにある)」のことだったと主張す るアメリカ・インディアンの社会活動家がいます。その人たちに言わせれば「アメ リカ」という言葉も、けっしてアメリゴ・ヴェスプッチという探検家の名前などから採 用されたものなどではなく、中米マヤ族の「Amerrika」という言葉からきているもの で、これは「四方から風の吹く大地」を意味しているのだというのです。実際、イン ディアンの人たちが自分たちのことを言うときには、それぞれの部族名、イロコイ だとか、シャイアンとか、ズニなどの言葉を、自己を言い表す言葉として使うこと のほうが多いようです。今回紹介した人間としての生き方を学ぶためのお話は、 アメリカ大陸南西部に広がる広大で、しかも美しい砂漠に暮らすズニの人たちの ものです。物語はその神聖な大地からの贈り物といっていいものでしょう。苛酷と もいえる乾燥した気候のなか、コロラド河の豊かな水資源をうまく活用することで、 彼らは伝統的な農法を守りつつ農耕民としてスカッシュなどさまざまな野菜やトウ モロコシを育ててきました。きわめて美しい土器づくりをする人たちとしても有名で す。実際にその土地を訪れたことのない人に、その土地の持つ独特の雰囲気な どを伝えるのは至難のわざですが、このお話がきっかけとなって、読者のなかか ら実際にその土地を自らの足でふみしめることになる人が、ひとりでも多く現れる ことを、さらにまたこのお話シリーズがきっかけとなって、わたしたちがバランスの とれた道、人と人、人と生きもの、人と自然が相互に世話をしあい、めんどうをみあ えるような生き方に戻りはじめることを、わたしたちの国では一度とぎれて修復さ れないままでいるスピリットの輪に帰る道を探し求める人たちが多く出現すること を、祈ってやみません。 北山耕平
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2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く (K.K) |
2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用) 今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。 でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。 ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。 じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に なってしまいます。 105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生 きしてようやく見ることができるのだと思います。 私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、 インディアンの言葉を思い出します。 ☆☆☆☆ 「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが ら行われる。 これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの が、私たちの仕事なのだ。 私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。 私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」 オレン・ライオンズ(オノンダーガ族) 「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より ☆☆☆☆ (K.K) |