「あるインディアンの自伝」

北米ウィネバゴ族の生活と文化

ポール・ラディン著 滝川秀子訳 原ひろ子解説

思索社 1980年5月10日発行









この本について 原ひろ子 本書より引用。


この本は、ミシガン湖の西岸、ミルウォーキーの北方、グリーン・ベイの南方に住む

ウィネバゴ族の男性の自叙伝を、民俗学者ポール・ラディンが編集し、細かく解説を

加えたものである。この自叙伝の著者(S.B氏)の年齢は詳らかでないが、19世紀

後半に生まれた人のように思われ、この自叙伝を執筆した1910年代にはすでに中

年に達していたようだ。(中略) ラディンによる本書の「はじめに」にも記されている

ように、この本にさきがけて、彼は、一人の傑出したウィネバゴ族の男の自叙伝を

刊行し、米国の学界で好評を得た。これに続き、その傑出した人物の義弟にあたる

S.B氏の自叙伝を手がけて、この本が作られた。S.B氏は、優れた猟師で、歌う

声のきれいな人物であったようだが、多くの伝記や自叙伝の主人公となる酋長たち

のような特別のリーダーシップを示したりもせず、極端に風変わりな芸術家でもなく、

どちらかといえば凡人であったらしい。人生のさまざまな場面で、バランス感覚十分

な判断を下し、時には大真面目にずっこける。ともあれ、この自叙伝に見られる描写

力には舌をまかずにはいられない。ウィネバゴ族の文化や生活をご存知ない読者に

も、その時その時の情景が目に浮かぶように描かれている。これを可能にしたのは、

一つにはS.B氏の才能であり、一つには編集者の力量であろう。しかも、ポール・

ラディンの手になる細かい注のおかげで、S.B氏の個人的主観的な体験描写が、

ウィネバゴ族全体の生活の中でどのように位置づけられるのかが、わかってくる。

本文を通読するだけでも、S.B氏の人生に、凡人としての共感が湧き上がってくる

が、注と読み合わせると、またまた味わい深い。(中略) ペヨーテ教の拡まった地

域では、従来の土着の信仰を保持する者や、純粋のキリスト教に改宗する者もい

て、多くの部族が宗教的に三分されるに至る。この本の示すS.B氏の自叙伝では、

土着の信仰に執着のある個人が土着の宗教において確信ある宗教的体験を感得す

る経過が描かれている。S.B氏の前代に生活した人々でも土着宗教への自らの信

仰に懐疑を抱いた人はいたかも知れない。しかし、その人々は、自らの懐疑を土着

宗教の土壌の中で深めたり、解決せざるを得なかったであろう。しかし、S.B氏は、

その懐疑に対する解決を新しいペヨーテという植物の介在と、ペヨーテ教の教義の中

から得たのである。かくして、S.B氏の人生は時代を反映している。この本では、

伝統的な宗教を信じる者と、ペヨーテ教に入った者との関係は描かれているが、純粋

のキリスト教に改宗したインディアンとS.B氏との間のつきあいは出てこない。いうま

でもなく、自叙伝というものでは、「自分はこう生きた」という事実そのものが示される

よりも、「自分はこう生きたいと思いたい」とか「自分はこう生きたと人に思ってもらい

たい」といった執筆時点での願望が反映される部分が含まれる。S.B氏も、その例

を免がれない。そして、ポール・ラディンの注釈が、S.B氏の叙述に奥行きを与えて

くれる。ポール・ラディンは長年にわたってウィネバゴ族の人びとと深い信頼関係を築

いた。この本は、ポール・ラディンのこのような学問的蓄積の上にたってはじめて生ま

れたといえるだろう。だからこそ、アメリカ・インディアンについての知識の全くない方々

にも、一人の人間が生きる姿を描いた読み物として面白い本となっているのだ。


 


目次

はじめに ポール・ラディン

第一部 私の生涯の物語

第二部 わたしの父が教えてくれたこと

原注

訳者あとがき

この本について 原ひろ子








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