「リトル・トリー」

フォレスト・カーター著 和田穹男訳 めるくまーる





クークラックスクラン(KKK)

南北戦争後に南部の白人が結成したテロリスト集団である。白い服で全身を包み、

松明を燃やしながら集会を行うことで有名である。特に黒人並びにその支援者に

対し激しいリンチ・放火・襲撃を行い、1890年代にはわかっているだけでも毎年

100人近くの黒人が殺される。アメリカ連邦政府が取り締まるものの、1920年代

再び活動し、現在も南部を中心に水面下で活動を続けている。これまでこのKKK

によってどれだけの人が殺されたかは想像も出来ないくらいの数と言われている。



「当初、”ぼくと祖父”というタイトルを予定されていた本書は、東チェロキーの

山中における祖父母との生活をつづった自伝的な回想録である。1930年

代、経済恐慌下の一生活記録として貴重だが、単にそれだけのものにとど

まらず、どんな時代のどんな人にも共感を与えうる人間的な記録に高めら

れている。万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持ってい

るのである。」(南イリノイ大学法学部長 レナード・ストリックランド)

本書の「”リトル・トリー”を分かち合う喜び」より引用。




 

 



金原瑞人(法政大学教授)さんの「リトル・トリー」に関する新聞記事

金原さんはインディアンの物語「アンパオ」「暁の星をおびて」などを訳されています。



朝日新聞 1992年1月12日

「ちよっと変わった経歴を持った本だ。七六年に出版されてからまもなく絶版となり、  
  
八六年に復刊。その後、年々評価が高まり、ついに九一年十月にはニューヨーク・夕イ

ムズでぺーパーバックのべス卜セラー第一位にランクされて、売り上げ部数六十万部を

突破したという。『リ卜ル・卜リー』はチェロキー・インディアン作家フオレス卜・カー夕ーの

自伝小説で、両親を失った五歳の少年リトル・卜リーが、チェロキー族の祖父母に引き

取られ、そこで様々なことを学んでいく数年間を描いたものだ。アメリカ・インディアンの

話というと、ケビン・コスナーの『ダンス・ウイズ・ウルブズ』を思い出す人もあるかもしれ

ないが、内容も雰囲気も、正反対だ。インディアンを思いきり美化して、物語をドラマティ

ックにセンチメン夕ルに盛り上げたコスナーの映画とは違って、ここでは山のなかに暮ら

すチェロキー・インディアンの生活や、インディアンの目からみた白人社会が淡々と描か

れている。祖父といっしょにスイカや卜ウモロコシを植えたり、魚をとったり、山七面鳥を

わなでつかまえたり、ウイスキーの密造を手伝ったり、キツネ狩りをしたり、ガラガラ蛇に

襲われたり、白人のクリスチャンに小づかいをだましとられたり、行商人のおじさんが珍

しいものを持って訪ねてきたり、そういった毎日がゆったりとした時の流れのなかで、ゆっ

たりとつむがれていく。悪役もいなければ英雄もいない。「夏は終わりを告げようとしてい

た。そのさまは、末期を迎えた人が残り少ない日々をうとうとと眠って過ごすのに似ていた。

太陽はもう、ギラギラと命のたぎる白い光をまき散らさない。おぼろな黄金色の光で午後

の天地をかすませ、夏が息を引き取るのをうながしている」そんな自然のなかで起こる

出来事は楽しいときもあり、悲しいときもあるが、そのどれもが温かい光をたたえている。

とくに、谷間に畑を作ろうとする貧しい白人一家と、それを助けようとする兵士を描いた

「夢と土くれ」という章がすばらしい。風のささやきも、葉ずれの音も、鳥の鳴き声も、すべ

てが何かを語りかけているような気持ちにさせられる一冊。」(金原瑞人)





毎日新聞 1999年4月7日

     私自身、金原瑞人さんのこの記事を読んではおりませんが、この記事を要約したものを    
    須賀廣さんがホームページに書いておられ、そこから引用させていただきました。




    1・フォレスト・カーターの本名は Asa Earl Carter (通称 Ace Carter) という

    白人で,The Southerner という白人至上主義の雑誌を編集し,自らも記事を書いている。



    2・1970年代「The Education of Little Tree」を出版した時期にも,同時にこの

    The Southernerを出版している。(このことは彼が「改心した」元人種差別主義者という

    説を否定する)



    3・カーターはチェロキー・インディアンの文化についてはほとんど無知である。

    (このことは彼の作品を読めば明らか)



    4・「リトル・トリー」を出版している the University of New Mexico Press が

    相変わらずこの本を「自伝」としているのはおかしい。米国では第二次情報も入手でき

    るが,これが外国に翻訳されている現状では誤ったチェロキー・インディアンの文化を

    紹介することになる。


    (金原瑞人)



 


