「ふたりの老女」

ヴェルマ・ウォーリス著

亀井よし子訳 草思社より









はるか昔からアラスカ・インディアンに伝わる知恵と勇気の物語。

あるとても寒さの厳しい冬、グウィッチン族ははげしい飢えにみ

まわれ、部族のお荷物だったふたりの老女を置いて旅立った。

これは昔からの老人を大切にする伝統に背くものであったが、

それほど部族の飢えは深刻なものであった。心に深い傷を互い

に負いながら、「生きる」ことに必死で立ち向かった老女と悲しい

決断をしなければならなかったリーダーが再び出会い、許すま

での軌跡を追った物語であると同時に、どんな年寄りでも驚く

べき可能性を秘めていることを悟らせてくれる物語でもある。

(K.K)


ヴェルマ・ウォーリス・・・1960年、アラスカに生まれる。北極圏から

わずか数キロ離れただけのユーコン川のほとりの村で、アラスカ・

インディアンの伝統にのっとった教育を受けて育つ。現在も昔なが

らの狩猟・採集の生活を営みながら、執筆活動をしている。彼女が

自分の母から実際に聞いたこの伝説は、アラスカのみならずアメリ

カ全土で話題を呼んだ。現在はインディアンとしての彼女自身の

成長の物語を執筆中。(本書より)







リーダーは、自分の胸の思いは口にしなかった。それでもダーグーと三人の

ハンターたちはわかってくれると思っていた。とくにダーグーはわかっている

はずだ、と。なにしろダーグーはこの一年のリーダーをずっと見てきて、その

心のうちをよく承知していたからだ。リーダーを尊敬していたダーグーは、彼

が老女を見捨てるときに果たした役割のせいで、自己嫌悪に悩まされてい

ることを知っていた。彼が自分自身の弱さを軽蔑していることもわかってい

た。彼の顔に刻まれた深い苦悩のしわに、その思いが表れていた。ダーグ

ーはため息をついた。いずれ、リーダーの自己嫌悪が彼によからぬ結果を

もたらすだろう。こんなりっぱな男がそんなかたちで自分を破滅させるのを

見るのはつらい。ようし、なんとしてもあのばあさんどもがどうなったかをたし

かめてやろう、たとえそれが無駄な努力だとしても、とダーグーは思った。

キャンプを出発した四人のうしろ姿を、リーダーは長いこと見送っていた。

無駄な努力かもしれないことに、なぜ貴重な時間とエネルギーを費やす気

になったのか、彼自身にも確たる理由は見つからなかった。しかし、彼も

また、奇妙な希望を感じていた。なんの希望なのか、それは彼にもわから

なかった。たったひとつわかるのは、つらいときだからこそ、みんながひとつ

にならなければならない、ところが去年はそれができなかった、ということだ

った。彼らは自分たち自身にも、そしてあの老女たちにも、不正義という

重荷を背負わせてしまった。そして、そのとき以来、全員が心ひそかにそ

れを悩んできたのを、リーダーは知っていた。あのふたりが生き抜いてい

てくれたら、どんなにいいだろう。だが、その可能性が小さいこともわかって

いた。あの無力なふたりが、いったいどうやって凍てつく寒さを生きのびる

ことができただろう。食べるものもなければ、狩りをする力もないというのに。

それがわかっていながらも、リーダーは、つらい数ヶ月の経験のなかから

顔を出した小さな希望の芽生えを押さえることができなかった。あのふたり

が生きているとわかったら、この集団のみんなにも二度目のチャンスが与え

られる。そして、おそらくは、それがリーダーの望む最大のことだった。





本書 訳者あとがき より引用

ストーリーそのものはきわめて単純明快。あるとても寒さの厳しい冬、はげしい

飢えにみまわれたグウィンッチン族のある集団が全滅の淵に立たされます。

集団のリーダーは、その苦境を乗り切るために、日ごろ全員の「お荷物」になっ

ているふたりの老女を棄てる決心をします。老人を大切にする集団の伝統にそ

むく決断でした。棄てられたことでプライドをよみがえらせたふたりの老女は、座

して死を待つくらいなら、とことんこの状況と闘って死んでやろうと決心します。

それまで若い世代の庇護を受けてぬくぬくと暮らしてきた老女たちにとっては、

あまりに厳しい現実でしたが、長い年月につちかった生活の技を思い出し、ひと

りが絶望に駆られたときには、もうひとりが叱咤激励しながら、苦闘の末につい

に最初の冬を乗り切ることに成功します。やがて、ふたたび冬がめぐってきて、

集団がもとのキャンプ地に戻ってきます。その年の冬はさらに厳しく、集団はふ

たたび生死の淵に立たされています。前年の仲間たちの仕打ちを思えば、容易

なことで老女たちの心が溶けることはありませんが、子どもたちまでが死にか

かっているとあっては、ほうっておくことはできませんでした。そこで、ふたりき

りで切り抜けた一年のあいだに蓄えておいた食糧や毛皮を提供しながら、こん

どは集団の世話にならずに、つかず離れずの生活をすることになります。やがて、

老女たちの頑なな心もほぐれ、集団のなかの名誉ある地位を与えられてその生を

まっとうします。


いわば、これはきわめてストレートに人間の可能性を描いた素朴なクリエイティヴ・

ノンフィクションだといえます。しかし、そこには同時に、いくつもの寓意が読みとれま

す。もちろん、そのひとつは、老人自身の問題です。老女たちは、日ごろたえず不平

をもらし、若い者にせがって生きるのはあたりまえといった態度を見せているのです

が、厳しい現実を前に、自分たちにはたくさんの知恵と技、そして反発力と気力が残

されているのを知りました。それを充分に生かしきることで、自分たちが他人に頼る

だけの無力な存在ではなかったことを、むしろ、自分たちのなかに蓄えられていた

知恵によって集団の全体を救うことさえできる存在であることを悟ったのです。

(中略)


棄老伝説は、世界のいろいろな地域にあるといわれます。むろん日本にも「楢山節考」

を始め、さまざまな棄老物語が伝えられています。そうした日本の物語とこの物語に違

うところがあるとすれば、日本のそれの場合は、棄てられた老人たちが従容として死を

受け入れているかにみえる、という点ではないでしょうか。宗教観や死生観の違いかも

しれませんが、この物語の、老人が生きのびて、長い年月のあいだに自分のなかに

蓄えた知恵や技を若い世代に引き継ぐ、若い世代もあらためてそんな老人への敬意を

よみがえらせるという顛末には救いが感じられます。老人たちが生きてきた歳月に敬意

を表し、その間の苦労をねぎらい、それに学ぶ・・・・生産性と能率第一で突っ走ってきた

私たち日本人にややもすると欠けていることなのかもしれないなどと考えながらこのシン

プルでストレート、しかも力強い物語を訳しました。


1995年1月 亀井よし子



目次

第一章 飢えと寒さ

第二章 死への挑戦

第三章 枝がよみがえる

第四章 つらい旅

第五章 保存食づくり

第六章 広がる悲しみ

第七章 破られた静けさ

第八章 新しい出発


グウィッチン・グループについて

この本ができるまで

訳者あとがき







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