「輝く星」

ホピ・インディアンの少年の物語

ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社 より引用

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」






本書 訳者あとがき より引用。


「自分の理解できないものを好きな人間などどこにもおらん」


ジョアン・プライスの書いた「輝く星」という小説には、深く印象に残る言葉が、夜空の

星のようにいくつもちりばめられている。とりわけわたしにとって忘れられない言葉は、

ここに引用したメディスンマンの老人の言葉である。世界が憎しみと暴力にあふれて

いるとき、いちばんたりないものが「理解」であるからだ。相手の存在にたいする理

解、文化にたいする理解、生き方にたいする理解。そうしたものの欠如がひとびとを

導く先は、想像するにおぞましい世界である。小説「輝く星」は、プエブロと呼ばれる

北米大陸南西部の沙漠に暮らす農耕の民の世界と物理的精神的に深くかかわりを

持つひとりのアメリカ人女性によって書かれた。彼女はアリゾナに生まれ、その赤い

大地を愛して育ち、その土地で生きる人たちの精神を理解している。われわれはこ

の本をつうじて、次の世代に、暴力に頼ることなく、世界を愛し、受けいれるための

伝統的な知恵を学ぶことができるだろう。極端に水の少ない土地であるために、

「砂漠」ではなく「沙漠」と記されるコロラド高原はいまでも「インディアン・カントリー」

と呼ばれている美しい土地である。一度でもその中を旅した者は、生涯その風景を

忘れることはない。この小説の主人公であるロマは、そうした風景のなかで育つホピ

の少年である。ホピの暮らすホピの国は、コロラド高原の奥地、近くのどの都市から

も遠く離れた美しい大地にあるにちがいない。ホピの人たちがそこを「宇宙の中心」

と認識している。ホピは、もともと「平和の人」を意味する。極端に過酷な自然条件の

なかで、トウモロコシを毎年育て、わずかな数の羊を飼い、祈りと感謝によって自然

と向かい合い、祝福の雨の恵みを最大限に利用する高度な知恵と文化を、歴史の

はじまりから今日まで語り継いできた。その純粋性と精神的な生き方で、欲望にお

どらされることもなく、徹底した非暴力を貫き、またそうした生き方を親から子へと、

そして孫へと世代を超えて伝えてきた。ホピがホピでありつづけるためには、強靭

な精神力にその存在を全面的に依存している。だがどのような風土や環境であれ、

人間は安易で便利なもののあふれた暮らしに走りやすく、そのためにホピは、伝統

的な生き方にあくまでもこだわるホピと、時代に適応した生き方を選ぶ進歩的なホピ

と、どっちつかずで塀のうえにいるホピの三つのホピに常に分裂してきた。とりわけ

今や伝統的な生き方を是として、電気や水道に頼らない伝統派のホピは風前の灯

である。地球を守るために最低必要な知恵---造物主から直接に伝えられた質素

で精神的な暮らし方---を守りつづけてきたこの人たちの存続は、おそらく地球の

未来、つまりわたしたちの未来とも、密接に関係しあっているのだろう。伝統的な

ホピが消えることは、ホピと彼らが守っている地球にとっては大きな曲がり角であ

る。先ごろのアメリカの戦争で、最初に亡くなった女性兵士がホピの女性だったこ

とは、極めて象徴的である。もし本書をお読みになられて、ホピの人たちとその生き

方に興味を抱かれたら、どうか専門の書物をひもとき、機会があれば彼らが「宇宙の

中心」と呼ぶ土地を訪れてみていただきたい。






ホピの預言(予言) を参照されたし。


 


目次

輝く星

この小説の歴史的な背景

用語集

訳者あとがき

ホピをさらに知るための日本語の資料





APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

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