「リトル・トリー」に関しての私見

ホームページ「神を待ちのぞむ」作者


先ずこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」の中には偽書と呼ばれている

ものも紹介している。フォレスト・カーターが書いた「リトル・トリー」「ジェロニモ」がそ

れである。フォレスト・カーター自身、白人優越主義者の過激派集団として知られる

クークラックスクラン(KKK)の最高幹部であり、「リトル・トリー」も自伝的な回想録な

どではなく全くの創作ものであることも判明している。勿論この「リトル・トリー」の文

学的価値は高いものであるかも知れない。事実私自身でさえ強い感動を覚えた一

人であるからだ。ただ私のホームページは、インディアンに関する文学の情報を流

すことを目的としているのではない。各文献や言葉の中に秘められたインディアン

の魂、叫びや喜びを伝えたいと願って創られたものである。その意味で自らの作品

に描かれた視点と180度異なる生き方をしていた人物が産み出した「リトル・トリー」

「ジェロニモ」は、インディアンの魂を社会的名誉や金のために売り飛ばした卑劣な

ものであると言っても過言ではない。たとえフォレスト・カーターがKKKに入る動機が

自らの意志であろうが、何らかの事情で強制的に入らされたものであろうが、その

血と暴力に染まった手を心から後悔しているなら、何故この「リトル・トリー」という小

説を自分の真の自叙伝と主張出来たのであろう。また何故「リトル・トリー」を完成

させた同じ時期に、白人至上主義の雑誌を編集し記事を書いていたのか。私たち

も先の戦争で、アジアの多くの方たちに同じことをしてきたが、これらの残虐行為に

加担してしてきた人間自身が、まるで自分こそが韓国・中国人であり、日本の残虐

行為の被害者であることを主張していながら、その一方で韓国・中国人に迫害を

加え続けている次元と全く同じである。。KKKに入った理由はなんであれ、もし彼が

KKKに関わったことを真剣に反省し、改めてインディアンの視点に立ち戻っていた

ならば、決してこの小説を自叙伝などとは主張しなかっただろうし、、その後も白人

至上主義の雑誌を編集し記事を書くことはなかっただろう。フォレスト・カーターは

血と暴力に染まった人生を、ふと完全に消し去ってしまいたいと思った時期があっ

たに違いない。そしてこの小説の架空の人物に自分を置き換えてみたかった。確

かに「リトル・トリー」は文学的に名著の部類に入るだろう。しかし、過去の過ちから

目を背け謝罪することもなく、真の自叙伝と主張してきたところに、彼の欺まんさが

隠されている。インディアンの文献を多数日本に紹介し交流もある北山耕平さん、

スーザン小山さんの話によると、このような白人によるインディアンの魂への侵略

は現代でも生きており、彼らは自分たちの魂を守るために必死になって戦っている

のである。このフォレスト・カーターの経歴についての推察には様々な感じ方がある

のも事実である。ただこの問題に対してもっとも口をはさむことを許された人間は、

私などの部外者ではなく、インディアン自身なのだということを胆に命じるべきだと

思う。何故なら彼らインデアンこそ、KKKに代表される人種差別主義者により最も

血塗られた歴史を歩みつづけた人々であり、そのような絶望的な状況でもインディ

アン(全てではないが)は、命をかけて古来の道を守りつづけてきたのである。その

彼らが「リトル・トリー」を白人による新たな侵略として位置づけていることを私たちは

どのように感じ理解しなければならないのだろうか。インディアンの豊穣な精神文化

を、社会的名声や金儲けの道具としたものに、真のインディアンの魂は存在するは

ずはない。私は敢えてこの「インディアンの伝記や物語を記した文献」という項目に

この偽書を置く。そうすることにより多くのインディアンの魂への侵略が現在でも続

いていることを知っていただきたいと思うからである。そしてこのことに気づくことな

く今まで高い評価をしてきた私自身の無知も謝りたい。1998.6/7

(K.K)


 


最初に彼らはわたしたちの大地と水をとりあげた。

次には、わたしたちの魚たちと、動物たちを奪ったのだ・・。

そして今、あの人たちは同じようにして、わたしたちの宗教をほしがっている。

あるとき突然、わたしたちの周りでは、

それこそ良心のかけらもないような愚か者たちが、

自分のことをメディスン・ピープルだなどと口走りながら、

駆けずり回るようになった。

この連中は、あなたがたに「スウェット・ロッジの儀式」を

50ドルほどで売りつけたりするだろう。

こうした行為は、間違っているだけでなく、猥褻で見るにたえない。

インディアンたるもの、たとえいくらお金を積まれたとしても、

自らの霊的なものを、精神性を、

誰かに売るようなまねなど、絶対にしないものだ。

これは、昔からずうっと続いているあの人たちの

泥棒行為の延長線上にあるものだが、

そのなかでも最悪のものだと言えよう。


−−ジャネット・マッククラウド(テュラリップ族)

北山耕平訳

「Native Heart」(北山耕平さんのホームページより引用)


 


リトル・トリーという作られたインディアン像がわたしたちに教えているもの

「大事なことはインディアンに学べ」 北山耕平編著 より引用



アメリカはマルチカルチャー(多文化)国家だと認識されているが、時としてそのさまざまに

色分けされた文化が意図的に悪用されることがある。21世紀になっても、話題に事欠かな

いのが「リトル・トリー」という本である。



この本、正確なタイトルは「リトル・トリーの教育」という。1976年に全米でベストセラーになっ

た本で、「大恐慌の時代にアパラチア地方で孤児として祖父母に育てられたチェロキーの

少年の真実の物語」と当初は謳われていた。日本でもベストセラーとして、アメリカ・インデ

ィアンの精神世界の入門書的な働きをさせられている。



ところが80年代になって、表紙に印刷されていた「真実の物語」が大嘘であったことが

暴露された。著者の本名はフォレスト・カーターでもなく、孤児でもなく、そしてチェロキー

・インディアンでもなかったというのである。



フォレスト・カーターの本名は「アサ“エース”カーター」で白人優越主義者団体のKKKの

創設者のひとりで、絶対差別主義者だったアラバマ州知事のジョージ・ウォーレスのおつ

きのスピーチライターだった。彼が指導するKKKは1956年にバーミンガム市でコンサー

トに出演していたナット・キング・コール誘拐未遂事件を引き起こし、翌57年には無職の

黒人を拉致して去勢手術を施す事件を起こした。



しかしカーターは腕のいい小説家で、人の心を操るのに長けており、禁酒法時代の密造

酒にまつわる狂乱ぶりなどをおもしろおかしく書き、娯楽性にあふれてはいた。いったい

ひとりの人間が想像力のなかで作り上げた、虚構のインディアン像であるリトル・トリーの

なにが、かくも多くの人たちの心をとらえたのだろうか? 誰もまだ検証していないが、こ

れはじつに興味深い問題である。



チェロキー出身の歴史家が、小説のなかに描かれた言葉遣いや風俗や習慣の誤りを

ひとつひとつ指摘したこともある。今では一般的にこの本について言われていることは、

これは「実話ではなくあくまでも小説」であり、描かれた目的はネイティブ・アメリカンの

子どもたちにとって暗黒の時代といわれる50年代の「強制的寄宿舎学校における徹底

したアメリカ人化教育」の現場における目を覆いたくなるほどの権力による残虐性を、

「高貴な野蛮人」というステレオタイプ的なインディアンイメージの向こう側の神秘性に

よって目くらまししてしまう働きを持たせることだったと、教育関係者には理解されて

いるようだ。リトル・トリーによって意図的に作りあげられたインディアン像の果たした

役割を、ネイティブ・アメリカン出身の作家たちが塗り直す作業が進められている。



 


「リトル・トリー」の著者に関するホームページ(英語)を参照されたし。

「The Education of Little Tree and Forrest Carter」 What Is Known? What Is Knowable?

The American Experience 有名な人種差別主義者のゴーストライターであったとされる記事



またインディアン自身のニュースグループである Soc.Culture.Nativeに定期的に投稿される

FAQから下に引用します。この情報は「レイム・ディアー」「ネイティブ・マインド」「ローリング・

サンダー」などインディアンに関する数多くの優れた著作があり、インディアンとも深い交流が

ある北山耕平さんから頂きました。



FAQ: Soc.Culture.Native

16. What's the deal with Forrest Carter, author of _The Education of
Little Tree_? (mwilson@csd.uwm.edu)
The last I heard, a professor of history (also named Carter, I believe)
argued that Forrest Carter was none other than Asa Carter, former Klu Klux
Klans member and speechwriter for George Wallace ("segregation forever").
The _New York Times_ showed pictures of the two, and I have to say they
looked like the same guy.

Tony Plate (tap@cs.toronto.edu) writes: 12 years after the death of Forrest
Carter, his widow, India Carter, confirmed that he was indeed Asa Carter.
This was reported in the October 25, 1991 edition of Publishers Weekly. The
article quotes from a number of people connected to the issue, whose views
range from the (seemingly) hostile to the understanding: "_The Education of
Little Tree_" is a hoax ... the last fantasy of a man who reinvented himself
again again in the 30 years that preceeded his death in 1979" Dan T. Carter,
professor of history at Emory University, a biographer of George Wallace,
and author of several stories exposing Forrest Carter's past. "If the man
who wrote speeches for George Wallace could write this book there's hope for
a cure for the souls of us all." Rennard Strickland, Cherokee, Director of
the center for the study of American Indian Law and Policy at the University
of Oklahoma, and writer of the introduction to the UNMP edition. According
to Professor Carter, Asa Carter was one-eighth Indian and was not an orphan.
Eleanor Friede, Forrest's editor, said that his grand parents were Cherokee.
Forrest always denied to her that he was Asa Carter and she was shocked when
told the truth by Forrest's reclusive widow. The Publishers Weekly article
is the best I have found on this subject. It refers to several articles in
the New York Times, one in 1976, and another in the Oct. 4'th issue
(presumably 1991). There is a one or two sentence reference to the story in
"The imaginary Indian: the image of the Indian in Canadian culture." (Daniel
Francis. Arsenal Pulp Press, c1992.)








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